明治のころまで雨乞い祈願の成就を祝って踊られた「なもで踊り」は古来「南無天踊り」や「南無手踊り」と呼ばれており、奈良県中和地方の神社の絵馬図で残されています。
安堵町のなもで踊りは東安堵に鎮座する飽波(あくなみ)神社に供えられており、宝暦6年(1756)銘の「なもで踊り図絵馬」に見られます。
同神社には、衣装と鼓や団扇など道具類のほか、歌詞本も伝えられていますが、明治33年の歌詞本以降は見つかっておらず、この時期を最後に途絶えたそうです。
平成7年に安堵町商工会や地区に方々の尽力により、絵馬図を参考にして約100年ぶりに復活、同神社に奉納されます。
太鼓が鳴り響き、踊り手が輪になって登場。
続いて善鬼が現れて雨を降らせると、早馬(はやうま)と呼ばれる小太鼓を持った人たちが加わって喜び踊ります。
古文書によると、なもで踊りには「中踊り」や「大踊り」など、格付けがあったそうで、降雨立願から雨が降るまでの日数、雨の降り方などを判断材料に、どの格で踊るかが決められます。
踊りは立願の段階で「雨が降ればなもで踊りを奉納します」と氏神に伝え、その成果のいかんにより、踊り手の人数を決め、望みを託すとされます。
(H17.10.22 Kiss Digtal N撮影)
安堵町のなもで踊りは東安堵に鎮座する飽波(あくなみ)神社に供えられており、宝暦6年(1756)銘の「なもで踊り図絵馬」に見られます。
同神社には、衣装と鼓や団扇など道具類のほか、歌詞本も伝えられていますが、明治33年の歌詞本以降は見つかっておらず、この時期を最後に途絶えたそうです。
平成7年に安堵町商工会や地区に方々の尽力により、絵馬図を参考にして約100年ぶりに復活、同神社に奉納されます。
太鼓が鳴り響き、踊り手が輪になって登場。
続いて善鬼が現れて雨を降らせると、早馬(はやうま)と呼ばれる小太鼓を持った人たちが加わって喜び踊ります。
古文書によると、なもで踊りには「中踊り」や「大踊り」など、格付けがあったそうで、降雨立願から雨が降るまでの日数、雨の降り方などを判断材料に、どの格で踊るかが決められます。
踊りは立願の段階で「雨が降ればなもで踊りを奉納します」と氏神に伝え、その成果のいかんにより、踊り手の人数を決め、望みを託すとされます。
(H17.10.22 Kiss Digtal N撮影)