今国府町杵築神社の翁に獅子舞。
【翁の面塚伝説より抜粋】
小林町の田の中に小さな塚があり、そこを村人らは面塚と呼んでいます。
昔、ここに天から翁の面が降ってきて、それを見つけたのが今国府町の人であったので、その面を小林町と今国府町の共有とすることにしたという伝説があります。
しかし、実際は寛政元年(1789)7月にひとりの能楽師が借金のかたに置いて帰ったものであり、両町ではこの面をお祭りに使うことにしたが、祭りの日が同一日の10月10日であるため、一年交替でその面を使うことにされた。
そして面を使う方の町から面を使わない方の町へ預かり証文を渡すことになりました。
今もその翁の面と預かり証文が両町の共有として残っており、祭礼当日はその面は欠かすことのできないものになっています。
【翁の面塚伝説より抜粋】
小林町の田の中に小さな塚があり、そこを村人らは面塚と呼んでいます。
昔、ここに天から翁の面が降ってきて、それを見つけたのが今国府町の人であったので、その面を小林町と今国府町の共有とすることにしたという伝説があります。
しかし、実際は寛政元年(1789)7月にひとりの能楽師が借金のかたに置いて帰ったものであり、両町ではこの面をお祭りに使うことにしたが、祭りの日が同一日の10月10日であるため、一年交替でその面を使うことにされた。
そして面を使う方の町から面を使わない方の町へ預かり証文を渡すことになりました。
今もその翁の面と預かり証文が両町の共有として残っており、祭礼当日はその面は欠かすことのできないものになっています。
大和郡山市の小林町と今国府町にある杵築神社の秋例祭は祭事日が重なるため、両町で共有する面塚伝説の翁面を二つの神社が一年おきに交替で使われています。
榊御幣を持つ代表者を先頭に天狗面の猿田彦、翁、二頭の獅子舞、氏子衆らに太鼓台と地区の方々が行列をなして、伊勢音頭を高らかに唄いながら当家宅から同神社までお渡りをします。
当家のお仮屋には祭事日の三日前に神さんを分霊されており、お渡りの直前に宮司により唐櫃へ遷されます。
翁面は小林町の杵築神社の祭礼を終えたのち、今国府町の氏子らが同神社に向かい引き渡され、翌年の祭事日の引渡しまで管理されます。
昔には本殿で翁舞が演じられていましたが、謡う方もいなくなり廃れています。
なお、太鼓台は数年前に保存会によって復活されたもので、宮入りをされると威勢よく伊勢音頭を唄い境内を練ります。
(H17.10.9 Kiss Digtal N撮影)
榊御幣を持つ代表者を先頭に天狗面の猿田彦、翁、二頭の獅子舞、氏子衆らに太鼓台と地区の方々が行列をなして、伊勢音頭を高らかに唄いながら当家宅から同神社までお渡りをします。
当家のお仮屋には祭事日の三日前に神さんを分霊されており、お渡りの直前に宮司により唐櫃へ遷されます。
翁面は小林町の杵築神社の祭礼を終えたのち、今国府町の氏子らが同神社に向かい引き渡され、翌年の祭事日の引渡しまで管理されます。
昔には本殿で翁舞が演じられていましたが、謡う方もいなくなり廃れています。
なお、太鼓台は数年前に保存会によって復活されたもので、宮入りをされると威勢よく伊勢音頭を唄い境内を練ります。
(H17.10.9 Kiss Digtal N撮影)