シトギ配膳。
後日に聞いた尼講さんたちの話では、小学生のころやったか、ボタモチと呼ぶ大きなオニギリメシにキナコをまぶしたものがあったという。
十人衆が朝から呼び太鼓を叩いて神社に来る子どもたちに配っていた。
男の子は二個、女の子は一個で、手で割って食べたそうだ。
ゴンボにコンニャクとツリボシと呼んでいた丸いキリボシダイコンを炊いた御馳走。
それをホッカイに入れて三笠の山まで背中にせたろうて登った。
山ではそこらにある木の葉をとって、それを皿代わりに盛って食べていた。
この日は学校も休みで、ボタモチ喰いに行くのが楽しみだったと回顧話に花が咲く。
帰りには春日大社に寄って御田植神事の松苗をたばって帰り、それを水口に供えていた。
食べもんが少なくなった戦中、戦後に途絶えたという。
(H21. 3.15 Kiss Digtal N撮影)
後日に聞いた尼講さんたちの話では、小学生のころやったか、ボタモチと呼ぶ大きなオニギリメシにキナコをまぶしたものがあったという。
十人衆が朝から呼び太鼓を叩いて神社に来る子どもたちに配っていた。
男の子は二個、女の子は一個で、手で割って食べたそうだ。
ゴンボにコンニャクとツリボシと呼んでいた丸いキリボシダイコンを炊いた御馳走。
それをホッカイに入れて三笠の山まで背中にせたろうて登った。
山ではそこらにある木の葉をとって、それを皿代わりに盛って食べていた。
この日は学校も休みで、ボタモチ喰いに行くのが楽しみだったと回顧話に花が咲く。
帰りには春日大社に寄って御田植神事の松苗をたばって帰り、それを水口に供えていた。
食べもんが少なくなった戦中、戦後に途絶えたという。
(H21. 3.15 Kiss Digtal N撮影)