念仏鉦の練習は前月2月から毎週土曜日に行われている。
鉦は使わずに机を棒で叩いて称名を唱えるという。
講衆は15名だが鉦は20丁ある。
若いもんが続けてくれているしこれで伝統も安泰や、いつでも引退できるわと会長はいった。
副会長のI氏は40歳のときに加わった。
もっと若いころから入っている人とは比べもんにならんというほど上手い。
親父や兄貴がしていたけどそのときは感心があっても入らんかったという。
家なかで聞こえる鉦と称名は耳に焼き付いてはいたが、いざ使うとなったらそんな簡単なもんじゃないと悟ったそうだ。
数十年も経過したが上手い人は数段も上だと仰る副会長。
鉦講は盆のときも行われる。
そのときは回り当番の三人が担うタイコバン(太鼓番)が加わって太鼓念仏が行われる。
数え念仏もあるといい、八月七日の夜は公民館で「七日盆」で太鼓念仏と鉦念仏を一曲ずつ勤める。
十三日の夜は新盆のシンボトケのアランタナ(新仏、新棚)のある家を回って太鼓念仏と鉦念仏を一曲ずつ唱える。
翌日の十四日も同様にアランタナの家を回り、融通念仏宗の各家すべてを回って太鼓念仏の一曲を唱える。
夜はさらに精進料理の夜食後に墓で太鼓念仏と鉦念仏を一曲ずつする墓念仏が行われる。
太鼓念仏は若死にしたときの逆縁の「地獄地獄」、順当な順縁の「念仏行者」、幼児の場合の「西院の河原」の供養の三曲。翌朝の15日、7時ころから8時ごろ。
線香を持って下の地蔵さんや上のお墓へ行って先祖送りの習俗がある。
各家のことなのでそれ以上詳しいことは判らないとI氏はいう。
かつては隣町の藤原町や古市でも行われていた念仏鉦。
おまえんとこはまだ続いてんのか、といわれるそうだ。
(H21. 3.15 Kiss Digtal N撮影)
鉦は使わずに机を棒で叩いて称名を唱えるという。
講衆は15名だが鉦は20丁ある。
若いもんが続けてくれているしこれで伝統も安泰や、いつでも引退できるわと会長はいった。
副会長のI氏は40歳のときに加わった。
もっと若いころから入っている人とは比べもんにならんというほど上手い。
親父や兄貴がしていたけどそのときは感心があっても入らんかったという。
家なかで聞こえる鉦と称名は耳に焼き付いてはいたが、いざ使うとなったらそんな簡単なもんじゃないと悟ったそうだ。
数十年も経過したが上手い人は数段も上だと仰る副会長。
鉦講は盆のときも行われる。
そのときは回り当番の三人が担うタイコバン(太鼓番)が加わって太鼓念仏が行われる。
数え念仏もあるといい、八月七日の夜は公民館で「七日盆」で太鼓念仏と鉦念仏を一曲ずつ勤める。
十三日の夜は新盆のシンボトケのアランタナ(新仏、新棚)のある家を回って太鼓念仏と鉦念仏を一曲ずつ唱える。
翌日の十四日も同様にアランタナの家を回り、融通念仏宗の各家すべてを回って太鼓念仏の一曲を唱える。
夜はさらに精進料理の夜食後に墓で太鼓念仏と鉦念仏を一曲ずつする墓念仏が行われる。
太鼓念仏は若死にしたときの逆縁の「地獄地獄」、順当な順縁の「念仏行者」、幼児の場合の「西院の河原」の供養の三曲。翌朝の15日、7時ころから8時ごろ。
線香を持って下の地蔵さんや上のお墓へ行って先祖送りの習俗がある。
各家のことなのでそれ以上詳しいことは判らないとI氏はいう。
かつては隣町の藤原町や古市でも行われていた念仏鉦。
おまえんとこはまだ続いてんのか、といわれるそうだ。
(H21. 3.15 Kiss Digtal N撮影)