マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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修理枝の神綱祭

2013年02月01日 06時03分29秒 | 桜井市へ
この日集まった上垣内の人たち。かつては12月8日に行われていた桜井市修理枝の勧請綱掛け。

修理枝の勧請掛けは翌年の1月8日に下垣内が同じ場所に掛けるが房の種類は異なる。

12月は松の房で1月はヤブニッキである。

正月を跨って二つの勧請綱を掛ける地域は修理枝の隣村にある小夫や天理市の上・下仁興、藤井、苣原などが挙げられる。

また、掛ける日を8日と決めているのも特徴である。

8日に行われることから八日講の勧請綱と呼ぶ地域も少なくない。

知られているのは上仁興と桜井市の北白木であるが、北白木は12月8日だけである。

いずれも綱を掛ける場所は地区を流れる川を跨いで掛けるが、新道が開通してからは道を跨るようにしている。

悪いものが下流から入って来ないように川切りをしていたが何時しか道切りになったようである。

修理枝の勧請綱は午前中に八王子神社で新嘗神事を終えてから作っていく。

12月にしていたときはみぞれ交じりの雪が舞うことが多かった。

何年か前に新嘗祭と勧請縄掛けを一日にするようにした。

縄作りの場は公民館。

雨天であろうが雪が降ろうが作ることができる場である。

普段であれば公民館の外で作るがこの日は寒し。

当地では勧請縄と呼んでいる綱を編んでいく。

手に水を漬けて縄ぬいをしやすくする。

いつもなら10人ぐらいは集まると話す。

縄を結って太くしていく縄作り。

縄は粳米の藁である。

太くなった縄は縄を挿し込む2本撚り。

長く、長く伸ばしていく縄は33ヒロ。

長さは60メートルにもおよぶ。

それほど長くするのは掛ける樹木が遠く離れているためである。

修理枝はかつてちえだ村と呼ばれていた。

修理枝の殿さんの名は修理枝。

貴い名前を呼び捨てするわけにはいかず、ちえだ村と称していた。

殿さんが亡くなられて元の修理枝(しゅりえだ)村に戻したという。

細い縄は4本で一つの房となる。

ほどよい長さにした松の枝葉を3本挿す。

それで1足の垂れとなる。

例年であればこれを12垂れ。

旧暦の閏年であれば13垂れとなる。

縄掛けのこの日は閏年の年であるが12垂れ。

翌年が正月を迎える年が普段であれば12垂れで閏年は13垂れとなるのである。

元々は12月8日に掛けていた。

12月は翌年を奉る勧請縄なのである。



勧請縄が出来あがれば八王子神社に持っていってお祓いをしてもらう。

笠の宮司さんが神職を勤める。

修理枝は石上神宮の布留郷であるが笠の宮司に来てもらっている。

石上神宮との関係は区長一人。

かつて神宮の祭りには人足を提供していたが、今は区長が参拝するよばれに招かれるという。

八王子神社の鳥居には竹を立てて注連飾りを張っている。

先月に行われた祭りの名残だという。

正月が明けてもそのままにしていおくという。

その横にあるヤカタ。

石仏が納められていると思ったがそうではなく水揚げポンプ。

神社を上がる階段は急な段。

手水舎へ水を汲むことが難儀になったことから建てたという。

祠のように見える建物は水の神さんになったと笑顔で話す。



作った勧請縄は拝殿前に置いて幣を挿す。

そうして登壇した氏子たち。

神妙な面持ちで神事を受ける。



それゆえこの日の神事は神綱祭と呼んでいる。

お祓いを受けた勧請縄を担いで出かけた先は神社下の狭隘な地。

二手に分かれて縄掛けをする。

一方の人たちは対岸に着く。

竹林に覆われた向こう側の作業。

竹に阻まれて降りることもできない。

太めの木にロープを結わえて下方の川に放り投げる。

これもまた竹に阻まれて落下する。

トライするも遠くへは飛ばないのだ。

竹を伐採するなど急な処置。

何度かのトライでようやく届いたロープが下方に垂れる。

それを引き上げる手前側の人たち。



ここは修理枝を流れる小さな川。

降った雨でジュクジュクな地はブーツ履きでないと歩けない。

普段なら水が流れていないほどの水無し川。

川上の地はミズナシと呼ぶ。

本来は前田川と呼ばれているが、雨が降ったときしか水が流れないからミズナシガワと今後は呼ぶかと話す。

(H24.11.23 EOS40D撮影)