マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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西佐味水野の山の神

2013年02月11日 08時58分18秒 | 御所市へ
金剛おろしは風の道。

御所市の大西、水野、福西が通り道だと話す水野垣内の住民。

申の日は特に寒九雪が降ることが多い。

おろしの風は通り抜けて風の森に抜ける。

地名は今でも金剛おろしを伝えている。

西佐味(にっさび)が属する水野垣内は鴨神の大西垣内の南隣である。

水野垣内は山間の佇まいでかつては「水野4ゲン」と呼ばれていた。

付近にはたくさんのお寺があったという。

水野は西佐味で一番栄えていたと伝わる。

水野より少し下った南から登る旧道。

一本杉と弁天さんの祠の前を通りって水野集落を通る坂道を登る。

集落を抜ければ小和道と合流する。

ここ辺りはカミジャヤ(上の茶屋)跡。

江戸末期までは茶店を営業していたそうだ。

上茶屋があるから下にも茶屋があったという。

その茶屋が並ぶ街道は籠に乗った殿さんが下ってきたと伝わる。

鎌倉時代の終わり頃は葛城修験道が最も盛んな時代。

金剛山頂の転法輪寺、朝原寺、高天寺、大沢寺などとともに金剛七坊の一つであった歴史をもつ西佐味郷。

高くそびえた弁天杉は付近で目立つシンボルタワーのようだ。



ここら辺りから南東に見える山々。

北から南へ連なる山脈は標高1700mから1900m級。

青根ケ峰、四寸山、大天井ケ岳、山上ケ岳、白倉岳、稲村ケ岳、バリゴヤノ頭、行者還、鋏山、弥山、八経ケ岳、明星岳、仏生ケ岳、孔雀岳、釈迦ケ岳などは天川村、東吉野村、川上村辺りの高山である。

いずれは春夏秋冬の季節が見えるようにネット放送したいと話す水野垣内は8戸の集落。

そのうちの4戸が講中である。

少なくなった戸数で営む講は大師講、伊勢講も含まれる。

年中行事はシンギョ、とんど弁天さん観音さん、亥の日もあるから月に一度はなんらかの行事をしているという。

この日に行われたのは山の神。

12月最初の申の日に行われるが、同月に申の日が3回あれば2回目の申の日となる。

山の神さんは小さな祠で祀っている。

4、5年前に建て替えたそうだ。

建て替えたというよりも朽ち果てて石の台だけになった場に祠を建てたということである。

祀る場は龍神さんと呼ばれる地。

まさに水野の山の神さんは水の神さんでもある。

その地に女性は立ち入ることができない。

山の神に参るのは男性に限られるのである。

4戸であるから4年に一度は当番となる。

「申」の文字が書かれたお札を次の当番家に送られて回りを知る。

昔は札などなかった。

回る家の順が決まっていたと話す。

神さんごとは下から上へ。

仏さんは上から下へと回る当番家。

服忌があれば次の家に回す。

今回は服忌の家が当番であったが村の規則通りに次の家に回された。

急なことであったとM家の家人が話す。

出発直前に山の神さんに供える道具を作る。

竹に挿すのは大き目の御幣。

高鴨神社の宮司さんが作られた。

宮司さんも水野の一員。

神社の行事の注連飾りと重なって参るのは2軒になった。



少なくなってしまったと話しながら幣を作る。

幣には一枚の紙を括りつける。

鎌、鍬、鋤、草刈機、トラクター、田植機、コンバインの文字が書かれた紙片である。

以前は鉈、ヨキ、鋸の山の道具であったがいつの頃か農作業における草刈機、トラクター、田植機、コンバインに代わったという。

30年ほど前はマンガやカラスキを象った木製のミニチュアを作っていた。

手間暇がかかった手作りの道具は大幅に簡略化された。

山の神さんは農林業の守り神であるからこそこうした道具を奉るのだと話す。

幣には片足一枚の草鞋草履も取り付ける。

藁で結った草履は明治中頃生まれの老婦人が作った。

田んぼに行くときのために作ったという。

今後のためにと多くの草履を作っておいた作りおきの草履は村に寄進して毎年の山の神に奉られる。

残した「草履がなくなればそれまでだ」と話す。

奉る草履に鼻緒は付けない。

未完成の姿の草履であるのは「山の神さんはあわてん坊やから」と話す。

「待ってられへんから仕上げはしない」と云うのは、鼻緒がなければ草履は履けない。

そのような草履であれば怪我をする。

逆に捉えたまじないの意味があるのだろう。

奉る道具が揃えば御供を抱えて山の神の地へ向かう。



田畑を抜けて山林に入る。

鬱蒼とした杉林が林立する。

入山直前には鉄製の水車があった。

山から流れる谷水を引いていたが動かない。

そうした近代の遺産風景を横目で通りすぎて着いた山の神の祠。



傍には昨年に奉られた幣や草履が残っていた。

風雨に耐えてきたお供え。

杉林は防風林になったのであろう。

山の神さんの御供はお頭付きの魚。

この年は鯛であった。

洗い米、塩、お神酒を供えて灯明に火を点ける。

風除けの灯明である。



そして祠回りに持ってきた液体を流していく。

オダンゴと呼ばれる御供である。

オダンゴは固体ではなく液状に溶いたメリケン粉。

水で練った御供である。

祠がなかった頃は台座の上に流したそうだ。

祠ができてからは汚さないように周囲に撒く。

不可思議な御供の存在に興味を覚えたのは云うまでもない。

一カ月後に再訪した際に聞いた話。

液状にしているのは顔に塗る化粧液であると当番婦人が答える。

山の神さんは女性であるから水に溶いてあげるのだと話す。

今回はメリケン粉であったが本来は米の粉。

谷から流れる清らかなキンメイ水で溶く。

水でとろとろと練った液体は「オシロイモチ」と呼ぶ。

嫁入りしたときからお姑さんから教わったキンメイ水のオシロイモチである。

米をすり潰して水で練った御供に「シトギ」がある。

古代から伝えられてきた御供である。

大和郡山市の満願寺町や奈良市の池田町で供えられる御供にシトギがある。

天理市杣之内町の八王子参りや奈良市柳生の山の神にもある。

巫女さんが御湯の神事の際に湯釜に投入するシトギもある。

水野の山の神さんの「オシロイモチ」も同じ神聖な御供のシトギは「粢」の一文字。

本来の米の味がする。



今年の幣を祠に立て掛けて参った二人は祝詞を奏上する。

「身潔祓詞(みそぎはらへのことば)」を揃って唱える。

参拝して下る水野の里山。



そこにあった番水の時間割。

ジンジョウ、五ツ、四ツ、九ツ、八ツ、七ツ、暮六ツ、初夜に区分けした番水は5月13日~23日、24日~31日、6月1日~7日、8日~15日、16日~23日、24日~・・・。

現役の番水は日によって若干の時間が調整されていた。

御所市楢原(ならはら)の番水時計は名高い。

「朝4時のあけもつと夕方4時のくれもつにはカネを叩く」という番水であるが水野の番水時間は判りやすい。

そのような番水は櫛羅(くじら)にも存在していたと二十数年前に聞いたことがある。

話したのは当時勤めていた上司であるが今となっては確かめようがない。

(H24.12. 1 EOS40D撮影)