田原本町法貴寺に鎮座する池坐朝霧黄幡比賣神社。
近隣村の郷社である。
同町の小阪、唐古、鍵、八田や天理市の海知、武蔵が法貴寺の郷村にあたる。
法貴寺の神社宮司には度々お世話になっているが郷中の関係は存知していなかった。
今年に知った里の女児巫女が祭典される御湯の儀とお神楽。
その状況を教えていただきたく訪問した。
ほぼ整理ができた聞き取り調査。
それを終えて法貴寺で行われている斎場を訪れた。
池坐朝霧黄幡比賣神社の境内社である厳島神社の弁天さん。
そこでは御湯が行われていることは知っている。
西と東にある大神宮でも行われているゴウシンサンも知っているが拝見したことがない。
西と東の大神宮は寄進された講中が分かれていたことを知ったこの日。
西の大神宮は法貴寺集落の中央辺りにある。
それには川西講中が寛政八年(1796)六月に寄進された。
200年以上も前に寄進された大神宮である。
一方の東側にある大神宮。寄進された年月は不明だが川東惣講中とある。
話によればそれぞれ東西の垣内の講中が寄進したそうだ。
川西は前田、西南、西口、北、観音寺垣内。
川東は東市場、南、西市場、寺前、宮ノ前垣内で集落中央を流れる初瀬川を境に東西垣内の講中が寄進したという。
法貴寺では他にも御湯の儀をされているという。
一つは南の斎宮(さいぐう)神社。
氏子は西口、西南、前田(一部)だそうだ。
もう一つが南のコンンピラサン。
金平羅社だそうだが場所は探し出せなかったが後日に再訪問した際に場所を教えてもらった。
現在の大和川の東側。
四ツ辻を少し南下した地にあったコンピラサンは祠の中。
そこには「金」の文字が刻まれた石造り。
傍には藁束を括りつけた常夜燈と思われる石塔もある。
それには天保九年十月吉日とあった。
(H24.12. 7 EOS40D撮影)
(H24.12.27 記)
近隣村の郷社である。
同町の小阪、唐古、鍵、八田や天理市の海知、武蔵が法貴寺の郷村にあたる。
法貴寺の神社宮司には度々お世話になっているが郷中の関係は存知していなかった。
今年に知った里の女児巫女が祭典される御湯の儀とお神楽。
その状況を教えていただきたく訪問した。
ほぼ整理ができた聞き取り調査。
それを終えて法貴寺で行われている斎場を訪れた。
池坐朝霧黄幡比賣神社の境内社である厳島神社の弁天さん。
そこでは御湯が行われていることは知っている。
西と東にある大神宮でも行われているゴウシンサンも知っているが拝見したことがない。
西と東の大神宮は寄進された講中が分かれていたことを知ったこの日。
西の大神宮は法貴寺集落の中央辺りにある。
それには川西講中が寛政八年(1796)六月に寄進された。
200年以上も前に寄進された大神宮である。
一方の東側にある大神宮。寄進された年月は不明だが川東惣講中とある。
話によればそれぞれ東西の垣内の講中が寄進したそうだ。
川西は前田、西南、西口、北、観音寺垣内。
川東は東市場、南、西市場、寺前、宮ノ前垣内で集落中央を流れる初瀬川を境に東西垣内の講中が寄進したという。
法貴寺では他にも御湯の儀をされているという。
一つは南の斎宮(さいぐう)神社。
氏子は西口、西南、前田(一部)だそうだ。
もう一つが南のコンンピラサン。
金平羅社だそうだが場所は探し出せなかったが後日に再訪問した際に場所を教えてもらった。
現在の大和川の東側。
四ツ辻を少し南下した地にあったコンピラサンは祠の中。
そこには「金」の文字が刻まれた石造り。
傍には藁束を括りつけた常夜燈と思われる石塔もある。
それには天保九年十月吉日とあった。
(H24.12. 7 EOS40D撮影)
(H24.12.27 記)