大字菅生・大垣内のフクマル迎えの様相はどのようにされているのか。
話しだけは何年か前に伺っていた。
いずれ拝見したく村人にお願いしようと考えていた。
今年の1月10日のことだ。
奈良テレビ放送が毎週月曜から金曜日に放送されるニュースなどの帯番組がある。
夕方6時は「ゆうドキ!」だ。
なにげに見ていたら山添村の菅生で行われている大晦日行事のフクマル迎え。
登場していた二組の家族。
ご主人は行事取材でお合いしたことがある。
一軒の家を訪ねていく番組の旅人。
奈良を歩いて歴史をしる「歴史散歩」のコーナー企画だ。
訪問先のご主人はUさんだ。
菅生のおかげ踊り保存会の一員。
音頭取りの太鼓を打つ。
その人の家におじゃましてフクマル迎えの取材。
歳神さんことフク(福)を迎える、Uさんはそれを「福丸こっこ」と呼んでいた。
「福丸こっこ」の「こっこ」とは何ぞえ、である。
「福が家に来てください」。つまり、「福丸こち来い」。
「こち来い」は「こっち(我が家)」に来てくださいというわけだ。
菅生では街道の辻ごとに神さんが宿ると云われてきた。
午前0時はあくる年。
U家ではご飯をユズリハに盛ってその辻に出かける。
それを辻で迎える福丸さんに供える。
ローソクに火を点けて藁束に火を移して燃やす。
その場で「ふくまーる こっこー」と声をかけて福丸こと神さんを呼び出す。
「ふくまーる こっこー」の呼び出しは何度かする。
そして藁火からローソクに移した火を持ち帰る。
始めに火除けの神さんの三宝荒神さんに置いた三本のローソクに火を移す。
その次はカケダイを吊ったエビスダイコクさんに手を合わせる。
家が栄えますように祈る。
次は家の奥座敷にある床の間。
ここにもローソクに火を移す。
そして、カマド(竃)になる。今は竃でなく、IHヒーター。
火器具は現代的になったが、そこで雑煮を炊く。
雑煮の盛り付け横には青豆のキナコ椀もある。
奈良大和では一般的とされる雑煮モチにキナコを塗して食べる習慣がある。
それはともかく雑煮ができあがれば、クシガキ、白モチ、トコロイモ、クリ、コウジミカンなどを盛った「祝い膳」を調える。
祝い膳は家族一人ずつが頭の額付近にあてて一年を祝う。
祝い膳をいただくという東山間特有の習俗である。
70戸ある大垣内。
ほとんどの住民が各戸さまざまな在り方でフクマル迎えや祝い膳をしていると話す。
旅人は「福丸こっこ」を訪ねてもう一つの家を目指す。
その家はマツリのときに取材させてもらったOさんだった。
同家の「福丸こっこ」は家のすぐ傍で松明に火を点ける。
「ふくまる こっこー」と云いながら松明を持ち帰る。
玄関口では奥さんが箒を手にして待っている。
「おはいり おはいり」と声をかけて松明を持つご主人を入れる。
松明火が福丸さんだ。こうして招きいれた福の火はカマド(竃)の火点けにする。
年季が入った竃には12本のローソクを立ててある。
招きいれた福丸の火を一本ずつローソクに火を移す。
12本は月の数。
つまり一年間の月数だ。
また、エビスダイコク、神棚、ご先祖さんの仏壇などにも福火を移す。
そして竃で焚いて雑煮を作る。
そして祝いの膳をする。
O家では家族一同が一列横に並んで恵方に向いて座る。
そして、「祝いの膳」を持って頭の額辺りまで持ち上げる。
O家の祝い膳はU家とほとんど変わりないが注連縄があった。
目線ぐらいに祝い膳を持つ。
「八十八のますかけ ちょうやどん ごつんこ」と声をかけて膳の縁を額に当てる。
まさに「ごつんこ」である。
テレビでは紹介されなかったが、「八十八」の数は米寿のことである。
三重県伊賀地方では88歳の長寿祝いの米寿のことを「ますかけ」と呼んでいる。
「ますかけ」は「ますかき」。
充てる漢字は枡掻きだ。
枡掻きは升に盛った穀類を平らにする道具である。
つまり米寿を祝える年齢の人は長寿ということだが、O家の解説では長寿にあやかる「長者どん」ではないかと話していた。
「祝い膳」はイタダキの膳。
こうした在り方は数か所で取材させてもらった。
福丸こっこを含めて祝い膳の様相をテレビで知った両家。
是非とも取材させていただきたくこの日訪れたがともに不在であった。
集落を歩いていたら男性が居られた。
お顔を見れば度々お会いする奈良市在住のUさんだ。
毎週末には実家で滞在。
この日もそうだった。
U家はどのような在り方なのだろうか。
福丸迎えも祝い膳も違うのであろうと思って尋ねた。
基本的には同じようだが、雑煮を作るに水が要る。
それは集落共同利用している井戸の水だ。
福丸を迎えて家に戻る際に井戸を通る。
通り過ごすわけでもなく桶(今ではポリバケツ)に井戸の若水を汲んで戻っていく。
元日の朝にはご主人が「若水」で顔を洗う。
洗って東の方角に向かって「今年も良き年でありますように」と手を合せる。
福丸は正月神。歳神を家に招きいれるしきたりは昔も今もそうしていると云う。
ちなみに同家の祝い膳はテレビ出演していたU家と同様に一人ずつ廻すようだ。
若水汲みの井戸の普段は木製の蓋で覆っている。
傍には長い柄の柄杓が置いてあった。
深い井戸から水を汲みあげるにはこれぐらいの長さが要るのだろう。
(H26.12.14 EOS40D撮影)
話しだけは何年か前に伺っていた。
いずれ拝見したく村人にお願いしようと考えていた。
今年の1月10日のことだ。
奈良テレビ放送が毎週月曜から金曜日に放送されるニュースなどの帯番組がある。
夕方6時は「ゆうドキ!」だ。
なにげに見ていたら山添村の菅生で行われている大晦日行事のフクマル迎え。
登場していた二組の家族。
ご主人は行事取材でお合いしたことがある。
一軒の家を訪ねていく番組の旅人。
奈良を歩いて歴史をしる「歴史散歩」のコーナー企画だ。
訪問先のご主人はUさんだ。
菅生のおかげ踊り保存会の一員。
音頭取りの太鼓を打つ。
その人の家におじゃましてフクマル迎えの取材。
歳神さんことフク(福)を迎える、Uさんはそれを「福丸こっこ」と呼んでいた。
「福丸こっこ」の「こっこ」とは何ぞえ、である。
「福が家に来てください」。つまり、「福丸こち来い」。
「こち来い」は「こっち(我が家)」に来てくださいというわけだ。
菅生では街道の辻ごとに神さんが宿ると云われてきた。
午前0時はあくる年。
U家ではご飯をユズリハに盛ってその辻に出かける。
それを辻で迎える福丸さんに供える。
ローソクに火を点けて藁束に火を移して燃やす。
その場で「ふくまーる こっこー」と声をかけて福丸こと神さんを呼び出す。
「ふくまーる こっこー」の呼び出しは何度かする。
そして藁火からローソクに移した火を持ち帰る。
始めに火除けの神さんの三宝荒神さんに置いた三本のローソクに火を移す。
その次はカケダイを吊ったエビスダイコクさんに手を合わせる。
家が栄えますように祈る。
次は家の奥座敷にある床の間。
ここにもローソクに火を移す。
そして、カマド(竃)になる。今は竃でなく、IHヒーター。
火器具は現代的になったが、そこで雑煮を炊く。
雑煮の盛り付け横には青豆のキナコ椀もある。
奈良大和では一般的とされる雑煮モチにキナコを塗して食べる習慣がある。
それはともかく雑煮ができあがれば、クシガキ、白モチ、トコロイモ、クリ、コウジミカンなどを盛った「祝い膳」を調える。
祝い膳は家族一人ずつが頭の額付近にあてて一年を祝う。
祝い膳をいただくという東山間特有の習俗である。
70戸ある大垣内。
ほとんどの住民が各戸さまざまな在り方でフクマル迎えや祝い膳をしていると話す。
旅人は「福丸こっこ」を訪ねてもう一つの家を目指す。
その家はマツリのときに取材させてもらったOさんだった。
同家の「福丸こっこ」は家のすぐ傍で松明に火を点ける。
「ふくまる こっこー」と云いながら松明を持ち帰る。
玄関口では奥さんが箒を手にして待っている。
「おはいり おはいり」と声をかけて松明を持つご主人を入れる。
松明火が福丸さんだ。こうして招きいれた福の火はカマド(竃)の火点けにする。
年季が入った竃には12本のローソクを立ててある。
招きいれた福丸の火を一本ずつローソクに火を移す。
12本は月の数。
つまり一年間の月数だ。
また、エビスダイコク、神棚、ご先祖さんの仏壇などにも福火を移す。
そして竃で焚いて雑煮を作る。
そして祝いの膳をする。
O家では家族一同が一列横に並んで恵方に向いて座る。
そして、「祝いの膳」を持って頭の額辺りまで持ち上げる。
O家の祝い膳はU家とほとんど変わりないが注連縄があった。
目線ぐらいに祝い膳を持つ。
「八十八のますかけ ちょうやどん ごつんこ」と声をかけて膳の縁を額に当てる。
まさに「ごつんこ」である。
テレビでは紹介されなかったが、「八十八」の数は米寿のことである。
三重県伊賀地方では88歳の長寿祝いの米寿のことを「ますかけ」と呼んでいる。
「ますかけ」は「ますかき」。
充てる漢字は枡掻きだ。
枡掻きは升に盛った穀類を平らにする道具である。
つまり米寿を祝える年齢の人は長寿ということだが、O家の解説では長寿にあやかる「長者どん」ではないかと話していた。
「祝い膳」はイタダキの膳。
こうした在り方は数か所で取材させてもらった。
福丸こっこを含めて祝い膳の様相をテレビで知った両家。
是非とも取材させていただきたくこの日訪れたがともに不在であった。
集落を歩いていたら男性が居られた。
お顔を見れば度々お会いする奈良市在住のUさんだ。
毎週末には実家で滞在。
この日もそうだった。
U家はどのような在り方なのだろうか。
福丸迎えも祝い膳も違うのであろうと思って尋ねた。
基本的には同じようだが、雑煮を作るに水が要る。
それは集落共同利用している井戸の水だ。
福丸を迎えて家に戻る際に井戸を通る。
通り過ごすわけでもなく桶(今ではポリバケツ)に井戸の若水を汲んで戻っていく。
元日の朝にはご主人が「若水」で顔を洗う。
洗って東の方角に向かって「今年も良き年でありますように」と手を合せる。
福丸は正月神。歳神を家に招きいれるしきたりは昔も今もそうしていると云う。
ちなみに同家の祝い膳はテレビ出演していたU家と同様に一人ずつ廻すようだ。
若水汲みの井戸の普段は木製の蓋で覆っている。
傍には長い柄の柄杓が置いてあった。
深い井戸から水を汲みあげるにはこれぐらいの長さが要るのだろう。
(H26.12.14 EOS40D撮影)