マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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中城・収穫後のオクラ立て干し

2015年09月15日 08時18分01秒 | 民俗あれこれ(干す編)
患者さんの送迎に走る。

番城町から中城町・発志院町を抜けて白土町へ送りをしていた際に気がついた田んぼのとんど立て。

の、ように見えたのは何だろうか。

白土町に住むH婦人の話しによれば、それはオクラの実を収穫したあとの枝木であるという。

H家でもオクラを栽培されている。

夏場は刈り取りが忙しい。

朝早くに収穫したオクラは柔らかくて美味しい。

採ってすぐに出荷するオクラである。

H婦人が云うにはオクラの枝木は干してシバにする。

シバは竃焚きに使うと話していた。

天理の南六条の下見を終えて通りがかった大和郡山市の中城町。

旧村の人たちは「なかんじょ」と呼んでいる。

街道沿いに車を停めて眺めるオクラ立て干し。

近寄ってみればまさしく収穫後のオクラであった。

高さは2mぐらいだ。

根っこ部分はぐにゃっと曲がっている。

先っぽを見れば採り残しのオクラがある。

まるで刀の形のようだ。

2カ所もあったオクラ木の立て干し。



その傍にあった石標。

何やら文字が見える。

「古家」のようだ。

ここにはかつて「古家」があったのだろうか。

興味をそそられる。

畦道を歩いていけば畑作業をされている男性が居られた。

取材目的を述べて話しを伺う。

「古家」のように見えたが、そうでなく、「古塚」であると云う。

ここら辺りの小字は「テランド」。

充てる漢字は「寺堂」だと云う。

昔のことだから詳しいことは判らないが、かつてお寺があったようだ。

石標は所有する畑の境界でもあるようだ。

「古塚」の名が刻まれているので、塚があったかも知れないと話すⅠさんが畑の持ち主。

夏場はオクラの生長が早くて朝な夕なに収穫していた。

高いところに実をつけるオクラの収穫は難儀する。

手が届かないのだ。

それで残ったオクラの実であった。

刈り取り後のオクラ木は束ねて横倒しにしていたが、燃えにくいので5年ほど前から立てるようにしたと云う。

中城には北の方にもオクラ立て干しが見られる。

とんどのように立てたオクラ木はアイの日に燃やす。

カラカラに枯れてから燃やすようだ。

この日の収穫はダイコンとミズナ。

畑の溝で根っこの部分をじゃぶじゃぶ洗う。

ミズナは竹編み籠(イネカゴか)に入れてダイコンを持つ。



家で食べる分だけを持ち帰った。

(H26.12.21 EOS40D撮影)