マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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栗野の行事はいつ

2016年12月03日 09時39分47秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
毎年の5月中旬の田休みの日に村の人めいめいが33枚の葉をつけた照葉樹などの枝をもって参るお垢離取りを行っていると境内掲示板に書いてあった。

場は宇陀市大宇陀の栗野に鎮座する岩神社である。

その件は榛原石田に住むUさんからも聞いていた。

Uさんの依頼もあって写真家のKさんからもそう聞いていた。

一度は場所も見ておこうと思って出かけた。

中旬というのはおそらく日曜日であろうと思って日定めした15日。

時間帯はまったく不明であるがとにかく行ってみようと思って車を走らせる。

神社に着いたがどなたもおられない。

神社前の民家に人影が見えたので訪ねてみる。

当主と思われるご主人に教えてもらったお垢離取りはかつてお爺さんやお婆さんがしていたと云う。

当主はそれを引き継ぐことはなかったが5月の末、若しくは6月初めの日曜日に5人ほどの高齢者がしているようだと話す。

その日を決定するのは総代のようだ。

村のすべての田植えが終われば行っているお垢離取り。

日程が決まれば各戸にFAXで通知される。

お垢離取りの場は宮さん(岩神社)の裏の北を流れる小川。

その川に摘んできた木の葉をチャボチャボ浸ける。

そうして神社に参る。

千切った葉は鳥居の下に一枚ずつ置いた。

これを33回繰り返していた。

33回もその行為をするには体力が要る。

纏めて葉っぱを水に浸けて参る回数を減らしたようだと云う。

枝ごと纏めて33回も参ったことにする考えは桜井市修理枝のお垢離取りでも同じ。

ただし、栗野は葉っぱであるが、修理枝は小石。

参る回数を数える道具に違いが見られる。

そうした状況は栗野に限らず労力を減らして参拝とする考え方で、栗野も纏めて枝ごと置く2回、3回ぐらいの参拝である。

Hさんの話しを聞いて清流に流れる小川の位置を確かめていた。

どなたも来られない岩神社で佇んでいたら杖をついた婦人がこちらに向かっていた。

岸の向こう側は何軒かの民家がある。

そのうちの2軒がコイノボリを立てていた。

風がないから泳ぐこともないコイノボリを見ていたら杖をついて歩く婦人が見えたのだ。

なんとも微笑ましい村の景観に見惚れていた。

婦人の姿に魅力を感じて何枚かのシャッターを押した。



婦人はどこへ行くのだろうか。

一瞬に目を離したすきにどこへ行ったのか・・・見失った。

が、それは違った鳥居下の道は一段下になる。

そこに隠れて見えなくなっただけだった。

婦人は自宅より歩いて田んぼ道を抜けて神社の前を流れる津風呂川の土手道に沿ってやってきた。

道行く婦人に声をかけた。

立ち止って話してくださる老婦人は84歳のNさん。

杖はついて歩いているがお元気な声で話される。

朝一番を避けて毎日を散歩している。

健康を維持するにはこれぐらい歩かないと、という。

Nさんが子供のころは実家でもしていたというお垢離取り。

実家はどこなのか聞きそびれたが、栗野では家の田植えが終わったときにお参りをすると話す。

その日は半日が休み。

山へ登る日でもあった。

前述した2、3回で終える簡略的な方式でお参りする人も居ると話してくれたのがNさんだった。

垢離取りする小川も案内してくれたが設営した金網で入ることはできない。

ただ、Nさんが云うには脇の道、急な山道を歩いていけば隣村の田原に出るらしい。

昔は近道に利用していたと云う。

ここでお別れして遠目で見ていたコイノボリを立てていたお家を訪ねてみる。

ぐっと近づいた民家は石垣の上。



カドに立てていたコイノボリの支柱はヒノキ材だ。

話しを伺ったB婦人の話しによれば7年前に孫の長男が生まれた。

そのときはヒノキの葉付きの支柱だった。

2年目になった年は葉を落としてカザグルマに付け替えた。

材のヒノキは向かいの山から伐採した。

向かいの山はB家が山主。

何年も前から目星をつけておいた支柱である。

屋内から大きくなった男の子の声が聞こえる三世代が住むコイノボリの在り方であった。

このコイノボリはいつまで立てておくのか聞きそびれたが、この月の29日に再訪したときは立てていた2本のコイノボリはなかった。

6月節句までではなく、5月中旬ぐらいまでのような気がする。

ちなみに参拝した岩神社の裾地に山野草が咲いていた。

姿、形でわかったホウチャクソウ。

可憐に垂れたその姿が愛おしい。

(H28. 5.15 EOS40D撮影)