マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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県立民俗博物館企画展を経てJNP奈良第2支部第13回写真展in奈良市美術館へ

2016年12月02日 09時30分27秒 | しゃしん
案内状はないが支部長の吉崎寿喜さんがFBで案内していた。

この日が初日。

午前中に用事を済ませて出かけた。

午前中の用事は県立民俗博物館行き。

図録を購入するために、である。

ついでといえば失礼にあたるが、拝観したかった展示列品がある。

一つは「昔の暮らしの関連展 くらしの中の動物たち」だ。

もう一つはコーナー展の「男の子のまつり」である。

動物が登場する民俗に男の子が主体となる行事の紹介である。

動物はいっぱいあるわけでもない。

一番に思い起こすのは農耕の牛や馬だ。



オンゴロもあれば金魚に虫までも。

広範囲である。

私にとっての目玉は農作業中にイヤになる虫だ。

ハチも怖いが痒みはたまらん。

それから身を守る昔の道具がある。



山添村に住む一人の男性は今でもしていると話していた「ブトクスベ」だ。

もう一つは牛の草鞋。



展示してあったのは2品。

一つはこれまで拝見したものと同じ大きさ。

もう一つは2倍以上もあるような草鞋。

象の足のサイズではないの?と思った大きさだ。



農耕はオンダ祭で再現される所作と風光明媚な出田園で働く姿の牛をとらえた写真もある。



今ではこういう風景を見ることはない。

耕作するのは牛ではなく耕運機や田植え機だ。

主役は代わったが広がる田園をとらえた風景写真がある。

水を張った田んぼに写りこむ桜の樹。

それをとらえた風景写真は何人もの人が村に行く。

今年はテレビで報道されたこともあって狭い田舎道が大渋滞。

農家の仕事に邪魔をしたのでは、と思ってしまう。

風景写真協会が示す写真には人を入れないという不文律があるようだ。

私がとらえる写真は「民俗」であるが風景写真とも似通った部分がある。

参考になる場合も多々ある。

写真展で拝見する写真で学習することもある。

そう思って出かけた開催場所の奈良市美術館は奈良イトーヨーカドーの5階。

10日前もJNP奈良第1支部の写真展で伺った場所である。



奈良イトーヨーカドーの前身はそごう百貨店。

跡地利用の建物であるが屋上に回転レストランがあった。

ここで食事をしたことがある。

気がつけばいつのまにか展望する景観が変わっていた。

今ではこういう体験はできない。

JNP奈良第2支部はどういうテーマがあるのだろうか。

ざっと見て回った。

これまで見たような、どこかで見たような写真ばかりだと思った。

つまりはお馴染みの景観なのだ。

すべてではないが全般的にそう思った。

支部長の話しによれば統一テーマはなく自由テーマ。

マクロは許可しないが、背景に奈良の景観が写っていれば良いということだ。

そう、とらえた写真は「奈良」の景観がテーマだった。

行先の市町村を多い方から並べてみる。

7点の宇陀市に次点が6点の上北山村で3番目が5点の奈良市だ。

宇陀市の元々は大宇陀町、菟田野町、榛原町、室生村の4カ村であったが平成18年に合併した。

細分化しないと判り難い。

奈良市も同じで月ヶ瀬村に都祁村を吸収合併した。

平成17年のことである。

どちらも広域。

旧村のどこであるかによって景観がまったく違う。

是非とも次回は旧村名を併記してもらいたいものだ。

4番目は4点の桜井市。

5番目は同点3点の橿原市、天川村、曽爾村に下北山村だ。

2点は五條市。

その他の平群町、御所市、天理市、下市町、吉野町、川上村、東吉野村、黒滝村、十津川村、野迫川村は各1点だった。

奈良第2支部の好みはどこであるのかよく判る。

同会の展示は工夫しているように思った。

タイトルは一般的だが、撮影者が書いたコメントが嬉しい。

思いはよく伝わる。

が、どうしてこれを狙ったのか、心の部分をさらせば面白いかも知れない。

もう一つの特徴は撮影者の顔写真があることだ。

これも、が、である。

写真家さんの顔はもっと大きく。

どうせ出すならもっと大きく、だ。

閲覧されていた人もそう云っていた。

その人はもう一つ云った。

フィルムで撮る作品がまあまあ有るということだ。

計算してみれば49%。

ほぼ半数であった。

その人曰く、女性はデジタルやけど・・・である。

拝見して帰り道に立ち寄ったカメラのキタムラ奈良南店。

フィルムの現像上がりを確かめたくて立ち寄った。

同店の店員さんはよく話す。

日本全国にカメラのキタムラ店舗があるが、奈良県、特に奈良南店ではフィルム利用者がとにかく多いと云う。

奈良第2支部の写真展を拝見して納得するのである。

現像上がりと同時にプリント上がりも確認するフィルムで撮った作品。

原版を見ていたら研修バッジをつけた若い職員が「きれい」と声を漏らす。

ポジタイプは滅多にみないようで、上がったばかりの緑が鮮やかな田園を撮ったフィルム映像に感動していた。

その写真は田植え作業の行程をとらえた映像だ。

育った山口県の宇部。

宇部興産からは遠く離れた里山で育った若い職員は地元で体験をしていた。

その記憶が蘇ったようだ。

緑に覆われた美しい田園に田植え作業は山口県でも同じだった。

この日の現像上がりはもう一本ある。

それは苗代田もあれば茶畑の景観もある。

苗代に立ててあるモノに気づいた彼曰く、宇部でもよく似たものがあったという。

田植え作業を撮らせてもらった写真も苗代に立てたモノと同じようなことになるはずだった。

はず、というのは外れたからだ。

そんなことを話していたら馴染の女性店員もフィルムを覗きこんだ。

淡路島出身の店員さんは農業体験者。

同じようなことをしていたという。

その女性が見た竹竿を立てている写真。

うちにもよく似たものがあったが花は十字に縛るわけではなく竿に巻き付けた風だった。

随分前のことだが・・・。

それしか覚えていない名前も判らない家の行事であったようだ。

(H28. 5.24 SB932SH撮影)

第47回奈良県美術人協会展in奈良県文化会館

2016年12月02日 09時20分50秒 | しゃしん
案内状が届いた第47回奈良県美術人協会展。

展示場は昨年同様の奈良県文化会館展示室。

フロアー全面借りての展示。

閲覧者迎えは中央ホールに並べられた彫刻である。

絵画の展示会場から移動していた男性がいた。

馴染みというか共に「大和の民俗」写真展に出展しているMさんだ。

私の病状に気遣ってくださる。

それはともかく今年のテーマに悩まされているという。

悩みながらも先日に出かけた今井町のイベント会場で目に入った煙りだし。

建物構造的にと思って撮っていたというが、これでは構造物で終わってしまう。

民俗を表現するにはこのままでは・・・と云う。

私もそう思う構造物。

得てしてコレクション的になりかねない。

「住」をとらえるにはなにも構造物でなければ、ということはない。

私はそう思っている。

「住まい」は暮らしであり生活、営みである。

自分自身が育ってきた建物からどういうものを類推するか、だと思っている。

Mさんが生まれて暮らしてきた住処。

随分前に建替え撤去したそうだ。

今から撮るということは不可能と云う。

それならと、私が狙いを広げる。

住まいはなくとも記憶はあるはずだ。

生まれたとき、幼少を育ったとき、青年、大人になったときなどそれぞれの時代には記憶があるはずだ。

それを創造的に膨らませることはできないか、である。

住処は十津川村に原点がある。

そう思いかけて、近日に発生した土砂崩れで足を阻まれる。

いたしかたないが締め切りに間に合うかどうかは疑問である。

それなら他の地域はどうなのか。

十津川以外に思い起こせないと云う。

Mさんが記憶にある心象的な情景はどのようなこのであるのか、私は存知しないが、Mさんが記憶の断片から糸を手繰るように導きだすしかないと思った。

私自身であればどうするか、である。

私が生まれ育った地域は大阪市内の町暮らし。

30年ほど前には住んでいた木造住宅は鉄筋コンクリート造りになった。

生活する建物は換わったが記憶にあるのは木造住宅時代だ。

火鉢があった。

円卓で食事をしていた。ト

イレはどっぽん便所だ。

お尻を拭くのは溶けにくい厚めのザラ紙だった。

新聞紙で代用したこともある。

炊事場はガスコンロ。

大阪市が発行した火の用心の札を貼っていた。

玄関には逆さにして貼った「十二月十二日」のお札もあった。

暮らしのなかの断片的な記憶である。

これを写真化するにはどうすればいいのか。

記憶に「デシャブ」もある。

実際に体験したのか、それとも夢の中に現われた情景なのか。

いわゆる既視体験、或は既視感である。

かつて住んでいた情景を描くにはその手があるが、場は大阪では大テーマの「大和の民俗」にあてはまらない。

既視体験、或は既視感を奈良大和の風景や情景など「民俗」に値する類似例があるものを現地で探す。

その方法も一つである。

そうであればすぐさま思いだすのが、火の用心や十二月十二日のお札である。

奈良でいくつか拝見したそれがある。

もう一つはどうするか。

田舎の母屋に囲炉裏はなかったが、竃や五右衛門風呂があった。

火をくべていた体験はある。

入浴したこともある。

我が家にあった丸型木製風呂も薪で炊いていた。

いただいたベニヤや割り木を斧で割っていた。

ガス風呂になるまでは子供の仕事だった。

それと同じような既視体験、或は既視感が想定される奈良の写真がある。

写真の良し悪しは別として、3枚組は想像の頭の中で展示された。

そんなことを思いだしながら展示品を拝見する。

作者の数だけ作品がある。

点数が多いものから順にあげる。

圧倒的に多いのは65点数の洋画だ。

次は44点数の書芸。

3番目は26点数の日本画。

4番目は21点数の写真。

5番目は15点数の彫刻。

一番、点数が少ないのは工芸の9点である。

私は一応のところ民俗写真家と名乗っている。

まずは本業の写真展である。

ざっと一巡して気に入った作品は一つ。

こういう映像を撮ってみたいと思った作品は久保田秀典氏の「SOUND」だ。

ただそれだけの一点。

全体を見させてもらった今回の展示。

感動しないのである。

ハートを揺らすような作品がない。

どれもこれも物足りなさを感じる。

どちらかといえば日本画、洋画作品に惚れてしまう。

絵がモノをいう作品に圧倒される。

こういう具合の情景を撮ってみたいと心を揺さぶるのだ。

「はァー」が漏れた。

とにかくため息がでてくる作品。

ため息は愕然としたという意味ではない。

展示された作品は挑戦的。

画に迫力を感じる「はァー」である。

絵画もそうだが、工芸も拝見したら写真がちっぽけに見える。

挑戦状を叩きつけられたようで、自分自身ももっと勉強しろよと云いたい。

コラージュでもない、全景を表現するでもない、記録写真的でもない、どちらかと云えば一発勝負。

眼前に飛び込んでくる局部的な写真。

そんなのがふと既視的に・・・出ては消えた。

(H28. 5.18 SB932SH撮影)

JNP日本風景写真協会奈良第1支部第14回写真展in奈良市美術館

2016年12月02日 09時07分28秒 | しゃしん
だいたいが4月、或は5月に集中して展示される写真展。

案内状が届けばできる限り行かせてもらう。

一年ぶりになった写真展には送り主もおられる。

ほぼ元気になりつつある姿を届けようという思いもあって出かけた奈良イトーヨーカドー。

5階にある奈良市美術館が会場だ。

今回のテーマは何だろうか。

そう思っては見るもののテーマ性はない。

撮られたカメラマンの思いで組まれた3枚組。

場合によっては2枚組もあるJNP日本風景写真協会奈良第1支部の展示会。

今回で14回目になる。

北は東北から西は鳥取。

昨年と大きく変わったのは奈良県が圧倒的になったことだ。

県別でみれば秋田(3点)、岩手(1点)、福島(6点)、新潟(2点)、長野(10点)、山梨(1点)、静岡(1点)、岐阜(1点)、滋賀(1点)、三重(2点)、奈良(23点)、大阪(1点)、鳥取(1点)だった。

前回の13回目と比較すれば大判り。

なにが嬉しいかっていえば会の名は奈良。

カメラマンの住む地域が奈良県であろうからその名がついたと思えるが、私が気にするのは住んでいる地域をもっと撮ってほしいのだ。

他府県にない味わいをもつ奈良県。

もっと多くの方々に魅力を伝えてほしいと願っている。

前回は39%であったが、今回は43%。

それで良しとはいわない。

半分以上を占めてほしい。

展示している風景は秋や冬が多いように思える。

情感、共感を得やすい被写体の季節を撮る目的で遠路を目指す。

そう思って、試しに季節分析もしてみた。

写真がずばり積雪の冬景色や紅葉が映える空景色は断定できるが、できないものもある。

僅かに映る花などの季節感を参考にして選別した結果は冬が19点の36%、春は11点の21%、夏は5点の9%で、冬と秋が同点19点の36%になった。

感じ方は感覚であったが、頭に描いたとおりで間違いでなかった。

また、一番に多かった奈良県。

カメラマンはどこへ行って撮っているのか。

ある程度は判っている。

県内南部がたぶんに多いはず。

そう思ってこれもデータ分析した。

件数でいえば奈良市内が2点、斑鳩は1点。

以下、五條(1点)、下市(1点)、天川(1点)、吉野(1点)、川上(1点)、東吉野(3点)、御杖(1点)、曽爾(3点)、十津川(1点)、野迫川(1点)、上北山(3点)、下北山(4点)である。

並べてみてわかる地域別件数。

圧倒的に南部奥吉野の山々に清流、渓流である。

美しさを求めて山間に出かける。

これが風景写真だと云っているようなものだ。

私はこういう傾向に反発する。

住んでいる地域にもっと良さがあるでしょう、である。

であるというよりも普段の暮らしのなかに素晴らしい景観を見逃してはいませんか、である。

不満をたらたら述べさせてもらったが、私なりに秀逸だと思った作品がある。

一つは南伊勢町の漁村景観だ。

豊穣の海に浮かぶ竿。

そこに網がある。

色は緑色。

アオサ海苔の色である。

緑、緑で全面を覆うことなく手前に光る網もある。

海はコバルト色でもない。

コントラストは激しくない穏やかな海苔の養殖場に感激した。

アオサ海苔の美味しさを感じたのだ。

もう一つは若草山にいる鹿の立ち姿。

魚眼レンズをやや斜めに透かしてとった動物がいる景観写真。

撮られたMさんが云った。

今回の展示に動物はこれだけになるそうだ。

ビル群が建つ都会の情景も一枚。

Tさん得意の星座が二枚。

頭に焼き付き印象が残る写真を撮ってみたいと思った作品である。

展示写真のすべてを拝見した同会。

デジタル全盛の時代にフイルム志向の方がいることに嬉しさがこみ上げる。

その枚数は13点。

1/4の25%もあるのが驚きだ。

帰りに立ち寄ったカメラのキタムラ奈良南店。

全国展開しているカメラのキタムラのなかでもダントツに多いのが同店舗。

全国的にデジタル写真が多なか、孤軍奮闘とは云わないが、圧倒的に多いフィルム利用。

それは県民性なのかどうか判っていない。

(H28. 5.14 SB932SH撮影)