通いの病院は年末から年始の期間は休みだ。
リハビリ運動は一週間空いたこの日になった。
年末年始は民俗取材で明け暮れた。
正月三が日はおふくろも来ていたのでお酒の量が増えた。
普段であれば500mlの発泡酒が1本。
続きはサイダー割りの酎ハイが2杯。
いつもそうしている飲酒量。
で、あるが、正月は特別な日。
朔日、二日、三日連続になってしまった発泡酒の本数は倍になった。
それだけで合計が1リットル。
おまけに12月30日、1月1日、2日の服用を失念した。
取材地が遠いわけではないが、何カ所も巡る。
巡ってお昼を食べる。
食べたら昼の薬を服用する。
これが三日もしなかった。
てき面に症状が現れた。
その日は1月4日。
胸は弾けるしお腹が出っ張った膨満状態である。
胸が弾けたのは1月1日だった。
そのころから兆候が出ていた。
体重も増加の傾向にあった。
だいたいが68kg台。
稀に69kgになるがすぐに戻る。
それが1月1日は69.8kg。
2日は70.6kg。
3日は70.6kg。
4日も70.6kgだった。
お昼の服用は胃薬もあるが主役は利尿剤である。
前年の2月3日から増強服用している利尿剤はラシックスにアルダクトンA。
昼食後にそれぞれ1錠を飲む。
調子も良いし脈拍も元に戻りつつあるからやがては少なくなってもと思っていたが、甘かった。
症状が出ていたが取材帰りに家で食べる晦日、正月料理が旨いもんだからついつい増えた発泡酒。
身体が受け付けるということは身体自身が欲しがっているということだ。
それを正常だと思い込んでいたが、突然に受け付けなくなった。
その日は1月4日。
流石に膨満状態になれば受け付けられなくなった。
その夜は一切の酒を断つ。
4日の晩は寝つきが悪い。
症状が出ぱなっしでもなれば緊急性を要する。
明日は行きつけの病院に電話を架けて強制利尿剤をお願いしてみよう。
一昨年の12月はそうしてもらった。
注射をしたとたんに排尿を感じる。
1時間ほどで排出した尿は約1リットル。
発泡酒が2本の量である。
ビールも発泡酒も利尿作用がある。
飲み会で必ず現れる症状。
元気な身体で飲む場合は症状ではないが・・・。
それはともかく胸も腹もそうだが、身体全体が軽くなった。
そうして貰いたいと思いながら寝ついた。
翌朝の症状は落ち着いてはいたものの体重は69.4kg。
もう少しである。
翌日の6日は68.8kg。
7日、8日、9日は68.8kg。
そして、本日。
体重は68.2kgになっていた。
晦日、正月の特別ごちそうの関係もあるが、注意すべきことは毎日の朝、昼、晩に服用する薬を飲み忘れないことである。
肝に銘じて、そう思った。
というようなことがあって本日は新年初めてのリハビリ運動。
リハビリ療法士、循環器内科医師らに年始の挨拶。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」を交わすがどことなく可笑しい。
医師・療法士と患者の関係はあるが今年もよろしくでは症状が治らないことを認めたようなものだ。
医師・療法士と患者の関係は絶つに限る。
健康な身体に戻っておめでとうと云われなくてはならない。
私の思いは関係を早く絶てるようになることだ。
毎週のリハリビ運動には治療費がかかる。
1回当たりが2千円ほど。
一年間も通院すれば10万円にもなる。
年金暮らしの身ではほんまに辛い。
そんなあれこれの思いは心の隅に引っ込めたくもないが、目の前にある運動にガンバロウ、である。
苦しくもしんどくもない脈拍はこの日も高めでスタートする。
心電図を装着したときの脈拍は57-58拍。
明日から大寒波が到来する。
心臓病患者にとって大切なことは日々の寒さ対応であるいうリハビリ療法士。
特に入浴におけるヒートショックである。
脱衣場も風呂場も予め温めておくこと。
一般的な家庭であれば温かいリビングと違って風呂場はぐんと低い温度。
急激な温度変化に心臓がショックを受けるということだ。
その話しはまさにその通りだった。
7日は民俗取材だった。
昼間は高気温で良かったが夕暮れともなれば気温はぐんと下がった。
しかも4時間かけて取材は屋外。
すべてが終わって公民館で暖をとる。
身体はすっかり温まっていた。
その場でお礼を伝えて部屋から出た。
そこは外気温と同じぐらいの室温。
急激な変化である。
靴を履こうとして立った。
立った瞬間にふらついた。
ふわーっと倒れる。
意識ははっきりしているが身体が斜めになる。
平衡感覚がなくなったような感じで座り込んだ。
たまたま傍に居た知人が身体を支えてくれた。
たぶんに違いないヒートショックである。
しばらくはその場に座っていた。
頭はすっきりはっきり。
なんともないから目眩でもない。
数分後には立ち上がった。
何事もない。
たぶんに一挙に血圧が上昇したと考えられる。
その値も尋常ではない。
200は遙かに超えていたと思う。
その後はまったく出ないが、毎日を暮らしていると、いつ、突然にやってくる・・・が怖い。
それはともかく準備運動での脈拍は60-61拍。
スクワット運動では63-64拍。
それほどの変化は見られない。
自転車ペダル漕ぎの慣らし運転。
そのときの血圧は113-59。
脈拍は61-62拍だ。
踏み始めて1分後のワークは55。
回転しだしてから1分後の脈拍は67-68拍。
ぐんぐん上昇していく。早い段階での脈拍上昇はこの上ない。
6分後の血圧は133-56。
脈拍は73-74拍。
この日も上向き傾向である。
立ち上がりがいきなりの70拍台は嬉しい。
11分後の血圧は149-59。脈拍は73-74拍。
16分後の血圧は151-55。脈拍は73-74拍。
21分後の血圧は124-55。脈拍は76-77拍。
ようやく汗がでる。
ラスト、26分後の血圧は123-59。
脈拍は73-74拍で終えた。
最後に状態を陰ながら見守っていたK循環器医師が云った。
調子が良いですね、である。
まったくもってその通りであるが、起床時は相も変わらず38拍-39拍。
これが私の現況である。
(H29. 1.10 SB932SH撮影)
リハビリ運動は一週間空いたこの日になった。
年末年始は民俗取材で明け暮れた。
正月三が日はおふくろも来ていたのでお酒の量が増えた。
普段であれば500mlの発泡酒が1本。
続きはサイダー割りの酎ハイが2杯。
いつもそうしている飲酒量。
で、あるが、正月は特別な日。
朔日、二日、三日連続になってしまった発泡酒の本数は倍になった。
それだけで合計が1リットル。
おまけに12月30日、1月1日、2日の服用を失念した。
取材地が遠いわけではないが、何カ所も巡る。
巡ってお昼を食べる。
食べたら昼の薬を服用する。
これが三日もしなかった。
てき面に症状が現れた。
その日は1月4日。
胸は弾けるしお腹が出っ張った膨満状態である。
胸が弾けたのは1月1日だった。
そのころから兆候が出ていた。
体重も増加の傾向にあった。
だいたいが68kg台。
稀に69kgになるがすぐに戻る。
それが1月1日は69.8kg。
2日は70.6kg。
3日は70.6kg。
4日も70.6kgだった。
お昼の服用は胃薬もあるが主役は利尿剤である。
前年の2月3日から増強服用している利尿剤はラシックスにアルダクトンA。
昼食後にそれぞれ1錠を飲む。
調子も良いし脈拍も元に戻りつつあるからやがては少なくなってもと思っていたが、甘かった。
症状が出ていたが取材帰りに家で食べる晦日、正月料理が旨いもんだからついつい増えた発泡酒。
身体が受け付けるということは身体自身が欲しがっているということだ。
それを正常だと思い込んでいたが、突然に受け付けなくなった。
その日は1月4日。
流石に膨満状態になれば受け付けられなくなった。
その夜は一切の酒を断つ。
4日の晩は寝つきが悪い。
症状が出ぱなっしでもなれば緊急性を要する。
明日は行きつけの病院に電話を架けて強制利尿剤をお願いしてみよう。
一昨年の12月はそうしてもらった。
注射をしたとたんに排尿を感じる。
1時間ほどで排出した尿は約1リットル。
発泡酒が2本の量である。
ビールも発泡酒も利尿作用がある。
飲み会で必ず現れる症状。
元気な身体で飲む場合は症状ではないが・・・。
それはともかく胸も腹もそうだが、身体全体が軽くなった。
そうして貰いたいと思いながら寝ついた。
翌朝の症状は落ち着いてはいたものの体重は69.4kg。
もう少しである。
翌日の6日は68.8kg。
7日、8日、9日は68.8kg。
そして、本日。
体重は68.2kgになっていた。
晦日、正月の特別ごちそうの関係もあるが、注意すべきことは毎日の朝、昼、晩に服用する薬を飲み忘れないことである。
肝に銘じて、そう思った。
というようなことがあって本日は新年初めてのリハビリ運動。
リハビリ療法士、循環器内科医師らに年始の挨拶。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」を交わすがどことなく可笑しい。
医師・療法士と患者の関係はあるが今年もよろしくでは症状が治らないことを認めたようなものだ。
医師・療法士と患者の関係は絶つに限る。
健康な身体に戻っておめでとうと云われなくてはならない。
私の思いは関係を早く絶てるようになることだ。
毎週のリハリビ運動には治療費がかかる。
1回当たりが2千円ほど。
一年間も通院すれば10万円にもなる。
年金暮らしの身ではほんまに辛い。
そんなあれこれの思いは心の隅に引っ込めたくもないが、目の前にある運動にガンバロウ、である。
苦しくもしんどくもない脈拍はこの日も高めでスタートする。
心電図を装着したときの脈拍は57-58拍。
明日から大寒波が到来する。
心臓病患者にとって大切なことは日々の寒さ対応であるいうリハビリ療法士。
特に入浴におけるヒートショックである。
脱衣場も風呂場も予め温めておくこと。
一般的な家庭であれば温かいリビングと違って風呂場はぐんと低い温度。
急激な温度変化に心臓がショックを受けるということだ。
その話しはまさにその通りだった。
7日は民俗取材だった。
昼間は高気温で良かったが夕暮れともなれば気温はぐんと下がった。
しかも4時間かけて取材は屋外。
すべてが終わって公民館で暖をとる。
身体はすっかり温まっていた。
その場でお礼を伝えて部屋から出た。
そこは外気温と同じぐらいの室温。
急激な変化である。
靴を履こうとして立った。
立った瞬間にふらついた。
ふわーっと倒れる。
意識ははっきりしているが身体が斜めになる。
平衡感覚がなくなったような感じで座り込んだ。
たまたま傍に居た知人が身体を支えてくれた。
たぶんに違いないヒートショックである。
しばらくはその場に座っていた。
頭はすっきりはっきり。
なんともないから目眩でもない。
数分後には立ち上がった。
何事もない。
たぶんに一挙に血圧が上昇したと考えられる。
その値も尋常ではない。
200は遙かに超えていたと思う。
その後はまったく出ないが、毎日を暮らしていると、いつ、突然にやってくる・・・が怖い。
それはともかく準備運動での脈拍は60-61拍。
スクワット運動では63-64拍。
それほどの変化は見られない。
自転車ペダル漕ぎの慣らし運転。
そのときの血圧は113-59。
脈拍は61-62拍だ。
踏み始めて1分後のワークは55。
回転しだしてから1分後の脈拍は67-68拍。
ぐんぐん上昇していく。早い段階での脈拍上昇はこの上ない。
6分後の血圧は133-56。
脈拍は73-74拍。
この日も上向き傾向である。
立ち上がりがいきなりの70拍台は嬉しい。
11分後の血圧は149-59。脈拍は73-74拍。
16分後の血圧は151-55。脈拍は73-74拍。
21分後の血圧は124-55。脈拍は76-77拍。
ようやく汗がでる。
ラスト、26分後の血圧は123-59。
脈拍は73-74拍で終えた。
最後に状態を陰ながら見守っていたK循環器医師が云った。
調子が良いですね、である。
まったくもってその通りであるが、起床時は相も変わらず38拍-39拍。
これが私の現況である。
(H29. 1.10 SB932SH撮影)