桜井市の山間部地域。
それぞれの大字ごと。
今もなお行事を継承してきた。
大字中白木にオコナイのマトウチがあると知ったのは平成27年2月20日のご挨拶がてらの訪問時に拝見させてもらった高龗神社拝殿に保管していた鬼の的を見つけたときだ。
その際に中白木の年中行事を教えてもらった。
それからというものは幾度となく訪れるようになった。
中白木の村行事を始めて拝見したのは平成24年11月10日。
その日の行事は山の神に供える行事であった。
話題はオコナイ行事に戻すが、かつての行事日は1月14日であった。
いつしか日程は12日になった。
山麓から急な坂道を登ってきたら集落に入る。
山間の道は急なカーブの連続。
道沿いのそこにあったトタン屋根。
被せていただけであるから、その下に何があるか、すぐわかる。
今でも飲用に使うこともある村の井戸である。
その左側に青竹を土に埋め込んでいた。
しかもそれに松と梅を挿している。
後から村の人に聞いてもわかったこれは松、竹、梅の三種。
まぎれもなく正月を迎えた村の井戸にも門松を立てたということである。
それからさらに登っていけば高龗神社に着く。
当日は年当番の人が神社拝殿にお重を供えておく。
中身を拝見させてもらうために承諾願い。
蓋をとって写真を撮らせてもらった御供の一つは煮豆。
以前に拝見したマツリのときもパンダ豆だったから、これも同じであるが、料理人は替わっているから味は違うという。
もう一つのお重はゴボウ煮。
太目に切ったゴボウを醤油などで味付けする。
正月初めの行事だけにお節に近い様相の御供である。
予め、これもまた年当番が作っていた木製枠の鬼の的。
木製枠は毎年に使うものだから、毎年に貼りかえるのが鬼の的。
矢を射る弓はカシの木。
弦は農作業に括るバインダー紐で作ったという。
今回はバインダー紐にしたが、本来であれば神聖な麻緒で作るそうだ。
チンチロ付きの松は苗代に立てる稲に見立てた松苗である。
松苗は村の戸数の9本。
実際は数本プラスして今年は11本にしたそうだ。
松の軸はワラを巻いている。
本来は粳米の藁であるが、今年は餅藁にしたという松苗に白紙に包んだ洗い米も括り付けた。
矢はススンボの竹。
半紙を切って1/4折りした矢羽根を挟む。
矢の本数は9本。
これも数本プラスした11本を準備した。
不思議なのが、矢羽根は尖がっている矢の先の方に挟んでいることだ。
だが、実は矢羽根に文字がある。
右から「平成廿九年度 牛玉 中白木」である。
一枚、一枚のごーさん札を墨書して朱印を押す。
相当古くから伝わっていると思われるごーさんの宝印。
印もベンガラ器も木製。
虫食いの数が中白木の歴史を伝えているようにも見えてくる。
今では神社行事になっているが、かつては寺行事であったと思われるオコナイ行事に欠かせないごーさん札である。
神社社務所は村の会所でもある。
座敷奥には本尊を納めていたと思われる厨子もあるが、何年にも亘って無住寺が続いた。
村の人の記憶もないが、厨子横に立てかけていた棟札が気にかかる。
墨書の一部は黒ずんで読み難い。
文字は不鮮明だけに判読できる範囲で調べてみれば、「奉再建 極楽寺一宇□二世安楽 天下泰平 五穀豊穣 □年三月十五日」だった。
年号の一部が黒ずんで読めないが「□保十三年寅三月十五日」までがわかった。
キーは「保十三年寅」。
その時代で年号を紐解けば、天保十三年が壬寅であった。
そうとわかれば西暦1842年。
今から176年前に再建されたことがわかる極楽寺。
その当時の僧侶名は二世・安楽で、再建の功労者であったろう。
その文字の下にも小さな文字で何かが書かれているが、まったく読めない。
写真に撮って拡大してみる。
ある程度が判読できた。
右端列より「式上郡小文□ 大工長右□門 ・・・」。
ほとんどが判読できなかったが、大工とあるから棟梁たちの名前を記していたのだろう。
昭和36年に発刊した『桜井市文化叢書 民俗編』には“座“のことは書いているが、オコナイ行事については触れていない。
ところがよくよく読めば”白木の宮座“の項に書いてあった。
”白木“は元々一つの村。
それが分割されて北白木と中白木に南白木に分かれた。
『桜井市文化叢書 民俗編』に”北白木“、”中白木“と区分けして書いている項もあれば単に”白木“としているケースと判断し、その記事中の内容から判断して”白木の宮座“は”中白木の宮座“のことを書いてあると断定する根拠となる文に「長男が座人になる。その年に初めて長男に生まれたものが座を受ける。十一月九日座人を呼んで御供つきをする。十日にお供えする。カニの餅といって蟹の形にした餅を高龗神社の本社と加津が大明神、金毘羅大明神の三神に供える」とある。
この文だけでもわかる三神社は北白木にはなく中白木に存在する。
平成24年11月10日に行われた山の神御供行事にその三社に供えたガニノモチが証明してくれる。
次の文は「一月十四日の弓打のおこない行事がある。桜の弓にすすだけ七本をつくり天地東西南北を打ち終わりに鬼うちする。これは一老がする。北白木は昔は僧侶が行った。これを行った安楽寺は北白木も中白木にもある」である。
調査、報告に記事を書いた人には失礼だが、前述した棟札の表記を見れば一目瞭然。
寺は安楽寺でなく、僧侶が安楽。
寺名は再建した極楽寺であったのだ。
いつもであれば一老が弓を射る役目に就く。
しかし、である。
一老は現在入院中。
そのため息子さんが役目に就いた。
取材させてもらったときの頭屋祭は二老の他、何人かの男性たちも来られていて賑やかであったが、今年は寂しい状況になったという。
中白木マトウチのオコナイには神職の出仕がない。
村人だけが集まって行われる。
それぞれがやってきて神社参拝。
落ち葉を燃やしたトンドにあたって暖をとる。
これだけ揃ったからとおもむろに始まったマトウチ所作。
一老代役の息子さんが務める矢打ち。
はじめに天をめがけて矢を射る。
その次は地に向けて矢を放つ。
そして東西南北。
坦々と進行するマトウチ。
打つ度にその先に村人の目が集中する。
ごーさん札の矢羽根がなんとなく可笑しいように見えるだろう。
弦側でなく弓側にある矢羽根が不思議な感覚をもたらす。
7本目の矢は鬼の的。
見事に貫いて穴が開いた。
そのあとも矢を射ろうとしたが、勢いがついて弦が切れてしまった。
鬼を射止めるにはもう少し。
手で投げる矢で傷められた鬼は降参した。
正月初めに行われたマトウチのオコナイをもって村の安全祈願、五穀豊穣を願ったわけだ。
放たれた矢を拾い集める村人たち。
籠に入れていたチンチロ付きの松苗も持ち帰る。
これらは4月末の祝日から5月連休の祝日期間中に苗代に立てる。
昔はそうであったが、今は早成り。
そのころは田植えどきになるから「植え初め」を祈念して立てるようになったそうだ。
そのころは村の桜樹に花が咲く。
これを「桜花立て」と呼んでいる。
植え初めにかつてはフライパンで煎った糯米の玄米を半紙に包んで田んぼの畦に供えた。
煎った玄米はアラレ。
桜が咲くころだから、これを花咲きアラレの名で呼んでいた。
今はお菓子のアラレをパラパラと撒く。
中白木の植え初めを是非拝見したいものだ。
だが、日にちや時間は固定していない。
各家がめいめいにしているから、という。
外は寒い。
暖房を入れている会所に温もりの直会が始まる。
お神酒もよばれる直会の肴は神さんに供えたお決まりのことこと煮の甘いパンダ豆と醤油と味醂で炊いたたたきゴボウだ。
お神酒はどぶのにごり酒に盛りあがる。
「貰い物やけど、これも食べてね」と云われて口にした手造りパンも美味しい。
(H29. 1.12 EOS40D撮影)
それぞれの大字ごと。
今もなお行事を継承してきた。
大字中白木にオコナイのマトウチがあると知ったのは平成27年2月20日のご挨拶がてらの訪問時に拝見させてもらった高龗神社拝殿に保管していた鬼の的を見つけたときだ。
その際に中白木の年中行事を教えてもらった。
それからというものは幾度となく訪れるようになった。
中白木の村行事を始めて拝見したのは平成24年11月10日。
その日の行事は山の神に供える行事であった。
話題はオコナイ行事に戻すが、かつての行事日は1月14日であった。
いつしか日程は12日になった。
山麓から急な坂道を登ってきたら集落に入る。
山間の道は急なカーブの連続。
道沿いのそこにあったトタン屋根。
被せていただけであるから、その下に何があるか、すぐわかる。
今でも飲用に使うこともある村の井戸である。
その左側に青竹を土に埋め込んでいた。
しかもそれに松と梅を挿している。
後から村の人に聞いてもわかったこれは松、竹、梅の三種。
まぎれもなく正月を迎えた村の井戸にも門松を立てたということである。
それからさらに登っていけば高龗神社に着く。
当日は年当番の人が神社拝殿にお重を供えておく。
中身を拝見させてもらうために承諾願い。
蓋をとって写真を撮らせてもらった御供の一つは煮豆。
以前に拝見したマツリのときもパンダ豆だったから、これも同じであるが、料理人は替わっているから味は違うという。
もう一つのお重はゴボウ煮。
太目に切ったゴボウを醤油などで味付けする。
正月初めの行事だけにお節に近い様相の御供である。
予め、これもまた年当番が作っていた木製枠の鬼の的。
木製枠は毎年に使うものだから、毎年に貼りかえるのが鬼の的。
矢を射る弓はカシの木。
弦は農作業に括るバインダー紐で作ったという。
今回はバインダー紐にしたが、本来であれば神聖な麻緒で作るそうだ。
チンチロ付きの松は苗代に立てる稲に見立てた松苗である。
松苗は村の戸数の9本。
実際は数本プラスして今年は11本にしたそうだ。
松の軸はワラを巻いている。
本来は粳米の藁であるが、今年は餅藁にしたという松苗に白紙に包んだ洗い米も括り付けた。
矢はススンボの竹。
半紙を切って1/4折りした矢羽根を挟む。
矢の本数は9本。
これも数本プラスした11本を準備した。
不思議なのが、矢羽根は尖がっている矢の先の方に挟んでいることだ。
だが、実は矢羽根に文字がある。
右から「平成廿九年度 牛玉 中白木」である。
一枚、一枚のごーさん札を墨書して朱印を押す。
相当古くから伝わっていると思われるごーさんの宝印。
印もベンガラ器も木製。
虫食いの数が中白木の歴史を伝えているようにも見えてくる。
今では神社行事になっているが、かつては寺行事であったと思われるオコナイ行事に欠かせないごーさん札である。
神社社務所は村の会所でもある。
座敷奥には本尊を納めていたと思われる厨子もあるが、何年にも亘って無住寺が続いた。
村の人の記憶もないが、厨子横に立てかけていた棟札が気にかかる。
墨書の一部は黒ずんで読み難い。
文字は不鮮明だけに判読できる範囲で調べてみれば、「奉再建 極楽寺一宇□二世安楽 天下泰平 五穀豊穣 □年三月十五日」だった。
年号の一部が黒ずんで読めないが「□保十三年寅三月十五日」までがわかった。
キーは「保十三年寅」。
その時代で年号を紐解けば、天保十三年が壬寅であった。
そうとわかれば西暦1842年。
今から176年前に再建されたことがわかる極楽寺。
その当時の僧侶名は二世・安楽で、再建の功労者であったろう。
その文字の下にも小さな文字で何かが書かれているが、まったく読めない。
写真に撮って拡大してみる。
ある程度が判読できた。
右端列より「式上郡小文□ 大工長右□門 ・・・」。
ほとんどが判読できなかったが、大工とあるから棟梁たちの名前を記していたのだろう。
昭和36年に発刊した『桜井市文化叢書 民俗編』には“座“のことは書いているが、オコナイ行事については触れていない。
ところがよくよく読めば”白木の宮座“の項に書いてあった。
”白木“は元々一つの村。
それが分割されて北白木と中白木に南白木に分かれた。
『桜井市文化叢書 民俗編』に”北白木“、”中白木“と区分けして書いている項もあれば単に”白木“としているケースと判断し、その記事中の内容から判断して”白木の宮座“は”中白木の宮座“のことを書いてあると断定する根拠となる文に「長男が座人になる。その年に初めて長男に生まれたものが座を受ける。十一月九日座人を呼んで御供つきをする。十日にお供えする。カニの餅といって蟹の形にした餅を高龗神社の本社と加津が大明神、金毘羅大明神の三神に供える」とある。
この文だけでもわかる三神社は北白木にはなく中白木に存在する。
平成24年11月10日に行われた山の神御供行事にその三社に供えたガニノモチが証明してくれる。
次の文は「一月十四日の弓打のおこない行事がある。桜の弓にすすだけ七本をつくり天地東西南北を打ち終わりに鬼うちする。これは一老がする。北白木は昔は僧侶が行った。これを行った安楽寺は北白木も中白木にもある」である。
調査、報告に記事を書いた人には失礼だが、前述した棟札の表記を見れば一目瞭然。
寺は安楽寺でなく、僧侶が安楽。
寺名は再建した極楽寺であったのだ。
いつもであれば一老が弓を射る役目に就く。
しかし、である。
一老は現在入院中。
そのため息子さんが役目に就いた。
取材させてもらったときの頭屋祭は二老の他、何人かの男性たちも来られていて賑やかであったが、今年は寂しい状況になったという。
中白木マトウチのオコナイには神職の出仕がない。
村人だけが集まって行われる。
それぞれがやってきて神社参拝。
落ち葉を燃やしたトンドにあたって暖をとる。
これだけ揃ったからとおもむろに始まったマトウチ所作。
一老代役の息子さんが務める矢打ち。
はじめに天をめがけて矢を射る。
その次は地に向けて矢を放つ。
そして東西南北。
坦々と進行するマトウチ。
打つ度にその先に村人の目が集中する。
ごーさん札の矢羽根がなんとなく可笑しいように見えるだろう。
弦側でなく弓側にある矢羽根が不思議な感覚をもたらす。
7本目の矢は鬼の的。
見事に貫いて穴が開いた。
そのあとも矢を射ろうとしたが、勢いがついて弦が切れてしまった。
鬼を射止めるにはもう少し。
手で投げる矢で傷められた鬼は降参した。
正月初めに行われたマトウチのオコナイをもって村の安全祈願、五穀豊穣を願ったわけだ。
放たれた矢を拾い集める村人たち。
籠に入れていたチンチロ付きの松苗も持ち帰る。
これらは4月末の祝日から5月連休の祝日期間中に苗代に立てる。
昔はそうであったが、今は早成り。
そのころは田植えどきになるから「植え初め」を祈念して立てるようになったそうだ。
そのころは村の桜樹に花が咲く。
これを「桜花立て」と呼んでいる。
植え初めにかつてはフライパンで煎った糯米の玄米を半紙に包んで田んぼの畦に供えた。
煎った玄米はアラレ。
桜が咲くころだから、これを花咲きアラレの名で呼んでいた。
今はお菓子のアラレをパラパラと撒く。
中白木の植え初めを是非拝見したいものだ。
だが、日にちや時間は固定していない。
各家がめいめいにしているから、という。
外は寒い。
暖房を入れている会所に温もりの直会が始まる。
お神酒もよばれる直会の肴は神さんに供えたお決まりのことこと煮の甘いパンダ豆と醤油と味醂で炊いたたたきゴボウだ。
お神酒はどぶのにごり酒に盛りあがる。
「貰い物やけど、これも食べてね」と云われて口にした手造りパンも美味しい。
(H29. 1.12 EOS40D撮影)