マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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写真展に向かう道すがらに拝見する角振新屋町の隼神社

2017年12月09日 08時41分50秒 | 奈良市へ
プリントはとても綺麗。

そこそこ上手い秀作が並ぶ素晴らしい作品群。

手慣れた造りの作品作り。

これまでいろんな写真展会場で、或いはSNSなどで、何度も見たことがある定番映像に感動するものはない。

度肝を抜くような、これはどうやって撮ったの?か、この映像はどこで撮ったのとか、というようなドキドキ・ワクワク感を味わえる作品を見てみたい。

なにより違和感をもったのは、あるイベントの公式写真についてであった。

停めた駐車場に戻る帰り道も隼(はやぶさ)神社の前を通る。

鎮座地は奈良市角振新屋町(つのふりしんやちょう)。

神社右に建つ地蔵堂に延命地蔵を安置する。

ネットによれば毎月の24日は地蔵さんの縁日。

近くかどうか知らないが、阿弥陀寺住職の法要をしているらしい。

地蔵像は立像ではなく、珍しい片脚を踏みさげて座る半跏像。

ところで隼神社で思い起こすのが薩摩隼人。

現在の薩摩隼人ではなく、古事記に登場する海幸彦を祖人とする九州の大隅・薩摩地域に居住していた隼人族である。

大和朝廷に制圧されて、後に朝廷に服属した隼人族。

宮廷守護や歌舞教習の任に就いて、大嘗祭などの節会に隼人舞を演じたとある。

未だに拝見していない隼人舞。

ぐるぐると渦を巻くような盾の紋様に特徴があったように思うのだが・・。

ところで、大和の宮廷を守護し、隼人舞をしていたと伝わるが、奈良県内では舞うことはない。

2010年、警固の職に就いた隼人族が居住したとされる京都府京田辺市大住・大住隼人舞保存会(昭和46年結成)が舞った場は平城京跡。

1250年ぶりに、古都奈良の都で披露された。

ちなみに大住は“おおすみ“。

かつての居住地であった九州の大隅(おおすみ)と同音。

地名は旧地を充てる漢字を替えていたことがわかる。

それはともかく、今まで何度も通っているのに、これは何っ、と思って撮っておいた。

ネットによれば境内に植わっている木は柿の木であるらしい。

その木に注連縄を架けていた。

長さは割り合いあると思われる注連縄を樹木の幹回りにぐるぐる巻いているのであれば、晦日若しくは正月に地域の人たちが架けているのだろう。

注連縄にエフ札のようなものがあるのが、気になるが・・。

と、思ったが違っていた。

きちんとした紙垂れのシデであった。

その奥に建つのは弁財天社である。

毎朔日が月次旬祭であるようだ。

なお、大祭は年に4回。2月1日の祈年祭。

例祭は7月7日に8月1日もある。

〆が11月21日の新嘗祭であることから、新年を迎えた1月1日の歳旦祭に注連縄を架けているように思える。

(H29. 2. 7 SB932SH撮影)