子供涅槃が行われている山添村の勝原を訪れるのは、実に5年ぶり。
平成24年の8月28日以来である。
訪問目的は八柱神社で行われていたという風の祈祷であったが、最近なのか、ずっと前なのかわからないが神社付近におられた婦人の話しでは中断したと云っていた。
ついでといってはなんであるが、元日行事の歳旦祭も尋ねたが、これもなんとなくしていないような口ぶりだった。
歳旦祭は村の人の初老祝儀式も兼ねていた。
初老の祝いは県内事例に多くあるようだが、未だ拝見できていない村行事である。
山添村の大塩でも元日に数え42歳になった初老や61歳の還暦に米寿を祝っている。
天理市山田町の下山田では元日ではなく4月21日のお大師さんの日に、大塩同様に数え42歳の初老、61歳の還暦の人たちの厄払いに祝っていた。
勝原の歳旦祭には酒を並々と注いだ高砂盃を飲み干す習慣があった。
祝いの謡いはザザンザーである。
酒杯のザザンダーも拝見したかったが、叶わなかった。
昨年のことである。
11月16日に橿原市の施設である橿原市立かしはら万葉ホールで奈良県主催の「農とつながる伝統祭事フォーラム」を聴講していた。
会場で担当されていたS氏と知り合うことになった日である。
S氏のお住まいが山添村の勝原と聞いて子供涅槃を思い出した。
平成21年の2月21日が実施日だった。
取材ができるまで4年間も経っていた。
子供涅槃にオヤを務める15歳の子どもがいなければ、行事はない。
対象となる子どもは中学3年生。
4年前に下見をさせていただいたときはまだ小学5年生だった子供がこの年にようやく15歳になる。
その間は対象の子どもがいないから、行事をすることはできない。
待ち続けてようやく拝見できたときはとても嬉しかった。
勝原の子供涅槃は大きく分けて三つの段階がある。
始まりは米集め。
そして、オヤが接待役を務めるヤド家で昼ご飯をよばれ。
昼食後は薬師寺のお堂廻りを駆け抜け、竹でオヤを叩く試練などがあって夜の膳もヤド家でよばれる3部構成の行事である。
今年もするが、人数は3人になったと話してくれたSさんに取材をお願いしたのは言うまでもない。
ちなみに平成21年に取材した子供の涅槃は当方のブログにアップしている。
アップされた写真に、私の子どもが映っていると云う。
このときの人数は12人。
人数が多かったこの年は2組に分かれてお米貰い。
私が同行した組にお子さんがおられた。
しかも、である。
オヤ家の父親とともに記念の写真を撮っていたもう一人の男性がSさんだった。
なんという奇遇であろうか。
当時、撮らせてもらった写真はオヤ家のK家には差し上げたが、Sさんはアルバムを見ただけのようだった。
あらためて現画像をメール添付で送らせてもらったら、大層喜んでくれはった。
奇遇な出会いに、交わる経緯もあって再訪する勝原は前夜から降った雪で辺り一面が真っ白になっていた。
名阪国道は除雪していたので難なく走って来られたが、神野口ICを出て勝原に向かう農道からはバリバリ状態。
慎重に運ぶハンドルさばきにスタッドレスタイヤが効果を発揮してくれるには時速20kmが制限速度。
1.8km先の勝原に着くまではドキドキだった。
目的地はさらにそこから下った公民館駐車場で落ち合う集合地。
子供涅槃を是非拝見したいと申し出ていた写真家Kさんと、風景写真家のYさんとともに勝原入りである。
実は朝から始まる予定だった小学生2人の子どもの米集めは大人の判断で中止となった。
米集めに大雪になった50戸余りの勝原集落全戸を巡るには滑って転げることが考えられる。
そういう判断である。
朝の9時。
道先案内人に誘われて雪景色いっぱいが広がる勝原集落を眺めながら歩く。
その先に見える人影が動いた。
近づいてようやくわかった雪掻き作業。
青色のスコップで庭先や道に積もった雪を掻いていた婦人。
このお家はたしか、平成21年に子供涅槃にヤド家を務めたK家。
婦人はそのことを覚えておられた。
懐かしい昔話をしている暇はない。
右下に下りていく里道。
点々と続く足跡は一直線。
人間の足跡ではないような気がするが、ゆっくり観察している場合でもない。
K家のお爺さんも出動する雪掻き道具は手造り。
勝原は大雪になることがままあるらしく、道具は降ってからでは間に合わないから、予めに作っておく。
形はスコップのようだが、道具を押して雪を掻き集める。
集めた雪は、適度な場所に捨てる。
これを繰り返すことで道路は車も走らせることができる。
屋根に積もった雪よりも先に作業をしたのは足の確保であった。
(H29. 2.11 EOS40D撮影)
平成24年の8月28日以来である。
訪問目的は八柱神社で行われていたという風の祈祷であったが、最近なのか、ずっと前なのかわからないが神社付近におられた婦人の話しでは中断したと云っていた。
ついでといってはなんであるが、元日行事の歳旦祭も尋ねたが、これもなんとなくしていないような口ぶりだった。
歳旦祭は村の人の初老祝儀式も兼ねていた。
初老の祝いは県内事例に多くあるようだが、未だ拝見できていない村行事である。
山添村の大塩でも元日に数え42歳になった初老や61歳の還暦に米寿を祝っている。
天理市山田町の下山田では元日ではなく4月21日のお大師さんの日に、大塩同様に数え42歳の初老、61歳の還暦の人たちの厄払いに祝っていた。
勝原の歳旦祭には酒を並々と注いだ高砂盃を飲み干す習慣があった。
祝いの謡いはザザンザーである。
酒杯のザザンダーも拝見したかったが、叶わなかった。
昨年のことである。
11月16日に橿原市の施設である橿原市立かしはら万葉ホールで奈良県主催の「農とつながる伝統祭事フォーラム」を聴講していた。
会場で担当されていたS氏と知り合うことになった日である。
S氏のお住まいが山添村の勝原と聞いて子供涅槃を思い出した。
平成21年の2月21日が実施日だった。
取材ができるまで4年間も経っていた。
子供涅槃にオヤを務める15歳の子どもがいなければ、行事はない。
対象となる子どもは中学3年生。
4年前に下見をさせていただいたときはまだ小学5年生だった子供がこの年にようやく15歳になる。
その間は対象の子どもがいないから、行事をすることはできない。
待ち続けてようやく拝見できたときはとても嬉しかった。
勝原の子供涅槃は大きく分けて三つの段階がある。
始まりは米集め。
そして、オヤが接待役を務めるヤド家で昼ご飯をよばれ。
昼食後は薬師寺のお堂廻りを駆け抜け、竹でオヤを叩く試練などがあって夜の膳もヤド家でよばれる3部構成の行事である。
今年もするが、人数は3人になったと話してくれたSさんに取材をお願いしたのは言うまでもない。
ちなみに平成21年に取材した子供の涅槃は当方のブログにアップしている。
アップされた写真に、私の子どもが映っていると云う。
このときの人数は12人。
人数が多かったこの年は2組に分かれてお米貰い。
私が同行した組にお子さんがおられた。
しかも、である。
オヤ家の父親とともに記念の写真を撮っていたもう一人の男性がSさんだった。
なんという奇遇であろうか。
当時、撮らせてもらった写真はオヤ家のK家には差し上げたが、Sさんはアルバムを見ただけのようだった。
あらためて現画像をメール添付で送らせてもらったら、大層喜んでくれはった。
奇遇な出会いに、交わる経緯もあって再訪する勝原は前夜から降った雪で辺り一面が真っ白になっていた。
名阪国道は除雪していたので難なく走って来られたが、神野口ICを出て勝原に向かう農道からはバリバリ状態。
慎重に運ぶハンドルさばきにスタッドレスタイヤが効果を発揮してくれるには時速20kmが制限速度。
1.8km先の勝原に着くまではドキドキだった。
目的地はさらにそこから下った公民館駐車場で落ち合う集合地。
子供涅槃を是非拝見したいと申し出ていた写真家Kさんと、風景写真家のYさんとともに勝原入りである。
実は朝から始まる予定だった小学生2人の子どもの米集めは大人の判断で中止となった。
米集めに大雪になった50戸余りの勝原集落全戸を巡るには滑って転げることが考えられる。
そういう判断である。
朝の9時。
道先案内人に誘われて雪景色いっぱいが広がる勝原集落を眺めながら歩く。
その先に見える人影が動いた。
近づいてようやくわかった雪掻き作業。
青色のスコップで庭先や道に積もった雪を掻いていた婦人。
このお家はたしか、平成21年に子供涅槃にヤド家を務めたK家。
婦人はそのことを覚えておられた。
懐かしい昔話をしている暇はない。
右下に下りていく里道。
点々と続く足跡は一直線。
人間の足跡ではないような気がするが、ゆっくり観察している場合でもない。
K家のお爺さんも出動する雪掻き道具は手造り。
勝原は大雪になることがままあるらしく、道具は降ってからでは間に合わないから、予めに作っておく。
形はスコップのようだが、道具を押して雪を掻き集める。
集めた雪は、適度な場所に捨てる。
これを繰り返すことで道路は車も走らせることができる。
屋根に積もった雪よりも先に作業をしたのは足の確保であった。
(H29. 2.11 EOS40D撮影)