マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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桃香野八幡神社の祈年祭

2017年12月23日 09時55分56秒 | 奈良市(旧月ヶ瀬村)へ
平成2年11月に旧月ヶ瀬村が発刊した『月ヶ瀬村史』がある。

調査、編集は月ヶ瀬村史編集室。

年中行事の一つに「祈年祭」のことを短文で紹介していた。

「その年の穀物が豊作であるようにと祈願する。2月下旬に各大字の神社で行われるが、この日、厄除けの牛王さん(60cmほどの長さのハゼの木や、松の枝に護符をつけたもの)を各戸に配る。この牛王宝印はモミをまくときに、苗代の水戸口へ立てて苗の育成を祈る」とあった。

祈年祭(としごいのまつり)であれば神社行事である。

その神社行事に寺院行事のオコナイに用いられる牛王宝印の護符や、ハゼの木があると書いてある。

かつては寺院と神社で行われていた神仏習合のオコナイ行事が月ケ瀬村にあったということである。

現在はどのような形式でされているのか、一度は調べてみたい月ヶ瀬村の行事調査である。

気になっていたのは大字桃香野である。

平成28年の5月5日に行われた枡型弁天一万度祭行事の際に見たハゼノキ(ハゼウルシ)に挟んだ神符である。

牛王宝印であれば寺院名が記されて、「宝印」の文字があるはずだが、「八幡大神守護」であった。

しかも、寺院であれば朱印の牛王宝印であるが、これもまた神社の「八幡神社之印」角印である。

ハゼノキ(ハゼウルシ)に挟んでいることからかつては寺院行事であったが、寺院は廃れ、やがて神社で継ぐことになったと想定できる祭具である。

この日に話してくれた長老は、この神符を「ごーさん」と呼んでいただけに間違いないと確信していた。

ただ、神社社務所に掲示している年中行事のうち、現在は数行事をしなくなった行事もあると聞いている。

日程も代わっているとも思われるので、氏子のEさんに日時を確認してもらってから出かけた。

神社社務所掲示写真は平成28年5月5日に訪れたときに撮っておいたものだ。



着いた時間帯は午後12時半。

数人の人たちは雨のかからない参籠所の回廊で作業をはじめていた。



雨天決行の祈年祭に奉られる「ナガイキ」作りに“ウマ”は必要な道具である。

正月に伐っておいた竹がある。

伐りたてであれば青竹であるが、2カ月半も経過すれば青みが抜けた風合いがあるややく枯れかけたような竹になる。

その竹を平たく割って作ったヘラ状の板棒。



それが皮剥ぎの削り道具である。

長い棒のような木材は一般的にはハゼウルシの名で呼ばれるハゼノキ。

長さは5m以上もありそうな長い木。

作業していた人も長老の老名(オトナ)の人たちもその木を「ナガイキ」と呼んでいた。

幹部分の径は6cmぐらいの「ナガイキ」はその名の通りの長い木である。

「ナガイキ」に漢字を充てたら「長生き」。

長老らオトナ(老名)が「長生きしてね」という願いを込めた「ナガイキ」であると話していた。



ハゼノキの木の皮を竹で剥ぐのはトーヤさんに手伝いさん。

力の要る作業は若衆である。

経験者は、こうして削るのだと若衆に教えていくのだが、ずっと続けておれば疲労困憊。

腕に疲労が溜まる。

腰に力も要るからたいへんな作業に5、6人が交替しならが進めていた。

皮剥ぎ作業が終われば、次は神符を挟む部分にナタを入れる。



ストンと切り落とした面にナタの刃を当てて木槌代わりの切断した短いハゼノキで叩く。

まずは水平に一本。

上手く切り込みをしないと斜めになって折れてしまうから、慎重さが求められるのであろう。

ナタの当て具合も年季が要る。

使い慣れたナタの歯の裏側を叩く力も要る。

ある程度の長さに伐り込んだら、もう一カ所。

水平切り込みに対して直角に当てる。



その切り込みはT字型。

数々ある県内事例のオコナイに作られるごー杖と同じ切り込みである。

稀に三方に広げる三角形の切り込み口も見られるが、このT字型が基本形と考えられる。

ナタを強く叩く度にパキパキと音が弾ける。



折れやしないかと、ついつい心配してしまう。

写真でもわかるようにある程度の切り込みができたら、ナタに切り替えたヘラ状の竹を挟んでいる。

ここまでくればほぼ完成である。

竹の楔はそのままにして、用意しておいた神符の「八幡大神守護」を挟む。



これもまたよく見ていただきたい。

むやみに挟むのではなく、挟み方に決まりがある。

長老らが「ごーさん」と呼んでいた神符はまず半分折り。

綺麗に折るのではなく、丸めるような感じのまま切り目に沿って入れていく。

丸めた部分はT字型の「-」の部分。

神符が重なった部分は「|」にそっと挿入する。

楔があるから空間は広いから入れやすい。

こうして挟んだ「ごーさん」は外れることはない。

「-」と「|」できっちり挟まれたから滑って落ちることはない。



ごーさん挟みを済ませたできたての「ナガイキ」はトーヤさんとオトナ(老名)が運ぶ。

如何に長いかよくわかるであろう。

京都銀行のテレビコマーシャルではないが、とにかく、ながーーーい、木である。



二人がかりで担いだ「ナガイキ」は神社拝殿から納める。

一方、短めのハゼノキ(ハゼウルシ)もある。

到着したときにはすでに作業を終えて、参籠所のテーブルの上に置いていた。

長さ40cmぐらいの皮付きハゼノキである。

版木で刷っていた神符を挟んでいた。

挟む箇所だけは皮を剥いでいる。

本数は20数本もある。

これもまた、「ごーさん」であるが、これは長老のオトナ(老名)が作る。



作り終えてストーブを囲んでいた。

この日は雨の日。

屋外は冷たい雨が降っていたから外に出ることはなかっただろう。

「ナガイキ」を納めたらようやく始まる祈年祭。



拝殿前で手水をする斎主を務める尾山の岡本和生宮司と3人の村神主は先に登って「ナガイキ」をセッテイングする。

なんせ、ながーーーい木であるだけに拝殿に横たえることもできないし、縦位置にするのも難しい。



しかも、「ナガイキ」は幹部分を本社殿側に半回転して納めなければならない。

本社殿を外側から拝見すればなんとか納まったが、突き抜けているようだ。



オトナ(老名)たちが作ったハゼノキ挟みのごーさんも本社殿に奉る。



祈年祭の祭具が揃ったところで、普段着に簡略羽織姿のオトナ(老名)たちが参進する。



この日は雨天のため、雨に当たらないように、仕方なく社務所前を参進する。

神饌は一段高い場に供えている。

神さんに尤も近い位置になるのだろう。

神事始まりの合図に太鼓を打った。

修祓は村神主が務める。



祓の儀、宮司一拝、開扉、献饌を済ませてから一同が唱える大祓詞。

ここ月ケ瀬の各大字ではみな同じように大祓詞を唱えているようだ。



そして、一段高い斎場に座られた宮司が奏上する祝詞。

玉串奉奠、撤饌、閉扉、宮司一拝で終えた。

神事が終われば奉った「ナガイキ」もハゼノキ挟みのごーさんも下げる。



ハゼノキ挟みのごーさんは平成28年の5月5日に拝見した社務所の年中行事板書の下に置いた。



村で営む農家さんがたくさんあった時代は100本も作っていたハゼノキ挟みのごーさん。

いつしか徐々に減少した農家さんの戸数。

今では田んぼを作っているお家は2、3人しかいないという。

かつては苗代に立てていたごーさんも今では畑に挿す。

八朔に祭っているという村神主もおれば、玄関に挿すという人もいる。

そのようなことであるが、今年も20数本を作った。

社務所の外に置いていけば必要な人がもらいにくるということだ。

一方の「ナガイキ」である。

これは特別なもの。

この「ナガイキ」は昔からオトナ(老名)の長老がもらうことになっている。

前述したように、村の長老であるオトナ(老名)の長生きを願うとともに魔除けの意味もある「ナガイキ」である。

長生き祈祷した「ナガイキ」を家に持ち帰ってもらうのは、最年長のオトナの一老さんの息子さん。

拝殿から受け渡される「ナガイキ」を受け取った息子さんは肩に担げて運んだ。



これまでの「ナガイキ」は5本も6本もあって、それを持ち帰っていた。

これらは二老や三老に譲っていたが、今は一老だけの1本になった。

この「ナガイキ」は門屋或いは玄関に掲げておけば、屋根を遙かに越してしまうだろう。

息子さんに聞いた話によれば、お家の長い縁側の桁に祭っておくそうだ。

なるほどと思った次第である。

息子さんがこうして持ち帰って運ぶのもしきたりになるらしい桃香野の祈年祭は神社行事であるが、かつては神宮寺と思われる真言宗御室派の善法寺が関係するオコナイ行事であった可能性も捨てきれない。

これまで、数々の県内事例を拝見してきたが、これほど長―――い木(ごーさん)に驚くばかり。

桃香野のごーさんは他地域には見られない特徴があった。



そして直会。

いつものように湯とうで注ぐお神酒をいただいて乾杯する。



お酒の肴は昆布に豆である。

(H28. 5. 5 EOS40D撮影)
(H29. 2.17 EOS40D撮影)