長居をするにつれ溜まってきたものが気にかかる。
徐脈もちの関係で利尿剤を服用している。
少なくとも1時間に一度は排尿しないと身体が膨満、浮腫みになる。
トイレを貸してくださいとお願いして使用させていただく。
それからしばらく経ったことだ。
同行取材しているKさんがトイレに吊っている包に文字があるという。
もしかとしてこれは、といって確認した。
紙包に書いてあった文字は日付である。
家人に尋ねた「これなんですのん」の答えは「毎年の6月に庭に咲いているあじさいを摘んできて包んでいます」という。
では、「この文字はなんですのん」とまたもや問合せ。
これは女性が、シモの世話にならないように祈願するまじないのようなものだと教えてくださる。
このあじさい花のまじないはある民俗本に載っていたと云ったのはKさんだ。
地域は不明であるが、なんとなく山城町の上狛のようだった、という。
女性だけに信ぜられた民間信仰。
Sさんの奥さんの母親が住む桜井市芝の友だちから聞いたまじないを嫁入り先のS家に伝えたという民間信仰。
そのことを知った義母は、それは良いことだと、私も一緒にしたいと云って続けてきた民間信仰である。
こうした民間信仰は母親、或いはおばあさんから子どもに伝えていくのが常であるが、年齢を遡る逆の形態が面白い。
さて、このあじさいのまじないには呪文がある。
ほぼ半年前にトイレに祭っていた紫陽花はとっくに枯れている。
一年間はそのまま放置して翌年に新しい呪文を書いた紙で、新しく摘み取った紫陽花を包んでいるから、拡げて中身を見せてくださった。
呪文の願文は「鳥枢沙摩明王 オンクロ ダナウウン ジャク ランラン」。
さて、それがどういう意味をもっているかわはまったくわからない、という。
願文に日付はもとより、願主の名前、生年月日も半紙に書く。
書いた願文は紫陽花を覆い隠すように包んで水引で括る。
それをトイレにもっていって、逆さに吊る。
手を合わせることのないまじないである。
ネットで調べた「鳥枢沙摩明王」は、「うすさまみょうおう」或いは「うすしまみょうおう」読みとする密教の明王の一尊。
真言宗、天台宗、禅宗、日蓮宗などの諸宗派で信仰されるとあった。
しかも、である。
飯島吉晴氏が報告された論考『烏枢沙摩明王と厠神』があると・・。
「鳥枢沙摩明王」はトイレの神さま。
「うっさま明王」の名で親しまれているらしい。
また、陳甜氏が論考された『ポックリ信仰研究序説:ポックリ信仰の諸相(東北文化研究室紀要)』によれば、「鳥枢沙摩明王」はトイレの神様也。
「不浄を厭わず、不浄な場所に巣食って諸病災厄の因をなす魔鬼の類を抑える呪力を有するために、厠(かわや)の守護神」である。
ごく普通の一般家庭では、周囲の人の世話をする役目とされる嫁に面倒をかけたくない、とりわけシモの世話にならんように、という願う人は多い。
大事なことはS家の嫁と姑は、お互いがシモの世話にならんようにと思いやっていることである。
シモの世話の件に関しては嫁、姑間のことでもないと思っている。
親子、或いは義理親子であっても、男女関係なくご互いが、寝たきりにならず、家族の世話もかけずにポックリと逝く安楽往生が理想ではないだろうか。
葛城市染野の傘堂祈願もシモの世話にならんようにとする民間信仰。
方法論が違うだけで願いは同じだと思っている。
呪文の「オンクロ ダナウウン ジャク ランラン」は鳥枢沙摩明王のご真言であったが、何故に紫陽花であるのか。
何故に6月の節句であるのか、謎は残った。
ちなみにネットをぐぐって得られたあじさい祈願の方法である。
あじさい神社で知られる兵庫県相生市若狭野町野々に鎮座する「若狭野天満神社」のHPで「魔除けあじさいお守り」を詳しく紹介されていた。
(H29. 2.11 EOS40D撮影)
徐脈もちの関係で利尿剤を服用している。
少なくとも1時間に一度は排尿しないと身体が膨満、浮腫みになる。
トイレを貸してくださいとお願いして使用させていただく。
それからしばらく経ったことだ。
同行取材しているKさんがトイレに吊っている包に文字があるという。
もしかとしてこれは、といって確認した。
紙包に書いてあった文字は日付である。
家人に尋ねた「これなんですのん」の答えは「毎年の6月に庭に咲いているあじさいを摘んできて包んでいます」という。
では、「この文字はなんですのん」とまたもや問合せ。
これは女性が、シモの世話にならないように祈願するまじないのようなものだと教えてくださる。
このあじさい花のまじないはある民俗本に載っていたと云ったのはKさんだ。
地域は不明であるが、なんとなく山城町の上狛のようだった、という。
女性だけに信ぜられた民間信仰。
Sさんの奥さんの母親が住む桜井市芝の友だちから聞いたまじないを嫁入り先のS家に伝えたという民間信仰。
そのことを知った義母は、それは良いことだと、私も一緒にしたいと云って続けてきた民間信仰である。
こうした民間信仰は母親、或いはおばあさんから子どもに伝えていくのが常であるが、年齢を遡る逆の形態が面白い。
さて、このあじさいのまじないには呪文がある。
ほぼ半年前にトイレに祭っていた紫陽花はとっくに枯れている。
一年間はそのまま放置して翌年に新しい呪文を書いた紙で、新しく摘み取った紫陽花を包んでいるから、拡げて中身を見せてくださった。
呪文の願文は「鳥枢沙摩明王 オンクロ ダナウウン ジャク ランラン」。
さて、それがどういう意味をもっているかわはまったくわからない、という。
願文に日付はもとより、願主の名前、生年月日も半紙に書く。
書いた願文は紫陽花を覆い隠すように包んで水引で括る。
それをトイレにもっていって、逆さに吊る。
手を合わせることのないまじないである。
ネットで調べた「鳥枢沙摩明王」は、「うすさまみょうおう」或いは「うすしまみょうおう」読みとする密教の明王の一尊。
真言宗、天台宗、禅宗、日蓮宗などの諸宗派で信仰されるとあった。
しかも、である。
飯島吉晴氏が報告された論考『烏枢沙摩明王と厠神』があると・・。
「鳥枢沙摩明王」はトイレの神さま。
「うっさま明王」の名で親しまれているらしい。
また、陳甜氏が論考された『ポックリ信仰研究序説:ポックリ信仰の諸相(東北文化研究室紀要)』によれば、「鳥枢沙摩明王」はトイレの神様也。
「不浄を厭わず、不浄な場所に巣食って諸病災厄の因をなす魔鬼の類を抑える呪力を有するために、厠(かわや)の守護神」である。
ごく普通の一般家庭では、周囲の人の世話をする役目とされる嫁に面倒をかけたくない、とりわけシモの世話にならんように、という願う人は多い。
大事なことはS家の嫁と姑は、お互いがシモの世話にならんようにと思いやっていることである。
シモの世話の件に関しては嫁、姑間のことでもないと思っている。
親子、或いは義理親子であっても、男女関係なくご互いが、寝たきりにならず、家族の世話もかけずにポックリと逝く安楽往生が理想ではないだろうか。
葛城市染野の傘堂祈願もシモの世話にならんようにとする民間信仰。
方法論が違うだけで願いは同じだと思っている。
呪文の「オンクロ ダナウウン ジャク ランラン」は鳥枢沙摩明王のご真言であったが、何故に紫陽花であるのか。
何故に6月の節句であるのか、謎は残った。
ちなみにネットをぐぐって得られたあじさい祈願の方法である。
あじさい神社で知られる兵庫県相生市若狭野町野々に鎮座する「若狭野天満神社」のHPで「魔除けあじさいお守り」を詳しく紹介されていた。
(H29. 2.11 EOS40D撮影)