マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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北大阪の正月行事の聴講in吹田市立博物館

2019年03月01日 09時41分41秒 | 民俗を聴く
明日香村大根田の聞取りを終えてまっしぐらに車を走らせる。

橿原の坊城からは高速道。南阪奈道路を利用して近畿自動車道を北上する。

と、そこに現われた大阪モノレール。

正式名称は大阪高速鉄道大阪モノレール線

大阪・豊中市の大阪空港駅から大阪・門真市駅を結ぶ路線。

開業は平成2年の6月だ。

今年の1月、取材させていただいた能勢町天王区・キツネガエリ行事の主催者(能勢天王子供会会長)から展示案内を、10月28日に連絡してくださった。

実物大のキツネを展示していると聞いていたが、すっかり失念していた。

会場は大阪の吹田市立博物館。

開館25周年記念して開催された秋季特別展。

テーマは「北大阪のまつり―まもりつたえる心―」
である。

気がつけば企画展は今月末の11月30日まで。

大慌てで出かけた。

カーナビゲーションシステムにセッテイングした吹田市立博物館の所在地。

システムが指示する通りに車を走らせたら駐車場に着いた。

この場に停めていいのかわからない雰囲気。

警備の人に聞いてみればここだという。



降りてからも指示の通りに向かって歩いた。

その先はトンネル。



そのトンネルを越えると・・・博物館があった。

この日は大阪府教育庁文化財保護課専門員の森成元氏の講演日。

秋季特別展に展示されている北大阪のさまざまな行事を解説してくださった。

「祭りや行事を見学するのだが、近ごろは行事日程が動いていることもあり、訪れる前には事前に確認をしておくほうが無難だ」と話す。

「日程が替わった事例はままあるが、地元の事情で行事を急に中断したケースもある」という。

大阪だけではなく、主に取材している奈良県においても同じような状況である。

期間中に発刊された開館25周年記念の秋季特別展図録『北大阪のまつり―まもりつたえる心―』に沿って解説される森成元氏。

「大阪北部、北の端に能勢町・天王区がある。その天王区に毎年行われている“キツネガエリ”行事がある。その行事によく似た類事例が、周辺地域にも見られる。京都や兵庫県の県境に集中している“キツネガエリ”。年頭の行事に勧請掛けもある。主に滋賀県、三重県で見られる勧請縄であるが、大阪府内は少ない。河内長野市などの3件が知られている。勧請縄は川に架ける。神さんに来てほしい。悪霊を拒む結界とする勧請縄。一年の月数は12カ月。その12の数をもってシキビで作った房を垂らす。一年は12カ月であるが、旧暦閏年の場合の房飾りは13である」と解説される。

勧請縄掛けは奈良県内に多く見られる年頭行事。

悪霊は川を遡上してくると考えられていた。

村落は縄掛けの上流にある。

村に疫病が侵入してこないように、川を跨るように架けた。

いわゆる川切りであるが、時代の変遷にともなって集落道を拡張。

今では道切りの位置に替わったという事例もまた多い。

大阪の北部。能勢町のまだ最奥にある天王区。

そこで行われているキツネガエリ行事

森成元氏はさらに北部からやってきた行事であるという。

なぜにキツネなのか。福徳の象徴にフクノカミ(福の神)がある。

授かったフクノカミは神棚に祭って1月14日のトンドで燃やす。

天王区のキツネガエリ行事は、この年の平成29年1月7日に取材してきたので参照いただきたい。

豊中市上新田にトンド行事がある。

かつてトンド場は田んぼであった。

その田んぼは消えた。

おそらく宅地化であろう。

消えてはなるまいと天神社境内に場を移して継続している上新田のトンド。

火点けは櫓の内部に入って点けるらしい。

なお、上新田のトンドは一番の大規模を誇るという。

具体的な事例は映像になかったが、お正月とお盆は対照に対比しているという。

つまりトンド火は小正月。

正月を迎えた歳神さんを送る火。

お盆は先祖さんを迎える、或いは送る松明火になるという。

宝くじの原型は箕面市箕面公園・瀧安寺の富籤

かつてはごおう(牛玉)の宝印があった寺。

一夜どおしかけて持ち帰った富籤。

江戸時代にあった宝くじの源流になると話される。

島本町の諏訪神社で行われるオトウ。

格式の高い行事だそうだ。

大阪の3カ所に蛇のような姿の勧請縄がある。

的の横に置いて弓を打つ。

弓打ちの後に、蛇の綱引きをする。

勝ち負けを競う綱引きは占い。

最後に山を打つらしい。

その様相は高槻市原・八阪神社の春祭りの歩射神事のようだ。

同島本町の大沢もあったらしいが、1129年が最後になったと私のメモにあったが、それが何だったのか・・記憶にない。

北大阪のまつりの特徴に餅米を蒸したシラムシ(白蒸し)がある。

代表的な神饌であるという。

茨木市生保(しょうげ)・諏訪神社。

ダム湖建設によって神社ごと移転した。

かつての位置とは違った移転地に遷座したそうだ。

春祭りに供えるモッソがある。

手で三角形に象るモッソ作り。

その形は宝珠であるという。

人参、大根を切って箸を添える。

モッソはそれぞれの大きさによって名前を付けている。

オタイショウ、ケンゾク、カラスである。

オタイショウは大大将、ケンゾクは眷属であろうが、烏とは・・。

また、本殿の貫の下にカラスがあるとか、榧(カヤ)の実もあるとか・・・。

映し出される映像に沿って坦々と話される行事の御供。

お湯まつりに三角形のシラムシ。

蒸し米でなく現在は和菓子屋にお願いして作ってもらう饅頭になったとかいう茨木市車作・皇大神宮の神饌。

モッソはあちらこちらに見られるが、その意味は判りませんと断言されたので、思わず心の中でえぇっと洩れた。

同茨木市大岩・大歳神宮の神饌もまた白蒸しモッソウ。

ビワの葉にのせてから紅白の水引で括って供える。

そのモッソは6カイチ(※当地では垣内をカイチと呼ぶようだ)それぞれが供えるらしい。

また洗米を潰してつくる“しとみ”があるという。

“しとみ”はおそらく“シトギ(※充てる漢字は粢)”であろう。

たぶんに“しとみ”が訛ったものと考えられるが、そこまでの解説はされなかった。

また、カイチ(垣内)の長は首からユウダスキを掛けているという。

木綿襷のこれは“木綿を結う”というようだ。

土地の名前は「サイノトウ」。

道祖神社のサイノトウという行事は茨木市豊川道祖本で行われる。

シラムシが作るニチリン、ガチリンなどバラエティなご馳走である。

吹田市立博物館学芸員でもある副館長の藤井裕之さん、モッソウというのは型に嵌めて成形している、つまり象るもので、牢屋のメシもモッソウというと解説していた。

吹田市岸部・吉志部神社のどんじまつり。

ここもまた神饌御供にシラムシがある。

白蒸し以外にコバンモチもあれば茄子などを串に挿す菓子もの。

和菓子のお菓子ではなく、栗や柿の甘もの。

宮中ではそれを菓子と称していたそうだ。

また、“ちご”と呼ばれる女児が頭の上に盛りもののサンダとも称されるサンドラを運んでいただが、今は・・。

島本町尺代・諏訪神社のオトウのシンセンイタダキも頭上運び。

高槻市安満・磐手社神社の馬祭りに献上する振袖女児によるゾウニモチ御供の頭上運び。

北大阪のまつりの特徴である乙女による神饌運びの頭上運びを人身御供という人もいるらしいが・・。

違和感があるようなことを話された。

その磐手社神社馬祭りは正月まつりではなく、現在は5月の節句日に移った。

ノリコ(乗り子)役になる当屋家のオダンツキ。

その場が実にユニークだと話されるが、今は中断しているようだ。

能勢町長谷・八坂神社におんだがある。

山里で行われるお田植え行事オツキヨウカのテントバナ調査に来ていた平成24年5月8日に取材させてもらったので、そちらを参照されたし。

「北大阪のまつり。昔は子供やったという人たちが地元で継いできた。スーパーが悪いのか、デパートがあかんのか、年中無休もあってか、家の正月行事が消えていった。夜中に神さんを祭って、夜中にウロウロする感覚がまだある。バレンタインに継いでハロウィンも目玉になってしまった近年の動向。盆踊りは仮装行列が当たり前。だからハロウィン」と締めくくり。

嘆きの締めくくりで講話を終えられた。

ちなみに本日の講話に紹介してくださった数々の行事は、副館長の藤井裕之氏の協力を得て、シテイライフ創刊30年記念企画のシテイライフアーカイブス【北摂の歴史記録】第28回北大阪のまつりに纏められているので参照されたい。

講話を終えた講師に名刺交換をお願いした。

手渡してはっとして気がつかれた私の名前。

「家内が云っていた・・奈良の田中さんがすごい・・」とひと言。

「貴方のブログをよく拝見していたので存じています」という。

帰宅してから届いたFBメッセージの「“ダイガク”で知り合った」には、びっくり仰天、である。

お伺いすれば奥さまとはなんとFBで交流させてもらっているお方だった。

不思議なご縁を感じたこの日。

副館長の藤井氏も驚いていたようだ。

(H29.11.23 SB932SH撮影)


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