マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

大宿所詣

2011年01月09日 07時36分34秒 | 奈良市へ
春日若宮おん祭は古都奈良を彩る一大絵巻。

奈良大和を代表する盛大な祭典である。

準備に忙しく動き回る神職たちが居る。

慌ただしい風景が毎年やってくる15日の朝の大宿所。

おん祭の願主役(がんしゅやく)、御師役(おしやく)、馬場役(ばばやく)を勤める大和士(やまとざむらい)が精進潔斎を行う参籠所である。



大宿所の建物の中には夕刻に行われる大宿所祭のお供えや豪華な奉納の品々が並ぶ。

なかでも一際大きく目立つのが献菓子(けんがし)だ。



中央の部位にはところ狭しにサトイモ、ユズ、モチが並んでいて多面体になっている。

その上には松葉が刺され五色の切紙や巾着をさげている。

旧神領の人たちが組み立てる。

これは書物に書き記されたものから復元された。

明治初年の献菓子解説絵には青松葉・散米袋・ひねり物(米粉の団子)・五色の御幣・衣かずき芋・みかん・干し柿・餅などをつけていた。

下部には梅と椿の造花が取り付けられている。

嶋台(しまだい)は椿・梅・杜若・牡丹・石南花・百合を飾っている。

盃台(さかづきだい)を含め、檜物師や絵師が毎年作るようだ。

奥の部屋にはお渡りに使われる装束や御幣、武具などが一堂に飾られた。

整然と並ぶさまは見事な様相だ。

地域学習にやてきた近くの幼稚園児。

はじめて見るおん祭の煌びやかさ。



御湯立神事の釜の大きさに驚いている。



仮御殿の薦上奉納に来た椎木の人たちが大宿所で着替えを済ませるころ、同市内の他町から集まった人たちがサンバイコを結う。

この日、3回行われる御湯立(みゆたて)の神事を行う巫女の腰に巻くものだ。

手際よく藁を撚って作る。

この人たちは大和士の一行でもあり、大和郡山市東部を8ブロックに分けた代表者でもある。

「大和参勤春日講」を示す駒札にはその地域の名称が書かれてある。

大和郡山市の町名には美濃庄、稗田、下三橋、上三橋、井戸野、若槻、大江、番匠田中、横田、発志院、石川、中城だ。

奈良市内では高畑、白毫寺、紀寺、西木辻、三條、大安寺、八條、柏木、横井、今市、柴屋、東九条、西九条、杏とあって旧神領26町の奉仕団だそうだ。

それらは春日大社からみれば佐保川を境にした南のほうの地域にある広大な地領だ。

前日に奉納された大宿所の入り口に掛けた注連縄や御湯立から参籠所に向けて設えた結界の注連縄もまた市内井戸野に住む住民が結って設えた。

こうした奉仕集団が居るからこそおん祭が実行できるのだと思う。



そうして始まった大行列。JR奈良駅を出発した一行は辰市神子(たついちのみこ)、八島神子(やしまのみこ)、郷神子(ごうのみこ)、奈良神子(たついちのみこ)を先頭に若宮おん祭大宿所祭詣で関係者たち。

三条通りを練り歩き、東向商店街から花芝町の東向北通りを北に向かう。

初宮神社付近でUターン、南に向いて東向商店街を戻ってくる。

そして花芝、鍋屋を経て一筋向こうの小西通りの商店街を抜けて御飯殿通りから大宿所へ。

200名ほどの大行列はまことに時間がかかるのである。

大宿所詣行列が到着すれば御湯立が行われる。

大宿所詣は郷神子(ごうのみこ)・八島神子(やしまのみこ)・奈良神子(たついちのみこ)が明後日のおん祭に奉仕するにあたって御湯のお祓いを受ける行列であった。



ソゥネッタンと呼ばれる若槻の巫女さんを紹介する春日の神職。

実はこの人も大和郡山の住民。

ここにも奉仕者がいた。

伝統行事が続いていくのもこうした人たちのおかげで支えられてきたからなのだろう。

ありがたく感謝すると神職の一人は語った。

そのソゥネッタンによって行われる御湯立。



大釜で沸かした湯に笹を漬けて大きく振り上げる。

湯気が天界を示すような輪を描く。

大宿所詣に詣でた参拝者を清める神事である。

その直前の巫女の作法。

当日に編まれたサンバイコを腰に巻く。

しっかりとしめられた。

筵に座り紙片を飛ばす。

なにやら祈祷とも思える神を讃え、豊穣を願う祝詞だと思える詞章を唱える。

そして長柄の銚子で湯釜に酒を注がれ、小さなシトギの固まりを湯に落として始まった湯立。

何度も何度も繰り返す。



明治時代から途絶えていた御湯立は昭和60年(1985年)に復活された。

客人たちに笹を振って祓えをする。

わらべ歌を奉納した椿井小学校児童たちもお祓いを受けた。

(H22.12.15 EOS40D撮影)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。