山陵町取材を終えてからも民俗取材。
目的地は京都南部の神社。
行先をカーナビゲーションにセットして車を走らせる道は歌姫街道。
その昔は、奈良と京都を結ぶ重要な街道。
平城京を建設する資材の搬入に利用された街道。
この場では多くを語れないが、その地に添御縣坐(そうのみあがたにます)神社が鎮座する。
これまで気にもかけていなかった神社にふと立ち止まり停車した。
佐紀町・山上八幡神社の六人衆から聞いていた、歌姫の氏子たち。
長老らの負担も大きく、簾型の注連縄作りも難しくなっている、と。
やがては中断の憂き目。
やむを得ない判断だったと思料する。
その添御縣坐神社に参拝したくなって車を停めた神社。
大正13年に再建された鳥居は老朽化によって傾いた。
土壌も崩壊し、やむなく解体したものの再建にあてがう費用捻出は預貯金では間に合わず。
心ある人たちからの浄財寄附を募っている。
参拝してから気づいた拝殿の真上。
大きな鈴が二つ。
そこにあった注連縄・・。
よくよく見れば、そこに簾型の注連縄があった。
少量の藁で結った七五三注連縄であるが、左側に笹の葉が見られる。
心棒は竹であった。
ちなみに井戸にも注連縄をしていた添御縣坐神社が愛おしい。
(R2. 1.10 SB805SH撮影)
目的地は京都南部の神社。
行先をカーナビゲーションにセットして車を走らせる道は歌姫街道。
その昔は、奈良と京都を結ぶ重要な街道。
平城京を建設する資材の搬入に利用された街道。
この場では多くを語れないが、その地に添御縣坐(そうのみあがたにます)神社が鎮座する。
これまで気にもかけていなかった神社にふと立ち止まり停車した。
佐紀町・山上八幡神社の六人衆から聞いていた、歌姫の氏子たち。
長老らの負担も大きく、簾型の注連縄作りも難しくなっている、と。
やがては中断の憂き目。
やむを得ない判断だったと思料する。
その添御縣坐神社に参拝したくなって車を停めた神社。
大正13年に再建された鳥居は老朽化によって傾いた。
土壌も崩壊し、やむなく解体したものの再建にあてがう費用捻出は預貯金では間に合わず。
心ある人たちからの浄財寄附を募っている。
参拝してから気づいた拝殿の真上。
大きな鈴が二つ。
そこにあった注連縄・・。
よくよく見れば、そこに簾型の注連縄があった。
少量の藁で結った七五三注連縄であるが、左側に笹の葉が見られる。
心棒は竹であった。
ちなみに井戸にも注連縄をしていた添御縣坐神社が愛おしい。
(R2. 1.10 SB805SH撮影)