「なるかならんか」と云って、家の畑にあるカキの木の幹にナタを切り口に入れる格好をする。
カキの木の皮を剥ぐ。
そうすれば口が空く。
そこにアズキガユを供える。
アズキガユは若水に浸かったモチを粥に入れる。
とんどの灰を持って帰って肥やし代わりに田一枚一枚に撒いた。
その行為は大人でも子どもでも構わなかった。
今年もしていたという山添のとある大字に住む男性。
1月9日にしていたと語る。
本来は小正月だったというから15日だが、日程が移り替ってとんどの日。
家の風習を今でも継承してきた男性は夕飯前にしていたと話す。
今年の「植え終い」は赤口(しゃっこう・せきぐち)の日にしたというから5月の12日。
かつて流しでしていたのはおばあさんだった。
「モチナエサン」と呼ぶ二つの苗束。
「モチナエ」とか「モチゴメノナエ」とも呼ぶ餅苗さんだ。
その形はまさに田植えをする苗束である。
それは三把。
箕の中央に置く。
そこには高杯(盃)にマメのゴハンを盛っておいた杯。
この年はマメゴハンでなくシロゴハンにしたという。
乾燥したオマメを石臼で挽いた。
おおばあさんはそうしていたというから随分前の様相だ。
マメを潰して塗した。
それがキナコ。
粉を掛けるのは花を咲かすという。
上からパラパラと塗した。
ほんまは「コワシ(コガシかも)」で花を咲かすのだと話す。
実のときに花を咲かすといって実りが良いように祈る家の風習はコウジンサン(荒神)に奉ったようだ。
その話を聞いて思い出したのが都祁藺生で再現してもらった仕方。
当時の写真を見てもらえば、それだという。
(H22. 5.10 EOS40D撮影)
コガシは一膳の飯椀にパラパラと上から落とす。
おじいさんやおばあさんはそうしていたと記憶を辿る男性。
付け加えて話したのが「ズグシ」。
それは熟した柿である。
それにもコガシを振り掛けて食べていたという。
お茶碗に入れて箸で掻きまわして食べたそうだ。
(H24. 5.25 聞き取り)
カキの木の皮を剥ぐ。
そうすれば口が空く。
そこにアズキガユを供える。
アズキガユは若水に浸かったモチを粥に入れる。
とんどの灰を持って帰って肥やし代わりに田一枚一枚に撒いた。
その行為は大人でも子どもでも構わなかった。
今年もしていたという山添のとある大字に住む男性。
1月9日にしていたと語る。
本来は小正月だったというから15日だが、日程が移り替ってとんどの日。
家の風習を今でも継承してきた男性は夕飯前にしていたと話す。
今年の「植え終い」は赤口(しゃっこう・せきぐち)の日にしたというから5月の12日。
かつて流しでしていたのはおばあさんだった。
「モチナエサン」と呼ぶ二つの苗束。
「モチナエ」とか「モチゴメノナエ」とも呼ぶ餅苗さんだ。
その形はまさに田植えをする苗束である。
それは三把。
箕の中央に置く。
そこには高杯(盃)にマメのゴハンを盛っておいた杯。
この年はマメゴハンでなくシロゴハンにしたという。
乾燥したオマメを石臼で挽いた。
おおばあさんはそうしていたというから随分前の様相だ。
マメを潰して塗した。
それがキナコ。
粉を掛けるのは花を咲かすという。
上からパラパラと塗した。
ほんまは「コワシ(コガシかも)」で花を咲かすのだと話す。
実のときに花を咲かすといって実りが良いように祈る家の風習はコウジンサン(荒神)に奉ったようだ。
その話を聞いて思い出したのが都祁藺生で再現してもらった仕方。
当時の写真を見てもらえば、それだという。
(H22. 5.10 EOS40D撮影)
コガシは一膳の飯椀にパラパラと上から落とす。
おじいさんやおばあさんはそうしていたと記憶を辿る男性。
付け加えて話したのが「ズグシ」。
それは熟した柿である。
それにもコガシを振り掛けて食べていたという。
お茶碗に入れて箸で掻きまわして食べたそうだ。
(H24. 5.25 聞き取り)