マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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苣原大念寺念仏講

2008年04月27日 05時52分40秒 | 天理市へ
山間部にある天理市苣原町は静かな時が訪れる。

昼間はひっきりなしに往来する天理国道は、夜間になるとめっきり減る。

夜八時、大念寺に念仏講の方々が集まってくる。

地区のほとんどが融通念仏衆で33軒。手伝いさんらが仏さんに線香を立てて場を整えている。

定刻になると講の代表者が一段高い壇にあがり、念仏のお経を唱えていきます。

キンや鉦を叩くと堂内に響き渡る。

およそ30分あまりの念仏を終えるとお茶とお菓子で直会。

地区の連絡事項など話し合いの場となる。

念仏講は今日と7月7日、12月15日で、年に三回営まれる。

明後日17日は彼岸の入りで、法要が昭和元年に建て替えられた真新しい同寺で営まれ、中日の日は地区の道造り。

畑などへ行く道を綺麗に整備する道普請の日と行事が続いている。

(H20. 3.15 Kiss Digtal N撮影)

二月堂きつねうどん

2008年04月26日 07時23分55秒 | 奈良市へ
今夜は走りの行法、後夜咒師作法後の達陀行法を拝覧させていたきたく、時間までは北の茶店で腹ごしらえ。

お松明が終わり、しばらくするひっそりと静まりかえる茶店。

手頃な500円のきつねうどんをすする。

茶店もうどんも温かい。


そして、静かに初体験の内陣へ向かう。

響き渡る声明は壮大なシンフォニー。

聞きほれて時間を忘れてしまうほど感動で震える。

牛玉宝印に牛玉杖、灯明への油差し。

マラソンのような走りの行法では新入りが一番長く駆け巡る。

終わりの合図で着座してひと段落した表情を写し出す。

ツウーっとお香水を飲み干す所作に最後のカワラケ投げ。

そして韃靼。水と火の祭典はとても神秘的でした。

mutaさんのご好意に感謝申し上げます。

(H20. 3.13 SB912SH撮影)

松明上堂再び

2008年04月25日 08時46分11秒 | 奈良市へ
籠松明が上堂し、未明の「お水取り」神事を終えた翌日13日も修二会本行は続いている。

遠くから来られるお松明見たさの団体ツアーの客数は今日も変わらない。

二週間行われてきた本行も明日で幕締め。

無事に勤行が終わるように堂子らは最後のひとふんばりと、初夜上堂のお松明に点火される。

(H20. 3.13 Kiss Digtal N撮影)

修二会の注連縄

2008年04月24日 07時10分50秒 | 奈良市へ
二月堂へ向かう参道を跨ぐように結界を示す注連縄が張られていることに気付く人は少ない。

参籠宿所の前にも同じように結界を示す注連縄が張られている。

これらは仕上げの総別火を終える日、連行衆が戒壇院の別火坊から本行中に寝起きする参籠宿所に移ったあと、大中臣祓が行われたあとに張られるもの。

また、参道の坊の門前に丸い形の注連縄が飾られているのを見るのも、修二会を楽しむひとつである。

(H20. 3.13 Kiss Digtal N撮影)

春日大社春日祭

2008年04月23日 08時23分31秒 | 奈良市へ
古式ゆかしく勅使を迎える儀式が春日大社で行われる。

毎年13日に営まれる春日祭は、都の守護と国民の繁栄を祈願するために平安時代に始まったとされる例祭。

春日大社は天皇陛下の勅使参向の神社で、春日祭(明治維新以前は2月と11月の上申の日に行われていたことから別名申祭と呼ばれる)は京都の葵祭、石清水祭と並ぶ三勅祭のひとつ。

木立から差し込む朝の光が輝く今日、黒い装束に身を包んだ藤原姓高官の勅使ら一行は、高く盛った神聖な玉砂利じゅうたんの参道をゆっくりと歩む。

束帯姿の行列は二の鳥居を潜っていく。

大社神職が頭を垂れて勅使と弁を迎え、祓戸神社の神前に着座すると祓えの儀式が行われる。

そのあと、着到殿で着到の儀を済ませて一旦参道を戻り慶賀門から本殿に向かう。

一般者はそのようすを規制ロープ内から拝観する。

南門も同様にロープが張られており、ここからは遠くで行われる神事を垣間に見ることが出来る。

本殿では古来からのしきたり通り、カシワ葉で覆った御棚神饌御供、ご祭文奏上、拝舞(はいぶ)の作法、左・右馬寮官人(さ・うめりょうかんじん)らの白馬2頭の御馬牽廻(みうまひきまわし)、饗膳の儀を経て、林檎の庭で「和舞」が奉奏される。

(H20. 3.13 Kiss Digtal N撮影)

お水取り神事

2008年04月22日 08時13分45秒 | 奈良市へ
例年、寒さ厳しいなかでの修二会の行法が行われている。

なかでも12日未明に行われる「お水取り」神事の日はさらに厳しいのだが、今年はいやに気温があがり穏やかな日が続く。

「お水取り」と呼ぶ儀式は午前1時半ころ、密教作法を担う咒師(しゅし)や警護の平衆五人らが二月堂を出幸する。

下る石段片側に篝火が灯されると、雅楽が奏でられるなか、大きな寸胴型の咒師松明(ハス松明とも呼ばれる)を先頭に一行が降りてくる。

牛玉杖と法螺貝を手にした五人の練行衆が続く。

閼伽井(あかい)屋に入れるのは咒師と定められた堂童子や庄駈士(しょうのくし)と呼ばれる行の補佐役だけだ。

暗闇の家屋のなかで行われるお香水をくみ取る儀式はとても厳粛なもの。

かすかな音をたてながら汲まれたお香水は、閼伽桶を担ぎ二月堂内陣に納められる。

これを二荷ずつ三往復する。

二月堂縁起絵巻などによれば、神明帳で読み上げられた神々のうち、若狭の遠敷(おにゅう)明神だけが魚を獲っていて遅参。

「お水取り」は、お詫びに甘泉を湧きださせ、十一面観音さまに奉ったという故事に由来する儀式です。

(H20. 3.12 Kiss Digtal N撮影)