マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

ふり返る2月の介護まとめ

2019年06月20日 06時36分04秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護に関係するさまざまなことがあった。

記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項を書き記しておく。

2月1日、住之江敷津浦地域包括支援センターのB主任から紹介を受けて電話を架けてくださったケアマネジャーは、訪問介護、居宅介護支援、介護予防訪問支援なども事業しているケアプランセンターの白い鳥西成に所属するFさん。

介護認定を受けたおふくろと家族の面談にケアプランの相談日を決めたいという。

協議した結果、2月8日の火曜日の午後2時に設定した。

後日に介護用具会社の担当者を紹介したく、その日に合流することも伝えてくれた。

5日は水屋などの什器に食器類を廃棄処分

ネットで探し当てた大阪の便利屋タクトに依頼して処分してもらった。

作業人は2人。

1時間当たり作業時間に大型廃棄物が2台で18000円だった。

処分を済ませて戻ってきた居住地。

時間帯は午後7時半だった。

風呂を沸かそうとしたらエラーが発生。

ガス給湯風呂釜エラー173発生により暖房ユニット電源切れである。

翌日の6日の午後5時に来てもらった竹中ガス住設センターの担当者診断。

エラーは風呂釜の水漏れではなく、水漏れ検知線が断線していたという結果だった。

検知線の交換対応はサービス契約にそう無料処置。

そのおかげもあって暖房機器のカワックの勢いがむちゃ強くなった。

強であれば洗面所まで温かくなる。

風呂場は弱で充分、これまで冷たかった風呂の生温かさではなく、外気温より、或いは廊下よりかは温い程度。

思い出したのはかつて購入したころはどんだけーと思えるぐらい。

とても暑かったことを思い出し、導入初期の状態に復帰した喜びをかみしめる。

その6日の昼間、というかガス点検直前である。

おふくろが大和郡山の滞在中に実施してもらう居宅訪問リハビリなどの契約締結である。

介護保険施設ウエルケア悠の訪問リハビリテーション・介護予防リハビリテーション居宅サービス契約書を主に重要事項説明書、個人情報保護同意書などに記銘捺印をする。

契約者はあくまでも介護を受けるおふくろである。

圧迫骨折以来、入院患者だったおふくろはそのときから手が震える症状に陥った。

ペン字、鉛筆、どれに持ち替えても字が書けなくなった。

そのおふくろに代わって代筆並びに押印する。

家族欄に私も記名捺印して契約書類を交わす。

契約に関しては、ケアマネジャーのFさんと施設リハビリテーション部リーダー理学療法士のUさんが立ち会った。

7日は、初の居宅訪問リハビリである。

昼前に来られた愛称が「ぼんさん」と呼ばれるNリハビリ療法士が対応してくださる。

まずは、身体の動き状態を室内で歩いてみて状態を把握する。

状態がわかったところで始まったリハビリは筋肉マッサージである。

お尻や腰のバランスが崩れている診断に92歳の高齢者に筋力をつけるリハビリ運動。

処置してもらったおふくろの感想は、身体が軽くなった、である。

おふくろに話をしながら処置されるNリハビリ療法士。

なぜに愛称が「ぼんさん」なのと尋ねたら、実家はお寺さんだった。

高野山修行をされて得度されたNさん。

お寺はなんと、大淀町西増(にしまし)の高野山真言宗東福寺だった。

西増といえばすぐに思い出す地蔵盆。

平成28年の8月24日
に撮らせてもらったことがあると伝えたら後日に来られた際、地元の西増を取り上げてくれた、と礼をいわれた。

そういうNリハビリ療法士はここ大和郡山だけでなく大阪の堺や羽曳野もリハビリの活動区域にしているという。

8日は、なにかと手続きの多い日に大阪行き。

住之江区役所介護福祉課にて老人パスの更新手続き。

3月までに新交付する老人パスと旧パスの2枚を最寄りの地下鉄駅長持参しチャージ入替。

その際、旧パスは駅長預かり、と教えられた。

午後2時半から4時までは、おふくろの居住地で介護関係の契約である。

白い鳥西成のFケアマネジャーが、契約時に話される今後の方針の数々。

一つは入浴。

自宅風呂で入浴介助を受けるよりも、半日入浴ができる通所介護サービス利用を勧める。

通所介護サービス利用であれば、そのとき同時にリハビリ運動するのも可能である。

通所介護サービス利用を含めた週3回利用の介護サービスの勧めに買い物サービスがある。

おふくろの希望する買い物品を、最寄りの商店、スーパーなどで買い物代行をするヘルパーもあれば、受診した病院が処方するお薬の受け取りサービスもある。

お薬は分包依頼も可能で、買い物サービスの際に受け取ることもできるという。

本日の契約は、ケアプランセンター白い鳥西成と契約する居宅介護支援契約書や重要事項説明書居宅介護用、個人情報取り扱い同意書、主治医対応同意書など。

自筆サインと押印。

また、区役所が認定し受け取っていた介護保険被保険者証の最新版をケアマネジャーに預かってもらう。

介護の契約にそれぞれ所轄との確認に検証など事務手続きのための預かりである。

それと同時に手渡した介護保険負担割合証のコピー控え。

これも重要な証である。

この日に同席した介護・福祉用具専門事業所のばらの木との契約もある。

介護事業部役員のHさんが提示する手すり用ポールおよび起床支援鉄棒。

写真だけ判断しにくい介護用具。

同製品でなくともある程度認識できる見本をお願いすると同時にレンタル摘要の方向で契約することにした。

また、一部に自宅改造工事は発生するため、市営住宅管理事務所に申請を要することになる。

ただ、現在移転申請している4階から1階への移転である。

申請が受理された場合は、設置場所が異なるため自宅改造工事申請が受理されない可能性がある。

結果が判明してからの申請になった。

お二人が帰られてから対応するガス器具の点検である。

大阪ガスへ予め連絡していた開栓願い。

ガスが順調に流れて器具が動作するか、である。

器具は湯沸かし器にガスコンロ、風呂釜の点火動作の確認に一部の器具が電池切れ。

家にあった単一電池を交換した。

点火で焦った風呂釜点火スイッチ。

長押ししてやっと点いた。

9日、送迎利用の際に届けてもらった介護保険被保険者証の控えコピーが、手元に到着したから受理したとケアマネジャーのFさんから連絡があった。

また、そのときに大阪・住之江に戻る日を2月26に決めたと伝えた。

そういうことでつい最近始まったばかりの通所介護サービス利用は2月23日まで。

また、居住訪問リハビリは21日を最後とする。

13日は、大阪・住之江の居住地のクッションフロアの張り替え作業があった。

19日は、住居の整備に食器とか衣服などのゴミ扱い処分作業

細々した処分品はなんとゴミペールが10袋にもなった。

また、旧テレビ台の撤去などの作業に車載積み込み。

4階から1階までの階段下しに何度往復したことか。

2カ月間も通った通所介護施設のウエルケア悠を勇退した23日。

突然に始まった送別会はカラオケのマイクを手にした職員でなく、同じ曜日に通所していた人の操作である。

カラオケのマイク放送を耳にした職員さんに通所していた患者さんたちが集まってくる。

施設職員が仕掛けたわけでなく、通所をともにしていた我が家に近い人らしい。

こんなありがたいことはないと云って歓んで帰宅したおふくろが戻るなり伝えた歓喜の送別会。

その熱も冷めた翌日の昼である。

我が家の呼び鈴が鳴った。

その歓喜の送別会を演出した首謀者のTさんが訪れた。

Tさんは10年も通い続けて奈良絵を会得した女性。

西ノ京にある長屋の大塩恵旦氏が作陶する奈良絵碗をお礼に、と差し出した。

受け取ったおふくろの歓喜は最高潮に達した。

2月26日である。

平成29年の9月27日以来、大和郡山で入院治療ならびに通所介護施設サービスのリハビリを経て5月間ぶりに帰還した大阪・住之江。

自宅に戻るまでに買い物行き。

杖をつかずに店内の品定めをしたスーパーサンデイ。

これからはヘルパーさんのお世話になる。

手すり見本をお願いしていた介護・福祉用具専門事業所のばらの木のHさん。

手すり用垂直ポールをトイレドア横に。

もう1本は炊事場と居間の間に装着してもらった。

ただ、これはあくまで見本、というか試用。

気に入ったら後日にレンタル契約を結ぶ。

一方、前回にケアマネジャーが推奨してくれた畠中内科医院の1カ月都度の薬貰い。

ヘルパーさんの付き添いは可能であるが、途中でリタイアすることも考えられ、対応に車椅子通院の案も出たが、居住地が4階までならヘルパー支援は受けられない。

階段の少ない1階であれば、なんとかと云われたが、私が通院送迎に支援することにした。

リハビリ施設をもつ通所介護施設が見つかるまでの一時対応に探してくださった懐かしいチンチン電車が走る我孫子道駅すぐ近くにあるふくふく庵デイサービスのAさんが応対してくださる説明会の日程が決まった。

2日後の28日の午前9時半から午後4時までの通所介護施設体験である。

その体験具合が良ければ、水曜・土曜の本契約をする予定だ。

また、次週より買い物ヘルパーをしてくださるEさんを紹介される。

契約は、来週より始めることにして、しばらくは買物メモの指示とともに現金を手渡して買いに行ってもらう。

買い物を終わって戻ったときに商品を確認して残金並びに領収書を手渡す形にするが、身体具合が良くなって、一人歩きができるようになれば買い物に付き合うヘルパーに、と。

おふくろは自分自身で洗濯ができそうだ、というが、物干し作業は・・。

万が一できない場合を想定した契約にしたい洗濯ヘルパー契約。

5月間ぶりに戻ってきたばかりの今週は、まだ落ち着いていないから、翌週の火曜、金曜の午後から始めるとした。

ケアマネジャーは、行政の緊急通報システムがあると、説明される。

近くに住む民生委員などの理解者を設定する必要がある、という行政の緊急通報システム。

理解して対応してくださる人が見つからなければどうしようもない行政の緊急通報システムよりも、1にケアマネジャー、2にヘルパーさんに緊急通報する電話番号の短縮登録の方が利便性ありだな。

たしかに、その方法の方が、救急車の手配から、家族への連絡まで一貫してできるので、いろいろアドバイスしてくださるケアマネジャーのFさん、よろしくお願いします、である。

この日は実弟2男夫妻が立ち会ってくれたから助かるもう一つの作業がある。

中身を空っぽにした黒塗り水屋の移動である。

2人がかりで室内から運び出した水屋。

4階から1階までの階段をそろり、そろりと運ぶ。

養生した軽バンに積み込むまでの作業。

ほんとに助かった。

帰宅して、軽バンから運び出す手伝いにかーさんがついてくれた。

我が家は階段のない家。

水屋を倒して水平状態のままで運べる。



奥の部屋に立てて用意していた所有物を収納したら水屋に見えない立派な本棚になった。

28日も、またまた大阪・住之江入り。

おふくろの用事はさまざま。

まず、お願いされた水道蛇口をシャワー口に、タオル掛けを新品に切り替え要望。

ついでに直してみたコンセント配置に月捲りカレンダーの壁掛け。

これらを終えたらふくふく庵デイサービスお試し体験1日コース。

おふくろを乗せて我孫子道駅へ。

施設はすぐ近くにあった。

担当のAさんに預けてその日の体験に参加したおふくろ。

迎えた帰りに話す不満たらたらから始まった。

おかずの魚が柔らかくて気に入らん。

美味しさは大和郡山のウエルケア悠が断然に旨かった、という。

ただ、この日に通所されていた人たちが、週一に出会えるええ人ばかり。

一週間に2回とも行きたいというが、ふくふく庵デイサービスはリハビリ療法士に作業士もいない。

配置されていないからリハビリ運動はできない。

残念だが、しばらくは通うことにして、体験状況を伝えた帰宅直後の午後7時。

ケアマネジャーに入浴付きリハビリができる通所介護施設をお願いした。

もう一つの用事は確定申告である。

行先は住之江区役所。

準備していた申告書類を提出して確定申告をする。

これまでずっとおふくろ一人でしていた確定申告は、計算できても書類纏めに税理士相談に向かう足が・・。

送迎に申告付き添いは、これから毎年である。

療養中の身にあるおふくろの代理人と伝えて申請書類一式とともに提示する高齢者保健資格証、個人情報通知カードに預金通帳。年金収入、医療費並びに損保保険控除の3種を確認する税理士さんが、初めに問うた寡婦(女やもめ)。

死別もしくは生別離婚後の死別或いは生別離婚後も独身で親族または子供を生計一にして扶養している場合は寡婦扱いになるが、子供が育って扶養していない場合は寡婦に該当しないというが、これまでずっと寡婦として申請してきたと本人が申告。

特に問題視はしないが税調査に適合しないと判断されたら3年前まで遡って訴求されることもある、と伝えられた。

それ以上の要件質問もなく、予め作成していた計算リストに押印もした提出物はすべて受理された。

税理士さんがパソコン入力された控えをもらって確定申告を終えた。

(H30. 2.26 SB932SH撮影)
(H30. 2.27 SB932SH撮影)

トライアル大和小泉店の4種にぎり寿司で介護のだんらん

2019年06月19日 08時41分34秒 | だんらん
1週間前もやってきた大阪住之江。

北島にある大和川住宅の4階に戻ることになったおふくろの部屋掃除。

住み慣れた部屋に雑然とあるさまざまなものものが溢れて大半がゴミの山行きとなる。

午前中に着いて夕方までかかる作業。

弁当持ちの昼食に一区切りをつける。

弁当といってもたった1個の梅干しおにぎりしか欲さなかったおふくろ。

私たちが食べていたにぎり寿司に貰っていい、と要求する。

一つは生ゲソにぎり。

もう一つはサーモンと赤マグロ2種の海鮮太巻き。

サーモンはまったく食べないがマグロはぱくぱく食べる。

美味しかったといっていたおふくろに、本日は・・と尋ねたら、マグロのにぎりにイカゲソにぎりを要求する。

こんな美味しいものはもう一度食べたいと希望を伝えられたら買うしかない。

朝の9時半くらいの時間帯なら間違いなくあるだろうと、この日も途中下車して立ち寄るスーパーは県内大和郡山市内にあるスーパートライアル大和小泉店。

なにかと日常の買物を済ませる。

食料品もあるが日用品も多い。

特に、かーさんがここは一番美味しいという手造りパンのクロワッサンがある。

昼食に食べる場所は大阪市内。

ここから西名阪国道を利用しても1時間以上もかかる。

区役所に立ち寄っておふくろが申請する確定申告関係の書類をもらう。

次は、戻ったおふくろが自炊する食材の購入だ。

お安く入手できるお店は大和郡山市や奈良にも店があるスーパーサンデイ。

久しぶりの買物であってもひょこひょこ歩くやないか。

商品籠を載せて運ぶ手押しカート。

めっきり私も利用するようになってしまったラクラク運びの道具である。

躓いて倒れたら困るのはおふくろやから、これに掴まって歩き、と云っても云うことを聞かない。

杖をもっていても杖の先は床を支えているわけでもなく空中にある。

リスクを感じないのが最も怖いのであるが・・・頑固なおふくろはわが身を行く。

買物を済ませて4階までの登り、といえば住宅階段の手すりに掴まっている。

さすがに階段は怖いと思っている。

一つ、一つ踏みしめるように登っていくが、おふくろの荷物はいくつもある。

4往復もする荷物運びを終えたら丁度の昼時間。

やらなきゃならない作業は食事後に回してテーブルに広げた4種類のにぎり寿司。

イカのにぎりセット。

胴とゲソの部分にそれぞれ分かれにぎり。

これが美味いんだが、ゲソの食感は相変わらず緩い。

ゲソ特有の食感がないのが辛いが、味は抜群。

パクパクモリモリ食べる。

でっかく握った海鮮もんは3種。

紫蘇入りの鯛にぎりに鉄火にぎり。

もう一つは前回も食べたサーモンとマグロの2種にぎり。

おふくろといったら、相も変わらずマグロ喰い。

大きなマグロにぎりから引き出す切り身。

引きずり出しては山葵醤油に漬けて食べる。

にぎりで食べるのではなく造りとして食べていた。

ほぼ空洞になったマグロにぎりに少ししか残っていない切り身。

要はがつんと食べられないから必要に迫られてそうしているのだ。

寿司飯も美味しいと云って一口、二口、三口に分けて食べていた。

くるくる寿司のマグロにぎりは薄っぺらい。

こんだけごついマグロにぎりなんてものも見ることはない。

本物のマグロを味わいたいのならスーパートライアルに行け、である。

満足できる品々。

どれもこれも美味すぎる。

これは大手のスーパーなら寿司飯がカチコチ。

飯粒を押しつぶしたにぎりは硬くて食べられるものではない。

つまり飯と飯の間に空間がないのである。

くるくる寿司の寿司飯も空間は少ない。

にぎり寿司の旨さはネタの新鮮さもあるが、寿司飯をにぎる具合で決まると思っている。

(H30. 2.26 SB932SH撮影)

夜のおかずに神饌御供下げの豆腐田楽にヒラキ

2019年06月18日 08時51分44秒 | もらいもの・おくりもの
座行事に座中がよばれる豆腐田楽。

2本は食べるであろうと判断されて準備をされていたが、半分しか食べられなかった。

味の加減で残ったわけではなく年寄りにはキツイようだ。

と、いうのも座の料理は行事名通りの「田楽飯」である。

豆腐田楽が主食。

酒を飲む肴に飯椀、汁椀もある。

いつしか主催する村神主家の家庭料理の品数が増えていったのだろうか。

やがて料理は仕出し屋さんへの発注。

お若い年齢なら完食されよう。

ところが、80歳以上の座中ともなれば、食欲は若い時よりも衰えるのが一般的。

かれこれずいぶん前から残すように推移していったそうだ。

だが、である。全員がそうなるとは限らない。

これまで通りの食欲をもつ人であればお代わりは当然。

すぐさま要求に応えなくてはならないからある程度の数は確保しておいたが・・・残った。

残ったものを長時間費やされる座が伸びれば伸びるほどに雑菌が増える。

一般的にそう云われているが・・。

座の宴で食中毒でも出そうものならえらいことになる。

危険度は避けるしかなく、申しわけないが捨てる措置を講じる。

試食に一口いただいた味噌を塗って焼いた豆腐田楽がむちゃくちゃ旨かった。

何故か・・。

豆腐そのものが上等もんだったのだ。

焼いた豆腐田楽はむちゃ美味い。

豆腐の味がする。

串で挿したところなんてたまらんくらいにほっこりする出来具合。

そんなに喜んでくれたのなら貰ってくれと頼まれた。

捨てるのももったいないという考え方は私と同じ。

一方の世話人は自己責任で、と云われて貰ってきた豆腐田楽。

持ち帰るなり家族が食べた。

とても美味しいといってくれた。

味噌は薄っすらとしか残っていないのに美味いというのは豆腐そのものが本物である。

貰ってくれと頼まれた神饌御供下げの品々。

神さんが食した御供は我が家で調理して美味しくいただく。



うち一枚はサイラの開き。

脂がのっていて、とても美味しいと家族全員の評価。

一尾を3人で分け合ってよばれた。

感謝の夜食にお酒が美味いのはいうまでもない。

(H30. 2.22 SB932SH撮影)

丸亀製麺大和郡山店のぶっかけうどんに大根おろし

2019年06月17日 08時58分55秒 | 食事が主な周辺をお散歩
田楽飯の座行事は予想の午後1時半を通り越した午後3時半に終えた。

途中に昼食を摂ることははばかれる座の行事取材をやっと終わって4時間遅れの昼飯はどこにするか。

頭の中にぽっと浮かんだ3枚で無料のトッピング。

たしか大根おろしもあった。

それならぶっかけうどんしかない。

そう思って旧五ケ谷村から真っすぐ西に下って、さらに西へ、西へと。

着いた所は大和郡山市の美濃庄町。

昨日に食べた丸亀製麺大和郡山店。

前日はフル満席に近かったが午後4時の時間帯では無人に等しい。

後から押されることもなく悠々と注文するこの日のうどんはぶっかけ。

しかも冷たいのんを注文する。

温かいぶかっけよりも冷たい方が麺にコシがある。

あるというより、より強くなる。

しかも、キレが良いので冷たいのんをお願いしますと店員さんに伝えたらにこっと目を細める。

私は職人ですが、貴方と同じようにキレがあると感じています。

そう云ってくれたのが嬉しい。

麺は冷水でしめたらキレがでる。

コシ強いインパクトのある麺になる。

同意見が店員さんから聞けてなお嬉し。

これまで丸亀製麺の他、いずれも麺屋さんで麺を扱っている人は皆がそう云っていた。

ぶっかけを頼むと同時に3枚のサービス券を提示してトッピングに食べたい大根おろしを注文する。



ぶっかけにとろろは要らない。

明太子も合いそうにもない。

大根おろしは冷たい麺にどんぴしゃ。

辛みのある大根おろしが麺とともに口に入る。

さっぱりした味になる大根おろしの効果である。



それだけじゃ面白くないから、昨日、目についた「だししょうゆ」をかけたい。

味に深みをもちたいからそうしたい。

試しに食べたい「だししょうゆ」の他はいつも通りのたっぷり生生姜に天かすだ。

もちろん刻みネギも忘れない。



一口食べて、大正解だと思った。

インパクトのある麺はコシに強みが増した。

キレのいいぶっかけの麺が口の中で踊る。

丸亀製麺のうどん麺は太目。

ガチガチの太目に出汁が絡んで口内に吸い込まれていく。

旨いなぁ。

たまらんなぁ、であるが、食べやすさで云えば、私の好みからであるが、針テラス店のつるまる饂飩に軍配を揚げたいが、最近はぶっかけでなく、餅入りあまから巾着肉々うどんに切り換えた。

(H30. 2.22 SB932SH撮影)

丸亀製麺大和郡山店のかけうどんに野菜かき揚げ

2019年06月16日 09時32分57秒 | 食事が主な周辺をお散歩
数日前のことだ。フワフワ玉子は嫌いだが、大阪中央区にある蕎麦屋の「一山」で食べたたまご丼が美味しかったと回想するおふくろの食を満たすために知恵を絞って探し出した。

知恵はなんてことないタブレット端末によるネット調べである。

見つかったとかーさんが云った食事処はついこの前にも食べた丸亀製麺だった。

なんと、うどん屋であるにも関わらず裏メニューに丼物があった。

丼はたまごがどっさりあるがたまご丼ではなく、親鶏肉もある親子丼だった。

かーさんは先日に東住吉店で食べた鴨ねぎうどんがとても美味しかったのでもう一度味わいたいと云いだす。

私はといえば貰ったサービス券が使えるならと思って今度はかけうどん。

かけは自分流の味わいを作り出すことができるとどこかのブログに書いていた。

それよりもご希望はやはりかき揚げ天にある。

あのどでかい野菜かき揚げ天をもう一度味わってみたい。

前回はぶっかけの温かいのんだったが、今度はかけうどん。

麺つゆがたっぷり。

ぶっかけとは麺つゆの味も違いがあるのでは・・ということである。

丸亀製麺なら我が家からそれほど遠くない地にある。

住所表記でいえば市内美濃庄町。

国道24号線沿いにある。毎日の介護に気分転換も兼ねて車を走らせる。

今月、3回目になる訪問リハビリを終えたら一目散に車を走らせる。

国道西側にあるものだからぐるっと回り道しなくちゃならんのが難点の立地。

着いた時間は午後12時40分。

ちょっと遅めの昼飯時間に店内は8割がた埋まっていた。

おっ、ここに「大好評 親子丼」の大きな写真入り立て看板があるではないか。

裏メニューと思っていたが、注文する位置にあるメニュー案内。

裏どころか表メニューになってるやん。

待ち行列レーンで並んだとたんに私は何を・・・と云い出したおふくろ。

おいおい、たまごたっぷりの親子丼ではなかったのかい。

かーさんがいうには親子丼は家人3人でシェアする味見体験。

各自はそれぞれお好きなうどんを注文するということであった。

先にレーンを行くかーさんはさっさと鴨ねぎうどんのレジ支払いも済ませて席に着いていた。

おふくろは釜揚げうどん。

桶に入っている釜揚げうどんである。

私は予定していたかけうどん。

持参した3枚で無料のトッピングをオーダーできるのかどうか店員さんに尋ねたら、OKですということだ。

大阪の東住吉店でもらった「うどん札」ですが・・と伝えたら、いけますよということだ。

実は「うどん札」にこう書いてあった。

「当券配布店舗のみでご利用いただけます」とあるから発券してもらった東住吉店でしか利用できないと思っていたが、そうではなかった。

そうとなれば利用するに限る。

無料のトッピングは大根おろし、またはとろろ、温泉玉子、明太子の中から一品を選ぶことになる。

OKであるなら、これにすると決めていた「とろろ」を伝えたら器に盛ってくれた。

支払いをしようとしたら先に釜揚げうどんを注文したお客さんはまだ貰っていませんねん、というレジ担当。

おいおい、支払いもせずにおふくろを席に連れていったのは誰かい・・・。

レジと席をいったりきたり。

後続のお客さんに迷惑をかけてしまうじゃないかと、いえば支払っているものとばかり思っていた、という。

あちゃー、である。



シェア喰いに注文した親子丼にかけうどんにとろろをトレーに載せて支払いをする。

とろろをかけるかけうどんには刻みネギだけをトッピング。

かけうどんの味を楽しみたかったから生生姜は入れない。

こうしてようやく席に着く。

先に食べていたかさーんが云った。

日に食べた東住吉店の鴨ねぎうどんの方が美味しかったという。

味にどれほどの違いがあるのだろうか。

食べたうどん麺の食感も違うという。

不味いということではなく、味、食感の違い。

麺はたしかにここ大和郡山店で練って作ってはった。

違いがあるのは麺であるが、出汁はどこでも一緒じゃないの、と思ったのだが・・・かーさんが云うには初めて食べたとき、あまりの旨さに舌がびっくりしたが、2軒目となれば、舌に慣れが生じたのでは・・ということだった。

おふくろが注文した釜揚げうどん。

出汁も口があうのか、とても美味しいという。

つるつると喜んで食べているおふくろ。

麺がなかなかなくならへんわという。

こっちはかけうどん。

その横には野菜かき揚げ。

大きさはわかるがこれでは高さはわかりにくい。

物差しで測っておけばよかったと思える野菜かき揚げ。

一口、二口たべたかけうどんに、えーい、のっけてしまえ。

異様な光景は写真に撮ることも忘れてかぶりつく。

ガサガサ食べるかき揚げの美味いこと。

油も揚げ方もいいのだろう。

こんなにでかい天ぷらは持ち帰りに5個纏めて買えば50円割引になる。

次回は野菜かき揚げだけを求めて来店したみたい。

それにしてもうどん麺は東住吉店と同様にどこかコシがないように感じる。

麺にもキレがない。

薄くはないが、出汁もどこか物足りないが、旨さはある。

特にトッピングにいただいたとろろが美味い。

食べ終わってから気がついたが、テーブルには別物の出汁や天ぷらにかけると思われるソース出汁ちゅうのもあった。

愉しみ方はいろいろ。

次回は何にしてみるかい・・・。

(H30. 2.21 SB932SH撮影)

榛原萩原・小鹿野の初祈祷はナンジョー

2019年06月15日 09時05分30秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
宇陀市榛原萩原・小鹿野の苗代にお札を立てていた。

初めて拝見した日は平成27年の4月18日

同市大宇陀・平尾のナワシロジマイの取材を終えて立ち寄った榛原萩原・小鹿野(おがの)である。

同行していた奈良民俗文化研究所代表の鹿谷勲氏が、昔に見た記憶を手繰ってやってきた小鹿野。

記憶の地は小鹿野であるのかどうかわからないが、苗代にお札があった。

イロバナが美しかったから添えてからそれほど時間は経っていない。

カラカラに乾いていない2枚のお札に見えた少しばかりの文字。

「牛」、「地蔵」、「不動」、「宝印」の文字から推定する村行事のオコナイ。

すぐ近くにある民家を訪ねて教えてもらった行事の日。

正月明けの休みの日に村人が集まる初集会。

会合に続いて行っている行事はオコナイとわかったが、会所若しくはお堂と知ったのは、2年後の平成29年4月14日

幾人か尋ねてようやくお会いした区長のOさん。

なんと、庚申さんを祭るすぐ近くに建つ集会所であった。

正月の初集会の日程は区長決め。

この年は1月7日に決まったと連絡を賜って出かける小鹿野の集会所。



その北側に鎮座する社は弁財天社。

正月らしくお供えをしていたが袋の中。

内部は見えなかった。

お伺いした集会所は旧地蔵寺でもある。

昼過ぎに集まった区長の他、3人の役員がごーさんの札作りをする。

小鹿野集落は27戸。



お札は多めに作る30枚であるが、中央に書く「地蔵菩薩」と「不動明王」の2種類。

右に「牛王」、左に「宝印」は同じであるが、「地蔵菩薩」と「不動明王」の2枚で1組みのごーさん札である。

地蔵菩薩はここ旧地蔵寺。

不動明王はここ旧地蔵寺より山の上。

里道、並びに山道を登ったところに流れる不動の滝にある不動明王堂。

3月末辺りに不動明王の大祭をしていると聞いている。

前年に残した一枚の見本。

それを見ながら村の役員でもある当番の人が墨書する。

区長にもう一人の書き手も、真心を込めて書いているという。



書ができたら朱印を押す。

朱はベンガラでなくスタンプであるが、これもまた真心を込めて牛王(玉)の宝印を押して朱印する。



合計で60枚。

ストーブ暖房の力も借りて乾かす。



一般的に多くみられる「牛玉」であるが、ここ小鹿野は長年にわたってずっと引き継がれてきた「牛王」である。

「牛王」の事例は県内事例にままある。

少なくもないが、多くもない。



乾燥し終えたゴーさん札は四つ折りして束にする。

正面、地蔵菩薩坐像を安置する祭壇に供えて夜の時間を待つ。



この日は初集会。

祭壇に2段重ねの鏡餅を供えて、御供の酒もある。

本尊は大きな厨子に安置する地蔵菩薩坐像。

右の脇仏2体は観音菩薩立像。

左に不動明王も安置していた旧地蔵寺。

毎月の一日に東組、中組、上垣内に属する地蔵講による営みがある。

組、垣内によって月割り。

東組の営みは4月、7月、10月に1月。

中組は5月、8月、11月に2月。

上垣内は6月、9月、12月に3月の廻りである。

女性講員が集まる地蔵講の毎月は同寺の清掃に花生け。

正月は松、竹(熊笹)、梅の木に千両と南天の木も添えていた。

仏飯を供えて、本尊の前に座る当番の導師。

鉦を叩いて唱える三巻の般若心経。

終えて食べていた白飯。

お家から持ち寄ったおかずでよばれていたが、現在はお茶とお茶菓子に簡素化したそうだ。

かつての地蔵講の営みは毎月に3回。

これを改めた数年前からは月に1回とした。

例月なら午後5時に始める営みは夏場になれば暑い時間帯を避けて午後5時半。

畑作業を終わってから集まっているそうだ。

昔は子どもも住んでいた家族。

住職でなく間借りの家族だったという。

そのような話しを聞いていた旧地蔵寺に鉦がある。

三本脚のある鉦は3枚。



一番大きい径が20cmの鉦に刻印があった。

「京大佛住西村左近宗春作」。



径が18cmの鉦は「室町住出羽大掾宗味作」。

一番小型の径14cmの鉦にも刻印があった「天下一出羽大掾宗味作」



私の調査範囲であるが、県内各地に見つかった「西村左近宗春」に「出羽大掾宗味」作の事例である。

「西村左近宗春」記銘の枚数は7枚。

「出羽大掾宗味」記銘は16枚にも及ぶ。

うち、「西村左近宗春」記銘に年代刻印が見られた2枚の鉦。

1枚は桜井市笠

「和州式上郡笠村地蔵堂什物 宝暦十一年(辛巳 )年三月吉日 京大佛住西村左近宗春作」鉦は、258年前の宝暦十一年(1761)。

もう1枚は桜井市北白木

「和州式上郡小白木小切施主凡人 元禄十七甲申天二月十九日 京大住西村左近宗春作」は315年前の元禄十七年(1704)であった。

もう一枚の「出羽大掾宗味」作の鉦に「天下一出羽大掾宗味作」記銘が数枚ある。

天理市大和神社が所有する鉦や下市町阿知賀・瀬ノ上垣内光明寺、大淀町畑屋が所有する鉦に“天下一”の称号がある。

そもそも「天下一」の称号を与えたのは桃山時代の織田信長。

工芸人の意欲を高めるためにあった。

天和二年(1682)以降の時代は「天下一」の乱用を防ぐために記銘することができなくなった。

若干の誤差はあるにしても天和二年(1682)以前か、以後の数年後まではと推定される「天下一」の称号。

時代確定の難しさがあるものの県内各地にある「西村左近宗春」に「出羽大掾宗味」記銘は凡その年代範疇に嵌る可能性がある。

また、大和郡山市白土町に残されている「和州添上郡白土村観音堂什物 奉寄進石形壹 施主西覚 □貞享伍ハ辰七月十五日 室町住出羽大掾宗味作」の鉦がある。

製作年がはっきりしている「出羽大掾宗味」鉦は、今のところ、この一枚だけである。

「天下一」や二人の同一作者名から推定した製作年は貞享五年(1688)から宝暦十一年(1761)。

その期間は74年間。

同一人物でなく、その名を継いだ弟子が製作したとも考えられる。

そうこうしているうちに集まってきた村の人たち。

午後5時から始まる村の初集会である。

新年、あらためておめでとうございます、と新しき年を迎えた年始の挨拶。

区長からこの場におられる人を紹介しますといわれて自己紹介並びに取材主旨を伝えて了解を得る。

初集会の本題の一つは農業委員の推薦。

二つ目にとんど場や台風の影響で崩れた里道にラントバ(※石塔婆墓)の整備など。

他にボーリング大会や体育委員、老人会から墨坂神社のゾークに伊勢参りまである多様な課題を検討される。

さて、初祈祷が始まった時間帯は午後6時である。

本尊前に座った導師は区長の他、拍子木打ちも座る。

もう一人は太鼓打ち。座敷でなく、障子の向こう側の縁が立ち位置だ。

座敷を囲むように座った村の人たちの手には般若心経の読本が用意された。

蝋燭を灯してから始める初祈祷。



拍子木を打つ調子に合わせて唱える「摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時・・・・」。

祭壇前に据えた大きな文字で書かれた般若心経は布一枚。



三巻唱えたところで一区切り。

時間にして6分半後くらいに達したとき発声された「ナンジョー」。

その声と同時に慌てて動いた太鼓打ち。

障子扉を開けてすぐさま打つ太鼓の音はドン、ドン、ドン。

3音の太鼓を打ったら再び般若心経を唱える。

太鼓打ちは所定の位置に戻ってともに唱える心経。



一巻をあげる都度に手を合わせて頭を下げる。

始まってから13分後。



2度目に発声する「ナンジョー」は六巻目を唱えたときである。

様相がわかった太鼓打ちは慌てることなく2度目の太鼓打ちもまたドン、ドン、ドン。



再び静けさを取り戻して続ける心経。

四巻唱えた最後の十巻目もまた「ナンジョー」にドン、ドン、ドン。



十巻の心経を唱えて太鼓を打った初祈祷は、発声する「ナンジョー」から充てる漢字は「難除」である。

ここ小鹿野には住職の姿は見られないが、村の人たちだけで行われる初祈祷。

太鼓を打つ場の窓は開放状態。

「ナンジョー(難除)」に打つ太鼓の音によって、窓から悪霊を追い出して、村は平和、安穏にした、ということである。

初祈祷の「ナンジョー(難除)」を済ませた村の人たちはこれよりパック詰め料理をいただく会食の場に移るので、本日のお礼を述べて集会所から離れた。

ちなみに集会所に掲げている小鹿野婦人消防団の記念写真を拝見させてもらった。

一枚は第1分団第7部消防ポンプ入魂式の模様を記録した写真。



昭和50年7月27日の記録に写る人たちの大多数は男性である。

入魂に式典される神職の周りを囲む人たちは村役や消防団の長であろう。

制服姿で並ぶ男性消防団。

記念の日に宴を催す会場は現在の小鹿野公民館。

つまり旧地蔵寺も兼ねた集会所である。

その宴の場に数人の婦人たちも会食している。

写真のタイトルに続いて書かれた「並に婦人消防団」とある。

もう一枚はそれから13年後の昭和62年9月11日。



婦人消防隊用に設備された軽可搬ポンプの入魂式。

2年後の平成元年9月6日に記録された写真は第5回全国婦人消防操法大会出場記念。

選ばれた6人の精鋭部隊が出場した女性消防団の操法大会。

出陣式にお祓いをされる神職の姿もある。

大会の会場はどこであるのかわからないが、応援幕に「ガンバレ!!はりきりママ」とあるのが微笑ましい。

もう一枚は総名28人が並んで撮った小鹿野婦人消防隊の記念写真である。



撮影日は記載されていないが結成されて間もないころであろう。

結成されたのはいつであるのかわからないが、昭和47年2月18日付けの表彰状がある。

「右(小鹿野婦人消防隊)は平素よく消防のことに励み、その成績、特に優良である」と財団法人日本消防協会会長名で表彰されているから、このころ既に組織化されていたようだ。

宇陀市のHPに平成28年4月現在の消防団のことが書かれている。

分団は大宇陀に菟田野も榛原も室生もすべてが第4分団まである男性消防団員は1008人。

女性消防団員は14人である。

かつては各村にあったと思われるが、そうでもなかったようだ。

区長らの話によれば珍しいくらい。

しかも総数がとても多いと自慢できる女性消防団であろう。

他市町村にも女性消防団はあるらしいが団員数は極めて少ないようだが、平成27年度の消防白書によれば、平成19年以来、年々増加の傾向にあるらしい。

当時の記念写真である。

スカーフでもないような制服に目立つ赤の色に昭和45年(1970)のジャンボジェットの就航を思い出す。

ネットの頁を捲ってみたら、スタイルに大きな違いは見られるが、小鹿野婦人消防隊の制服は日本航空の制服に匹敵するくらいのクオリテイだと思った。

(H27. 4.18 EOS40D撮影)
(H30. 1. 7 EOS40D撮影)

いきなりのネット遮断にドタバタ対応

2019年06月14日 09時55分36秒 | つうしん
おふくろが住む大阪住之江の居住地の整理を済ませて、自宅に戻ってきた午後6時。

部屋に上がるなり何をするかと云えばパソコンの電源オン。

すぐさまパスワード入力画面が出る。

最近になってようやく覚えたパスワードを入力すればたちまち立ち上がる。

ネットにきちんと繋がるのは1分間も要らないくらいの速さ。

早速のインターネットアクションをするが・・・。

アクセスできないと表示する。

ネット繋ぎが怪しいのは無線LANしか考えられない。

前年の12月15日に旧式の無線LANを捨てて新しく買い換えた。

機種はバッファロー社製のWHR-1166DHP4。

切り替えてさくさく動く我が家のネット環境。

あれぇと思ったのは切替1カ月後の平成30年の1月21日の午後1時半だった。

朝から繋げていたネットが突然に遮断された。

どのネットアドレスを投入してもWHR-1166DHP4のIPアドレスで返される。

アドレスは192.168.11.1。

セットアップしたときのアドレスだから間違いない。

新機種の無線LAN機器はどのランプも点灯しているが、一つだけが点滅状態になっている。

それはインターネットアクセスランプである。

ネット接続できない場合は、緑色にチカチカ点滅するとマニュアルに書いてある、「※注意書き」にPPPoEの設定がオンデマンド接続のときは自動切断された場合でも点滅するとあるから、突然だったようだ。

「※注意書き」に、対応方法についてはマニュアルに書いていない。

仕方がないから電源コンセントを一旦外して、10秒ほど経ってから繋げた。

しばらく待てば最後にインターネットアクセスランプの点滅も点灯状態になり、ネット環境は復旧した。

今回も同じようにインターネットアクセスランプが緑色チカチカの点滅状態。

前回と同じ事象と考えて同じ対応をしてが、いつまで経ってもチカチカ点滅したままだ。

それじゃあかんから今度はルーターも合わせて電源のオフ/オンしてみるが事象は続く。

10秒待つどころか長時間待っても一向に改善しない。

まさか、これは製品のバグ。

そう思ってマニュアルをくまなく探してみてもリセット対応についてはまったく触れていない。

もうこれしかないと思って背面にあるリセットを押し続けて初期状態に戻してはみたものの、これもまた改善しない。

ますます製品不良と思うようになった。

そうであれば、バッファロー社のサポートセンターにコールするしかない。

そう思うのだが、連絡先は・・・ネットが繋がらないからどうしようもない。

マニュアルには一切の連絡先電話番号は載っていない。

ただ、別紙に初期設定を有料で対応すると一枚もんのペーパーがあった。

とにかく電話すれば、サポートセンターの連絡先がわかるかもしれない。

そう思って電話したらコールセンター扱い。

流れる音声にすがりつく。

時間はすでに午後7時直前。

ペーパーに書いてあったその対応時間は午後7時。

ぎりぎりいっぱいのところで繋がった。

音声が云う通りの「2」番を押して他セクションを呼び出す。

その番号は「570-086-086」。

流れる音声は2回あったが、メモの途中で終わってしまった音声ガイド。

もっぺん電話してみる初期設定を有料で対応するという電話番号。

まったく同じ音声ガイドが流れた。

必死でメモった番号の「570-086-086」だった。

その番号を押して待つ。

10分ほど経ったころである。

「ただいま、8名の待ち状態です・・・」が流れて、そうなんだ、ネット接続に困り果てた人たちが順番待ちにいた。

すぐに7名待ちの音声ガイド。

これは進展しそうだと思って待つ。

午後7時8分は5名待ち。

3分後の11分は2名待ち。

もうすぐだ。

それから1分後の午後7時12分にセンターと繋がった。

サポート担当はオザキさんと名乗る若い男性の声。

症状を伝えたら利用しているブロバイダを知ろうとする。

どうやらブロバイダによって原因究明対応が異なるらしい。

我が家は何十年も前からKCNの利用者。

対応がすばやいこともあるが、料金がとにかく安いからそうしている。

バッファロー社のサポートセンターにブロバイダはKCN、と伝えてもわからないだろうと思って近鉄ケーブルネットワークと正式名称を伝えた。

そうすれば、繋げているKCNから経由する無線LANの電源を一旦、オフにしてくださいという。

そこで指示されたWHR-1166DHP4の背面パネルにセットしていた[AUTO]から[ROUTer]にセットしてくださいという指示である。

そこで無線LANの電源、ではなく話していた電話が切れた。

電話パネルの表示もないから電源切れ。

我が家は電話機も含めたネット配線になっているからだったのあろう。

受話器を戻しておいたらバッファロー社サポートセンターの担当者から電話が架かった。

そう、先方には通話履歴があるから架けなおしてくれたのだ。

次は何をすればいい。

指示はパソコンである。

WIN.10であればということで、処置をするのはコントロールパネル。

現行のパソコンではそれが出ていない。

仕方ないので担当者が伝えたスイッチはCTRL。

ウインドウズの四つの四角い旗マーク。

それを押しながら「r」を押す。

そうするとフアイル名を入れるボックスが出てきた。

名前は「control」。

OKをクリックしてネットワークのタスクを表示する。

以下、やり取りしながらメモっていた文字が判読不能。

設定完了とか、アドレス192.168.11.1、ネットプロトコルなどを書いていたからいろいろしたのだろう。

その後も詠めない文字・・。

ユーザにパスワードに「password」でログインも。

そのうちインターネット回線を判別中とかサーバ未検出とか、もう一度とか・・もある。

ネット技術者の人であれば、それはこれで、あれはこうなんだと説明できるが、私には何のことやら、である。

そこでサポート担当者が云った言葉は、「バッファロー製品に問題は見られないので、KCNに直繋ぐようにしましょう」と。

要は無線LANに繋げず、KCNブロバイダを受け持つルーターから直接パソコンに繋ぐという手段である。

ここまでかかった時間は1時間以上。

時間帯は午後7時38分を刻んでいた。

風呂にも入れず、復旧を待つ家人たち。

早く治ってお風呂に入ってょと声が聞こえてきそうだが、今夜の対応はまだまだ続きそう。

と、いうのもルータに直接繋いだパソコンにはネット不可の表示が出力する。

原因は不明であるがKCN側に何らかの異常があるのは確かになった。

そこで電話をするKCNのサポートセンター。

かつてトラブルがあったときに残しておいた電話番号が携帯電話に記録していた。

その番号を家の電話にプッシュした。

それなら携帯電話で直接すればいいのでは、と思われるが、私が居る部屋は電波が遮断される。

まったくと言っていいほど携帯電話が繋がらない閉ざされた部屋。

仕方ないから自宅電話で電話を架ける始末である。

架けた時間帯は午後7時42分。

「営業時間内に電話してください」というアナウンスがあれば、接待絶命。

ところが架けたかつてお世話になったサポートセンターのベルが鳴る。

受話器をとったサポート担当者はタカハシと名乗る女性だ。

担当者の指示はルータの電源を切れ、である。

コンセントを外す指示ではなく、本体に繋がる電源ケーブルを抜け、という指示だ。

そういう指示は簡単。

いとも簡単に抜けたら話していた電話が切れた。

またもやケーブル電話が切れてしまった。

そのうちバッファロー社サポートセンターの担当者と同じように交信履歴から我が家の電話に架けてくるだろうと思っていたが・・待てど暮らせど一向にその気配がない。

バッファロー社もKCNも電話を架ける度に録音しますというメッセージが流れる。

しかも私である契約者名、電話番号も伝えているからすぐに折り返し電話を架けてくるだろうと思って待つが・・・返しのコールはなかった。

仕方ないから再電話をしてみる。

もちろん架かったが受話器をあげた人が違うから経緯を伝えないとあかん。

ところが、受話器を外した音は聞こえたものの人の声はまったく聞こえない。

聞こえるのはキーボードを打つチャカチャカ音ばかりが受話器の向こうから聞こえてくる。

大きな声で、もしもしーーーと揚げるのだが、反応なし。

一体全体どうなっているんだ。

そのうち我が家のパソコンのネット繋がりが正常になった。

向こう側で何かの対応をしているかのようにアクセスランプの点滅、点灯状態が移り変わる。

誰も出ない電話は放置していても仕方がないので、再電話する。

電話に出たまた違う人に電話で伝えているうちに正常になった。

その担当者曰く、対応しただけでは正常にならない。

再度、電源を立ち上げて正常になるというのだ。

結局の原因はわからないが、なんとなくKCN側に問題があったと思わざるを得ない、今回の事象。

次回、もしも同じ状態になれば、ルータも無線LANも電源オフ/オン。

それで回復しなけりゃ結線をルータ直接にして繋がり状態を確かめる。

そして電源をオフ/オンする。

これだけを覚えておくことにした。

ところで我が家の電話に留守電表示がある。

再生してみれば3回目に応対したKCNサポート担当者と私の声が録音されていた。

これってなんなの・・。

ところでなんやかやあったが復帰した時間は何時。

午後8時8分だった。

それからすぐさま日常に戻って入浴。

そして夜食。

何の文句も言わずに待っていて家人たちは腹減ったー状態になっていた午後9時にやっと食事にありつけた。

それから4日後の2月23日の午前10時にまたも発生した同事象。

対応は無線LANもパソコンも電源のオフとオンだけ。

それだけで解消した。

(H30. 2.19 記)

奇跡的に残った旗飴

2019年06月13日 08時35分12秒 | 民俗あれこれ(ハタアメ編)
なんと、なんと・・、である。

大阪・住之江の実家に平成27年3月7日に行われた桜井市三輪の成願稲荷神社の初午に供えられた旗飴がそのままの状態で見つかった。

当時、供えられた5種類の旗飴すべては大神神社の神職よりいただいたものだ。

5本のうち3本が欲しいと云ったおふくろにあげたものが、そのままの形で実家に残っていた。

寸法は長さが29cm。

幅が6mm。

竹製の串の厚さは3mmである。

ちなみに飴玉の直径は大きい方でほぼ2cm。

小さい方もほぼ同様であるが、高さは低く15mm。

重さは測っていない。

飴がない一本はおふくろが食べたのではない。

大事にしておいたが、何らかの事象で落下した模様。

畳みに落ちた飴は掃除機に吸い込まれたようである。

ようまぁ、そのまま残っていたなんて奇跡・・である、3年間も放置していたので旗は色褪せていた。

奈良県内盆地平たん各地の神社や民家に供えられ、子どもたちが貰いに行っていたハタアメ行事一切が消えた現在は、とても貴重な史である。

貴重品ではあるが、配ってくれた大神神社さんに寄進しようと思った・・・が、当面は私が保管することにした。

何かの折に公開発表する史料として、或いは継承・商品化してくださる篤志をもつ方が現れるまで大切に保管することにした。

(H30. 2.19 SB932SH撮影)

続、廃棄処分は小物類

2019年06月12日 08時55分39秒 | むびょうそくさい(おかん編)
おふくろを連れて住まいする大阪・住之江に向かう。

この日の要件は2月5日に続く廃棄処分。

前回は処分業者に頼んだが、今回は小物だけに我が家に持ち帰って大型ごみの日に出すことにした。

長年住んでいるうちに増えていく小物類。

介護住居工事申請もこれからの課題。

住居をすっきりしておけば工事も進めやすい。

そう判断してありとあらゆる不用品を掃きだす。

前回に大量の食器を処分したが、まだまだある。

一品、一品をより分けて不用品とする。

衣服はすごい量である。

介護の身になる直前までのおふくろはバスや電車を乗り継いで大阪・難波とか天王寺、遠くに至っては梅田まで出かける。

大丸はカードも持っているくらいだった。

それだけにお出かけ服装がいっぱいあるある。

分別した不用品を収納するゴミペールはなんと10袋にもなった。



古いテレビ台も撤去。

軽自動車の箱バンに詰めて、詰めての積み込み作業。

4階までの階段を何度往復したことか。

くたくたになった搬出作業は午前11時20分から午後3時半までかかった。



次回は大型の書籍棚も搬出する。

その物品が運べるかどうか、軽バンの室内広さを計測していた。

その容量空間の長さは180cmに幅61cm×奥行39cm。

助手席一列を倒した空間の長さは230cm、高さ75cm×幅50cmまで可能だ

(H30. 2.19 SB932SH撮影)

山城町綺田台湾ラーメン大ちゃんの焼豚入り台湾ラーメン

2019年06月11日 09時38分50秒 | 食事が主な周辺をお散歩
午前中いっぱいは古川座をお迎えし、与力座がもてなす膳作りがあった。

その間に行われる七度半(しったはん)の呼び出し

その取材から戻ってきた時間帯は午前11時20分ころ。

昼の時間ともなれば座の人たちも昼食を摂る。

社務所で食べる人もおれば自宅に戻って食べる人もいるそうだが、私はどこか近くの店を、と思っていた。

ただ、昼の時間はまだ早いから、深夜に与力座の一老と宮司が密かに行われるはばかれ神事の四ツ塚の祭り方の状態を調べていた。

それだけでも昼の時間にはまだ早い。

そう思って足を伸ばした所は古川総本家。

線路を越えたところにたしか神社があると思って渡った。

たしかにあった神社は綺田山際綺原神社。

勧請縄を確認して天神川沿いに下れば木津川沿いを走る国道24号線に出る。

すぐ近くにある信号は綺田の辻。

度々でかける和食店のよし家がある。

その隣に大きな看板がある。

表示は「台湾ラーメン 大ちゃん」である。

この日は無性にラーメンを食べたくなった。

しかも、台湾ラーメンである。

私の場合はコンビニ店跡を利用した台湾ラーメン店である。

最近は、とうか心臓病を患ってからはとんと行けなくなった。

塩分含有量がとても多いと医師から、栄養士から云われているからラーメンは避けてくださいという御下命であるが、意識しているのはカップラーメン。

成分表表記があるから判断できるが、お店でできたてラーメン食べる場合はまったくわからない。

つい数か月前からはふくちゃんラーメンに行くようになった。

それも一か月に一度。

それぐらいであれば・・と勝手な自己判断で味わうことに心を鬼にして切り換えた。

台湾ラーメンを最後に口にしたのは平成27年6月21日に食事した奈良県葛城市にある「燃燃」である。

さっぱり系だがとても辛いラーメン。

何故か京都南部地域では同じようなお店を見たことがない。

その味とは比較しようもないが、試しに食べてみようと決断した「台湾ラーメン大ちゃん」。

隣のよし家は入り口前にメニューと価格帯を表示しているから安心して入れるが、大ちゃんはどのようなラーメンがあるのかさっぱりわからない。

なんの表示もないから不安になる。

台湾ラーメンはいくらで食べられるのだろうか。

心配しつつ入店したら、お一人様の場合はカウンターに案内される。

目の前にあるメニューを開いてみればあった。

台湾ラーメン一杯を注文したら、チャーシューはと問われる。

それがあればどれほどの味の違いがあるのかわからないが、これも試しのチャーシュー(焼豚)入りを頼んだ。

お店の案内によれば台湾ラーメンは辛い。

辛さを欲しない人は控えめ、逆にもっとという人は辛目を指示することもできる。

その点に関しては問いもなかったので並みの辛さであろう。

同店舗のメニューは他にもある。

台湾ラーメン味噌味や夏季限定の台湾冷麺もある。

面白いことに丼ものもある。

豚マヨ丼、キムチ入りの豚マヨ丼、明太子のりマヨ丼。

いずれも中盛り価格。

これも試しに食べてみたいが、次回に・・・。

そうこうしているうちにできあがった焼豚入り台湾ラーメンが配膳された。

見るからに美味しそうな焼豚入り台湾ラーメン。

大きな焼豚が4枚も7ある。

ニラにモヤシはかつて食べたことのある台湾ラーメン店と同じだが、肉ミンチはない。

肉ミンチはその匂い、味から好き嫌いもある。

その代わりに焼豚を添えたのであろうか。

スープは濃いように見えるがそうでもない。

まずはスープ。

コクのあるスープが美味い。

麺を食べてみたいが、ちょっと待て、である。

カウンターにあった壺がある。

表示は「やんにん」。



ラーメンや餃子、おでん等にどうぞ、とあるから焼豚入り台湾ラーメンに盛ってみた。

混ぜて飲んだスープに締まりがでてきた。



これはいけるぞ。

箸で掬った麺にスープが絡んであがってきた。

口にもっていってつるつる。

うどんじゃないからつるつる、ではなくジュルジュルとでも言いかえよう。

これは満足する麺である。

コシのある麺に絡んだスープは喉の奥を通っていく。

いやぁ、もう美味すぎるやないの。

あっさり系でもないしこってりでもない。

なんだろう。

スープ汁は何で作っているのかさっぱりわからない。

獣系ではなく野菜系のように思える優しい味。

いや、そんなことはどうでも良いと思える美味しさがある。

ただ、辛みはそれほど強くない。

むしろ辛みがほとんど感じないくらいだ。

おこちゃまでも食べられそうな味付け。

そういえば、同店舗にやってきた家族連れは小さな子どももいる。

まさか台湾ラーメンを食べるとは思えないが、おこちゃまと同じ席で食べられる家庭的な雰囲気もあるのだろう。

テーブル席はほぼ満杯。

レジを済ませたグループはどうやら常連さんのようだ。

この日初めてと思われるグループもあったが、味を覚えたグループが度々来店していると思われた。

ちなみに「やんにん」っていったい何なの。

「にん」は大蒜のように思えるが強烈な香りもない。

「やん」って何だろう。

次回に訪れたときにでも尋ねてみるか。

そうそう、焼豚の味である。

とろとろでもないが、脂身はとろけてしまうほど。肉身は堅くもないが、下味、煮込み処理はさほどしていないような食感。

豚肉の味もするが、不味くはないのだ。

ただ、調理の味がしているような、それともないようなという感じだった。

(H30. 2.18 SB932SH撮影)