ストローバレイ家の介護奮闘記

90→→92歳の母を支える4姉妹の泣き笑い奮闘記・・とその後

「曾孫」に勝る喜びはない?

2009-11-20 21:15:16 | 日常
               
        池周辺の木々の色も秋の深まりを感じさせます。

7時前に「ブツブツ」言っていましたがしばらく様子をみていました。だんだん声が大きくなり、娘達の名前を呼ぶようになったので部屋へ。「来てくれたのね嬉しい、うぇ~ん」と泣いて喜んで(?)くれました。

すぐに「起きたいよ~」とのことで椅子に移動。テ-ブルの上にあった蒸しパンを見つけ「これ食べて良いの?」と積極的に食べたがるので急いで朝食にしました。朝食(蒸しパン1個、バナナ1/3、アイスコーヒー + ミルクティ1.5杯)完食。

トイレ(小)、ついでに下の洗浄と着替え、上の清拭と着替えをすませました。その後、新聞折り込み広告を見て「一緒に買いに行きたい」「あなたはどれが欲しいの」「お財布にお金ある?」など話が弾んだのは良かったのですが、エンドレスになってしまい往生しました。

大好きなチョコレートを食べて気分転換し、朝が早かったので「疲れた」とベットへ移動。うつらうつらしはじめたので、娘達は別室に移動しましたが、すぐに娘達を呼ぶ声が。行ってみるとトイレ(×)のご要望。ベットにもどると「どうして良いかわからない」人に変身。

四女が一生懸命「話」を聞いてあげて、「Nちゃん大好き」「私もお母様大好き、相思相愛だ~」「嬉しい!」、「あなた(N子)は自分を犠牲にして親の為に働いてくれているのね、ありがとう」「娘達はお母様のことを大事に思っているの。いつも、お母様のお手伝いをさせていただこうと思っているのよ」。このような会話のおかげか、母の気持ちも落ち着いてきたので四女に後を託し帰宅しました。(長女)

長女が帰宅した後、一応落ち着いて眠り始め、鼾までかき始めたので、その間に昼食の支度をすることに。ところがそれも10分ともたず、また情緒不安定な状態に逆戻り。11時半にヘルパーさんが来宅するまでの1時間、ベッドサイドと台所を行ったり来たりすることとなりました。

“優しい言葉”は一時的に不安を和らげることができても、現状と今後に対する母の本質的な不安を解消することができないため、却って甘えを誘発してしまうのでしょうか。難しいな~。

いつもは仲の良いヘルパーさんにも「何しにいらしたの?」「もうお帰りください」と言いだす始末。昼食(ポーチドエッグ入りミネストローネ、クロアッサン、ブロッコリー、ミルクティー他)は期待値の半分程度しか食べませんでした。

その後も状況は変わらないので“甘い言葉”の代わりに“甘いケーキ”をと、ちょっと早めの2時にお茶に。喜んで食べた後居眠りを始めたのでほっとしたのも束の間、すぐに目を覚まし“トイレ”。

最近一人でのトイレ介助がきつくなっていたので助っ人を呼ぼうかとも思ったけれど、今朝おむつを今までのLからM/Sに変えた時のフィット感が、前に使っていたリハビリパンツに似ていたので、一人で何とかできそうな予感があり一人でやってみることに。そして無事一人でできました。

その後すぐに、孫(Y子)と曾孫が思いもかけず来訪してくれたため、母の気分が一転。途中腰が痛くなってベッドに移動したけれど、曾孫と一緒にシューアイスを食べたり、おしゃべりしたり夕飯まで楽しく過ごしてくれました。

夕飯時は、急遽そこに三女とその旦那様も加わって、総勢6人のにぎやかな宴に。はしゃぐ曾孫を交えての一時は「おもしろかった」との感想でした。夕飯もスープ餃子3つ、オレンジ・ビーフ1切れ、カブと白菜のクリーム煮、ブロッコリーとカリフラワーのサラダを勿論ビールと一緒に積極的に食べてくれました。

皆が帰った後はすぐに居眠りを開始したので、ベッドに移動。パジャマを整えると直ぐに眠ってくれたようです。やっぱり喜びを与えてくれる点では、曾孫>ケーキ>・・>優しい言葉ですね。終わり良ければすべて良し、というところでしょうか。(四女)
コメント
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