
4 闘病記を読むということ
中島梓氏の遺稿というべき「転移」を読み始めたら、病と、それもほとんど死と隣り合わせんのような闘病記をたくさん読んでいる事を思い出しました。
何でなのか解りませんが、ある人間ののドキュメントとして凝縮されているからなのかも知れません。
せっかく、振り返るように思い出したので、これまで読んだもので思いだっせるものをリストにして、そのような本をみていたら、闘病記ではありませんが、こんな本を見つけました。

山口瞳の還暦過ぎた後の「男性自身」シリーズが大好きでした。毎週週刊誌を読むのではなく、それが単行本になると買って読んでいました。
私事の事故で残念ながら瞳氏の本はなくなりましたが、気を使いながらも筋をはずせない瞳氏の言動がとても懐かしいと思う本でした。
氏の最後になった一冊「江分利満氏の優雅なサヨナラ」はある意味とても表現の幅のあり闘病記でした。
現実に起こっていることを勿論山口氏は伝えておりますが、そこに記してあることはあくまで作家の一つの起承転結を考えた文であり、読み手に不安などを与えないようにしながら、尚且つ自分のもういけない、というところ表現していたようにおもいます。
週刊新潮に連載されていたエッセイは、山口瞳氏の病状が急激だったために、書いていた稿が千六百十四回を一度も休まずに続けるという記録を作りながらなくなったわけです。
そんなエッセイが大好きだったので、今度見つけたエッセイにもたびたび出てくる山口正介氏のかかれた本を読むことにしたわけです。
この本は勿論闘病記ではありません。瞳氏が連載の日記の中で書かれていた、たとえば家でまるで歩けなくなって困った、などとちょっと達観して書いている事実を、同居する息子の事実表記から文と事実を確認したかったわけです。
こうやって読めば事実は、やはり厳しい現実があったわけで、瞳氏の読者のための筆とは勿論乖離があるわけですが、それがまた瞳氏であったわけで、事実が解っても何の違和感もなく瞳氏の記述がさわやかにのこるのです。
「血族」や「家族」で身内を赤裸々に表したことで「父を殺した」「母を殺した」と宿命付ける作家を父にもつ正介氏が、ここで同じように父の死を赤裸々に語ることで、表現者として、父と対等に対峙したい息子のしなければいけないことだったのでしょう。