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読書「とむらい家族旅行He started it」サマンサ・ダウニング著ハヤカワ・ミステリ文庫2022年刊

2023-03-26 16:03:12 | 読書
 なんとも奇妙な家族旅行なのだろう。人間の本質「欲」がおじいちゃんの遺言の旅であらわになる。旅をするのは、主な語り手フロリダに住んでいるベス、ベスの夫フェリックス、ベスの兄エディ、エディの妻クリスタそして独身の妹ポーシャ、一行五人のドライブ。

 ルートはおじいちゃんが綿密に遺言として残してある。アメリカ南部のジョージア州を起点にアラバマ、ミシシッピー、ルイジアナ、アーカンソー、ミズーリー、カンザス、テキサス、オクラホマ、コロラド、ワイオミング、モンタナ、アイダホ、ワシントン、オレゴン、ネヴァダへ二週間をかける。

 それぞれの州での見どころにも立ち寄らなくてはならない。例えばヘレン・ケラーの生家やボニーとクライド奇襲博物館、ガンファイター蝋人形博物館、10台のキャデラックが地面に縦に突き刺さっているキャデラック・ランチ、デビルズ・ロープ有刺鉄線博物館など。

 旅が終われば800万ドルの遺産が転がり込む。さて、人間の強欲はどんな結末になるのだろう。この本は私にとって、ちょっと退屈だった。さらに記述される音楽、ガービッジの「アイ・シンク・アイム・パラノイド」やデフ・レパードの「シュガー・オン・ミー」などは、興味ないし心の琴線に触れない。生きてきた時代の違いがハッキリする。

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読書「黒き荒野の果てBLACKTOP WASTELAND」S・A・コスピー著ハーパーコリンズ・ジャパン2022年刊

2023-03-16 11:28:59 | 読書
 ヴァージニア州シェパーズ・コーナーは月夜だった。多くの人はインターステイト(州間高速道路)から分かれて、シェパーズ・コーナーを抜ける四車線の道路を使う。黒人のボーレガードが立っているのは、四車線の道路ではなく開発から取り残され見捨てられたアスファルトの荒野(ブラックトップ・ウェストランド)だ。

 月の光に包まれ静まり返るブラックトップ・ウェストランドに走り屋たちが集まってくる。ポーレガードは自動車修理工場を営んでいて、ここのところ売り上げがガタ落ちの状態、工場の賃貸料支払いのため、ここのレースで稼ごうとしていた。ポーレガードの運転技術は他を圧倒していて、修理工場を開く前は強盗団のドライバーを務めてきた。

 今では足を洗い妻と二人の息子、娘一人の家庭を持ったいる。ボーレガードは手持ち金1000ドルをレースに賭けた。1対1のレースで自らが勝たないと1000ドルは霧消する。  で、勝った。しかし、偽警官が現れこの場にいた全員から有り金をかっさらった。レース相手の男とグルになって罠をしかけたとボーレガードが見抜いた。その男が戻ってくるのを待って、車載レンチでぶん殴って、あり金を吐き出させた。750ドルだった。

 そんな時、貧乏白人のロニーから口がかかる。宝石店強盗のドライバーの仕事だった。女の嗅覚は鋭い。ボーレガードの妻キアは気配を感じて、それとなく話に乗らないようくぎを刺す。しかし、ボーレガードにしてみれば、生活費や娘の大学の学資に必要な金は稼がなければならない。落ち目の修理工場を思えば、ひとっ走りで何十万ドルは無視できない金額だ。

 ボーレガードは下見をした。本から引用してみる。「カッター群はレッドヒル郡から110キロ離れた州の反対側だ。計画と偶然の兼ね合いで、不本意ながらニューポート・ニューズ市の郊外になっていた。ほとんどの住民は、市内にある三大雇用企業、つまり海軍工廠、キヤノンの製造工場、パトリック・ヘンリー・モールのどれかで働いている。これらの産業がカッター群に及ぼした影響は、見ればわかった。

 町に入ってからトレラーハウスは、3軒しかなかった。交通量は少ないが、BMWとメルセデスばかりで、ときどきレクサスが迷い込む」豊かな街には違いない。保安官事務所の位置、交差点、抜け道、主な商店など、すべてを頭に叩き込んだボーレガード。

 記憶力が抜群だったボーレガードの少年時代。少年院のある職員は、大学にも行けるかもしれないと応援してくれた人もいた。しかし、ボーレガードのような少年には、そんな選択肢はなかった。父親もいない。母親は退屈な女で、一つ間違えば神経衰弱になる。祖父母は生涯みじめな貧しい暮らしをして亡くなった。大学なんて夢のまた夢なのだ。

 この豊かな街のショッピングモールにある宝石店を襲い、ダイアモンド原石など強奪して走り去った。問題はここからなのだ。急に懐が豊かになった仲間のロニーの日常は一変した。女を引き込みマリファナ、酒で一日中酔っぱらっている。苦々しく思うボーレガード。そんな日々も宝石店がギャングのボスが表向きの店としていたのを知る。これはヤバい。

 ボーレガードとギャングの戦いへと凄惨なバイオレンスに発展していく。この本も時折、人情や思いやりを込めたくだりもあるが、おおむねB級映画もどきの展開。
 数多い音楽の記述についても、パトカーに追われて時速215キロで聴くのはスティーヴィー・レイ・ヴォーンの「ワム」。疾走する車の中で聴くにはピッタリではなかろうか。

 著者のS・A・コスビーは、ヴァージニア州生まれ。クリストファー・ニューポート大学で英文学を学び、警備員、建設作業員、葬儀場のアシスタントなどを経て作家になった。2019年の短編がアンソニー賞最優秀短編賞を受賞。本書でマカヴィティ賞、アンソニー賞、バリー賞などを受賞している。
それではスティーヴィー・レイ・ヴォーンの「ワム」を聴いていただきましょう。

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読書「殺人記念日My lovely wife」サマンサ・ダウニング著2021年ハヤカワ文庫刊

2023-02-26 13:26:35 | 読書
 私の可愛い妻が裏切者で、犯した罪をすべて私に押し付けようとする怖い女だった。それにしてもすさまじい嫉妬と行動力だ。私が語る一部始終で、一人称の小説。

 妻ミリセントと築いた住まいは、ヒドゥン・オークスという周囲を壁に囲まれ出入り口が3カ所、2カ所には警備員がいる中級・高級住宅地で、四つの寝室にすべてバス・ルームがついている。この段落を読んだとき、掃除が大変だろうなあと思った。私が浴室の掃除当番だから。ほんと面倒くさい。

 そこに私カントリー・クラブのテニス・コーチで、外見もよくスーツの着こなしも一目置かれるほどの男と不動産会社のセールスを担当する有能な妻ミリセント、ミリセントは赤い髪と緑の目にすらりとした体形。息子ローリー、娘ジェンナ、いずれもティーンエイジャーの四人暮らし。はたから見れば見事な中産階級のファミリーなのだ。日常はどこにでもある微笑ましい幸せな家族なのだ。しかし、どこの家庭でも人に知られたくないこともある。

 それは人を殺すことなのだ。ターゲットを発掘するのは私。その時は、聴覚障碍者になりすまし見栄えのいい外見とともに好感が持てる男としてトビアスと名乗る。女は体のどこかに欠陥がある人には、母性本能が働くのか気遣いが細かい。私は、健常者の驕りで上から目線にしか映らないと思っている。

 女は単なる獲物なのだ。なぜ人を殺すのか。それはときめきを感じるからだ。殺人行為には自律神経の交感神経が興奮することによってアドレナリンの分泌が高まる。その結果、主な作用として、心拍数や血圧上昇が上昇し、体のパフォーマンスの向上、覚醒作用があり、集中力や注意力の高まり、目の前の恐怖や不安に対して、体と脳が戦闘モードに切り替わる結果、素敵なセックス・ライフが得られる。殺される方にしてみれば、はなはだ迷惑ではある。

 初めは連続殺人鬼の犯行に見せかけようとしたが、その殺人鬼がとっくの昔に死んでいることが判明する。100年以上前から建つ朽ちかけた教会の地下室から、三人の女の遺体が発見される。連日テレビがこれを追う。危機感を覚えた私。

 そんなある日、テレビは血で書いた落書き「トビアス 聴覚障碍者」が犯人を指していると放送される。「トビアス 聴覚障碍者」これを知っているのはミリセント以外ない。妻ミリセントは、私に全部の罪をかぶせようとしている。全身が凍り付いた。

 「美人には気をつけろ」の教訓を生かせなかった。 が、やすやすとくたばってたまるか! 息子・娘が味方になってくれるかどうかが生死の分かれ道。あとはネタバレのため、この辺で終わり。  
 一つだけ話題を提供。それはジャンケン。この本でも子供たちがジャンケンをする。アメリカのジャンケンは、ロック(岩、日本ではグー)、ペーパー(紙、パー)、シザース(ハサミ、チョキ)。それが最近では変わってきているという。「monkey-pirate-robot-ninja-zombie(猿、海賊、ロボット、忍者、ゾンビ)」。「robot」は破壊を表すにぎり拳、「pirate」は海賊の銃、「ninja」は手刀、「monkey」は耳、「zombie」は犠牲者の脳みそに触れる手の形を表しているそう。

 著者のサマンサ・ダウニングは、ニューオーリンズ在住。製造会社勤務のかたわら小説を執筆するアマチュア作家で、二十年間で十二作の小説を書いたが、発表したのは本作がはじめて。本作は2019年に上梓され注目を浴びる。2020年アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)、英国推理作家協会賞、国際スリラー作家協会賞、マカヴィティ賞の最優秀新人賞にノミネートされた。
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読書「ブルックリンの死When no one is watching」アリッサ・コール著2022年ハヤカワ・ミステリ文庫刊

2023-02-20 11:29:52 | 読書
 2020年9月にアメリカで刊行され、映画「裏窓」と「ゲットアウト」の遭遇だと絶賛されていて、2021年アメリカ探偵作家クラブ賞のオリジナルペイパーバック賞とストランド・マガジン批評家賞最優秀新人賞に輝いた。

 ヒッチコックの「裏窓」は、足を怪我したカメラマン(ジェームス・スチュワート)が暇を持て余して向かいのアパートを望遠カメラで覗き見する。そして犯罪を見る。恋人(グレース・ケリー)が調査に当たる。それがもとでカメラマンに危機が訪れる。 というお話だった。

 未見の「ゲット・アウト」は、白人のガールフレンドの実家を訪れたアフリカ系アメリカ人の青年が体験する恐怖を描く。 とウィキペディアにある。

 この本は地域における居住者の階層の上位化とともに、建物の改修やクリアランス(都市再開発)の結果としての居住空間の質の向上が進行する現象のジェントリフィケーションをもとにしていて、端的に言えば貧乏人が追い出され金持ちが支配するということ。
 「ニューヨーク・ブルックリンのベッドフォード=スタイベサント地区は、アメリカでも最大級のアフリカ系アメリカ人居住地区だが、ジェントリフィケーションとともに裕福な他の人種が増え、地区のアイデンティティが揺らいでいる」とウィキペディアにある。

 まさにこれがこの本のテーマなのだ。揺らいでいるアイデンティティを守ろうとする黒人女性シドニーとシドニーの向かいに引っ越してきた白人のセオのカップルが終盤、壮絶なバイオレンスを演じる。

 ブルックリンには、歴史的なブラウンストーン(褐色砂岩)の家屋が連なっている。ラブロマンスの映画にもよく使われている。交通の便もいいとろで誰もが住んでみたい地区ではあるが、黒人たちが増えてきたため、白人は郊外に逃げ出した。そして再び帰ってきた。 と聞いたことがある。

 さてシドニーはバツイチ女で30歳子供なし。このブラウンストーンの建物の歴史ツアーに参加して、白人中心の説明にイラついて自ら歴史ツアーを立ち上げようとする。それに協力するというのが白人のセオなのだ。
 このセオ、親父がマフィアで悪いこともしてきた男なのだ。キムという裕福な出自をもつ女性が恋人。実家は週末にはニューヨークから脱出する車で大渋滞する高級住宅地ハンプトンズにある。裕福な出だからといって性格がいいとは限らない。キムは、セオに最後通牒を突き付ける。実家に帰るためにスーツケースを転がしながら
「私が帰ってきたとき、もうあなたはいないんだから」1週間の猶予をもらったセオ。最後の強烈なパンチが飛んできた。「冷蔵庫に残っているワインは飲んでもいいけど、私のものを壊したりしないでね。もしそうなったら思い知らせてあげる」

 シドニーたちが住んでいる近くに、2005年に閉鎖されたギフォード・メディカルセンターもとはヴリセンダール療養所。ここをヴァレンテック製薬が買い取ろとしている。地元の人たちは反対している。そうこうしているうちに、住民がつぎつぎといなくなる。そのあとに白人が入居してくる。シドニーは不思議に思う。

 シドニーが親しい友ドレアの死体を発見してから、セオと歩道に埋め込まれた金属扉を引き開け降りていく。 とメディカル・センターの地下には近所の人たちがゾンビのようになっていた。そこではアヘン製剤依存症の治療法を研究しているらしい。

 これを裏で画策しているのが、セオの恋人だったキムの父親なのだ。拳銃が火を噴き、死体がゴロゴロ。当然キムも銃弾に倒れる。いったいこの死体をどうするんだ。 と思っていたら、町内会の高齢者たちの行き届いた監視によって、ガソリンをバラマキ火をつけて建物もろとも崩壊する。証拠も何もない。最後は漫画のような結末なのだ。

 それにしてもこの本に描かれるニューヨーク、グルックリン。住みたいと思わない状況なのだ。公園という公園には十代の若者がたむろして近寄りがたい。シドニーもタクシーに乗っても、自動的にドアにカギがかかるのを「なぜロックしたの?」タクシーの運転手が言う「チャイルドロックだよ。一定時間たつと自動的に作動する」シドニーはかなり神経質になっている。セオも言う「黒人の大男が妙な動きで向かってきたらどう考えるべきか。ドラッグ、犯罪、危険、じゃないかな」

 白人警官が黒人の犯人逮捕時に死なせたことがきっかけで、BLM(Black Lives Matter)運動が高揚し、商店略奪まで発生した。私が思うに、なぜ黒人も経営する商店を襲うのか。不思議でならない。

 ニューヨークは代々民主党の市長が務めている。今は共和党支持の元市長ルドルフ・ジュリアーニは、ここブルックリンの生まれである。

 著者のアリッサ・コールは、歴史もの、現代もの、SFものなど幅広いジャンルのロマンス小説で受賞歴もあるアフリカ系アメリカ人の女性作家である。

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読書「失踪Missing:NY」ドン・ウィンズロウ著2015年角川文庫刊

2023-02-15 10:09:08 | 読書
 アメリカ中西部ネブラスカ州人口約30万人の州都リンカーン署の刑事フランク・デッカーが、行方不明の少女を職を辞してまで思いやりを内に秘め、かつての保安官のように荒っぽい手段に訴えながら捜し求める。

 行方不明の少女、ヘイリー・ハンセン5歳、アフリカ系アメリカ人。髪は黒、瞳は緑。ヘイリーの母親シェリルに写真を見せてもらったら、その可愛さに心を奪われるダッカーなのだ。目の色は母親似で、意志の強いまなざしをしている。残念なのが夫だった黒人の男。ヘイリーを懐妊したと思ったら、すぐに居なくなった。無責任極まりない。

 事件発生から1時間経過。誘拐殺人事件に遇う子供の半数が、1時間以内に殺される。3時間以内に殺される子供は、70%に上る。3時間を過ぎると絶望的になる。警察犬チームやボランティアの動員でもヘイリーを発見できない。

 そんな焦燥感が漂う中、別の事件が発生する。治安のいい地区に住む保険会社の役員をしている家庭の、白人の女の子ブリタニー・モーガン8歳。金髪で青い瞳が行方不明。そしてヘイリー・ハンセンの事件は、3週間が過ぎていた。

 デッカーが家に帰ると、妻のローラの気遣う言葉「あなた大丈夫?」に「大丈夫」と答える。しかし妻は弁護士、子供のいない家庭で夫は捜査に情熱を注ぐ。川の流れの淀みのように、二人の愛が方向を定まるでもなくクルクルと回る。つまり二人の望みが違いすぎる。ローラはデッカーが警部に昇進するのを望んでいるが、デッカー自身は望んでいない。ローラが市長を目指すが、デッカーは市長の夫にはなりたくない。

 そんな時、ブリタニー・モーガンの遺体が発見されたと伝わる。デッカーは辞表を提出する。ヘイリー・ハンセンの母親シェリルとの約束「必ず探し出す」を実行するために。デッカーの父の形見の車シボレー・コルベット・スティングレーを州間高速道路80号線で東に向ける。

 ケンタッキー州レキシントンあたりで、デッカーの誕生日が来た。35歳になった。自分から言うのもなんだけどと断わりながら、見栄えは悪くない、身長188センチの男だ。元海兵隊員。細かい不発の情報を拾いながら、たどり着いたのがニューヨーク・シティ。ここで展開される西部劇もどきのアクションは、映画やテレビドラマを観るように楽しめた。

 人身売買の闇の世界にたどり着き身の危険もあったり、ニューヨーク市警の児童性犯罪担当女性刑事、きちんと化粧をしていて、上は緑色のキレイな絹のブラウス、下はスカート。吸い込まれるような魅力とデッカーが思うトレイシー・バーンズから「好きよ。付き合いましょう」と言われるが、律義に「妻とはまだ離婚していないのでね」と言ったりして、意外性をはらみながらヘイリー・ハンセンを取り戻した。

 ハッピーエンドに終わリ自宅に戻ってキッチンでローラとお茶を飲んだ。ここからは本の記述をそのままに、急にローラが少し照れ臭そうに「これからどうするの?」
「さあな」考え込むような沈黙のあと、ローラが聞く。
「戻ってくる気、ある?」
「リンカーン市に、か」
「夫婦生活に、よ」
 しかし二人とも、心のどこかでそれを願いながら、同時に、それは叶わないだろうとわかっていた。お互い、どこか深い部分で傷つけあってしまった。本当に近い関係ゆえに、傷は二度と癒えることはない。行方不明になったその種の愛は、もう誰も見つけ出せはしない。行方不明だった女の子の戻ってきた愛とデッカーとローラの行方不明の愛、人生は複雑だ。

 ドン・ウィンズロウの略歴をウィキペディアから、「幼少期には、海軍下士官であった父親に伴い一家で各地の駐屯地を転々とする。自らシナリオを書いたり演じたりする演劇少年であったという。ネブラスカ大学では、より広い世界を見たいとジャーナリズムを専攻する。37歳で本格的作家としてデビューする以前はさまざまな職業を渡り歩いた。アフリカ史の学士号と軍事史の修士号を持ち、これらの研究に関わる政府関係の調査員にも従事していた。

 調査員として活動中に大怪我をし、入院中の時間潰しと現実逃避のため自己の体験から構想した探偵ニール・ケアリーの物語が、1991年度アメリカ探偵作家クラブ(MWA)処女長編賞候補作に挙げられ、突如ミステリ界に現れた鬼才としての評価を呼び、以降シリーズ化され作家としてのキャリアを歩む。

 1999年以降しばらく筆が途絶えていたが、2005年に久々の大作 "The Power of the Dog"が出版され(日本語訳『犬の力』は2009年発刊)、これまで日本でも全ての作品が翻訳出版されてきたが、これを機に新たなファン層を増やすこととなった。

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読書「あの本は読まれているかThe secrets we kept」ラーラ・プレスコット著2020年東京創元社刊

2023-02-09 16:07:01 | 読書
 1949年、詩人であり作家のボリス・レオニドヴィッチ・パステルナークの愛人、オリガ・フセーヴォロドヴナ・イヴィンスカヤは、秘密警察によって拘引された。そこで尋問官の「ドクトル・ジバゴは何についての本かね?」の質問に「知りません」と答えたが、小説はロシア革命に批判的で、ボリスは社会主義リアリズムを拒絶しており、国家の影響を受けずに心のまま生きて愛した登場人物たちを支持しているとは言わなかった。しかし、オリガの娘イーラの英語教師だったセルゲイ・二コラエヴィッチ・ニキフォロフの証言「オリガのパステルナークと国外逃亡計画、反ソ的ラジオ放送(ヴォイス・オブ・アメリカ)の聴取」に至り、5年間をモスクワから500キロ離れたポチマにある矯正収容所で過ごさなければならなくなった。これが東側。

 一方ワシントンDCのCIAでは職員採用の手続きに入っていた。受験希望のロシア系移民イリーナ・ドロツドヴァがいた。勿論コネでその場にいるのだが、「きみ、タイプはできる?」だけで採用された。ソ連部の上司ウォルター・アンダーソンの
「我々は君に可能性を感じているのでね」
「何のことですか?」
「我々は隠れた才能を発掘するのが得意でね」
 女性スパイの人選をしてるということだ。二種類の女性スパイが考えられる。華やかで誰もが注目する女。逆にほとんど目立たない隠れた存在の女ということになる。これが西側。            

 ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営が東ヨーロッパに集まっていたことから「東側」といわれ、アメリカ合衆国を盟主とした資本主義陣営が西ヨーロッパに集まっていたことから「西側」といわれ、この本でも東、西と地域を交互に表記されて、それぞれの物語が展開する。冷戦時代のお国柄が著者の表現力によって生々しく描かれる。

 登場人物は、CIA職員のイリーナ・ドロツドヴァ、サリー・フォレスター、パステルナークの愛人オリガ・フセーヴォロドヴナ・イヴィンスカヤの三人の視点からの愛の物語なのだ。オリガの不倫の愛、イリーナとサリーの同性愛。
 著者のプレスコットが「ドクトル・ジバゴ」について次のように言っている。「ドクトル・ジバゴは、戦争の物語であり、愛の物語である。とはいえ、長い年月を経て、わたしたちの記憶に強く残るのは愛の物語のほうだ」

 1949年から1961年は、ソ連では、スターリンからフルシチョフへと移り、アメリカではトルーマン、アイゼンハワー、ケネディへと指導者の変遷があった。特にソ連のスターリンは粛清で名を残し、民衆にとっては暗黒の時代といってもいい。
 そんな時代に生きたパステルナークとオリガの愛は、凍土をも溶かすほどの熱情に包まれていた。収容所からやせ細り若さをどこかに置き忘れたようなオリガを見ても、パステルナークは「愛しているよ」と言う。れっきとした妻がありながらだ。男性優位の時代だったのだろうか。

 それはアメリカにおいても言えるのだ。CIAは多くの女性タイピストを採用しているが、それは男の上司の口述を即時にタイプすることだった。ということは、女性たちが最高機密に触れる機会があるということなのだ。絶対他に漏らしてはならない不文律があった。この本の原題The secrets we kept(私たちは秘密を守った)に現れている。
 CIAは「ドクトル・ジバゴ」をソ連国内にバラまこうとしている。ベルギーのブリュッセルで開かれた1958年の万国博覧会が手始めだった。文化を通じてソ連の体制を変えようとしていた。

 ソ連国内で禁書となっている「ドクトル・ジバゴ」は、ノーベル賞受賞もあって世界的関心が高まり、ソ連国内にも闇のルートで入ってきた。秘かに人々は読んでいた。もし、パステルナークが西側の国民なら巨万の富を築いていただろう。政府から与えられた家に住み、平凡な日常の中、1960年70歳で他界した。

 女のスパイには二通りあって、「ツバメ」に属するのはサリー・フォレスターで、超のつく美人なのだ。一目見たら凝視するというのが彼女の持ち味だ。
 「運び屋」としているのは、イリーナ・ドロツドヴァだ。彼女も美人だが目立ち方はサリーの比ではない。

 サリーがイリーナを訓練することから、二人の感情が徐々に変化していく。イリーナの中にサリー・フォレスターの何かが消えずに残っていた。昼食に一緒に出たとき、サリーが腕を組んできた。通りすがりの男たちの熱い視線。彼女と一緒にいるのがうれしかった。サリーとのスパイ技術訓練が進んでいるとき、サリーは私の手をぎゅっと握り、そのまま握り続けた。私の中のどこかが特定できない場所でなにかが花開いた。
 サリーのほうも、それはすでに何か別のもの――はっきり言えないわけではないけれど、まだそうする心の準備が出来ていない何かに変化していた。そして寒い夜、イリーナはサリーの頬を両手で包み、唇にそっとキスをした。だが次の言葉ですべてが変わった。イリーナに「愛している」と言われたとき、サリーは、自分もあなたを愛していると告げる代わりに、彼女から身を離し、あなたはもう帰った方がいいと言った。そしてイリーナは帰った。
 それ以後二人とも、ものすごく気にかけているが、時代は同性愛者を許容する雰囲気ではなかった。サリーは同性愛者が発覚してCIAをクビになった。

 そして現代、ワシントン・ポストはロンドンで89歳のアメリカ人女性がスパイ容疑で捕まり、アメリカ合衆国へ送還されるのを待っている。何十年も前にソ連に情報を漏らした罪だという。その写真を見ていたかつてのタイピストたちは、
「驚いたなんてもんじゃないわよ」
「彼女よね」
「疑いの余地はないわ」
「昔のままね」

 記事によれば、女は50年間イギリスで暮らしていたという。2000年代初めに亡くなった名もなき女性とともに30年のあいだ稀覯本を扱う古本屋を経営していたという。かつてサリーはイリーナに言っていた。「いずれ古本屋を開業したい夢がある」と。最後はちょっと切なくなる。

 著者のストーリーテリングの秀逸さもさることながら、特異な文体に魅了されているのは私だけか。例えばこのブログにも引用した「私の中のどこかが特定できない場所でなにかが花開いた」とか「それはすでに何か別のもの――はっきり言えないわけではないけれど、まだそうする心の準備が出来ていない何かに変化していた」など、ほかの人ならどう表現していただろうと思ってしまう。
 とにかく、久しぶりに大好きな料理に巡り合ったような満足感に満たされた。

 著者のラーラ・プレスコットは、アメリカ合衆国ペンシルベニア州グリーンズバーグ生まれ。本作がアメリカ探偵作家クラブのエドガー賞最優秀新人賞にノミネートされた。

 1965年デヴィッド・リーン監督によって映画「ドクトル・ジバゴ」が創出され、アカデミー賞で脚色賞、撮影賞、作曲賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞を受賞している。作曲賞の内「ラーラのテーマ」が親しまれている。耳に優しいパーシー・フェイス・オーケストラで聴いてみましょう。

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読書「天使は黒い翼をもつBlack wings has my angel」エリオット・チェイズ著2020年扶桑社刊

2023-02-03 15:16:58 | 読書
 俺ティム・サンブレード、脱獄囚年齢27歳。ルイジアナ州のアチャファラヤ川の堀削リグで石油堀の仕事をやったあと、小さな町クロッツスプリングスの小さなホテルに泊まり、そこで娼婦を買った。
 その娼婦は、ヴァージニアというブロンドの白人。なかなかいい女だよ。色は白いしスタイルはいい。なぜこんなところで商売するのか不思議だけどね。

 朝シャワーを浴びているとヴァージニアもはいってきて、一夜で終わるはずがなんと高級車のパッカードに乗って、コロラド州のデンバーを目指しているんだ。どうしてかと言うと、ムショ仲間が言う現金輸送装甲車を襲うという話があるからだ。ただ、その仲間も脱獄のとき、監視塔からの銃撃で死んでしまった。それをどう実現するか、考えているところだ。

 その前にやることがいくつかある。大型のハウストレーラーを買い、それを頑丈に改造することだ。改造したハウストレーラーに現金輸送装甲車を隠して、パッカードでけん引する。そのためには住むところとハウストレーラー改造に役立つ働くところが必要だ。

 コロラド州デンバーで借家があった。ねずみ色のレンガでできた家具付きの小さな家。高級とはいえないにしても上等な地域で、誰もが庭に出てはスプリンクラーやホースで水を撒く。中流階級の集まりといったところか。近所には新婚一か月と言ってある。

 仕事も見つかった。その工場ではサトウダイコン運搬用トラックの車体を製造している。そこで俺は油圧式の剪断機の操作をする仕事についた。願書を提出して医師の健康診断を受けたとき、俺は背が高く、すらりとした長い脚をしている一方で、胸と肩が発達しているらしい。最高の剪断屋になるだろうとも医師は言った。ハウストレーラー改造にはうってつけに思われた。

 ここにくるまでにヴァージニアと少々荒っぽいことがあった。ニューメキシコ州のコロラド州に近いラトンという町でだった。グレイハウンド・バスも停まるカフェやバーもある休憩所。俺はバーに入った。ハンドバッグをがさごそとやってたヴァージニアが「煙草を忘れたみたい。すぐ戻ってくる」といって出ていった。

 俺はバーカウンターでウィスキーのI・W・ハーパーをちびりちびりとやっていた。何気なく振り向くとヴァージニアがツイードのジャケットを着た男と話している。ふと思った、ヴァージニアを置き去りにするチャンスかも。俺はヴァージニアを横目で見ながら店を出た。

 パッカードはニューメキシコの5月の風のなか快調に飛ばした。気分も爽快、ラジオのスィッチを入れた。カントリーの「あなたにお金があるというのなら、ハニー、私には時間がある」というフレーズが流れる。これはヴァージニアが言っていた言葉だ。

 ふと頭の片隅で“ガードルの金“が浮かんだ。車を路肩に寄せてグローブボックスを開けた。タバコ、懐中電灯、スミス&ウェッソン357マグナム・リボルバーのほかには何もなかった。先日買い物をしたとき衣類とともにガードルも買って、その中に1700ドルを隠してある。

 俺は「クソ、あのアマめ!」とぼやきながら車をUターンさせた。カーターズヴィルの「ステーキと酒とダンス」を看板に掲げた店の前にビュイックが2台、ジャガーのスポーツ・カー、プラム色のXK120が1台停まっていた。ジャガーはツイードを着たヤツのだろうと見当をつけて店内に入った。ボックス席にヤツとヴァージニアがストローでなにかを飲んでいた。俺はヴァージニアの横に座り、ヤツのグラスを取りストローを捨ててぐいと飲んだ。

 ヤツを追い出した後、コロラド州に入りどこか寂しいところを探した。道路からガタガタ道に入り車を停めた。
「ガードルでしょ?」とヴァージニア。
「そうですよ、奥様」と俺。
 彼女を引き寄せようとしたら、俺の口を殴ってきた。そして逃げ出した。追いかけてタックルで倒し殴り合いの末、ガードルを取り戻した。その時、ヴァージニアが体を俺に押し付けてきた。このとき初めて娼婦の演技でなく、恋人とのデートのように愛を求めてきた。俺は思った。彼女はまた何か企んでいるのか。

 とにかく現金輸送装甲車強奪は、ヴァージニアの協力がないと成功しない。なにせ彼女の運転はうまいし演技もそこそこできるとなれば放っておくことはない。

 こじゃれた家から毎日剪断機の操作とハウストレーラー改造に精を出し、無事微笑みと握手で退職した。それからはパッカードに乗り現金輸送装甲車の行動をつぶさに観察することだ。現金輸送装甲車は、一定のコースを定まった時間に巡回しながら現金を回収しているらしい。オフィスビルや商店、大型商業施設や映画館、医院、病院などだ。

 汚れた紙幣があるのがねらい目だ。四週間のチェックで確信を持った。最後の立ち寄り先州議事堂近く、三階建ての建物だ。細かいことは割愛するが、現金輸送装甲車に高齢に男の死体を乗せて隠家に戻った。早速中身を調べて、現金は18万ドルが入っていた。

 ハウストレーラーと中の現金装甲輸送車それに老人の死体を、かねて見つけておいた立て坑に捨てた。180メートルもある立て坑だから発見される心配はない。 と思い込んだ俺。

 その後のニューオーリンズでの酒とセックスに明け暮れた話は割愛する。立て坑に捨てた物体を、どうしても見たかった。俺とヴァージニアは、雪の斜面を腹ばいになって覗き込んだ。そこには深遠な暗黒の世界があるだけだった。

 ヴァージニアは解放された気分だという。そして踊りだしてだんだん穴の縁に近づいていく。凍り付いたつるはしの柄が見えないようだ。ブーツがその柄に引っかかった。ヴァージニアは回転し暗黒に落ちていった。

 俺はなにが何やら分からなくなった。雪の斜面をゆっくりと登ってくるFBIのクレル・ドゥーリーを見つめた。俺は心底喜んだ。俺は彼に「ヴァージニアを見なかったか?」と聞こうとしたが、彼は黙って俺に手錠をかけた。(あまりの衝撃の強さで、ティム・サンブレードは狂ったのかもしれない)

 この作品は1953年に上梓され1人称で語るものだ。犯罪者のロード・ノベルだが文庫本300頁の小品ながら、登場人物のひそやかで激しい心の動きに魅了される。この本を文芸評論家の吉野仁が詳しく解説しているところから、この本の奥深い点が見える。

 ちなみに「 あなたにお金があるというのなら、ハニー、私には時間がある」というのは、1950年レフティ・フリゼルが歌うカントリー・ミュージックの題名(If you got the money I've got the time)そのものなのだ。この曲はYouTubeで聴けるが何度も聴きたいとは思わない。

 著者のエリオット・チェイズは、1915年ルイジアナ州生まれ。従軍時は日本の占領軍に参加。戦後、作家として活動を開始し、1953年に発表した『天使は黒い翼をもつ』でゴールド・メダル・ペイパーバック賞を受賞。その後、コラムニスト、ジャーナリスト、編集者として活躍したのち、1980年代にはミステリーの執筆に復帰した。1990年、74歳で死去。
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読書「その裁きは死The sentence is death」アンソニー・ホロヴィッツ著2020年創元推理文庫刊

2023-01-19 14:46:16 | 読書
 二つの謎を追う作家アンソニー・ホロヴィッツ。彼が脚本を書いているテレビドラマ「刑事フォイル」シーズン7の序盤の“場面27戸外“。 1946年に設定された昼の撮影現場に現れたのは、ロンドン警視庁顧問、元刑事のダニエル・ホーソーン。殺人事件の発生を告げると同時にこの事件の顛末を本にしてくれという。気の進まないままホーソーンについて回るホロヴィッツだった。

 殺人事件の被害者は、離婚専門弁護士のリチャード・プライス。事件現場は、ロンドンの北ハムステッド・ヒース、フィッツロイ・パーク。この辺りは高級住宅地といってもいいかもしれない。四方をさまざまな植物に囲まれた場所に足を踏み入れることになる。木々が並び、藪が茂り、バラ、クレマチス、フジ、スイカズラ、そのほかありとあらゆるつる植物が埋め尽くす。建つ家々は隣から距離があり、エリザベス様式やアール・デコ様式など様々。被害者宅は寝室が三つか四つの現代風の建物だった。

 この辺りフィッツロイ・パークは私道のためgoogleマップのストリートヴューがないが、その周辺は樹々が茂っている。しかも女性専用の遊泳池があった。調べてみると「Kenwood Ladie's Bathing Pond」とある。googleマップは面白い発見をさせてくれる。

 ホーソーン、ホロヴィッツに加えカーラ・グランショーロンドン警視庁女性警部が登場する。ホーソーンに言わせればこの警部、まぬけで根性が悪いということになる。確かにホロヴィッツが脅される場面がある。成績を上げたい警部から、ホーソーンの動向を知らせろというわけ。しかも太った腕でホロヴィッツを壁に叩きつけて。この女の根性悪は、部下のダレン・ミルズを使ってホロヴィッツが本を万引きしたように罠をしかけるというもの。ほんと腹がたつ女だ。最後にこの警部が誤認逮捕の不名誉を浴びるという仕返しもあるが。

 事件はよくある意外な人物で解決するが、ホロヴィッツにとってホーソーンという人物の謎はおいそれと判明しない。酒を飲まない、たばこは吸う、同性愛者嫌い、自宅アパートに入れてもらったことがあるが、生活感に乏しい印象なのだ。

 このほかにも何人かユニークな人物が登場する。実在の人物かとネットで調べたほど、人物造形がリアルな日本人女性作家のアキノ・アンノ。小説や俳句集を書いていて、ホロヴィッツもよく分からない作品だという。

 こんな記述がある。「私は子供の頃、学校で俳句のことを教えられた。俳句が世界に知られるようになったのは、17世紀の俳人、松尾芭蕉のおかげだろう。“古池や 蛙飛び込む 水の音“ これは私が暗唱できる数少ない詩の一つだ」

 これを英訳して小泉八雲は、Old pond / Frogs jumped in / Sound of water. ドナルド・キーンはThe ancient pond / A frog leaps in / The sound of the water.」私し的には、小泉八雲がシンプルでいい気がする。

 余談になるが気になる二つを。一つ目、元刑事のホーソーンと作家のホロヴィッツが事件現場や参考人に事情を聞きに行くが、どちらも拳銃の携帯がない。

 さらにアンソニー・ホロヴィッツが脚本を書いているテレビドラマ「ニュー・ブラッド~新米警官の事件ファイル」でも二人の警官は拳銃を携帯しない。なぜこんなことを言うかといえば、外務省のホームページでイギリスの事件発生数が日本の10倍になると書かれているからだ。従って「ニュー・ブラッド」の二人の警官が逃げ回るという笑えない場面がある。ユダヤ系のアンソニー・ホロヴィッツは、なにか思うところがあるのかもしれない。

 二つ目は、ロンドンの渋滞税。本の中で「ロンドンは渋滞税を課し、中心部への車の乗り入れを減らそうとしているが、あまり効果は上がっていない。歩く方が車に乗るより速いくらいだ」

 この渋滞税、私は知らなかった。2003年から導入しているらしい。正式には「Congestion charge、混雑課金」と言うらしいが、ロンドンにある在外公館は、税金とみなし支払いを拒否しているという。この中に日本大使館も含まれる。

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読書「砕かれた街Small Town」ローレンス・ブロック著2004年二見書房刊

2023-01-13 16:56:12 | 読書
 2001年9月11日は、日本人の私にとっても忘れようとしても忘れられない日になった。アメリカ人にとっては、屈辱を味わう日になったのだろう。過去にアメリカ本土が攻撃されたことがなく、直接危害を受けたのが初めてだったからだ。しかもビッグアップルといわれる世界に冠たるニューヨークに。

 世界に衝撃を与えたこの事件を北海道旅行の途中、国民宿舎「雪秩父」(ちなみにこの宿舎は、2015年9月19日に建て替えられ日帰り温泉施設として「ニセコ交流促進センター雪秩父」の名称でオープンした)に宿泊したとき部屋のテレビで観たのだ。

 はじめに……としてある文章を引用してみよう。「2001年9月11日、日の出時刻、午前6時33分。天気予報は快晴。午前8時45分、ボストン発ロスアンジェルス行きアメリカン航空11便が世界貿易センターのノース・タワーに衝突。午前9時5分、ボストン発ロスアンジェルス行きユナイテッド航空175便がサウス・タワーに衝突。午前9時50分、衝突から45分後、サウス・タワーが倒壊。午前10時30分、衝突から1時間45分後、ノース・タワーが倒壊。  
 2002年5月30日午前10時39分、グラウンド・ゼロでの撤去作業終了。もう二度と戻らないと、街中が思った」二度と戻らないと思ったし、アメリカ中、いや世界中が怒りに包まれた。

 しかし、残された人は前に進まなくてはならない。どのように進むかは、人それぞれ。ここに異形の人物たちが登場する。病的なセックス依存症かと思える画廊経営の円熟期の美人オーナー スーザン・ポメランス。

 このスーザンのセックス指導で人生を恵まれた環境で、二度生きたような感覚を味わう元市警本部長フランシス・バックラム。

 数冊の小説を世に送り出しているジョン・ブレア・クレイトン。クレイトンの文芸エージェント、ロズ・オルブライトの発案で、これから書くクレイトンの作品についてオークション方式をとると言う。結果300万ドル(約3億9千万円)でクラウンという出版社に決まる。この噂は素早く周辺に広まる。

 ジェリー・パンコー、同性愛者で請け負ったアパートの部屋や商店の掃除を生業としている。時には思いもよらない、事物に遭遇することがある。マリリン・フェアチャイルドがベッドで死んでいるとか。そして売春宿で三人の死体も発見する。

 マリリン事件で容疑者として、一時拘束されたのが作家のジョン・ブレア・クレイトンなのだ。

 家族四人がこのテロリストたちの犠牲になり、狂ってしまった広告会社の元調査課長ウィリアム・ボイス・ハービンジャー。この男が凶行を重ねていく。地元紙の呼び名は、カーペンター。ノミやカナズチ、キリが殺傷の道具だからだ。

 この本をたった一言で表現するとすれば、「金庫に仕舞っとけ」。なぜか? それは無造作にページを開けば、スーザンのセックスライフの詳細な記述を目にすることができる。それほど頻繁に現れてくる。
 思春期の子供を持っていればこの本を閉じ込めたくなるのは必定だろう。ローレンス・ブロックにしてはポルノまがいの珍しい表現だ。何故だろうと考えるがいまいちはっきり分からない。訳者あとがきでは、セックス描写は生と死を表していると言うが。賛否が分かれた作品であったようだ。

 ローレンス・ブロックは、ニューヨークを心から愛する一人に間違いはない。例えばこんな記述はどうだろうか。カーペンターがボートの持ち主を殺して、自ら操縦してハドソン川からイースト・リバーに向かい「偉大な三つの橋の下を順々にくぐった。ブルックリン・ブリッジ、マンハッタン・ブリッジ、ウィリアムバーグ・ブリッジと。その昔、いっとき仕事を休業したジャズ・ミュージシャンがいた。そのミュージシャンはほかのミュージシャンとセッションするのをやめ、ジャズクラブやコンサートホールで演奏するのをやめ、レコーディングするのもやめてしまった。そのかわり、ウィリアムバーグ・ブリッジの真ん中まで歩いて、そこでただ一人何時間も演奏したと言われている。これがどこか別な場所の話だったら、次の二つのうちどちらかになっていただろう。そんなことはしてはいけないと言われるか、あるいは、演奏を聞きに人々が続々と集まり、そのうちそのミュージシャンはうんざりしてうちに帰ってしまうか。
ミュージシャンはいつまでも演奏できた。それがニューヨークだ」

 次は音楽の話に移ろう。スーザンとクレイトンがセックスフレンドになって交わした会話。「ニューヨークには、カントリー・ミュージック専門局がない」とスーザン。「一局あるけどトップ40しかかけない」 とクレイトン。

 そして、ボビー・ベアの「ロザリーズ・グッド・イーツ・カフェ」という8分にも及ぶストーリー・ソングをLPでかける。この曲、YouTubeで聴いたが心を動かされることはなかった。

 それよりもニューヨークといえば、フランク・シナトラをおいてほかにあるかな。ヤンキー・スタジアムで試合終了後、必ず流れるのはフランク・シナトラの「ニューヨーク ニューヨーク」なのだ。それをお届けする。
 私が今日旅立つことを広めてくれ
 ニューヨークの一部になりたい
 ニューヨーク ニューヨーク

 放浪者の靴は迷い子になりたがっている
 ニューヨークの真ん中を通り抜けたいが
 ニューヨーク ニューヨーク

    眠らない街で目覚め
 そして丘の王、お山の大将になる

 故郷の小さな町の憂鬱は、溶けていく
 再出発するよ、古いニューヨークで
 もしそれができるのなら、どこでもできるよね
 あなたなら出来るよ、ニューヨーク ニューヨーク

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読書「ゲートハウスThe Gate House」ネルソン・デミル著2011年講談社文庫刊

2023-01-04 16:36:35 | 読書
 1人称の上・下巻約1400頁の長い長い物語である。主人公は、ジョン・サッター。税務弁護士で50代の独身男。彼には忌まわしい記憶があって、元既婚者という立場でもある。

 メイフラワー号でやってきた人たちやその後にやってきた人たちを先祖に持ち、ロング・アイランドのゴールド・コーストという超ド級の高級住宅地で広大な地所と15部屋もある邸宅に住んでいたサッター夫妻。

 その妻スーザンは、富豪のスタンホープ家の長女で、生活費として年25万ドル(今の相場で3千4百万円)を父ウィリアムから支給されている。その金を当てにするジョンではなかった。ウォール街で亡き父が共同経営していた法律事務所で大金を稼いでいた。

 ジョン・サッターもサッター家という血筋で、スタンホープ家ほどでもないが、それなりのレベルの人間なのだ。しかし、住んでいるゴールド・コーストの邸宅いわゆるゲスト・ハウスは、スーザン名義である。

 かつてのスタンホープ家の地所は、200エーカー(約80万平方メートル)、と言われても見当もつかないが東京ドーム20個分に相当するらしい。その中に建つ屋敷は、50部屋もある大邸宅なのだ。

 そしてそこに移り住んできたのが、こともあろうにマフィアのドン、フランク・ベラローサという男。ジョンに言わせれば、かなり魅力的な男で引き締まった体にハンサム、話術も巧みで友人関係にまで発展した。そこには大きな落とし穴があった。

 スーザンも超がつくほどの美人、労働といえば、スーザンもマンハッタンで出版社を継いだという大富豪の女性の個人秘書を勤めた経験がある。そのスーザンがこのフランクという男を愛するようになる。ところがある日、スーザンはこの男を射殺する。 が、罪に問われることはなかった。ジョン・サッターは、なんの要求もしないでスーザンと離婚した。それが10年前の出来事、そして今、ロンドンからニューヨークへの飛行機の中で、あの忌々しいく腹立たしいスーザンとフランクとの肉欲の夢を見ていた。ジョンは寝取られた男なのだ。

 物語はここから始まるわけで、ジョン・サッターの人となりも明らかになる。ジョンは会話の中で冗談を連発する。それも低俗な。相手によったら気分を害するだろう。それでもハンサムで頭の回転が速い。

 そしてゴールド・コースト族を「上流階級声、丁寧ではあるが疑問の余地なく権威の響きを帯びている声だ」と揶揄する。そして10年ぶりの帰郷は、スタンホープ家が雇用していた邸外の雑事をこなすアラード夫妻、夫ジョージは既に故人。妻のエセルもホスピスで運命の終焉を待っている。そのエセルの求めで、ジョンが身辺整理のためにこのゲートハウスにやってきた。

 目と鼻の先には、スーザンのゲストハウスがある。しかもゲートハウスのそばを通らないと表通りに出られない。いつかはスーザンと鉢合わせするだろうとジョンは恐れていた。

 しかも周囲の様子は変わっていた。お隣にはイラン人が住んでいるし、マフィアのドンの敷地は細分化され売り渡されていた。6月のさわやかな風がそよぐ午後、亡きフランク・ベラローサの息子アンソニーが訪ねてきた。和やかなうちにもアンソニーは、さりげなくスーザンのことに触れて帰っていった。

 俄然、ジョンは危機感を持った。端的に言えば、「おれの親父を殺しておきながら、罪にも問われずのうのうと生きてやがる。いづれ落とし前をつけるぜ」とジョンには聞こえたかもしれない。

 エセルの葬儀はジョンとスーザンを再び結び付け、息子のエドワード、娘のキャロリンとの再会。かつてのような一家団欒が戻ってきた。

 ただ、スーザンがどのようにフランクを愛するようになったのか。つまりいつ?、どこで?、どのように? これを知りたければ、前作「ゴールド・コースト」を読むしかないだろう。とは言っても、私は触れてほしかった。

 フランクを射殺した場面を説明するとき「フランクに言ったの。愛している……あなたのためなら人生を捨ててもいいって」でもフランクは「ジョンのところに戻れ。やつはあんたを愛している。おれは愛していないね」と言った。

 人生を捨ててもいいと言ったスーザンとよりを戻すなんて、ジョンは軽い男だなと思うしかない。しかし、好事魔多し。FBIや地元警察への告訴状提出、ショットガンやライフルの準備も、マフィアの悪賢さには……著者の冗長な文体に辟易しながらも読了した。

 私はこういうミステリーでも、異文化の手触りも楽しむ方で、気がついたこともある。例えば、ジョンが書類のコピーを外の業者でするということ。プリンターで十分役に立つんだが。大金持ちなのにプリンターを買わないの。

 また、スーザンやジョンが部屋や車の中で聴くのはクラシック音楽、エセルはポピュラー音楽という具合。著者はこれで上流と下流を区別したのかもしれない。クラシック音楽もいろいろで、フランスの作曲家ジュール・マスネの「タイスの瞑想曲」やバッハの「G線上のアリア」ドビュッシーの「月の光」などBGMに適したものが多くある。

 エセルのゲートハウスにあるラジオのスイッチを入れた。「オールド・ケープ・コッド」が流れてきた。
砂丘と潮風が好きなら
趣のある小さな村があちらこちらに
オールド ケープ コッドに恋すること間違いなし

ロブスター・シチューの味が好きなら
オーシャンビューの窓際でお召し上がりいただけます
オールド ケープ コッドに恋すること間違いなし

手招きしそうなまがりくねった道
青い空の下に何マイルも続く緑
日曜日の朝に鳴る教会の鐘
生まれた街を思い出す
パティ・ページが本家のようだが、好みからビング・クロスビーでお届けする。

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