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千葉にも山があります!「伊予ケ岳」

2005-01-31 14:40:38 | 山歩き
  深田久弥の「日本百名山」には、標高千メートルに満たない山がニ座ある。筑波山(茨城県)と開門岳(鹿児島県)である。筑波山の記述を見ると「筑波山を日本百名山の一つに選んだことに不満な人があるかもしれない。高さ千メートルにも足りない、こんな通俗的な山を挙げるくらいなら、他にもっと適当な名山がいくらでもあるではないかと」名山ともなれば高さも気になるところか。
  
  「安房の妙義」とか「房総のマッターホルン」と称されている千メートルどころか五百メートルにも届かない伊予ケ岳は、本来高い山の意味の「岳」を冠されてもいる。どうしてなのかわからない。私のこれまでの登山は、一度登った山を二度と登ることは稀なことで、谷川岳、安達太良山などに過ぎない。ある日ふと考えて見ると、一つの山を冬、春、秋の三シーズンに訪れるのも悪くなく、むしろ新鮮味が増すのではないか。

  そこで、まず地元千葉の山から始めようと思い立つ。1月27日木曜日は、天気予報も的中して空はブルー、暖かそうな陽光が降り注いでいる。館山自動車道を君津ICで降り(残念ながらこの道路は、全通していない)、国道127号を富津竹岡ICから鋸南富山ICへ。県道89号で天神郷の神社境内に午前10時40分ごろ着く。

  穏やかな里の雰囲気が漂い、時折工事の音が聞こえてくるくらいで静かである。神社の横から登山口に向かって道が伸びている。ハッサクがたわわに実っていて一ついただく、ワラビやゼンマイの出そうな場所もあって、春に来るのが楽しみになる。展望台から頂上まではほんの数分の距離なのだが、勾配が以外にきつく、鎖やロープに頼って登る。この20メートルほどは三千メートル級の北岳とこの低山を比較しても困難度はまったく同じである。低山といえども気を許してはいけない瞬間だ。頂上は鎖が張ってあって岩のピークになっている。これが「房総のマッターホルン」のいわれだろう。

  私たちは夫婦で出かけたが、高齢者の団体など、来る人も結構いるようだ。今日は適当な足慣らしと運動になった。低山もそれなりに楽しめる。山を楽しんだあとは、海やお花畑で遊ぶのも千葉ならではと言ったところだろう。
私のホームページで写真をアップしています。こちらもどうぞよろしく。
wind socks 風の靴下

再起を祈り、野茂投手にエールを送りたい。

2005-01-28 12:46:57 | スポーツ
  報道によると、野茂投手はタンパベイ・デビルレイズにマイナー契約したという。これは非常に厳しいもので、大リーグ枠に入れるか試される。

  最近の野茂投手には、幸運の女神に嫌われているとしか思えない。2002年、2003年は、ともに16勝をあげ防御率も3点台で完全復活を思わせた。しかし、昨年は肩の故障で、不本意な成績に終わる。しかもチームは、プレイ・オフまで進出した。2003年の16勝も13敗のマイナス要因があるが、これは野茂投手の責任ではない。ドジャース打線の不甲斐なさが目立った。実に腹立たしかった。

  それにしても野茂投手は「うれしい」と言っている。チャンスを与えてくれたチームに感謝しているのだろう。今大リーグに行きたいといっているある人は、大リーグ枠を保証してくれとわめいている。10年の大リーグ経験を持つ野茂投手の行動をよく吟味したほうがいい。野茂投手は、まさに今年正念場を迎えている。何とか大リーグ枠に残り、ヤンキースやマリナーズの試合で、松井やイチローとの対戦を期待したい。幸運の女神もぜひ野茂投手に微笑んでほしい。

日本料理はいいですね!

2005-01-26 12:48:39 | 雑記
  若いときは考えもみなかった日本料理に対する敬意。今は心底世界一と思っている。日本料理は本来①米食と日本酒に調和する。②海山の産物に恵まれている。③旬を重視する。④水に恵まれている。⑤素材の風味を生かすしょうゆ、味噌、みりんなどの調味料。⑥かつおぶしと昆布のだし。⑦刺身などで包丁の冴えを見せる。⑧食器などの器の多様さが特色だと思う。この中で、①、⑤、⑦、⑧以外は、もはやその特色を失っている。

  それでも日本料理を礼賛するのは、私自身の加齢による嗜好の変化や日本食で育った日本人であることを割り引いて公平に見てそう思う。たとえば、和食ファミリーレストランの定食を思い浮かべると、刺身が深皿に美しく盛られ竹で出来た籠にてんぷら、小鉢に煮物、茶碗蒸し、香の物とご飯という取り合わせ。見た目は食べるのが惜しいくらいだ。一流料亭ならなおのこと。ファミリーレストランにも見られるような家庭料理でさえ、美的感覚に優れた日本料理もいまや継承を真剣に考えなければと訴える人もいる。その人によれば、海外の日本食ブームというが、国内では家庭での毎日の日本食摂取率が下がり、飲食業界でも日本料理の仕事を敬遠している若者が多いという。危機的状況になっているそうだ。何とかいい方策を見出し、解決してもらいたいと思う。

  素材を生かす調理法、多種多様な食器類(たとえが、フランス料理では丸皿しか使わないが、日本料理では丸、角、花、扇など変化に富む)に恵まれている日本料理は、年老いても食べる楽しみを与えてくれる。欧米の油脂の多い濃厚な食事に、高齢者はついていけるのだろうか。日本食に恵まれている私は幸せだ。私も時折料理をする。もう少し若いとき、今から20数年前にはフランス料理のソース、茶色いドミグラスソースの手作りに挑戦したこともある。何とか格好はついたけれど。今は、てんぷらを如何にプロ並みに揚げるかということに腐心している。私の生涯に出来るのか、はなはだ心許ない。

それは若い男の現象だけだろうか?

2005-01-21 14:32:59 | 雑記
  20日読売夕刊「女ごころ学」の記事。「何を話しかけても、『エー、まあ、はあ、そーですか』って感じ。最近、打てども響かない男が増えたと思う」という女性。続けて合コンで向かいに座った銀行員の男、その男に興味を持って、サーフィンが趣味というからどんな板に乗ってるの、どんな波が好きなのと聞くと「まあー、フツー」「特に」という返事。ある女性は「今の男性には、他人に自分の考えとか気持ちとかを伝えようというエネルギーが足りないんじゃないかな」とまで言われてしまう。

  こういう現象は、極言すれば今の日本で老若男女に当てはまるはずである。早い話が、お正月で帰郷して戻ってきた子供に、東京駅でインタビューを聞くと一様に「楽しかった」という。少し突っ込まないと、どのように楽しかったかは言わない。私の正月はDVDで映画鑑賞を楽しんだが、映画専門サイトに投稿したレビューを見ると「演技が見事、すばらしい、よかった」という表現が非常に多い。どのようにすばらしいのかがよく伝わってこない。常套句で済ませているだけという感じだ。

  なぜこんな結果になるのか。受験用の勉強を重視するのが一因だろうが、無視できないのが教師や親の対応である。子供が「楽しかった」「うれしかった」と言った場合、その言葉だけで納得してしまうことだろう。その時どのように楽しかったのか、うれしかったのかを突っ込んで聞く姿勢を見せれば、ずいぶん変わってくるだろう。最近の学力調査でも、日本の子供の表現力が乏しいことが裏づけられている。読書量の低下とともに、この辺の事情もあるような気がしてならない。若い男性の態度も嘆かわしい。今日は嘆き節になった。

ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」

2005-01-20 11:53:30 | 読書
  【ミセス・ダロウェイは、お花は私が買ってくるわ、と言った。】この書き出しで始まり、【やわらかいヴェールのような、灰色がかったブルーの朝の空気に包まれる。時間がたつにつれ、空気はほどけるように澄んでゆき・・・】ロンドンのこの上なく美しい六月の一日が始まる。この一日は、政治家夫人としてのパーティの日になっている。
  
  「意識の流れ」の文体で、老いゆく女性の、あるいは老いゆかざるをえない人間の悲哀を、生命力に満ちた六月のロンドンを背景に、美しくうたいあげた、20世紀文学の最高傑作といわれている。私が受けた印象は、老年のロマンティックな物語といってもいいのではないかと思う。
  
  さかのぼること30年。クラリッサ・ダロウェイはイングランド西部の屋敷で、恋人ピーター・ウォルシュ、旧友のヒュー・ウィットブレッド、夫となるリチャード・ダロウェイ、そして同性愛感情を寄せていたサリー・シートンなどが集まっていた夏。そのときクラリッサはピーターを拒み、リチャードと結婚する決意をした。

  そして今52歳のダロウェイ夫人がセント・ジェイムズ公園でピーターを思い出していた。心の奥底ではピーターを思う気持ちが澱(おり)のように固まっていた。そしてパーティは始まり進行しお別れの時間になる。サリーとピーターは椅子に座って取り留めない会話を交わしながらクラリッサを目で探す。サリーがリチャードにお別れに行ってくるというと【「僕も行くよ」とピーターは言ったが、ちょっとの間そのまま座っていた。このぞっとする感じはなんだろう?この恍惚感は?彼は心の中で思った。俺を異様な興奮で満たしているのはなんだろう?クラリッサだ、と彼は言った。そこに彼女がいたのだった】二人の気持ちが一致した瞬間なのだろう。

  ヴァージニア・ウルフの美しい文体は、ユーモアや比ゆが適当にちりばめられ、読むものにちょっとした休息を与えてくれる。たとえば、「玄関ホールは地下納骨堂のようにひんやりしていた」「ボタンのような丸顔のミス・ピムがすぐに出迎えた」「バラはなんとも新鮮な趣。まるで小枝細工の籠にのせられた、洗濯したての、フリルのついたリンネルみたいだ」。

  また、1920年代の風俗がみてとれ興味が尽きない。ピーターは思う、【この五年間―1918年(大正7年)から1923年(大正12年)までの―はどういうわけかとても重要な時期だったのではないだろうか、人の様子が変わった。新聞も変わった。今ではたとえば高級週刊誌のひとつに、トイレについて公然と書くやつがいる。十年前にはとても出来なかったことだ―高級週刊誌にトイレについて公然と書くなんてことは。それからこんな風に口紅やおしろいのパフをとり出し、人前で化粧するなんてことも。帰国の船にも若い連中がたくさんいたが、人前でも実に堂々とじゃれあっていた】1918年に第一次世界大戦が終わって、すべての転換期だったのだろう。

  ファッションも変化しつつあり、本に挿入されているヴァージニア・ウルフ本人のモノクロ写真は、透き通るような日傘に白い手袋、飾りのついた帽子、足首に届くかと思われる長いコートにひざまであるこれも長いマフラーを無造作に羽織っている。色はわからないが、淡い同色系統でまとめているように思う。当時の代表的なファッションなのだろう。ポーズが決まっていて、いい雰囲気である。映画「めぐりあう時間たち」からヴァージニア・ウルフにたどりつき、ウルフの別の作品にも食指を伸ばしかけている。

再び映画の話

2005-01-15 11:04:20 | 映画
  正月に借りたDVDを返して、また借りてしまった。「リクルート」で注目したコリン・ファレルの「フォーン・ブース(02)」とニコール・キッドマンが主演女優賞を受賞した「めぐりあう時間たち(02)」の二本。
  
  「フォーン・ブース」は、コリン・ファレルが高慢で嘘と見栄に凝り固まったゲスな芸能界の宣伝マンを演じている。出演三本目にあたる。電話ボックスに閉じ込められて、狙撃者に翻弄された挙句、群集の面前で懺悔させられる。途切れることなく緊張感を満たし、コリン・ファレルの懺悔の場面は、それこそまったく自然で演技の範囲を超えている。観る人を感動させた。間違いなくコリン・ファレルは、スーパースターになる素材だ。

  もう一つの「めぐりあう時間たち」は、かなり難解な映画で、一回観ただけでは理解できない。DVDのいいところは、求める場面を瞬時に取り出せることで、何回も観る者には便利この上ない。ニコール・キッドマンのほかにメリル・ストリーブ、ジュリアン・ムーアが出演している。いずれも演技の確かな女優たちだ。1923年(大正12年)、「ダロウェイ夫人」を執筆中のヴァージニア・ウルフを演じるニコール・キッドマンは、精神を病んだ人間を繊細な表現力で描き出す。1951年(昭和26年)の何不自由ない中流家庭主婦で「ダロウェイ夫人」を愛読する孤独で自分の居場所を見失っているローラ・ブラウンをジュリアン・ムーアが控えめな演技を披露する、ウルフとは本が接点となっている。2001年(平成13年)、ひと夏の恋人で、いまはエイズで苦しむリチャードの世話をする編集者のクラリッサ・ヴォーンをメリル・ストリーブが、微妙な心理描写を仕草や表情で観客に訴える。ダロウェイ夫人のフルネームは、クラリッサ・ダロウェイで、ヴァージニア・ウルフとの接点がこの名前とレズ傾向の性癖にある。時空を超えて三人の女性が、それぞれのパーティーの準備をする一日を描く。心に残る作品になっている。

  とりわけ心に残る場面は、駅のプラットフォームでロンドンに帰りたいと夫婦喧嘩をするウルフ夫妻。ニコール・キッドマンが断固として言う。「深い闇の底に沈み、一人でもがいている。でもその感覚は私だけにしかわからないことよ。どんな慎ましい患者にも自分のことを決める権利がある。それが人間性の証よ。」夫のレナードが「それじゃロンドンに帰ろう」としぶしぶ認める。そのときのニコールの控えめな笑顔が印象的だ。病めるウルフに対して助けの手を差し伸べたいと思わせるニコールの演技も秀逸である。

  また、ラストシーンでジュリアン・ムーアとメリル・ストリーブは顔を合わせるが、ジュリアン・ムーアの告白に最初は冷ややかな敵意すらみせていたメリル・ストリーブが、同情と共感に変化する様子が少ないセリフで目の表情や顔のしぐさで観るものを捉えて放さない。それにメリル・ストリーブの娘がジュリアン・ムーアに抱擁する場面は「後悔してどうなるの?」といっていたムーアが見せた今こそ後悔しているという表情は涙で画面が曇ったほどだ。

  女性同士のキス場面が三つある。このキスは性的なもので、レズ傾向を示しているのだろうと思っていたが、監督の解説によると一つ目ジュリアン・ムーアが近所の主婦キティとのキスは、絆を結ぶ欲求の現われ。二番目ヴァージニア・ウルフが姉と交わすキスは、姉の全エネルギーを吸い尽くそうとするもの。三番目メリル・ストリーブがサリーと交わすキスは、明らかにレスビアンのもの。私の感想は二つ外れた。

  エンディングにどの映画監督も悩むそうだが、ニコールの次のようなナレーションとともに、ヴァージニア・ウルフの入水の場面で終わる。「レナード、人生に立ち向かい、いかなる時も人生から逃れようとせず、あるがままを見つめ最後にはあるがままを愛しそして立ち去る。レナード、私たちの間には年月が長い年月が限りない愛と限りない時間が」

  「ダロウェイ夫人」を図書館で借りて読み始めたところだ。ヴァージニア・ウルフ本人の写真が挿入されていて、すらりとした痩せ形の体に、透き通るような日傘に手袋、飾りのついた帽子、足首に届くかと思われる長いコートと膝までの長いマフラーを無造作に首から垂らしている。なかなか優雅で素敵なファッションである。それに美人である。写真のピントが合っていないのでややぼやけているが。それでも大人の女性を感じさせる。このヴァージニア・ウルフも好きになりそうだ。

  ニコール・キッドマンの衣装も長めのワンピースで、ラストシーンのメリル・ストリーブの長めの黒いコートに長めのスカーフそれに長めの褐色のイヤリングは当時のファッションを少し取り入れたのかもしれない。実にいい雰囲気だった。愛、生と死、人生というテーマを時間に絡めて描ききった。

  最後に映画評の一つ「巧妙に構築され、まるでプリズムのような屈折光を通して観ているように、3っつの時代を流れるように前後する」ローラ・クリフォード/リーリング・レビュース誌

三転、四転の面白さ「覇者」!

2005-01-13 15:22:30 | 読書
  七歳の子供が誘拐され、水槽タンクに手錠でつながれて、注入される水で二時間もすれば溺れ死ぬという局面に直面するFBI捜査官タズ・ファロン。子供の父親は犯人の言う通りに、大型ごみ容器に身代金25万ドルの入ったブリーフケースを投下する。周囲にはFBIの車八台が包囲して監視体制を敷いていた。ようやく現れたのは、ゴミ回収トラックだった。トラックはごみ容器を空けて走り去った。そのとき、ごみ袋一個が引っかかってトラックに落ちなかった。FBIの車はトラックを列になって追っかける。五分後、犯人の車が現れ、出てきた男がごみ容器をたたく。中から25万ドルを入れたビニール袋を持って、もう一人の男が現れた。二人はFBIの車とは反対方向へ走り去った。犯人は大成功と思っただろうが意外にも、その様子を見ていたFBI捜査官ファロンが追跡を開始する。

  こんなのが随所に溢れかえっていて、予測が外れっぱなしだ。物語の本筋は、ナチが略奪した名画シスレー、ドガ、マチス、ルノワール、ピカソなどの絵画を取り戻すというもの。ファロンと国際美術財団のユダヤ系アメリカ人で美人のシヴィア・ロスが共同で絵画をさがす。この二人がいつベッド・インするかと思わせながら、やっとそのときが来るがフランス料理のような濃厚さはなく、和風料理に似てあっさりとしたものだ。

  ある映画監督が言っていたが、暴力シーンとセックスシーンは、誰が描いても同じようになるので、新味を出すのが難しく頭を悩ませると。私は思うのだけど、エベレストのテッペンでセックスシーンを撮るのはどうだろう?何はともあれ、この本はユーモアやウイットに富み大変面白い。

  著者は元FBI捜査官で、「覇者」は四冊目にあたる。ポール・リンゼイ講談社文庫2003.5刊

ナノテクノロジーの世界

2005-01-11 16:17:26 | 雑記
  9日付の新聞紙上で日本政府は「世界最高のスーパーコンピューターやナノテク装置など、十の基幹技術を今後十年以内に開発する」という記事が載っていた。2000年に当時のクリントン大統領が国家ナノテクノロジー戦略を打ち出し、多額の研究開発費を計上している。日本政府も遅ればせながら、世界一を目指すことにしたようだ。

  ナノテクノロジーは、十億分の一メートル級の超微細な世界。そう言われても想像もつかない。ただミステリーの世界から覗き見することは出来た。マイクル・コナリーの作品で「チェイシング・リリー」というのがあって、ナノテクの世界をミステリー仕立にしたものがある。人体の血流をパトロールし、そのあるじを脅かす病原体を破壊するバイオ・ロボットにエネルギーを与えるシステムを開発した天才科学者が嵌められるというお話。

  この本を読んでいて、10年以上前の大腸がん内視鏡摘出を思い出した。ナノテク技術が発達していれば、マグライトほどの太い内視鏡を突っ込まれずに済んだかもしれない。ナノテクであらゆる病気の早期処置が可能になって、今以上に長生きできることになる。将来的には平均寿命が120歳になる予測もある。科学の発達で、人類にばら色の人生を与えてくれることになるのだろうか。

日本ではインド洋津波災害義援金はどれくらい集まっているのだろうか!

2005-01-09 13:11:23 | 社会
   日を追うごとに増加する死者の数。そして被災者の困窮振りが報道されている中、アメリカからは、一般国民の寄付金が米政府の約365億円に迫り、4日までに210億円に達したという。それに加えて映画界のスピルバークが1億5千万円やマイクロソフトのビル・ゲイツ3億1千万円、大リーグ機構も選手会と話し合って1億円の寄付。ヤンキースも今年の開幕試合の売り上げから1億円を寄付すると発表している。ブッシュ大統領が100万円、父親のブッシュ元大統領とクリントン元大統領がそろって援助を呼びかけている。税制も寄付金の所得控除を、本来12月末までを1月末まで延長する法案に大統領が署名した。いかに国民に対し真剣に呼びかけているかよくわかる。

   わが国でも企業の寄付が発表されているが、どうも盛り上がりに欠けているように感じてならない。先ごろヤンキースの松井秀喜が5千万円を寄付したと報じられていた。日本プロ野球機構のホームページでは、3月14日に東京ドームでチャリティ試合を行うというだけだ。日本でいったい今どれくらいの金額が集まっているのか。どこも発表していないのでわからない。新聞やインターネットで調べているが見当たらない。見落としているのだろうか。途中経過もぜひ知りたいものだ。

   それから政治家は、国民に呼びかけと範を示してもらいたい。この辺の機動力が日本の政治家に欠けているように思えてならない。水をさしたくないが、うんざりする記事を読んだ。9日付けの読売新聞。援助国が援助金額を競って発表しているが、過去には実際の援助額が大きく下回ったことがあったという。また、被災国にも問題がある。義援金や物資の横領である。困っている人に困っている時に困っている物をどのように届けるか。人類の英知が試されている。

スタート、大腰筋トレーニング!

2005-01-08 14:19:30 | 健康
   新聞記事に、大腰筋(だいようきん)トレーニングを実践した結果、60代のご夫婦で、ご主人がフルマラソンを走り奥様もすこぶる体調がよく腰痛も出なくなったというのが載っていた。早速調べてアマゾンで購入、トレーニングを始める。

   私の場合、ウォーキングやジョギングは日常生活の一部になっていて、体重管理や体力維持に欠かせないし好きなスポーツといえる。ただ、前からウォーキングとジョギングの速度が遅くなったことや歩幅が短くなったといったことが気になっていた。そして、昨年11月末富士山の展望台として人気のある静岡県の愛鷹(あしたか)連峰の越前岳に登ったとき、下山途中の歩幅の合わない階段を大またで降りたため、腰を痛めて完治まで三週間ほどを要した。無理は出来ないと痛切に感じさせられた。腰に不安を抱えて、ジョギングを再開できないでいる。

   でこの本によると大腰筋が細くなると体全体の衰えに影響して腰痛や悪くすると寝たきりの原因になるという。私の場合もこの大腰筋が細くなったせいだろうと思われる。一条の光を見出したような気がして、今一度トライしてみる。どんな結果になるか楽しみな一年になりそうだ。ちなみに、本の著者は、筑波大学体育科学講師・医学博士久野譜也「大腰筋トレーニング&ダイエット」主婦と生活社発行