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映画 「ラスト・マップ/真実を探して(04)」

2005-10-31 17:54:35 | 映画
 亡くなった祖父の意思を尊重してその指示通りにボロのフォルクス・ワーゲンバンで回るロード・ムービー。

 レア家にはヘンリー(マイケル・ケイン)、ターナー(クリストファ・ウォーケン)の父、ターナーとその息子ジェイソン(ジョッシュ・ルーカス)、ジェイソンの息子ザック(ジョナ・ボボ)という家族構成で、ターナーは30年も寄り付かなかったのに突然現れる。祖父と祖父の愛犬スカイの遺灰を撒く旅に出る。

 その道中でターナーの事情やジェイソンの片足を引きずる原因が明らかになり憎悪を超えて家族の絆が強くなるが、今ひとつ印象に残らない。ヘンリーの死やターナーの現れた理由(想像は出来るが)、ジェイソンが妻と別居していて離婚するということも説明が足りない。原題の「Around the Bend」が「気が狂った」という意味らしいので、それらの欠けているのも仕方がないのかと揶揄したくもなる。


 とはいえ、私はロード・ムービーが好きで、この映画のように、アメリカ西部の夕日に輝く赤褐色に塗りこめられた岩山や夜、砂漠のキャンプ場で焚き火を囲むシーンなどを見ると旅心を刺激される。そして全編を彩るカントリー音楽も気分を癒してくれる。

 アメリカのごく普通の家族をさりげなく描いていて好感が持てるが、今ひとつインパクトに欠けていて惜しい気がする。それにしてもザックを演じたジョナ・ボボという撮影時6歳の子役は、初出演ながら物怖じしないで自然に振舞っているのには感心する。ザックの父親役のジョッシュ・ルーカスは、ラッセル・クロウの「ビューティフル・マインド」や、いま公開中の「ステルス」にも出ている。ジョーダン・ロバーツの初監督作品。この作品は劇場未公開という。

映画 クリント・イーストウッド監督の「ピアノ・ブルース(03)」

2005-10-25 12:49:27 | 映画
 2003年にアメリカでブルース生誕100年を記念して、マーティン・スコセッシの製作総指揮により音楽好きの監督たちが、アメリカ音楽のルーツとも言うべきブルースをそれぞれの思い入れでドキュメンタリー“THE BLUES Movie Project”7本を作り、これはそのうちの1本である。

 クリント・イーストウッドはチャリー・パーカーの伝記映画「バード」を始め、アカデミー受賞作品「ミリオンダラー・ベイビー」にも作曲していると聞く。「トゥルー・クライム」という小品のエンドクレジットにかぶせて、ダイアナ・クラールが歌う「Why should I care」も共同で作ったという。スローテンポでメロディラインが美しい。ジャズに造詣が深いことでも有名である。

 この作品のほかにヴィム・ヴェンダース監督「ソウル・オブ・マン(03)」マーティン・スコセッシ監督「フィール・ライク・ゴーイング・ホーム(03」マイク・フィギス監督「レッド、ホワイト&ブルース(03)」リチャード・ピアース監督「ロード・トゥ・メンフィス(03)」チャールズ・バーネット監督「デビルズ・ファイヤー(03)」マーク・レヴィン監督「ゴッドファーザー&サン(03)」がある。

 イーストウッドのナレーションを引用すると“20世紀初め、ピアノは米国音楽のルーツに入り込みブルースの主楽器となった。ピアノ・ブルースは、酒場や伐採場や売春宿や教会でも演奏され、ミシシッピ、ルイジアナ、アラバマ、テキサスの一帯からニューオーリンズを経てシカゴハーレムへと急速に拡大、1920年代から現在までピアノ・ブルースは米国音楽の確かな礎であり続けている。ブギ・ウギ、ジャンプ・ブルース、ストライド、ゴスペル・ブルース、リズム&ブルースを始めあらゆるジャズに取り入れられてきた。これはピアノ・ブルースに深い足跡を残す演奏家の物語だ。ピアノ・ブルースはジャズを包んできた。酒場のピアノ弾きの孤独もデューク・エリントンの洗練もビ・バップの熱気もブルースはすべての土台だ。ブルースとジャズは、真の意味での米国芸術だと思う。おそらく唯一の独自の芸術形式だ。”

 耳を澄まして演奏に聴き入るとよく分かる。天才カントリー・シンガーのハンク・ウィリアムスやエルビス・プレスリーの曲に色濃く反映されている。アメリカン・ポップス全体にも影響を与えているはずだ。この作品に出てくるレイ・チャールズやジェイ・マクシャン、ドクター・ジョンなどの話を聞くと子供のころからブルースに囲まれた環境だったことが分かる。レイ・チャールズなどは、カントリー音楽もよく聞いていたという。レイ・チャールズの音楽的感性はより鋭敏だったこともうなずける。

 また、アート・テイタムについて“鍵盤は88鍵で指は10本なのに二人分に聞こえた”といって、その豊かな音量と表現力に驚嘆していた。現在アート・テイタムに近い演奏家は、オスカー・ピーターソンだそうだ。そしてこの映画は、イーストウッドが愛国の歌もブルースになると言って、レイ・チャールズが“America the Beautiful”を歌って終わる。ちなみにこの映画は、劇場未公開である。

ミステリー デイヴィッド・エリス「覗く」

2005-10-21 15:04:30 | 読書
 著者は弁護士として民事と刑事の面で多くの裁判にかかわった経験を持ち、この作品は初めて上梓したにも拘らず2002年度のMWA(アメリカ探偵作家クラブ)の最優秀処女長編賞を受賞した。

 スキの無いプロット、意外性と緊張感、決して高潔といえない主人公ではあるが、人並みの悩みや過去の忌まわしい記憶が影を落とし物語に厚みを加えている。覗き趣味を持つ投資銀行勤務のマーティー・カリッシュは、ある木曜の夜外科医デリック・レナードの妻が演じるいつものショーを待っていた。企業のCEO,医師、弁護士、元州知事などが住む郊外住宅地に建つ瀟洒な屋敷でレイチェル・レナードは、絹のネグリジェに包まれた体を両手でさすり、鏡の中の自分を見つめ、音楽にあわせて体を揺するショー。

 しかし、今夜は違っていた。夫のデリックに殴打されているレイチェルを目撃する。テラスの窓を破ってデリックともみ合い、その死体を運び出して埋める。捜査が進みカリッシュは殺人罪で起訴される。弁護側の法廷戦術に目新しさを感じる。少なくとも私の読んだミステリーの範囲内では初めてだ。映画などで刑事が逮捕の前に容疑者に対しミランダ準則、黙秘権や弁護士の立会いを求める権利について説明する場面を見ることがある。このミランダ準則をめぐって法廷は熱くなる。

 そのミランダ準則の説明を引用すると“ある人間が容疑者として「勾留」された場合、黙秘する権利や弁護士の立会いをもとめる権利について、「尋問」される前に説明を受けなければならない。容疑者が「尋問」されるということは、答えた場合、自らを有罪に導きかねない質問を受けることである。戸外は晴天だろうかと警官に訊かれても、尋問されたことにはならない。ミランダ準則は適用されない。女の亭主を殺したのは君かと訊かれたら、それは尋問されたことになる。したがって弁護士は、刑事がカリッシュのことを殺人事件の容疑者視していた旨、人々に納得させようとするだろう。カリッシュを容疑者として指し示す、すべての理由を列挙するだろう。もしもカリッシュが合理的な容疑者になれば、カリッシュに対する刑事の質問は、有罪に導く返答を引き出すためのものだったことが、より明確になるからだ。言葉を変えると、カリッシュの弁護士が能力のすべてを動員して試みるのは、取調室で刑事の目に映ったカリッシュがいかにも怪しかったと、人々に思わせることなのだ。一方、カリッシュを逮捕した刑事がやろうとしているのは、突然の告白で驚かされた瞬間まで、自分はカリッシュを守護聖人視していたとの印象を与えることだ。これがアメリカの司法制度の姿である”

 よく言われることであるが、検察は証拠を集めて完璧に犯人であることを立証しなくてはならない。しかし、被告側は陪審員に合理的な疑いを抱かせればいい立場である。法廷ではこれらをめぐって熾烈な争いが演じられる。この物語も意外などんでん返しが待っていて、スコット・トゥローやジョン・グリシャムに肩を並べる日が来るような期待を持たせる。

 著者はノースウェスタン法科大学卒業後、シカゴの法律事務所のパートナーとなり、主に商法関係の訴訟と行政法を専門としている。読んで損のないリーガル・サスペンスである。

先ずは好意的な論評の党首討論

2005-10-20 15:39:52 | 社会
 19日に行われた小泉首相と民主党前原代表の討論について、新聞各社の社説の論調はほぼ好意的で今後に期待感をにじませたものだった。うち産経だけが掲載が無かった。

 一般国民も社説の論調と同じ感想を持った人も多かったのではないだろうか。私の印象は前原代表の論理的な組み立てに対し、小泉首相のはぐらかしが利かなかったと思う。

 特に印象的なのは、今後50年先を見据えたとき情報収集の重要性を指摘したことで、米国依存状態がいいのかという点だった。それに対し現状では仕方がないという首相の返事であったが、こういう問題は党派を超えて議論するべきだろうし実現に向けた協力も惜しまないでほしいと思う。今回は外交・安全保障問題であったが、内政問題になると利害が際立ってくるため、どのような対応になるのか興味深い。

 今回は比較的高いレベルの討論だったが、もっと言えば青筋立ててけんか腰でなく(そういう場面もあった)、気の利いた比喩やユーモアを交えた討論を期待したい。とはいっても、かつての英国チャーチル首相級のウィットやユーモアを期待しているわけではない。せいぜい努力して近づいてもらいたいとは思うが。

困った男 靖国参拝の小泉

2005-10-18 17:15:58 | 社会
 18日付けの新聞各社の社説は、小泉首相の靖国神社参拝について、それぞれの意見を表明している。その中で全面的に支持しているのが産経新聞一社のみだ。他の朝日、読売、毎日、日経はいずれも否定的である。

 いくら工夫して今回のような形の参拝をしても中国や韓国の反発は抑えられない。靖国参拝を続けるのは自分の信念として公約したからだという。しかし、この公約を国民の多くが受け入れているわけではない。世論調査では、ほぼ45%前後で賛成・反対が拮抗している。郵政民営化の国民投票的な衆院解散選挙に世論調査結果の「民営化に賛成が多い」を参考にしたのであれば、(当然していると思う)靖国参拝を見送る理由が立派にあるのではないか。「民意が熟していないので、しばらく参拝を見送る」といえば言い。

 口先だけの説明ではなく、行動も伴ったものが必要だろう。首相が意固地になっている印象が強い。中国や韓国にも同様の印象を持つ。日本経済に輝きが見えてきたというのに、悪い方向に向かうのだけは止めてほしいと願わずにはいられない。

ミステリー シルヴィア・マウルターシュ・ウォルシュ「死、ふたたび」

2005-10-16 13:33:31 | 読書
 レベッカ・テンプル医師は、最愛の夫デイヴィッドを糖尿病で亡くしてから、ほぼ一年近くになろうというのにいまだに立ち直れないでいる。デイヴィッドの母セイラも喪失感にさいなまれていたし、セイラの過去もナチス・ドイツによるユダヤ人などへの組織的絶滅計画、いわゆるホロコーストで家族のほとんどが犠牲になり、かろうじて妹が一人生き残ったに過ぎない。そして今回の息子の悲劇が追い討ちをかけていた。

 時代背景は1979年。ポーランドから白血病の娘ナタールカを連れたハリーナが訪れる、ハリーナの元亭主ヤネクとマイクル・オージーンスキ伯爵も追いかけるように訪れる。
 伯爵は、第二次大戦中ハリーナに助けられたという初老の痩身で背が高くハンサム、金ボタンのついた濃紺のブレザーという装い、波打つライトブラウンの髪の毛は、淡い黄色のシャツの襟に軽く触れていて、日焼けした顔、髭をきれいに剃り、高価そうなコロンの香りを漂わせている。ハリーナがセイラを紹介したとき、握手の代わりにセイラの手を口元へ持っていき、そっと唇に押し当てた。優雅な装いと魅入られるような作法の伯爵に、レベッカも強い関心を持つ。

 マイクル・オージーンスキ伯爵の自宅に招待されたレベッカ、セイラ、ナタールカが屋敷に着いたとき、マイクルはプールの底に沈んでいた。事故なのか事件なのか、レベッカの謎解きが始まる。

 生前伯爵から1750年ごろを舞台にした歴史小説を書いる事を聞かされていた。残された原稿を読むことと現実の日常が並行していて、しかも違和感なく読者に届く。実に的確なプロットと繊細な表現は、時間を忘れさせてくれる。最後に犯人が明らかになるまで緊張感は途切れない。ページの最後を閉じたときセイラ、レベッカ、ナタールカの絆が結ばれて、歓喜に満たされる。

 著者はドイツのシュトゥットガルト生まれ、4歳のときカナダへ移住。この作品は二作目で、2003年アメリカ探偵作家クラブ最優秀ペーパーバック賞を受賞している。

ミステリー T・J・マグレガー「エヴァーグレイズに消える」

2005-10-12 13:00:08 | 読書
 子供のころ、透明人間になりたいと思ったことが誰にでも一度はあるのではないだろうか。果物屋さんやお菓子屋さんの店先の美味しそうな食べ物を見ると、チョットいただいて行こうかなといたずら心が頭をもたげ、透明人間なら堂々といただけるかも?とつい思ってしまう。

 この透明化の使い道を考えてみると、透明なスパイから透明なテロリスト、透明爆弾、透明飛行機、透明軍事施設。これらが実現したらと思うと胸が悪くなる。透明化に異常な関心を示すのは、よからぬ人間がよからぬことに使いたがるからだ。

 しかし、透明になったからといってすべてが都合よくなるわけではない。透明人間も、暑い日には熱気を感じるし熱気を感じれば汗をかくが、いくら日差しを浴びても日焼けはしない。太陽のおかげでビタミンDが十分に得られ有害な紫外線は悪影響を及ぼさない。鏡に自分の姿が映らないのが難点だが目じりや喉に指で触るとすべすべしている。濡れたときには姿が現れ鏡でおぼろげな自分を見ることが出来る。ただ食べたものは消化するまではその醜悪さが外から見える。衣類をつけても顔や手の肉体は透明で衣類だけが浮き上がる。透明の衣類なら話は別だが。この本もまさに透明化の人体実験に端を発する。

 ローガン・グリフィンとその夫タイラーは、3万ドルでテスラ・プロジェクトの人体実験に応じた。キーンという鋭い音とともに強烈な光が炸裂して透明化されるが、ローガンは何故か騙された気がしてその場を逃げ出す。

 フロリダ州エヴァーグレイズ国立公園で、キャンプ休暇を過ごすため訪れた医師のアンディ・タウンゼント、不動産セールの妻レニーと娘のケイティの三人はカヌーでキャンプ地を探すうち、迷ったらしく人間も野生動物もいない村に行き着く。そこで強烈な光の洗礼を浴び透明化される。

 モニターで見ていたテスラ・プロジェクトのリーダーはこの三人を被験者不足には好都合とばかり捕まえにかかる。追跡と反撃。銃創を負って瀕死の状態にあった男に手のひらをかざし、眼窩を裏向けて精神を集中すると傷が閉じ癒えるという呪術によって解放されたりしながら、物語はハッピー・エンドで幕を下ろす。

 著者はかなりの作品を書いていて超能力や超常現象など現代科学では解明されていない分野が主なテーマで、臨死体験、UFOによる誘拐、霊能ヒーリング、精神感応、予知能力、霊視などである。

 この本のテスラ・プロジェクトのテスラは、ニコラ・テスラのことで訳者あとがきや百科事典から引用すると、“Nikola Tesla1856年7月10日生1943年1月7日没旧ユーゴスラヴィア電気技師・発明家。一般には交流モーター、交流発電機、高周波コイル、遠隔無線操縦、高周波照明、高周波治療システム、X線装置などの発明者とされている。その業績はノーベル賞の有力候補にのぼり、磁気の国際単位にその名をとどめる。1884年にアメリカに渡り、エジソン電灯に採用されたが、エジソンは直流電流、テスラは交流電流を提案して対立。テスラは交流電力事業を推進し、後に交流が主流になった。以来エジソンとは確執が深まる。奇人扱いもされていて、女性に関心がなく、一生を独身で通し、晩年は人間よりもハトを相手にする方を好んだ。テスラの研究には、人工地震、レーダーや誘導ミサイル、殺人光線など兵器に転用できるものがあったため、彼の未発表論文やノートなどは死後、米国政府に押収され極秘とされた。”

 著者T・J・マグレガーは、このうち磁気にヒントを得たようだ。1947年ヴェネズエラ生まれ。大学卒業後、スペイン語の教師やトラベル・ライターを経て、作家となる。デビュー作は1985年の「ささやく影」。「エヴァーグレイズに消える」は2003年度MWA(アメリカ探偵作家クラブ)賞の最優秀ペーパーバック賞を受賞している。

映画 ジュリア・ロバーツ「モナリザ・スマイル(03)」

2005-10-08 13:41:17 | 映画
 オークランド州立大の頃から、キャサリン・ワトソン(ジュリア・ロバーツ)は“家柄より頭脳で勝負する講師”と言われ、リベラル志向で個性的な彼女が、全米で最も保守的と評判の女子大ウェルズリー大学の美術史講師の席を獲得する。そして校風に同化するのでなく、自分ならではの変化をもたらしたいという野心も抱いていた。

 1953年秋、新学期が始まって最初の授業が散々な結果に終わり、学校側から次回はもっとしっかりしたものにという注文がつけられる。その散々な結果になった原因が、良家の子女だかなにか知らないが、小生意気な鼻持ちならない連中で、予習を完璧にこなし、スライド映像を次から次に解説してしまう。挙句の果てにワトソンが話している最中にも拘らず、一人の女子学生がさえぎって“お話がなければ自習します”といってワトソンの承諾も待たず退席して最大の侮辱を与える。映画は観客が「生意気な小娘め!」と思ってくれれば導入部は成功だ。

 そして、ワトソンは次の授業で逆襲する。観客はほっとしてワトソンいいぞ!と心の中で叫んでいるはずだ。その授業で彼女が言いたかったのは、“絵を越えてその先にあるものを見るの、新しいアイデアに心を大きく開いて”自分というものをしっかりと理解し他人の言葉に惑わされずに見極めていくということなのだろう。大の大人でも難しいことではあるが。

 今から50年前の時代背景で、このDVDのメイキング・ドキュメンタリ集に「大学の今と昔」のメニューで1953年と現在の比較数字が出ていて興味深い。

アメリカ女性の結婚年齢 1953年21歳、2003年28歳
卒業後就職する女性の割合 1953年40%、2003年95%
入学時、自分は処女だと答えた女子学生 1953年85%、2003年22%
婚前セックスを経験した女子大生 1953年24%、2003年95%

 当時のウェルズリー女子大では高い教育のほかに、同じボストンにあるハーバード大の彼を見つけるのが目的だった。卒業後すぐ結婚というパターンが多く結婚年齢21歳がそれを物語っている。したがって良妻になる教育が徹底されていた。ディナーパーティのマナー、食前食後の会話術など。

 主要キャストの俳優たちには2週間の合宿形式で、当時のテーブルセッティング、舞踏会のマナー、カップの持ち方やタバコの吸い方、足の組み方の作法まで教え込まれたという。二十歳位の若い女優たちが映画の主要な部分を占めていて、決して美形ではないが、クローズ・アップで捉える表情は高度な演技者への自信が窺える。

 1950年代から約10年後頃から男が持つ“あるべき女性像”を崩した女性解放運動(ウーマンリブ)が始まり、1970年代に入ってピークを迎える。女性が進歩したのに比べ、男は保守性を維持したがっているように見える。この映画が「人生は選択」というテーマを扱っていながら、あまり印象に残らないのは何故なのだろう。描き方が散漫なせいなのかもしれない。

 ウェルズリー女子大は、ヒラリー・クリントンの母校でもある。なるほど、夫が大統領時代、研修生のモニカ・ルインスキーとのセックス・スキャンダルにも、動じないで良妻振りを発揮したのも良妻教育の賜物か。

 2003年度のこの映画の監督はマイク・ニューウェル1942年イギリス生まれ。1980年から監督業、2005年は「ハリー・ポッターと炎のコブレット」を監督。キャストジュリア・ロバーツ(キャサリン・ワトソン)1967年10月ジョージア州生まれ。キルステン・ダンスト(ベティ)1982年4月ニュージャージー州生まれジュリア・スタイルズ(ジョーン)1981年3月ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。「ボーン・スプレマシー」にも出ている。マギー・ギレンホール(ジゼル)1977年11月ロスアンジェルス生まれ。ジニファー・グッドウィン(コニー)ドミニク・ウェスト(ビル)1969年イギリス、イングランドシェフィールド生まれ。ジュリエット・スティーヴンソン(アマンダ)1958年生まれ。マーシャ・ゲイハーデン(ナンシー)1959年8月カリフォルニア生まれ。「スペース・カウボーイ」「ミスティック・リバー」他があるが記憶にない。エルトン・ジョンの「The heart of every girl」がゴールデングローブ、放送映画批評家協会賞の歌曲賞でノミネートされている。

ワイン好きには楽しい ジョイ・スターリング「カリフォルニア・ワイナリーの四季」

2005-10-04 13:14:46 | 読書
 ピザ、てんぷら、パスタ料理やチーズ類に合い、ポリフェノールが体にいいと言われたこともあって飲んでいたワインだが、知識は全くなく、写真の載った小さな本があるだけだった。

 それが最近観た「サイドウエイ」という映画が刺激になって、この本を読む気になった。この本は単に「ワインとは」というような説明的な本ではなく、自らのぶどう園の一年を通じてさまざまで広範な仕事のことや些細なこと例えばコルクについてなどや家族の交流、フランスのワイナリーとの交歓など、レーガン元大統領時代以降のホワイト・ハウスで、ここのワインが乾杯に使われているという自慢話も含めて、少しのユーモアとワイン造りに注ぐあふれる情熱や時には社会批評も交じる好ましい読み物となっている。

 今から14年前の1991年の一年間を、カリフォルニア州ソノマにあるアイアン・ホース・ヴィンヤードでの出来事を記してあって、1996年に日本でこの本が出版されてもう9年も経っている。ワイン市場も変化があってチリやアルゼンチン、オーストラリア、ニュージランド、南アフリカのワインも目にする。カリフォルニア・ワインもシェアを伸ばして来つつあるようだ。

 著者の息遣いが聞こえるようで、大地やぶどうに対するこまやかな愛情があふれていて、ワインについてますます興味が湧いてくる。何事も簡単なものではないが、ワイン造りも大変なことがよく分かる。ぶどうの木が安定して熟した実がとれるまで10年かかるという。それから熟成期間が短くても3~5年はかかる。14~15年の時間が必要になる計算だ。

 また、興味深い記述として“アメリカでワインを売るのは五十ヵ国に売っているのと同じだ。禁酒法の廃止により各州はそれぞれ独自の酒類法の採用が許可された。私たちが酒類の販売許可を持っている店やレストランなどに直に出荷できるのは三州(カリフォルニア、オレゴン、ワシントン)だけだ。私たちはワイナリーと顧客の仲介役となる卸売業者を通さなければならない。”

 それから瓶に栓をするコルクについては“コルクの品質はワインの熟成にとって非常に大切だ。完璧なコルクは無臭で密度が均一。最高のコルクはポルトガル産で、10年に一度ずつはがされるコルクの樹皮を二年かけて乾燥させたものだ。”

 私たち消費者にとってもう一つ大事なことがあって“ワインはグラスによって味がまるで違ってしまう。赤ワインの方が白より影響を受けやすい。スパークリング・ワインが一番神経質。口が大きいグラスだと味が抜け、別のワインが入った後のグラスだと抜け殻のような味しかしない。”という。

 私はトヨタ自動車の車に乗っていないが、ここにうれしいことが書いてある。“フォレスト(著者の夫)は1990年型のBMWを売ってトヨタのランドクルーザーを買った。BMWはランチ向きではないというのだ―畑には乗り入れられないし、ぴかぴかにしておくことも出来ない。ランドクルーザーは汚れていてもクールに見える四輪駆動のヘビーデューティ・カーだ。フラップの下に泥がついているのは当たり前。もちろん、フォレストは近所で真っ先にそれを買った。車はフル装備、サンルーフにムーンルーフ、CDプレイヤー、どのドアにもスピーカーがついている。ヒールズバーグとセバストポルに住む誰もが、ビヴァリーヒルズやニューヨークから訪れてくる人々と同じように羨望の目を向ける。彼らの訪問のハイライトは、フォレストや私とこの車でエルヴィン・ビショップのCDを聞きながらぶどう畑を回ることらしい。彼らはBMWについては「素敵な色ですね」としか言わなかった”アメリカにも名だたる4WD車があるというのに。

 気分がよくなったついでに、今夜はカリフォルニア・ワインのカベルネ・ソーヴィニヨンを、いいグラスで試してみよう。