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北朝鮮の元工作員の証言

2005-07-31 12:51:33 | 社会
 28日衆院拉致問題特別委員会に、初めて元工作員安明進氏の証言があり「目撃したり生きていたりとの情報を持っている日本人は15人はいる」と言う。

 早速サンケイ社説は「安氏の国会証言、拉致解決へ新たな決意を」と題しあたかも疑問の余地のない証言として受け止めている気配がある。案の定、蓮池薫さんの反論が出た。蓮池さんは「私がどこにいたかと言うことに関して多少の思い違いがある」と言い、安氏が「蓮池薫さんを平譲にある現在の金正日政治軍事大学で目撃した」と陳述したが、蓮池さんはコメントに中で「金正日政治軍事大学にいたことはなく、安氏に会ったことはない。私たちが知っていたり目撃した拉致被害者の情報はすべて国や家族に話している」とした談話を発表している。

 安氏のこの証言について、他の新聞社は社説で全く取り上げていない。拉致問題は国民的関心事であるにも拘らずにだ。これは何を意味するのだろうか。それは裏づけが取れないからだと思う。蓮池さんの談話も現段階では裏づけが取れないことは確かだ。それではここは静観しかない。

 それにしても、この安氏という人物が日本の国会で証言するということ自体がミステリーに思えてならない。何故なら、北朝鮮側に立って考えれば、自国に徹底的に不利な証言なら安氏を消すことはたやすいはずだ。というわけで、どちらを信じていいのかわからない。今後10年か20年後に驚くべき真相が明らかになるのではないだろうか。いづれにしても、一人の人間の証言や談話に惑わされることなく、冷静に対処すべきだと思う。

ジェイムズ・クラムリーのハードボイルド「ファイナル・カントリー」

2005-07-29 14:26:36 | 読書
 60歳になる私立探偵ミロ・ミロドラゴヴィッチ。年の割にはタフで酒も強くセックスにも強い。女二人を相手に三人プレイまで演じる。コカインなんかも適度に吸引しながら銃撃や殴り合いにもひるまない。テキサス州の私立探偵免許を取り、人探しから犬探しまでこなす。

 こんな仕事ばかりでは報酬も知れたもの。「私は数年前に、盗まれた父親の遺産を取り戻し、おまけに国外の銀行に隠されていた“洗浄されていない”麻薬の資金をかなり多額に入手した。生まれて初めて手にした本物のカネだった。しかも相当の額だ」という記述があって、カネには困らないというわけだ。

 今回も、何よりの楽しみは玉突きの賭けという家出をした若妻を探すため酒場に向かう。若妻にたどり着いたと思えばまた別の人物を探す羽目になってしまう。鼻から息を吸い込むと、冬の冷気が頭蓋骨まで達してチリチリと痛む季節というのに、男たちは血みどろの殴り合いや肉を焼き粉々にぶちまける銃撃にわれを忘れているようだ。複雑な入り組みを経て物語は収まる。一度読んだだけでは分かりづらいが、アメリカン・ミステリー独特のひねったユーモアや風景描写の余情も書き込まれていて楽しめる作品になっている。

 導入部の一部に“私の故郷モンタナにはすでに厳しい秋が訪れているに違いない。メリウェザー・ヴァリーを取り囲む峰々の頂や高い尾根は厚い雪でおおわれ、コトンウッドの枝は骸骨の指のように葉が落ち、黒ずんだ松の木立の中でカラマツの葉が黄金色に染まり、氷結が岸をくっきりときわだたせる渓流沿いにヤナギが色づいているだろう”とある。

 2002年度の英国推理作家協会賞シルバー・ダガー賞を受賞している。

映画 ロバート・デュヴァル、ケヴィン・コスナー「ワイルド・レンジ最後の銃撃」(03)

2005-07-25 14:02:32 | 映画
 ケヴィン・コスナーの製作、監督の男っぽい西部劇。まさに男を描いているが、その背後に女の強さと包容力を垣間見せてくれる。ラストに向かってちょっとご都合主義がのぞくのは残念だけれど、雄大な草原の映像は心が和む。見ながらこんなキレイな場所でキャンプが出来たらいいなー。とつい思ってしまう。

 画面では、ボス(ロバート・デュヴァル)、チャーリー(ケヴィン・コスナー)、バトン(ディエゴ・ルナ)、モーズ(エイブラハム・ベンルービ)たちカウ・ボーイがキャンプをするのでなおさらだ。この4人のカウ・ボーイはフリー・グレイザーと言って、草原を移動しながら牛を育てる人々のことらしい。当然牧場主からは嫌われる。町でモーズが牧場主の一味に痛めつけられて、ボスとチャーリーたちとの対立が始まる。攻めるか引くかボスとチャーリーが話し合う。
ボス   「この国を旅するのに他人の指図を?あの牧場主 保安官の話の間 せせら笑い最後に偉そうに命令を下しやがった。はらわたが煮えくり返る」
チャーリー「モーズの借りは返さにゃ、鞍をつけよう」

 映画だから当然悪いヤツは全員死んでしまう。銃撃シーンも鮮やかさと鈍重さが混在してリアルさが出ている。ボスのロバート・デュヴァルは、老カウ・ボーイを円熟した味で演じている。コスナーのチャーリーについてはチョット複雑で、南北戦争で多くの人を殺したため人を殺すことに何のためらいもないし、傷ついた相手にとどめの銃撃もいとわない。この役をやるにはコスナーの目が優しすぎる気もする。お互い惹かれあっている医者の妹スー(アネット・ベニング)に「あなたはそんな人じゃないわ」と見抜かれる。だからチャーリーが殺気立った殺し屋風でも困る。ケヴィン・コスナーがミスキャストとは言わないが、難しいところだ。久しぶりの西部劇を堪能した。エンディング・ロールのJulianna Rayeが歌う「Holding all my love for you」も心にしみる。

映画 アダム・サンドラー「パンチドランク・ラブ」(02)

2005-07-20 15:11:26 | 映画
 この映画を監督したポール・トーマス・アンダーソンは1970年生まれで非常に若く、いままでに「ブギ―・ナイツ」や「マグノリア」その他を製作していて、作品の評判も良いようだ。

 7人の口うるさい姉たちの末っ子で独身のバリー(アダム・サンドラー)は、すぐキレたり泣き出しそうになったりする精神的な問題を抱え、本人も自覚していて悩んでいる。独身の寂しさからバリーはテレフォン・セックス広告に惹かれて電話をする。その結果、脅しが襲ってきておまけに男が三人カネの取立てにやってくる。バリーはなけなしの500ドルを渡す。

 一方姉に仕組まれて付き合い始めたリナとハワイでデートを楽しむ。ハワイからリナと戻る途中で思いっきり車をぶつけられる。ここでバリーはキレる。襲ってきたのは、500ドルを渡した時の三人のバカ男で、こてんこてんにやっつける。

 ここでは観ている私は快哉を叫ぶ。このごろ現実社会でも詐欺が横行していて、せめて映画の中ででもこてんこてんにやっつけてくれないと気が収まらない。それにしてもバリーはいい時にキレてくれたと思う。おそらくアメリカの映画館だったら、口笛や拍手で騒然としたのではないだろうか。と思うのは私だけか。

 アダム・サンドラーは、1966年ユダヤ人家庭に生まれる。学生のころからスタンダップ・コメディに没頭、「サタデー・ナイト・ライヴ」のレギュラーを5年間務める。

 この「サタデー・ナイト・ライヴ」は、米NBCで土曜夜生放送の番組。コメディ・ショーと音楽ライヴで構成され、大物俳優、ミュージシャン、有名人などがゲスト出演することで知られる。ジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド、エディ・マーフィーなどの大スターが生まれている。相手役のエミリー・ワトソンは、1967年ロンドンに生まれる。チョットお年を感じさせる。

 まあそれはともかく、この映画は単なる恋愛コメディではない。男は女を守るのが義務だぞ!と言っているようでもある。最後のエンディング・ロールに入っているLADIES Kの曲「WAIKIKI」のハワイ音楽もいい。

読んだ本 ピーター・デクスター「ブラザリー・ラヴ」

2005-07-15 13:05:13 | 読書
1986年6月11日付
労働組合の兄弟、百マイル離れて狙撃さる
 昨日、南東ペンシルヴァニア労働組合評議会議長マイケル・フラッドとその兄、ピーターを含む三人の男性が射殺された。警察当局によれば、犯罪組織による銃撃とのことである。
 マイケル・フラッド(32)、そしてアッパー・ダービーのレナード・クロウリー(29)は、引退した屋根職人組合の組合員、ウィリアム・オコナ-所有のテラスハウスの地下で死体となって発見された。二人とも、至近距離からショットガンで撃たれていた。
 同日の早い時刻に、ピーター・フラッド(33)が、百マイル離れたニュージャージー州ケープ・メイの本人名義の別荘の裏庭で、やはり死体となって発見された。彼は役員として同労働組合評議会に名を連ねていた。と新聞記事は伝えた。
 
 新聞記事の背景を、主人公ピーターの8歳からの生い立ちが綴られる。この人の文体が独特で訳者あとがきに「研ぎ澄ました文章と悲しいユーモアを漂わせる会話で描ききる」という。私には力不足でそこまで感じられなかったが、読んでいて引き込まれるのは確か。

 導入部を引用してみよう。“8歳になるピーター・フラッドは、テニス・シューズをはき、この寒さと風に立ち向かうには薄すぎるジャケットを着ている。服は自分で着ることにしている。彼の母親はいつも疲れているからだ。雪が庭一面にうっすらと積もっていて、妹の真新しい足跡が、玄関のステップから、今立ち止まって自分の手袋をじっと見ているその場所まで続いている。あちらこちらで芝が顔をのぞかせている。ピーターはその葉が湿って、うなだれているのに気づく―疲れているんだと思う。表に出ようと必死で背伸びをして、埋もれたくないという芝生の気持ちが、彼にはわかる”

 屋根職人組合を牛耳るアイリッシュ、裏通りを支配するマフィアとのつばぜり合い。暴力が支配する世界で性格が全く違うマイケルとピーター兄弟の物語。独特の魅力のある作家だと思う。この本を読んでなぜかアメリカ最大の労組委員長ジミー・ホッファを思い出す。1975年6月の失踪事件がいまなお解決していない。マフィアに殺されたのか?憶測が飛び交う。

映画 「ニューオーリンズ・トライアル」(03)

2005-07-12 11:20:37 | 映画
 原告側と被告側にそれぞれ陪審コンサルタントがつき、陪審員選びから激しい駆け引きが行われる。自分たちに有利な陪審員を選べれば、裁判は勝ったも同然といわれる。

 原告側弁護士ローア(ダスティン・ホフマン)と被告側陪審コンサルタント、フィッチ(ジーン・ハックマン)それにニック(ジョン・キューザック)マーリー(レイチェル・ワイズ)のカップルが織り成す至上の騙しのテクニックや不法侵入調査、さげすみに満ちたやり取りなどが裁判の裏でエンターテインメント性豊かに展開する。

 事の発端は、ある日の朝証券会社で、男が16人を死傷させ自殺するという事件が発生する。その2年後、被害者の一人の遺族が、銃の無差別な販売によって夫が殺された原因だとして、銃器メーカーを相手取って損害賠償を求める民事訴訟を起こす。

 映画はハイテク機器を備え陪審員の背後を徹底的に調べ上げる凄腕陪審コンサルタントの緊迫感のある映像が楽しめ、ニックたちが仕掛ける罠も見応えがある。それに加えて典型的な正統派弁護士の、この裁判を通じて法を変えようとする実直な正義感がさわやかな印象を与えている。

 ジーン・ハックマンとダスティン・ホフマンは、若いころ友人関係にあったという。共演はこの作品が初めてだそうで、二人が対峙するトイレの場面は核心部分だ。この場面の終わりごろ、稼ぎのいい凄腕陪審コンサルタントのハックマンの本性が現れる。
 「連中(陪審員)は、真実と正義とアメリカの理想など屁とも思っていない」と言ってはばからない。そして、トイレのドアを引きながらホフマンに向かって、小馬鹿にしたような笑みと笑い声で指差しながら「安いスーツだ!」と言い放つ。なんと、憎まれ役を心憎いほど演じる。

 この陪審コンサルタントは「アメリカでは産業化されていて、30年以上の歴史があり広く一般に知られたのはO・J・シンプソンの裁判からで、人間の表情や仕草を観察し反応を判断する」と言うのは有名な陪審コンサルタントジョー=エレン・ディミトリアスと言う人。

 この映画を監督したゲイリー・ブレダーは、「詐欺師の話だ」と言っている。いずれにしても、観て損のない映画だ。エンディング・ロールのバックに流れるのは「Heart of Mine」で、ノラ・ジョーンズが歌っている。ミディアム・テンポで印象的。

映画 ダスティン・ホフマン、スーザン・サランドン「ムーンライト・マイル」(02)

2005-07-08 17:45:00 | 映画
 この映画を監督しているまだ43歳と若いブラッド・シルバーリングの実体験がベースになっている。時代設定が1973年になっているのは、ブラッド・シルバーリングの音楽への思い入れの強い年代だからという。それらの音楽が効果的に挿入されていて、タイトルの「ムーンライト・マイル」はローリング・ストーンの隠れた名曲だそうだ。酒場の場面で実に効果的だった。

 映画はジョー(ジェイク・ギレンホール)の恋人の葬式の場面から始まる。ダスティン・ホフマンが面白いことを言っている。「俳優なら誰しもが葬式というものに共通点を感じることだろう。葬式は芝居と同じなんだ。誰もが演技をする。周囲に対して。両親の役を演じなくてはいけない。(死んだ娘の葬式の場面の解説で言っている)そして一日が終わると突然味わうんだ。舞台後の楽屋で放心する役者のような気分をね」

 恋人の両親が、ベン(ダスティン・ホフマン)とジョージョー(スーザン・サランドン)で、ジョーはその両親の下で生活を始めて、ベンの不動産業を手伝う。ジョーの恋人は銃撃の巻き添えになって殺された。この事情は言葉で語られる。

 犯人は逮捕されて裁判にかけられていて、検事のモナ・キャンプ(ホリー・ハンター)から“犯人は一転して妻を愛する夫になった。難しい状況だ。効果的な手を打たなければ負ける。弁護側は死んだダイアナに触れたくないはず。恋人を殺され犯人に人生を奪われたと判事に訴えてほしい”といわれる。ジョーが法廷で証言する場面が核心部分になる。

 ジョーはダイアナのことを美しく飾ることは出来ない。正直に真実を語るしか方法がない。と訴えてベンとジョージョーに感銘を与える。この法廷場面のジョーの言葉をメモしたが、映画の場面では感動するが、文字にすると平板で感動しない。考えてみれば当然で、映画で登場人物の表情や場面に適切なセリフが伴っていて見るものの感情に訴え、それを助ける音楽がより効果を発揮するからだろう。べたべたしたお涙頂戴映画でなく、爽やかな映画と私は思う。

 ジョーの新しい恋人になるバーディ(エレン・ポンピオ)は、この映画が初出演だそうだが、なかなか魅力的な女優だ。この映画の後、めぼしい出演がないようだが、いずれ頭角を現すはずである。期待したい。

ミステリー G・M・フォード「黒い河」

2005-07-06 13:38:25 | 読書
 ノンフィクション作家のフランク・コーソは、病院崩壊事故にともなう死傷事件を追っていて事件に巻き込まれる。

 “8フィートの距離から、コーソはチビの眉間を撃ち抜いた。驚愕の表情を浮かべて膝をつき、そのまま仰向けに倒れて、体をひくつかせた。ポニーテイルは口をぽっかりと開けて、相棒の横にひざまずいた。「ヘラルド」静かに言って、小男の肩をゆすった。まるで眠っている男を起こそうとしているようだった。「ああ、ヘラルド!」あごの筋肉が張りつめたロープのようにふるえた。だが彼が怒りをコーソにぶつけようとしたときには、もう遅かった。サイレンサーを相手の頭まで1フィート足らずのところまで近づけて、コーソは引き金を引いた。ポニーテイルの脳が相棒の死体の上に飛び散った。彼は仰向けに倒れて動かなくなった。口の端から血が細い筋になってしたたっていた。そして突然静寂が訪れた”

 まるで映画を観ているような展開で、頭を撃たれた二人はキューバ人の殺し屋だ。コーソ自身も狙われたし、コーソの元恋人メグ(カメラマン)が、この二人が犯す殺人の現場を目撃、逃げる途中トレラーにぶつかり瀕死の重傷を負った上に、まだ生きていることを突き止めた殺し屋にまたも狙われる。そんな状況が続きコーソの怒りが極限に達していた。二人の殺し屋に連れ出されるが、チョットの隙に銃を奪って冒頭の銃撃となる。このときのコーソは怒りに燃えた獣になっていた。

 普段のコーソは、親しい人に自分が住居としているボートで、シアトル近郊の湾を案内したりユーモアのある会話も出来る男である。とにかく私にとって掘り出し物の一冊だった。

 観光案内的記述もあって引用すると“いかにも太平洋岸北部の雰囲気で、環境を意識したむき出しの岩や木材の構造物が崖に沿って上り下りしながら二百メートル以上続いていた。その輪郭を指でたどっていたルネ・ロジャーズ(検察官)が言った。
「もしかして、あれ全部――」
「ああ、一軒の家だよ」コーソは言った。
「誰の――」
「ビル・ゲイツ」コーソは答えた。「五千平方メートル。約1億1千万ドル(約百十九億円)」

 この家は木の葉が落ちているときで、しかも湖の側からしか見られないそうだ。どうです?冬に行ってみますか。

映画 デンゼル・ワシントン イーサン・ホーク「トレーニング・デイ」(01)

2005-07-03 22:02:54 | 映画
 悪徳警官の生々しい姿をリアルに描く。麻薬課に配属になった新人のジェイク(イーサン・ホーク)は野心家で出世を望み大きな家に住む夢を追っている。上司のアロンゾ(デンゼル・ワシントン)は、悪徳警官グループのリーダーで、すぐキレる気性の激しい性格ながら頭もキレる男である。そんな二人の一日を描く。

 アロンゾはジェイクを取り込むために罠を仕掛けていく。最後はアインシュタインの“危険なのは、悪人に対し何の行動も起こさない人間だ”という言葉に触発されたわけでもないだろが、ジェイクはアロンゾとの対決に向かう。

 演技力のある俳優だから緊迫した場面が連続する。黒人監督のアントワーン・フークアは言う。「本当のロスアンジェルスを知らない人が多い。輝く太陽の下、街中で人が殺される。華やかなビバリー・ヒルズは有名だが、ロスの実態とはかけ離れたイメージだ。この映画はロスの実態を描いている」ロスの中でも危険地域と言われ警官でも単独なんてもってのほか、グループで行動しなければならないパインウッドでもロケを行っている。

 日本の映画制作もやくざに挨拶するとか聞いたことがあるが、この映画も地元ギャングに話を通しているようだ。ギャングも映画に出ているらしい。ラテン系(ラティーノ)が住んでいて住民の2%ほどがギャングだそうだ。日本でこのような危険地域があるのだろうか。私は聞いたことがない。ひょっとして最近中国人を始め外国人の犯罪が増えているので、それらの人間が集まっている地域があるかもしれない。