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成田市滑川にあるこのお寺は、承和5年(838年)滑川城主小田将治が発願し、慈覚大師円仁が開山したと伝えられ、本尊の体内に納められている1寸2分(約3.6センチ)の観音像は、小田将治が出会った老僧が小田川で掬い上げたものとされている。
この日は曇り空で、国道51号線を新東京国際空港(NARITA)に向かい途中から408号線へと左に折れる。ほとんどの車は408号で筑波方面に左折する「宝田」の信号を直進して、県道161号線をひたすら走ると滑川の地に到着する。
セブン・イレブンでサンドイッチと牛乳を買ったとき龍正院への道順を尋ねると、今しがた通過した信号のそばにあることが分かった。間違って寺務所の入り口を入った。獰猛なドーベルマンに吠え立てられ、早々に別の入り口へ向かった。
観音堂の横の入り口から入って車を停めた。きれいに掃き清められた境内に人影が二人ほど見えた。キョロキョロと周囲を見回すと仁王門が見えたのでそちらに歩いていった。
正面から仁王門を眺めていると、その横に駐車場があるのが分かった。どうやら間違ったところに車を置いたらしい。参拝客も少ないことでもありそのままにした。国の重要文化財に指定されている仁王門は、文亀年間(1501~1504年)に再建された。
県指定の有形文化財の観音堂は、入母屋造で元禄9年(1696年)江戸幕府5代将軍徳川綱吉の寄進により再建された。
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観 音 堂
そのほかにも老夫婦が手をつないだ“ぼけ封じ道祖神”や“夫婦松”といったいまどきのすぐ別れる男女の風潮の対極にある、死ぬまで添い遂げる古き時代の名残を強調したものまであった。それはそれでいいが“ぼけ封じ道祖神”などは、商魂のなせるものに思えてならない。
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ぼけ封じ道祖神
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夫婦松とその説明
車の中でサンドイッチの昼食を終え、スタート前の用足しに車を出た。参道を歩む品のある年配の女性と眼が合い、うなずいて「こんにちは」と挨拶を交わした。トイレは、体の不自由な人との共用でキレイなものだった。車に戻る途中観音堂に眼をやると、くだんのご婦人は参拝中だった。ご婦人の後姿を眺めながら、最近は一人旅をすると気分が若やいで、何かしらロマンティックな夢想が多くなったことに気がついた。