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読書 逢坂剛「カディスの赤い星」

2010-03-28 09:33:45 | 読書

        
 禿鷹シリーズに引き続き読んだ。著者の最高傑作と評される。第96回(1986年下半期)の直木賞、第40回(1987年)日本推理作家協会賞をダブル受賞した作品。
 逢坂剛は、1943年生まれでこの作品が講談社から刊行されたのは1986年、著者の42~3歳の頃になる。執筆がそれよりも数年前とすれば30代後半ぐらいか。
 かなりの長編であるが、飽きることなく読めた。「カディスの赤い星」と言うフラメンコ・ギターにまつわる運命に、人間模様が彩りを添える。
 物語の中で偶然を嫌う私としては、自然な流れを阻害するものを見つけたときはチョット嫌な気分になる。だからといってこの作品が大きく傷つけられることはない。ほとんどの人は気にもかけない事ではある。
 年配者特有の意地悪な言い方をすれば、主人公の男(ハンサムらしい)が他社の美人社員とのセックスだ。(またまた下半身かい、と言わないで欲しい)しかも処女だった。
 これの描写が、最初は脚を閉じてなかなか開かないというそれらいき記述であったが、ことが進むにつれてまるで結婚1年を経た若妻のような反応になる。
 それに、男は二週間のスペイン冒険行のあと再び交わる。その時は、もうベテランの女になっていた。例外はあるにしても、そんなに早く女が成熟するのが不自然に思われた。
 また、会話の中に気の利いた冗談を散りばめてちょっとした遊びを織り込んでいる。ただ、ユーモアのある比喩という点では、欧米の作家には叶わない。
 このユーモア・センスは、生まれ育った環境がかなり影響しているように思う。日本ではユーモア・センスを評価する度合いが低いせいかもしれない。それを無視すれば楽しめる作品だった。

読書 逢坂剛「禿鷹狩り」

2010-03-23 12:37:26 | 読書

         
 逢坂剛の作品を初めて読んだ。この人の新しい作品「凶弾」を新聞で紹介してあって、図書館のホームページで検索すると、なんと86人が長い列を作っていた。これでは何ヶ月も先になるので、とりあえずこの「禿鷹狩り」を借り出した。
 検索していてずらりと並ぶ著作の中に西部劇などに関するものもあり、逢坂剛はかなりアメリカン・ミステリーも読んでいるのではないかと推測した。それは間違いなかったと思う。
 まず、登場人物を扉の裏に一覧してあり、中身も神宮警察署という現存しないがリアリティを持たせたネーミングで手抜かりがない。パチンコ店やクラブの名前も同様だった。決してJ署やB店などとはしていない。これがわたしには一番好感を持ったところだ。
 ストーリー展開もテンポよく進み飽きることはなかった。この作品で主人公のハゲタカつまり神宮警察署生活安全特捜班刑事禿富鷹秋(とくとみ たかあき)の描き方が一風変わっている。本人の思考が描かれない。渋六というやくざの会社組織の常務水間英人や野田謙次に語らせ、禿富が突然電話してくるか、現れるという設定になっている。珍しいやり方だ。 水間や野田は、一般のサラリーマンのように、スーツにネクタイ、言葉遣いも丁寧。むしろ禿富や岩動寿満子(いするぎ すまこ) 警部の方がやくざのような言動だ。
 特にこの岩動寿満子のやり方には虫唾が走る。最後は禿富や渋六連中と対決するが、身長170センチ肩幅の広い大女で力も強く並みの男では太刀打ちできない。読者に小憎らしい女と思わせれば作者の目論見が成功したいえる。この女をやっつける方法が一つある。男に自信があればの話だが、色仕掛けでベッドに組み伏せて、喘がせるしかないだろうなと読んでいて思ったものだ。
 ラストシーンは凄惨なもので、禿富の生涯も終わる。二発の銃弾を受けて自らの死を悟った時、愛する人諸橋真利子(もろはし まりこ)の手によって息を引き取りたいという望みは、彼女の放つ銃弾によって報われる。禿富の目に恍惚の光が宿り満足して息を引き取った。まさにこの場面の展開は、暴力の美学そのものだった。
 おまけに葬儀の日、喪主として現れたのはぞっとするほどの美女、妻の禿富司津子だった。それを知った真利子の心中は──余計な記述を省いて、読者に任されるという小憎らしさ。私もちょっとばかり涙ぐんだ。憎まれ口ばかり叩くハゲタカだが、読者からははみ出し刑事として支持されているのだろう。そして、この人の直木賞受賞作品「カディスの赤い星」を読み始めたところだ。

映画「それでも恋するバルセロナ(‘08)」

2010-03-18 12:38:25 | 映画

 スペインを休暇旅行で過ごすアメリカ娘二人のアバンチュール。男の匂いに弱いクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)、フィアンセのあるお堅いヴィッキー(レベッカ・ホール)の前に現れた画家のフアン(ハビエル・バルデム)は、セクシーで女を平気で誘う男だった。そんな男に惹かれるクリスティーナ、拒否反応のヴィッキーではあるが同行した先で急病になったクリスティーナの隙をつくようにフアンの男くさいセクシーさにころりと参ってしまう。
 勿論、元気を取り戻したクリスティーナともやり放題。そうこうしているうちに元妻マリア(ペネロペ・クルス)が自殺未遂になりフアンが引き取る。ここから入り乱れた男と女という展開。まあ、何のことはない70歳初めのウディ・アレンの性への渇望の表れといえる。
 レベッカ・ホールをどこかで見たようなと思っていると、最近観た「フロスト×ニクソン」に出ていた。もうこんな役? 彼女も認められつつあるのだろうか。
 このセクシーな男を演じるのは、意外に難しいのかもしれない。演技はともかく、全身から発する性的オーラのようなものがないと務まらない。と思う。そういう意味ではバルデムでよかったかもしれない。男から見ると「この野郎、うまくやりあがって!」と思うのが落ちだろう。
 これは女性向け映画だ。私は仕方がないからワインや料理の食べ方に注意を向けた。料理は何を食べているのか判然としないが、ワイン・グラスは、グラスのボディを持って飲んでいた。白も赤も同じ持ち方だった。「サイド・ウェイ」という男二人でワイナリー巡りをする映画ではグラスの脚のところを持っていたように思うが。
 チョット理解に苦しむのは、ヴィッキーの親類の家に身を寄せるが、昼食をテラスで摂る場面。ヴィッキーだけがサングラスをかけていた。テーブルクロスのかかった食卓が屋外とはいえサングラスを一人だけかける、解せない。それにベッドで寝る場所にも。男が左なのか右なのか(この映画に限らず)今まで見た映画では、ほとんど右側だった。それがどうした? と言われそうだけど。
 監督・脚本ウディ・アレン1935年ニューヨーク・ブルックリン生まれ。‘77「アニホール」でアカデミー監督・脚本賞を受賞。「アカデミー賞に興味はない」と言って授賞式欠席。
 ハビエル・バルデム1969年スペイン生まれ。
 ペネロペ・クルス1974年スペイン生まれ。この作品でアカデミー助演女優賞を受賞。それほどの演技だったか?
 スカーレット・ヨハンソン1984年ニューヨーク生まれ。
 レベッカ・ホール1982年イギリス生まれ。
        
        
        
        

映画「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで(‘08)」

2010-03-14 13:18:04 | 映画

 1950年(昭和25年)代の時代背景で描く夫婦の危機。アメリカでは、テレビが普及しはじめ初期のロックン・ロールが流行り郊外に住宅が建ち始めた。
 フランク(レオナルド・ディカプリオ)エイプリル(ケイト・ウィンスレット)夫妻もご多分に漏れず7年目の危機に直面していた。7年前には不動産屋のヘレン(キャシー・ベイツ)の案内で、高級と言われるレボリューショナリー・ロードの住宅に引っ越して特別な夫婦とまで囁かれた。それが今や道路脇に車を止めて大声で夫婦喧嘩を始める始末。フランクは仕事に熱意が沸かず毎日の通勤をこなしていて、社内のタイピストの女の子にマティーニを飲ませ誘惑するという状態。
 一方エイプリルは、念願の女優の夢は能力不足で儚く消えていた。昼間は主婦として家事をこなしているが、何故か倦怠感が抜けない。この時代の女性は、結婚すれば家庭に入るというのが当然という時代。
 ある日、結婚前フランクのアパートで見せられた軍隊時代のエッフェル塔を背景にした古い写真に「人が本当に生きている。ものを感じたい。この体ですべてを感じたい。それが僕の野望だ」とフランクは言ったのを思い出した。エイプリルはパリ移住を持ちかける。エイプリルが現地で秘書として働き、フランクや子供たちを食べさせるという。エイプリルの熱意に負けたフランク。
 ところが二人のこうした未来への希望が見えてきてかつての情熱が蘇る。その結果として、エイプリルが妊娠する。フランクにも地位が上がる話が出てきてパリ行きに消極的な素振りが見え始めた。ここからまた以前の口げんかの夫婦に逆戻り。しかもそれがエスカレートしていって悲しい結末を迎える。
 どこにでもある夫婦関係や近隣の人たちとの関係。理想と現実の狭間でもがく人間模様。愛しているけど満たされない。愛しているのか憎んでいるのかも分からない。その人を失った時、初めて分かる喪失感と言ったものを描いた佳作だと思う。
 中でも大喧嘩でお腹の子供について「堕ろして欲しかった!」言ってはならないフランクの言葉が運命を決定づける。そして、その翌朝の場面が秀逸だった。エイプリルは貞淑で従順な妻を演じる。朝食のスクランブル・エッグの卵をかき混ぜるシーン。そしてぎこちない会話。エイプリルが何かを決心している表情。出かけるフランクに手を振る笑みのないエイプリルの顔。とんでもないことが起こりそうな予感。家出か? 自殺か? 
 主役のディカプリオ、ウィンスレットの微妙な表現力に負うところも大きい。ストーリーを追うのもいいが、それ以外にも見せられるものが映画にはある。例えばこの映画でも1950年代の男は、スーツに中折帽が普通だった。通勤電車内やオフィスに向かう歩道に中折帽の男たちの群れや、やたらに男も女もタバコを吸う場面に違和感を覚えたりする。
 監督サム・メンデス1965年イギリス生まれ。‘99「アメリカン・ビューティー」でアカデミー監督賞にノミネートされている。
 レオナルド・ディカプリオ1974年ハイウッド生まれ。「タイタニック」でブレイク。 ケイト・ウィスレット1975年イギリス生まれ。「タイタニック」でレオナルド・ディカプリオと共演。
 キャシー・ベイツ1948年テネシー州メンフィス生まれ。
        
        
        
        
        
        


映画「ジェシー・ジェームズの暗殺(‘07)」

2010-03-10 21:16:22 | 映画

 実在したジェシー・ジェームズは、西部開拓時代のガンマンで南北戦争後、兄弟や戦友たちと強盗団を組織して銀行や列車を襲い殺人を繰り返した。1882年ミズリー政府がジェシー・ジェームズに10,000ドルの賞金をかけたため仲間のボブ兄弟に射殺される。
 アメリカでは、1866年2月13日ジェシー・ジェームズが世界初の銀行強盗に成功したことから、2月13日は「銀行強盗の日」となっているらしい。だからどうなんだと思うが、その日は何をするのだろう。ジェシー・ジェームズの墓にでも参るというのか。アメリカは不可解で面白い国だ。
 それはともかく映画は、その暗殺までとその後を描いてあって、いやに心理劇めいた雰囲気を漂わす。派手な撃ち合いもあまりなくジェシー・ジェームズ(ブラッド・ピット)のぼんやりとあらぬ方を眺めたり、ため息をついたりと思索的な断面が強い印象を受ける。
 そんなジェシーであるが残酷な面も持ち合わせていて、チャーリー(サム・ロックウェル)とロバート(ケイシー・アフレック)の兄弟もジェシーに怯えつつロバートは一途な憧れを持っていた。結局この兄弟はジェシーの恐ろしさを排除したい気持ちと金の誘惑に勝てずジェシーの自宅居間で後ろから射殺する。
 雪の平原や冬枯れの草に覆われた丘の背景が、ジェシーと兄弟たちの冷え冷えとした心の内奥に迫るようだった。ジェシーに扮したブラッド・ピットが適役だったのか疑問が残る。製作者側にもいるブラッド・ピットであるから他の俳優は考えられないのだろうが、凄みや冷たさに欠ける気がする。髭を生やしていても目が優しくふっくらとした頬には冷酷さが薄れていた。
 ケイシー・アフレックやサム・ロックウェルは、役柄をうまく演じていたように感じる。サム・ロックウェルが意外に注目される存在だという気がする。それに面白いのは、室内から屋外を見るショット。歪んだガラスの映像がいかにもその時代を表しているようだった。わざわざ歪んだガラスを作ったんだろうか。160分という長さでやや退屈だった。
 監督アンドリュー・ドミニク ニュージランド出身
 ブラッド・ピット1963年オクラホマ州生まれ。
 ケイシー・アフレック1975年マサチューセッツ生まれ。ベン・アフレックの弟。
 サム・ロックウェル1968年カリフォルニア生まれ。
          
        
          


映画「チャーリー・ウィルソン・ウォー(07)」

2010-03-06 13:13:14 | 映画

 チャーリー・ウィルソンは、1933年生まれのテキサス州選出民主党所属元下院議員。ウィルソンは米CIA史上最大の極秘作戦(covert operation)を敢行した立志伝中の人物として知られる。旧ソ連のアフガニスタン侵攻を食い止めるため、ウィルソンは下院の国防歳出委員会のメンバーを味方につけて、アフガン支援の秘密予算の大幅増額を図る。当初500万ドルだった支援額は7年のうちに10億ドルという空前の規模に達した。この支援によりアフガンのムジャヒディーンは最新の武器を手に入れ劣勢を跳ね返し、ソ連軍の撤退を余儀なくさせた。ウィルソンはこの功績から、旧ソのアフガン撤退を決定づけた影の功労者としてCIAに秘密裏に表彰されている。
 トム・ハンクス扮するチャーリー・ウィルソンが、航空機の格納庫で行われたその表彰式から始まる。映画が終わってみれば何も残らない。イメージとして残っているのは、ラスベガスでチャーリーとポールの男二人と裸の女三人でジャグジーに入っていて、女二人が乳房丸出しのシーン。ジュリア・ロバーツのギスギスした厚化粧の顔。チャーリーの事務所の胸の谷間を強調した秘書たち。それにひげ面に眼鏡をかけたフィリップ・シーモア・ホフマンだ。印象に残るのは、唯一清楚な装いで私の好きなエイミー・アダムスという具合。
 要するにベテラン俳優は、お小遣い稼ぎの片手間仕事のようだ。シニア割引でDVD一週間175円では文句も言えない。それにも拘らず‘07アカデミー助演男優賞にフィリップ・シーモア・ホフマンがノミネートされ、ゴールデングローブ賞には、男優賞トム・ハンクス、助演男優賞フィリップ・シーモア・ホフマン、助演女優賞ジュリア・ロバーツ、脚本賞アーロン・ソーキンがノミネートされている。
 大して感動するところもなかったんだが、フィリップ・シーモア・ホフマンは、それなりの印象を与えた。太めでスーツの着方も身に合わないというダサい男は、意外にこんな風体がCIAなのかもしれない。
 勿論エイミー・アダムスの出番は少ないが、ジュリア・ロバーツに一喝されるところは、可愛そうでジュリアに腹が立った。
 監督マイク・ニコルズ1931年ドイツ、ベルリン生まれ。’67「卒業」でアカデミー監督賞を受賞。
        
        
        

人生観を変えるほど衝撃を受けたノンフィクション「セックスボランティア」

2010-03-01 12:22:24 | 読書

        
 この本にたどり着いたのは、映画「アウェイ・フロム・ハー/君に思う」でアルツハイマー病の妻と男の話を観て、痴呆症の情報を検索している時に、偶然この本が飛び出してきた。早速図書館から借り出した。
 最もショックだったのが69歳の男性。
 *脳性麻痺による両上肢機能障害者(日常生活動作不能)
 *移動機能障害(歩行不能)それに気管切開により酸素吸入器常時使用及び言語障害。
 要するに、両腕が動かない脚も動かない言葉も喋れないし、酸素吸入器でしか生きていけない。しかし、食べることや排泄は健常者と同様で、もっと深刻なのは性欲があることだ。 この状態でどのように欲求を処理しろというのか。自慰すら出来ない。施設の人の手を借りているらしい。読んでいくにつれ活字が霞んでくる。神様はいったいどのような考えで、このような人をお作りになったのか? 
 それでもこの人は、女性の肌に触りたい温もりが欲しいと切実な願望を持ち続けた。一生童貞で終わるのは厭だ! 鬼気迫るのは介護の人に風俗店に連れて行ったもらいセックスをする場面だ。
 セックスに吸入器は邪魔になる。酸素の容量は約1時間半だそうだ。それを外して、まさに命を賭けたセックスを敢行する。それほどの思いをどう受け止めればいいのか。涙が止まらなかった。
 今まで障害者の性についてあまりにも無知だった。まるでカウンターパンチを食らったように背筋が寒くなるほどの衝撃を受けた。もっと衝撃的なのは、自分が何が出来るのか、全く見当がつかないことだ。現場の障害者の介護施設では、この問題に真剣な人とあまり考えない人もいてまだまだはっきりとした道筋が見えていない状況のようだ。
 この男性の話以外にも、聴力を失った女子大生が障害者のセックスの相手をする話、女性障害者がホストの男性を自宅に呼びお風呂に入れてもらって、セックスのサービスを受け幸せな笑顔を見せる話。オランダでの取り組みなどが収められている。
 これからの重要な課題として一読の価値がある。著者の河合香織さんは、1974年生まれというから取材を始めた2001年は、まだ27歳ということになる。この人にも敬意以外お届けするものが見当たらない。