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大リーグ ダイスケ本来の調子を取り戻す。新ヤンキー・スタジアム、近々オープン

2009-03-31 13:29:01 | スポーツ

            
 Dice-K dials back the intensity for spring “debut”対ブレーブスのスプリング・トレーニングで初先発のダイスケは、調子を取り戻し、5回を75球、2失点の効率いい投球を見せ、フランコナ監督、ファレル投手コーチを喜ばせた。ブレーブスの先発は川上。彼も好投していた。
            
 New Yankee Stadium vision to reality 四年の歳月を費やして建設していた大聖堂ヤンキー・スタジアムは、4月16日のインディアンスとの試合で披露される。これからどんなドラマが残されていくのか、ファンはわくわくしていることだろう。選手はチャンピオンを至上の命題として汗を流すことになる。

短編小説を読む 1990年~2007年エドガー賞全集(1)

2009-03-31 11:14:23 | 読書

           
 アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞の最優秀短編賞受賞作を、1990年から2007年までを収めたものである。ミステリーの始祖、エドガー・アラン・ポーの胸像を贈ることからエドガー賞とも呼ばれている。

1990年受賞作 ドナルド・E・ウェストレイク「悪党どもが多すぎる」

 銀行の金庫を目指してひたすら穴を掘り続け、最後の二振りで開いた穴の向こう側には、思いもしなかった多くの人びとがいた。ドートマンダーとケルプは、呆然と立ち尽くした。片手を差し出してきたのは、支店長だと自己紹介した男だった。「お見事ですね、刑事さん。強盗たちは外にいますよ」ドートマンダーとケルプは自分たちが強盗だとばかり思っていた。
 マシンガンを持った五人の男たちに襲われ、行員全員が金庫室に閉じ込められたのだ。昇進を狙うゴマすり行員が警報装置を押したために、銀行周辺は警察車両や救急車でぎっしりと埋め尽くされていた。
 強盗の首領と思しき男が、右手人差し指を上向けてくりっくりっと折り曲げながらドートマンダーを呼んだ。「おめえが俺たちと警察の交渉役をやれ。下手な真似はすんなよ。そのときは頭をぶち抜く」いやはや、おかしな立場になったもんだ。 ところがドートマンダーも安閑としてはいられない。自分も銀行の金庫を狙ってトンネルを掘り人質たちに目撃されている。ならば逃げるしかない。
 強盗たちはトンネルのことを知って一目散に逃げた。ドートマンダーは、正面からおびただしい警察官の群れに走った。背後で銀行の建物に向かって、銃から発射される轟音が響いた。
 アパートに帰り着くとリビングでビールを飲みながらテレビを見ているケルプがいた。ケルプの前のコーヒーテーブルには、現金が山と積まれていた。
「スキを見て人質たちと現金を手分けして持ち出し、おれの車のトランクに入れた。一旦警察で保管するからといって持ち帰ったんだ」と言ってケルプはにやりとした。それに「強盗たちは捕まったよ」と言うのも忘れなかった。
 アイデアも申し分ないし落ちも鮮やかだ。しかし、永遠に逃げおおせるか? それは疑問が残る。しかし、理屈はどうあれ、にやりとする読後感は爽やかだ。人を細切れにしていないし、脳みそをぶちまけることもなかったから。
 著者は、1933年ニューヨーク市生まれ。1960年ハヤカワ・ミステリ文庫「やとわれた男」で作家デビュー。その後「ホット・ロック」に始まる不運な泥棒ジョン・ドートマンダー・シリーズで人気を集める。邦訳に「逃げだした秘宝」「バッド・ニュース」などがあり、シリーズは現在第十三作「What’s so funny?」まで書き継がれている。
 またリチャード・スターク名義で、非情な犯罪者を主人公にした「悪党パーカー/人狩り」を第一作とするシリーズを執筆し、第二十四作「Dirty money」まで発表している。そのほか、喜劇的ミステリ「我輩はカモである」で、1968年のエドガー賞最優秀長篇賞を受賞。1993年に同巨匠賞も獲得した。

大リーグ ヤンキースのセンターを守るのは、ルーキーのガードナー

2009-03-30 17:41:09 | スポーツ

           
 Gardner wins Yanks’ center-field job とMLB.COMは伝える。センターのポジションは、メルキー・カブレラと競っていたが、手早く負かしてガードナー(背番号11)が手に入れた。
 現在までのスプリング・トレーニングの成績は、打率.385,3本塁打、6打点、5盗塁だ。ブレット・ガードナー(Brett Gardner)は、1983年8月24日サウス・カロライナ州で生まれる。2008年6月30日にチャールストン・カレッジからMLBデビューを果たした26歳のルーキーだ。盗塁5を記録していることから足も速いのだろう。守備力も期待できそうだ。

大リーグ Dice-K back in Red Sox camp 

2009-03-29 12:44:48 | スポーツ

           
  昨シーズンは29試合の先発で、18勝3敗 防御率2.90という好成績の松坂
 
 大リーグのホームページには、松坂についての記事が彩りを添えた。去年の成績は文句なし。レッドソックスの投手陣最高だった。エースのベケットが不調に苦しんだ分、松坂とレスターが支えた。
 そして記事は、昨シーズンよりもブルペンは力強いと書いている。右投げのベテラン、スモルツをブレーブスから獲得したからだ。ただ年齢が40歳を超えているのが気にかかる。ベケット29歳、レスター25歳、松坂29歳、マスターソン24歳ウェークフィールドとスモルツが40歳代という投手陣だ。
 若い先発陣は強力で、打撃陣も去年と変わらない。今年もワールド・チャンピオンの最有力候補に間違いない。ヤンキースも投手陣を充実させてきているので、去年にも増して楽しみなシーズンになる。4月6日地元フェンウェイ球場で、タンパベイ・レイズとの試合で今シーズンが始まる。

大リーグ ICHIRO RETURNS 

2009-03-28 13:39:16 | スポーツ

            
      この二人でマリナーズをチャンピオンに引き上げられるか?
 WBCチャンピオンのお二人さん、マリナーズへ、ようこそお帰りなさい! フロントページにこの言葉が踊っていた。そしてIchiro returns to some unfamiliar faces.(イチローは、何人かの見慣れない顔のもとへ戻った)というのも外野手として新加入したケン・グリフィー・jr,がいたからだ。
 グリフィーはもともとマリナーズ出身だし、イチローとも懇意と聞く。そして記事は、グリフィーと偶像の役割を分かち合うだろうとある。偶像に成るかならないか、やはりイチローは200本安打であり、グリフィーは豪快なホームランだろう。イチローは何とかやるだろうが、グリフィーは40歳という年齢を克服出来るかが鍵だろう。
 最近のマリナーズは、イチローが入団した頃の魅力的な選手がいない。グリフィーは、かなり注目できる選手ではあるが。今までのイチローのチーム内で孤立しているような雰囲気を溶かすグリフィーであればいい。
 孤高のイチローもいいけれど、やはり野球はチーム・プレイ、チームに溶け込み親しまれることは重要だ。マリナーズそのものへの関心はリフトアップしそうだが、対戦チームヤンキースやレッドソックスとの試合も目が話せないし、非常に楽しみになってきた。
 城島の今シーズは、厳しいものがある。去年は、控えのクレメントに66試合マスクを譲った。城島もクレメントも低打率。227だったので、今シーズンはレギュラーの座を打率が左右しそうだ。
 マリナーズの今シーズンも、期待するほどの結果は望めないのではないか。去年は投手陣が悪すぎたし打線もイチローは200本以上のヒットを記録したが、打点が42では下位打者の非力が目立つ。
 グリフィーに期待が持てるか。ノーだ。去年、打率。249、本塁打18、打点71では主力打者とはいえない。年齢の影響が出たのだろう。急に投手陣がよみがえり、打線も眼が覚めたように活発になれば話は違う。いずれにしても、4月6日(現地)ミネソタ・ツィンズとの試合から今シーズンが始まる。

デジカメ持って小旅行「坂東三十三箇所霊場23番札所観世音寺(かんぜおんじ)」

2009-03-27 13:11:57 | 旅行

 陶芸で有名な笠間市にあるこのお寺へも、迷わずに行き着くことが出来た。午後の四時ごろになっていた。天気予報では、午後曇って崩れるはずが、その気配がない。
           
 広い駐車場の向かいにお寺への道がある。珍しい木の階段、登山道などで見かけるような階段を登って、ここもいきなり本堂に行き着く。
           
           
            本 堂
           
 このお寺は、白雉3年(652年)猟師の粒浦氏によって創建されたと伝えられ、当初山号は三白山と号した。建保2年(1214年)笠間氏の焼き討ちにあい消失したが、その後笠間氏の帰依を得て笠間城内に再建された現在の佐白山の山号に改められた。
 その後笠間氏の衰退とともに寺運も衰えた。天正18年(1509年)宥明によって再興され勝福寺と改められたが、江戸時代に入り貞享3年(1686年)に正福寺となった。
 明治初年の神仏分離に伴う廃仏毀釈により消失して衰微し、本尊をはじめとする仏像などは散逸してしまったが、昭和5年(1930年)現在地に仮の本堂が建てられた。現在の寺号になったのはその後のことである。県指定文化財は、木造佐白観音(千手観音)坐像である。
                
 この可愛いお地蔵さんともお別れして帰路についた。

WBC日本優勝、大リーグ公式ホームページでは……

2009-03-24 22:33:10 | スポーツ

 当然といえば当然なんだろう、日本チームの優勝がフロントページを飾っていた。もちろん日本チームの中の大リーガーを取り上げてある。それも活躍した選手を。
            
 まずイチローThanks to Ichiro, Japan is again No 1 in worldとあって、イチローが日本チームを栄光へと持ち上げたとある。
            
 際立ったヒットは、あの10回表のヒットだけだが結果がよければOKという具合。それも写真入だ。
            
             MVPに選ばれファンに挨拶する松坂
 松坂のMVPも写真入で、Dice-K repeats as World Baseball Classic MVPとあって、おまけに日本と韓国を、ヤンキースとレッドソックスとの因縁のライバルのようだとも言う。そうだろう、WBCで五試合も同じ相手だし少なからず政治的にも問題の両国だから。
 それにしてもキューバのカストロ議長のWBCの組み方へのぼやきも分かる。日本がチャンピオンになったからでていないが、これが負けていれば5試合も同じ相手というのに苦言が出るはずだ。私はややうんざりしていた。韓国人というのは激しやすい特徴がある。試合相手としては好ましくない。
 アメリカでの試合は、高校野球のように抽選をするとか工夫がいるように思う。イチロー、松坂以外に岩村の名前が出ていたが、城島や福留はなかった。とにかく北京の鬱憤を晴らせたわけだ。星野は複雑な心境だろう。楽天の野村のぼやきはどこへ行くのか、しばらく楽しみだ。
 これで頭が痛いのが、日本プロ野球連盟のコミッショナーだろう。大リーグ球界に日本人選手の優秀さが浸透したからだ。いずれ大リーグ球団からの引抜が活発化するだろう。私はそれほど心配することもないと思う。現在でも多くの日本人選手が大リーグに渡っている。それでも日本プロ野球界に人材が豊富なことを証明した今回のWBCだと思うからだ。大いに大リーグに行けばいい。報酬はあちらのほうが断然高いから、プロ野球選手なら大リーグを目指すのは当然だと思う。

デジカメ持って小旅行「坂東三十三箇所霊場24番札所楽法寺(らくほうじ)」

2009-03-24 13:10:26 | 旅行

 茨城県桜川市本木にあるこのお寺には、大きな看板に導かれて迷うことはなかった。かなり整備の行き届いたお寺だった。参拝者も結構見えてウィークデイといいながら賑わっていた。
          
           仁 王 門
          
           本 堂
 しかし、駐車場の片隅にあるレストランは閉まっていた。こういう閉店舗を見るとうら寂しさを感じる。寂しさというと運転していて眼にするおばあちゃんたちだ。小さな手押し車に買ったものを載せて車道の端を歩く姿だ。それも商店から遠く離れたところでだ。
 老いた夫との暮らしか、あるいは一人暮らしか。娘や息子と離れて暮らしている人たちか、あるいは同居していても、好きなものは自分で買いに行くという人たち。それを目にすると寂しさに襲われる。地元の人だからその辺は心配しなくてもいいのだろうが。
 私の住んでいるスーパーのやたら多い地区から見ると、他人のことが気になってくる。本人たちはそんなことはちっとも気にかけないで、のんびりと気ままに暮らしているのかもしれないが、わたしの感傷は、おばあちゃんたちの歳に近づいたこともあるのだろう。
 ところで、このお寺は、用明天皇のころ(6世紀末)梁(中国)の国人の法輪独守居士によって開かれた。厄除け、延命、安産、子育ての霊験あらたかな国指定重要文化財の木造観世音菩薩像(延命観世音菩薩)を本尊とする。
           
県指定の文化財も多数存在する。

デジカメ持って小旅行「坂東三十三箇所霊場25番札所大御堂(おおみどう)」

2009-03-21 13:10:06 | 旅行

           
 筑波山の麓にあるこの寺は、いきなり本堂に行き着く。筑波神社に隣接していて、神社の駐車場が広い。延暦年間(782~806年)徳一上人の開山により創建され、その後空海が入山し知足院中禅寺と号したという。
 筑波神社と神仏習合により信仰され、江戸時代には多くの寺領を有した。明治初年の神仏分離により破却され、昭和5年(1930)ようやく再建された。
 現在の本堂は戦後に再建されたもの。本尊は十一面千手観音というものの、国や県の指定文化財がない。車に乗る前に通りかかったお寺の女性にトイレの場所を聞いたが、お寺のトイレは巡礼の人には貸すようだが、わたしのような者には、この上に公衆トイレがあるとだけ教えてくれた。
 ところが坂道を登っていったが見当たらない。緊急の用向きでないのであきらめる。
           
それにしても鐘楼の下に「通り抜け禁ず」の看板があった。どこへ通り抜けるのか周辺を眺め回したが、先に人家があるだけで通り抜ける必要もなさそうだが。何かこのお寺には、強圧的なところが感じられる。印象の悪いお寺だった。

デジカメ持って小旅行「坂東三十三箇所霊場26番札所清滝寺(きよたきでら)」

2009-03-18 11:10:38 | 旅行

           
             本 堂
           
             仁 王 門
 このお寺から足を茨城に伸ばす。土浦市小野まで少し迷ってたどり着いたこのお寺、かなりうらぶれた様子。説明板によると推古天皇15年(706年)にこの寺の背後の竜ヶ峰に創建され、大同年間(806年~810年)徳一上人により古観音(ふるかんのん)に移されたという。
 七堂伽藍を備えた大きなお寺は、天正年間(1573~1592)小田氏、佐竹氏の兵火により消失し、江戸時代に現在地へ再建されたと伝えられるが、昭和44年(1969)本堂、昭和48年(1973)仮堂が火災にあい、現在の本堂は、昭和52年(1977)に再建された。江戸時代に建てられた山門が、昔日の面影を残している。
 本尊が千手千眼観音で、これといった文化財がない。そのせいか整備がままならないようだ。小さな駐車場でサンドイッチの昼食を摂っていると、横に停まった車から若い二人連れが降りてきた。観音様は安産の神様でもあるので、なにか願い事にやってきたのだろう。駐車場の向かいの白い梅の花が冷たい風に揺れていた。