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読書「ブルックリンの少女La fille de Brooklyn」ギョーム・ミュッソ著集英社文庫2018年刊

2023-11-23 08:57:39 | 読書
 エメラルドグリーンの瞳、ゆるめのシニョンの髪型、ミニスカートと黄色のTシャツその上に薄い皮のブルゾンを着た混血のアンナは小児科の研修医、結婚をまじかに控える私の恋人。私ラファエル・バルテレミは、そこそこ売れてる作家。婚前旅行と洒落こんでコートダジュールの別荘を借りた。 軽やかなそよ風が木々を揺らし頬をなでる地中海を見下ろすテラスで、メルローの赤ワインを重ねた。そのワインが濃密な時間をもたらす筈だったが、予期せぬ別離をもたらした。それはひとえに私ラファエルの至らなさに他ならない。

 ラファエルはずーと心の奥深くに、本当のアンナを知らないという強迫観念が巣食っていた。ワインの酔いが饒舌にもしていたし、気持ちも高揚していた。人生の秘密という切り口からお互いの意見が衝突した。口げんかに発展。アンナが見せたスマホの写真。三つの黒焦げの写真。動転したラファエルは、飛び出していった。20分ほど車を走らせて我に返ったラファエル、引き返したがもうそこにはアンナの姿はなかった。

 パリに住むアパートの隣人、元国家警察組織犯罪取締班の警部だったマリク・カラデックの助力を得ながら真相解明に突き進む。思いもしない意外な事実が明らかになっていく。

 著者の批判精神も旺盛で、フランスの教育環境に苦言を述べている。ラファエルの調査の段階で元捜査官の話を聞くために訪れたワシントン・スクエアにあるマンハッタン大学ロー・スクールに行ったとき、「恵まれたこの学習環境を目にし、私は自分が修士課程を過ごしたオンボロのキャンバスを思い出した。席のたりない大教室、退屈極まる講義、政治化した教授連中の無気力な態度、漆喰のはがれた70年代建築の醜悪さ、健全な競争意識の欠如、失業問題と展望なき将来という重苦しい社会情勢。確かに比較できるものではないし、このロー・スクールの在学中の学生は高額の学費を払っているのだろう。 が、少なくとも相応の勉学環境を与えられていた。フランスで一番腹が立つのはその問題だった。数十年も前から、あれだけ硬直し活力のない教育システム。うわべだけの言辞の裏、あれほどの不平等にどうしてフランス社会は我慢しているのだろう?」と。

 著者ギョーム・ミュッソは、1974年フランスのニースの港町アンティーブで生まれる。モンペリエ大学を終えたあと、高校教師となり執筆を始める。現在まで総売上3500万部を超え、フランスで最も売れている作家といわれる。


読書「訴訟王エジソンの標的The last days of night」グレアム・ムーア著ハヤカワ文庫2019年刊

2023-11-13 10:23:51 | 読書
 南北戦争(1861~65)当時は子供だったポール・クラバスは、26歳でニューヨークの法律事務所のパートナーの地位にある。このポールが主人公の物語。

 1888年アメリカでは電柱に架けた電線で、街を照らし部屋を明るくし始めていた。その陰で特許戦争ともいうべき熾烈な戦いが展開されていた。それは電流の直流か交流かの戦いでもあった。そしてポールの周辺を彩る五人の実在した人たち。電燈を発明したと言われるトーマス・エジソン、電気製品を製造するジョージ・ウエスティングハウス、風変わりな発明家ニコラ・テスラ、オペラ歌手アグネス・ハンティントン、投資家J・P・モルガン。

 ポールとアグネスのロマンスをはさみながら、海千山千の男たちを相手に奮闘するポール。これらは実際に起きた法廷闘争だが、ウェスティングハウスの倒産の危機を救ったポールが身に沁みて感じたのが、油断すると寝首を搔かれるということだ。たとえ信頼しているジョージ・ウェスティンハウスでも。

 徹底した一人称の作品で、私生活はポール意外全くない。例えばアグネスはポールと結婚するまで、資産家の息子ハリー・ラ・バ・ジェインと婚約をしていたが、この二人が同時に登場する場面はない。

 ポールはJ・P・モルガンの協力を得て。密かにエジソン・ゼネラル・エレクトリック社内部にクーデターを仕掛け、エジソンを退陣させてチャールズ・コフィンという男を社長の座に据える。それからニコラ・テスラを説得し、ウェスティングハウスの交流電流システム特許使用料を放棄させる。エジソンは自分の作った会社から追い出される。これによって電流戦争にウェスティングハウスが勝利を収める。

 著者によると、この結末は実際に起こったことだという。しかも著者は、最後の場面にナイヤガラ瀑布にトーマス・エジソン、ジヨージ・ウェスティグハウス、ニコラ・テスラそれにポール・クラバスを集めて友好的な雰囲気を創造している。実際は会合はあったらしいが、エジソンは出席していないとか。これは時代を変えたエジソン、ウェスティングハウス、テスラという偉大な人物への敬意に他ならない。

 トーマス・エジソンが創立したエジソン・ゼネラル・エレクトリック社は、エジソンを取り除いたゼネラル・エレクトリック社としてアメリカ最大の総合電機メーカーでコングロマリット企業として現在も存続している。

 ウェスティングハウスは、ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーという名前で、原子力関連企業として存続している。

 ニコラ・テスラは、イーロン・マスクの押しかけ創業者となったテスラモーターズがテスラを敬意をもって命名した。

  著者グレアム・ムーア|GRAHAM MOOREは、米シカゴ生まれ。2003年にコロンビア大学で宗教史を専攻し文学士号を取得。10年に、アーサー・コナン・ドイルの生涯を描いたミステリー小説『The Sherlockian』がニューヨークタイムズのベストセラーリスト入りを果たす。今後の待機作には、マイケル・マン監督やマーク・フォースター監督によるテレビ作品の他、レオナルド・ディカプリオ主演予定のベストセラー小説「The Devil In The White City」の映画化などがある。

 天才数学者アラン・チューニングを描いた映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』でアカデミー賞脚色賞を受賞。授賞式の感動のスピーチが有名。
「アラン・チューリングは、このような舞台で皆さんの前に立つことができませんでした。 でも、わたしは立っています。これは不公平です。16歳の時、わたしは自殺未遂をしました。
自分は変わった人間だと、周りに馴染めないと感じたからです。でも、いまここに立っています。
この映画を、そういう子どもたちに捧げたい。自分は変わっている、どこにも馴染めないと思っている人たちへ。君には居場所があります。変わったままで良いのです。そして、いつか君がここに立つときが来ます。だからあなたがここに立ったときには、君が次の世代に、このメッセージを伝えてください。ありがとう」



読書「秘密THE PRIVATE PATIENT」P・D・ジェイムズ著2010年ハヤカワ・ポケット・ミステリ刊

2023-11-03 17:07:51 | 読書
 フィリス・ドロシー・ジェイムズ(Phyllis Dorothy James)は、イギリスの女流推理作家だ。1920年に生まれ、2014年没であるが『ナイチンゲールの屍衣』『黒い塔』『死の味』で3度CWA賞(英国推理作家協会)シルバーダガー賞を受賞。1987年には作家としての功績を称える CWA賞 ダイヤモンド・ダガー賞を受賞した。さらに1999年にはアメリカのMWA賞(アメリカ探偵作家クラブ)でも巨匠賞を受賞したという作家なのだ。

 私はこの人の作品を読んだことがなく、今回が初読となる。多くのミステリーやハードボイルドでは、バンと事件を明示して一気に読者の関心を集めて犯人探しに時間を割くというのが多い。この人の作品は違った。無残な被害者ルポライターとして有名なジャーナリストのローダ・グラッドウィンについて、生い立ちや性格について詳細な記述があって、二段組の436頁のうち115頁目でようやくローダ・グラッドウィン扼殺事件が発生する。かなり遅い事件発生だ。

 読後にこのことについて考えてみた。生い立ちや性格なんて事件後、なんとでも説明できる。それを導入部に持ってきたのは、この作家の優しさではないかと思う。たとえ死にゆく人であっても、また作中の人物であっても、それなりの尊厳を与えたいと。それに加えこの作家の先進的な考えも文中からうかがえる。

 いくつかの事件が起こるのは、ドーセット州にある農地に囲まれたシェベレル荘園。イギリスでも風光明媚といわれロンドンから約3時間。ここでローダ・グラッドウィンは、左頬の傷の再生手術を受けることになる。この傷は、十代のころ父親のいわれなき逆鱗を伴ってウィスキー瓶で殴打されたものだった。ローダの憎悪は父親が死んでからも続いた。今47歳のローダが思い出したくない過去だった。

 この手術を担当するのは、形成外科の世界では名医と言われるジョージ・パンドラ・パウエル。離婚歴のある男で自身が経営するクリニックでの手術を終え、ドーセット州ヘ向かうメルセデス・ベンツの車中の人となる。高速道路を疾走するジョージは、移動する喜びと開放感に包まれオーディオから流れるバッハのバイオリン協奏曲二短調が心地よい。

 荘園には多くの人が働いている。ジョージの助手としてマーカス・ウェストホール、マーカスの姉キャンダス、婦長フラヴィア・ホランド、支配人ヘリナ・クレセットの他に数名。

 ロンドン警視庁特捜部から派遣されてきたのは、警視長アダム・ダルグリッシュ、警部ケイト・ミスキン、部長刑事フランシス・ベントン・スミスの三人。地道な捜査が続けられるが、マーカスの姉キャンダスの自殺とともに残された自白テープで一件落着となる。

 事件解決後は登場人物の愛と幸せに包まれたシーンとなる。警視長のアダム・ダルグリッシュは、恋人エマとケンブリッジ大学で結婚式を挙げた。従来のしきたりにとらわれない形だった。旧来のしきたりを否定するという表現は、この作家の先進性なのだろう。音楽が流れ説教を省いた短いものだった。

 クリーム色のウェディング・ドレスをまとい、つややかに輝く髪をアップに結い上げてバラの花の冠を飾ったエマは、祭壇に向かって通路を一人でゆっくり歩いた。しきたりは花嫁の父がエスコートするが、エマの父は最前列に座っていた。待っていたアダムは、エマに手を差し伸べた。流れる音楽は、バッハやヴィヴァルディ。

 薄茶色の髪の毛をショートカットにしてサマー・ドレスを着た、知的でチャーミングなケイトには、上司のアダムに対して密かに思う複雑な心境を抱えていたが、かつてサヨナラを宣告したピアーズからのメールに寛容な態度をとる。「家に帰ってきたらどうですか。ケイト」と。一連の事件は人間の本音や本質に迫るもので看過できなくなる。それが人を成長させると言ってもいいかもしれない。ケイトは日に日に成長し円熟が増すようだ。

 形成外科医のジョージは、支配人のヘリナ・クレセットと散歩に出た。二人は事件の後始末に追われていた。荘園の医療部門は廃止、ロンドンのクリニックに力を入れる。空いている厩舎を改装して3つ星レストランを目指す。そしてジョージは、ヘリナに求婚した。「結婚してもらえないだろうか。一緒に幸せになれると思うんだが」その言葉に愛という単語はなかった。聡明なヘリナはそのことを理解している。「愛という言葉を持ち出さなかったわね。正直な方だわ」とヘリナ。

 のちに親しい事務責任者のレティーに打ち明けた。「彼を愛していないでしょ」とレティー。それに対してヘリナは「たぶん今はね。まだ完全に愛しているとは言えない。でもいずれそうなる。結婚って愛情が生まれるか、あるいは失われる過程でしょ。心配しないで、この結婚は長続きするはずよ」

 人を愛するというのは、ありのままの相手を受け止め、成長を願うことだとすれば、この二人は理想的な夫婦になることだろう。

それではバッハのバイオリン協奏曲二短調を聴いていただきましょう。