著者エイモア・トールズの秀逸な比喩が星屑のように瞬き、ロシア系アメリカ人で労働者階級出の女の子ケイト・コンテントの上昇志向が描かれる。読書家で知識の豊富なケイトは、ニューヨークの弁護士事務所や出版社に勤め、上流階級の男を夫とした。
プロローグは、1966年10月4日の夜、中年後半の段階というケイトと企業の合併に手を貸して一日一万ドルを稼ぐその夫ヴァルとともに、ニューヨーク近代美術館で開かれている写真展のオープニング・パーティに出席するところから始まる。その写真展は、ニューヨーク・シティの地下鉄内で人物を隠し撮りしたものだった。撮影されたのが20年前、撮影者がプライバシーを思ってか秘匿していたものだった。
その中に1938年と1939年撮影のティンカー・グレイの写真があった。1938年のティンカー・グレイは、カシミヤのコートを着て、きれいに髭を剃り、オーダーメイドのシャツの襟もとにきりっとウィンザーノットンにしたネクタイが覗いている、一方1939年には、無精ひげを生やしみすぼらしいコートを着て、10キロ近く痩せ薄汚れていた。目は明るくはしっこそうで、まっすぐ正面を見つめていた。唇にかすかな笑みが見える。
ケイトは感じる「三十年の彼方から、出会いの谷の向こうから見つめる眼差しが、運命の訪れのように見えた。いかにも二十八歳の彼らしい目だ」と。そして著者は次のように予告する。「いつのまにかわたしの思いは過去に向かっていた。苦心して念入りに仕上げた申し分のない現在に背を向けて、過ぎ去ったに日々の甘い不安や、偶然の出会い――その時はひどくでたらめで刹那的に思えたが、時とともに運命に似てきた――を、探していた。そう、私の思いはティンカーとイブへ向かい。ウォレス・ウォルコットやデッキー・ヴァンダーホワイトやアン・グランディンへも向かった。そして、わたしの1938年を彩り、形づくった万華鏡のようなめくるめく出来事へ向かった」ケイトにとってティンカー・グレイは、初恋の人なのだ。初恋の人は忘れられないといわれる。ケイトははっきりと言っている「今でもティンカーが好きだ」と。たとえ最愛の夫がいても。
さて、ニューヨーク好きには手放せない一冊だろう。そしてBGM、これに尽きると思うが。フランク・シナトラの「ニューヨークの秋」なのだ。文中ではビリー・ホリディだが、私はシナトラのバラードがいいと思う。
著者エイモア・トールズは、1964年ボストン生まれ。イエール・カレッジ卒業後スタンフォード大学で英語学の修士号を取得。20年以上、投資家として働いたのち、現在はマンハッタンで執筆に専念している。2011年に発表した小説第1作である本書は20言語以上に翻訳され、(ニューヨーク・タイムズ)、(ウォールストリート・ジャーナル)、(ボストン・グローブ)、(シカゴ・っトリビューン)など各紙で絶賛を受けた。以降「モスクワの伯爵」や「リンカーン・ハイウェイ」が好調。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます