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映画「スリー・ビルボード」3っつの看板が引き起こすひと騒動

2018-06-29 16:16:29 | 映画

         
 アメリカ中西部ミズーリ州エビング(架空の町)郊外の古びた三つの看板が、新しい広告主を得てのどかな周囲と裏腹に異彩を放っている。夜間パトロールのディクソン巡査(サム・ロックウェル)がその看板を目にする。

 そこにはこう書かれていた。
一つ目「レイプされ死亡Raped While Dying」
二つ目「犯人逮捕はまだ?And Still No Arrests?」
三つ目「なぜ? ウィロビー署長How Come, Chif Willoughby」。

 この看板の広告主は、ミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)、殺された娘アンジェラの母親である。広告板にあるように死に向かう状態でのレイプという異常者の犯行としか思えないむごい事件。事件から7カ月も経っているが犯人が逮捕されていない。業を煮やし怒りが沸点に達したミルドレッドが思いもしない挙動にでた。

 イラつくミルドレッドにも自分への怒りも秘めていた。夜出かけるアンジェラとの口論が取り返しのつかない結果となって腹立ちが収まらない。というのもアンジェラが車を貸してほしいと言うのを断ったからだ。
「じゃあ、歩いて行くよ。レイプされても知らないからね」
「レイプされればいい」

 売り言葉に買い言葉ではあるが重大なミスを犯す。もし、車で行っていれば殺されることはなかった。思春期ほど厄介なものはない。車を貸してやれば、帰宅時間制限もないに等しいし アルコールやマリワナにまみれ、挙句交通事故なんてゴメンだ。それがまさかのレイプとは。

 この看板の反響が大きく町の住民は、ウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)を擁護する人が多数を占める。人望が厚く期待に応えているウィロビー署長だが、彼には末期の膵臓がんを抱えている。

 その署長を崇拝するのは、人種差別主義者ですぐに暴力を振るうディクソン巡査。ミルドレッドは孤立無援状態。

 歯がぐらぐらすると歯医者に行ったら「言っとくが、署長には大勢の友人が……」言い終わらないうちに、医師の持つグラインダーのようなハンドピースを医師の親指の爪にねじ込んだ。

 告訴を受けてウィロビー署長がミルドレッドから事情聴取をするが、咳とともに血しぶきがミルドレッドの顔にかかる。驚くミルドレッド。担架で救急車に運ばれるときには「ミルドレッドを帰せ」と命じていた。

 その後しばらくしてウィロビー署長の自殺が伝えられた。ディクソンは慟哭の挙句、警察署の向かいにある広告社のドア・ノブを回すなんて面倒くさいと警棒で叩き割り、若き社長をぶん殴り窓から突き落とす。キーキー声の女子社員も顔に一発たたき込み意気揚々と署に戻る。それを見ていたのが次期署長(クラーク・ピーターズ)。即刻クビを宣告されるディクソン。

 家のポーチで母親が呟くのを聞く「仕事に復帰を頼めば?」「退職金はあるのか」ディクソンは「人をぶん殴っているから退職金はないだろう」と言って瓶ビールをぐびりとあおる。
 電話が鳴った。相手は巡査部長のセドリック(ゼリコ・イバネク)だった。
「ウィロビーの奥さんから、お前宛ての手紙を預かっている。お前まだ鍵を持っているだろう。みんなが帰った後にでも署に来てくれ。手紙は机の上に置いておく、それから鍵は置いておいてくれ。手間が省けるからな」母親のいう復帰なんてとんでもない話だ。

 ウィロビーは、家族宛、ミルドレッド宛、ディクソン宛の三通の手紙を残していた。ミルドレッドへは、犯人を捕まえなくて申し訳ないと言い捜査の苦労もにじませながら「実際のところあの広告は名案だった。まるでチェスだ。俺の死は広告と無関係だが、町の連中は関連づけるだろう。だから次の一手として来月の広告費を俺が払うことにした。健闘を祈る」ウィロビーとしてはミルドレッドへの風当たりを避けると同時に、署員の自覚を促しているのだろう。

 田舎の夜の警察署。大した事件も起こらず留置する人間もいない。イヤホーンで音楽を聴きながら懐中電灯で手紙を読み始めたディクソン。

 夜陰にまぎれて黒いフードをかむったミルドレッドが広告社に入って行く。

「ディクソン、俺だ。もう死んでいるけどな。お前にはいい警官になる素質がある。何故だと思う?」

 ミルドレッドが警察署に電話をかけている。イヤホーンで音楽を聴くディクソンには聞こえない。

「お前は本来まっとうな人間だからだ。ウソだと思っているな? だが本音だ、ボケ。欠点はキレることだ」

ミルドレッドがまた電話をする。ディクソンは気づかない。ミルドレッドは警察が無人なのを確かめている。ミルドレッドは「知るか」と呟いて火炎瓶に火をつけて警察署入口に投げる。

「親父さんの死後、お前が苦労したのは分かる。だが憎しみを募らせたら、お前が憧れている職業につけないだろう。刑事だ」

 窓を背にしてイヤホーンを耳に手紙を読むディクソンには燃え上がる炎に気づくはずがない。二個目の火炎瓶が爆発する。

「刑事に必要なのは何だ? 嫌がっても言うぞ。刑事になるのに必要なのは愛だ。愛があれば心が落ち着き考えが浮かぶ。考えれば大事なことに気づく。それがすべてだ」

 火炎瓶がつぎつぎに投げ込まれる。炎はまるで生きていて愛撫するかのように建物を舐めている。ディクソンは相変わらず気づかないで読んでいる。

「銃はいらない。勿論憎しみも、憎しみは邪魔だ。だが冷静さと思考は役に立つ。試してみろ。もしゲイだと言われたら、同性愛差別で逮捕しろ。相手はビックリだ。健闘を祈る。お前はいい人間だ。今まで不遇だった。だが潮目は変わった。俺には分かる」

読み終わったとき、最後の火炎瓶が窓で炸裂する。吹っ飛んだディクソン。立ち上がって燃えかけているアンジェラ・ヘイズの捜査資料を掴んで、猛炎の中を歩道へ転がり出る。

 数日経ってディクソンは、ミルドレッドを訪問する。「アンジェラを殺した犯人を逮捕できそうだ。DNA鑑定に出している。バーで事件とそっくりな話をしているヤツがいて、そいつを挑発して顔を引っ掻いてやった。大量のDNAが採れたという訳さ。その代わりさんざん殴られたけどな」
 引き上げるディクソンに、ミルドレッドは「ありがとう」署長の手紙に影響されたのか人が変わったディクソン。

 ある日の夕方、電話をしてきたディクソンが言う。「犯人でなかった。容疑者は軍人で事件のあった時刻には外国にいた」電話の向こうのミルドレッドの落胆は手に取るように分かる。そこで「アンジェラの犯人ではないが、レイプ犯は確かだ。場所は分かっている。ナンバープレートをメモしてあるからな。アイダホ州だ。行くか?」

 車でやって来たディクソンが、ミルドレッドの車のトランクにショット・ガンを入れた。ミルドレッドがちらりとみてディクソンと目を合わせる。「そう、この銃で殺すんだ」と言っている。

 ミルドレッドの運転で長い旅が始まる。次のような会話で映画は終わる。
ミルドレッド「ディクソン ひとつ話しとく、警察署をやったのは私」
ディクソン「あんた以外に誰がやる?」にやりとするミルドレッド。
さらにミルドレッド「ディクソン 本当にいいの?」
ディクソン「奴を殺すこと? あんまり そっちは?」
ミルドレッド「あんまり 道々決めればいい」

 ここで終わるが道々ねえ! アイダホまで二つの州を越えないと……ほんと長いよ。考え疲れしてしまいそう。そうであっても余情の残るラストは印象的だった。
      
 ミルドレッド役のフランシス・マクドーマンド、ディクソン役のサム・ロックウェルが本当にうまい。涙なしで悲しみを表すとか、罵倒された時の心の動きの表現や何気ないしぐさなど、本作でアカデミー賞主演女優賞受賞のマクドーマンド。助演男優賞のロックウェルは当然だろう。

 このラストに向けて流れる「Buckskin Stallion Blues」が、この映画にぴったりな気がするが。エイミー・アネル(Amy Annelle)でどうぞ。
Amy Annelle - "Buckskin Stallion Blues" from "Three Billboards..." (Townes Van Zandt song)

 なお、ミズーリ州のニックネームは、「ショウ・ミー州」。“証拠を見せろ・やってみせろ”というわけで人々は疑い深く協調性に乏しいそうだ。南北戦争で家族をも敵味方に分断し、いつも近くに敵意が存在した体験が影を落としていると分析されている。それが独立独歩の気風を生んだとの評価もある。(浅井信雄著「アメリカ50州を読む地図」から)

 登場人物の性格描写に少しは反映されているような気もする。原題「Three Billboard outside Ebbing. Missouri」2017年制作 劇場公開2018年2月

監督
マーティン・マクドナー1970年3月イギリス、ロンドン生まれ。

キャスト
フランシス・マクドーマンド1957年6月イリノイ州シカゴ生まれ。
ウディ。ハレルソン1961年7月テキサス州ミッドランド生まれ。
サム・ロックウェル1968年11月カリフォルニア州生まれ。
ゼリコ・イバネフ1957年8月スロベニア生まれ。
クラーク・ピーターズ1952年4月ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。

映画「ポルト」忘れられない一夜は永遠の一夜 アントン・イェルチンに捧ぐ

2018-06-26 20:47:05 | 映画

          
 「イェルチンに捧ぐ」とエンドロールで献辞されるように、27歳の若さでこの世を去った主役のアントン・イェルチンに、鎮魂の意を込めた遺作となった。

 「ポルト」は、ポルトガル北部の第二の港湾都市でここに二人の男女がまみえるさまに、人生の大半を経過した人にはそれぞれの体験を重ね合わせることが出来るし、若く道の先がまだよく見えない人には、将来こんなロマンスが待っているかもしれない。

 アメリカ人のジェイク(アントン・イェルチン)26歳。古代遺跡の発掘現場で見かけた女性と街のレストランで偶然出会う。その女性はフランス人のマティ(リュシー・リュカ)と言い32歳の考古学専攻の学生だった。

 ジェイクは決まった職がなく、臨時の仕事で糊口をしのいでいる。父親が厳格な外交官でジェイクは家を飛び出している。一つに弟の結婚について父親が認めなかったことがある。ジェイクは今、人生をさまよっている状態だ。

 マティにしても、一時うつ病に悩まされたことがあり未だ完治していない。問題を抱える男と女が出会いすぐにセックスへと向かう。

 この映画は3部構成になっていて、上記はパート3の部分。パート1がジェイク。「仕事が嫌いだ」というジェイクは、街をさまよいマティに会い、一夜を共にしたが彼女と離れているととてつもない寂しさに襲われ携帯でマティを呼び出す。しかし、マティの応答はない。ジェイクはマティのアパートの前で早朝から待っていて、出てきたマティを捉まえて「いつも側にいたい」と哀願する。マティは「帰って!」と言ってドアを閉めてしまう。怒鳴ろうが叩こうがドアはピタリと閉じたまま。挙句の果てにマティは、接近禁止命令でジェイクを遠ざける。

 パート2マティ。ジェイクとは一時的な火遊びだったがマティは結婚した。一児を儲けたが今は離婚している。ベランダでタバコを吸いながら何かを思う。

 離れ離れのジェイクとマティではあるが、二人とも思い出のレストランの前を通り過ぎる時、思わず窓から中を覗く。彼らの人生にとってあの一夜ほど充足したものはない。

 パート3の5分にも及ぶセックス・シーンは、驚くほどリアルだ。俳優が本当にセックスをしているのではないかと思ったくらいだ。映像がスーパー8、16ミリ、35ミリフィルムのためデジタル映像ほど鮮明でなく影の部分が多いのも卑猥な感じを薄めている。人生の中で再現したくなる思い出がある。そんなことを思わせてくれた映画だった。2016年制作 劇場公開2017年9月
        
監督
ゲイブ・クリンガー1982年7月ブラジル、サンパウロ生まれ。

キャスト
アントン・イェルチン1989年3月ソ連、レニングラード生まれ。2016年6月没。
リュシー・リュカ出自未詳。
パウロ・カラトレ出自未詳。
フランソワーズ・ルブラン出自未詳。

映画「ニューヨーク、愛を探して」母と娘のそれぞれの愛が語られる。

2018-06-23 16:23:28 | 映画

         
 四人の娘、人物を主に撮る商業カメラマンのリグビー(セルマ・ブレア)、同棲しているボーイフレンドのケーキレシピ探求に手を貸すゲイル(エヴァ・アムリ・マツティーノ)、法律事務所勤めのレベッカ(クリスティナ・リッチ)、有名デザイナーの母親ニナ(シャロン・ストーン)の影響から逃れて住み、独自のデザインを目指すレイラ(アレキサンドリア・ダニエルズ)たち。

 世の中の母と娘は、多かれ少なかれ意見の相違はある筈。それが対立や断絶に至るのは不幸なことではある。しかし、世の中とはそういうもの。母親は豊富な人生経験があり、それを土台とした価値観がある。娘にしても未熟ながら、その年代の価値観がある。いわば新旧の価値観がせめぎ合う。

 四人の娘を登場させて描くこの映画は、やや散漫でちょっと欲張り過ぎかなと思う。女優も男優もそこそこのレベルを集めたせいもあって、印象に残らないものになっている。

 邦題が「ニューヨーク」を冠してあるが、ほとんどが部屋のシーンだった。ついでにニューヨークで思い出したことがある。先日、保守系のネット放送「虎ノ門ニュース」で弁護士のケント・ギルバートさんが言っていた。

 「ニューヨークって本当にすごいね」どこがすごいかは言っていなかったが、ケントさんはユタ州に生まれて育ったので、田舎者の私は大都会ニューヨークに圧倒されたのかもしれない。そんな口ぶりだった。

 そのニューヨークでグラウンド・ゼロ(爆心地)の隣に超高層ビルがオープンした。ここの展望室に上がるにはエレベーターの乗車賃(35ドルといっていたかな)がいるそうだ。私としてはエレベーターの製造元が知りたいところだ。

 映画の方は劇場では公開されず、2017年WOWOWで放映後2018年1月より(未体験ゾーンの映画たち2018)で上映。
        
監督
ポール・ダドリッジ1966年11月イギリス、ウェールズ生まれ。

キャスト
セルマ・ブレア1972年6月ミシガン州サウスフィールド生まれ。
コートニー・コックス1964年6月アラバマ州バーミンガム生まれ。
エヴァ・アムリ・マルティーノ1985年3月ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。母スーザン・サランドン。
クリスティナ・リッチ1980年2月カリフォルニア州サンタモニカ生まれ。
スーザン・サランドン1946年10月ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。
ミラ・ソルヴィノ1967年9月ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。
シャロン・ストーン1958年3月ペンシルヴェニア州生まれ。
アレキサンドリア・ダニエルズ出自未詳。
ステファニー・シャーミ1993年10月カリフォルニア州ロングビーチ生まれ。

映画「Gifted/ギフテッド」数学の天才少女の虜になるよ、この映画。

2018-06-20 10:24:58 | 映画

          
 メアリー(マッケナ・グレイス)は、小さな家にフランク(クリス・エヴァンス)と住んでいる。フランクの姉ダイアンが産んだのがメアリー。ダイアンは数学者で自殺してしまい、残したメアリーを弟のフランクに託した。

 今朝も学校へ行けとフランクは口やかましい。メアリーも子供のくせに口が達者。今朝もこんな会話。
フランク「早くしろ」
メアリー「イヤだ」
フランク「開けて」
メアリー「ノー」
フランク「スペシャルな朝食だ」
メアリー「ウソばっかり」
フランク「メアリー 開けなさい」
出てきたメアリニーに「キレイだ」
メアリー「ディズニーのキャラみたい」フランク溜息。

 メアリーの愛猫、片目の茶トラのフレッドはすでに朝食を食べている。
メアリー「スペシャルな朝食だって?」
フランクは“ケロッグスペシャル”の袋を見せる。メアリーはちらっと見て無言。メアリーは不機嫌なままスクールバスに乗り込んだ。

 ところが算数の授業で桁数の多い掛け算を暗算でやってのけた。驚いたのは担任教師。校長室へ呼び出されたフランクに「私たちの学校ではメアリーに十分な教育を与えることはできない。ギフテッド教育で有名なオークス校なら推薦できる」

 ギフテッドは、先天的に高度な知能能力を持っている人と言われメアリーもその一人。普通の人ならすぐ飛びつくだろう。フランクは違った。そういう学校で嫌な経験もあって、バカになっても普通の学校がいいという。

 そんなとき現れたのがメアリーの祖母イブリン(リンゼイ・ダンカン)。イブリンはメアリーを引き取って英才教育で大数学者に育てたいという願望がある。当然フランクと対立。裁判沙汰になる。ここから先は映画を観ていただきたい。

 紆余曲折があっても、こういう映画はハッピーエンドに決まっている。その過程をキュートなメアリーを演じたマッケナ・グレイスを楽しめばいい。一人前に真剣な怒った顔をするし、フランクが留守の時、メアリーを預かる近所のおばさんロバータ(オクダヴィア・スペンサー)とメアリーの歌って踊るシーンも面白い。
  

  

  

       
監督
マーク・ウェブ1974年8月インディアナ州生まれ。

キャスト
クリス・エヴァンス1981年6月マサチューセッツ州ボストン生まれ。
マッケナ・グレイス2006年6月テキサス州生まれ。
リンゼイ・ダンカン1050年11月イギリス生まれ。
オクダヴィア・スペンサー1972年5月アラバマ州モンゴメリー生まれ。2011年「ヘルプ~心がつなぐストーリー~」でアカデミー賞助演女優賞受賞。

映画「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」斬新性のアイリーン、建築の5原則のル・コルビュジエ

2018-06-17 10:32:04 | 映画

          
 ル・コルビュシエ(Le Corbusier)は、1965年8月に他界した建築家。フランスで多くの作品を残しているが、1959年、東京の国立西洋美術館の基本設計を担当、「ル・コルビュジエの建築作品ー近代建築運動への顕著な貢献ー」の構成資産として2016年7月17日に世界文化遺産登録された。

 アイリーン・グレイ(Eileen Gray)は1976年10月他界した女性。アール・デコ風が特徴で金属パイプを使った家具を製作、その斬新性が人気となったようだ。

 この二人がアイリーンが建てたヴィラ「E1027」を巡って折り合わない様子とレズビアンのアイリーンの恋愛が同時に描かれる。

 1923年ごろではアイリーン・グレイが有名で、ル・コルビュジエ(ヴァンサン・ぺレース)はまだ青二才だった。アイリーンは複数の女性と恋人関係にあった。その中に歌手のマリサ・ダミア(アラニス・モリセット)もいた。

 そんなとき、前衛的建築雑誌「ラクシテクチュール・ヴィヴィント」の編集長をしていた建築家のジャン・バドヴィッチ(フランチェスカ・ジャンナ)から、あなたの記事を書きたいという申し入れを受けた。 
 ジャンが建築家と名乗ったために、アイリーンは建築の手ほどきを願いその見返りに記事の掲載を承諾した。

 ある日、こんな会話が交わされた。
ジャン「普通の結婚を考えたことは?」
アイリーン「結婚に興味はない」
ジャン「では普通じゃない結婚は?」
アイリーン「その違いは?」
ジャン「つまり、男性との恋愛は?」
アイリーン「私には自由が必要なの。仕事や創造のために」
ジャン「自由か。自由は孤独を生む」ジャンはどうやらアイリーンを口説いているようだ。

 別の日、設計図の手ほどき。ついにジャンはアイリーンを手に入れる。ジャン「君の横顔は美しい。キレイだ」その言葉に反応したアイリーンは、ジャンをじっと見つめる。男と女の情感はなるようにしかならない。アイリーンは、初めて男とのキスを経験したのかもしれない。

 そして二人の別荘の構想が浮かび、フランス=プロバンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏アルプ=マリティーム県のロクグリュヌ・カップ・マルタンというモナコに近接するリゾート地に建てることが決まる。

 ル・コルビュジエが口出しをする。1.ピロティ 2.屋上庭園 3.自由な平面 4.水平連続窓 5.自由な立面という新しい建築の5っつの要点を説いた。(ウィキペディアより)

 しかし、アイリーンはル・コルビュジエの「住宅は住むための機械である」という思想を受け入れず、居心地のいい家になった。訪ねてきたル・コルビュジエも機能的で安らぎのある空間に魅了され、感動とともに嫉妬も合わせて持ったと言われている。

 この別荘に名前をつけることになった。あれこれと考えて二人の名前をアルファベット順の番号でE=アイリーン、10はジャンのJ、2はバドヴィッチのB、7はグレイのGで「E-1027」と呼ぶようになった。別名「海浜の家」。

 小高い丘に位置する白を基調にした洒落た家は、アイリーンの家具ともぴったりの調和があって素晴らしい。その部屋の壁にル・コルビュジエが絵を描いたから複雑な様相を見せる。アイリーンは独白する。「私はル・コルビュジエを心から尊敬している。彼が分かってくれていたら」

 一方ル・コルビュジエは「建築家は単なる知識の人間ではない。情に満ちた科学者でありアーティストなのだ。グレイは私が掲げる原則を勝手に修正した。近代建築の5原則という5つの要点に従わなかった」という不満を持っていた。

 いずれにしても、ジャンの死、ル・コルビュジエの溺死(溺死の場面はないが「E-1027」の前に広がる海で溺死したと言われる)。そしてアイリーン・グレイの死に至るまで、この三人の終焉を見ることになる。

 特にアイリーン・グレイを演じたオーラ・ブラディの魅力には目を見張った。決してすべてが整った美人ではないが、ところどころで見せる表情が魅力的だった。

 恋人のマリサ・ダミアが歌う姿を見つめる横顔の視線。海浜の家の前に広がる渚に自作の椅子でくつろぐアイリーン。陽光を受けて眩しいほどの清潔な色気も漂う。白いカーテンと白のシャツという出で立ちのアイリーンは、周囲のすっきりとした雰囲気から神々しくも見える。

こんなセリフがあった。
「君の心の旋律は違っていた」
「あなたの魂を盗む」
これ、何かの時に使えそう。
  

  

      
監督
メアリー・マクガキアン1965年5月イギリス、北アイルランド生まれ。

キャスト
オーラ・ブラディ1961年3月アイルランド、ダブリン生まれ。
ヴァンサン・ぺレース1964年6月スイス、ローザンヌ生まれ。
フランチェスコ・シャンナ1982年3月イタリア、パレルモ生まれ。
アラニス・モリセット1974年6月カナダ、オンタリオ州オタワ生まれ。

映画「婚約者の友人」嘘がテーマ 良い嘘と悪い嘘

2018-06-13 16:31:16 | 映画

          
 1918年11月に第一次世界大戦が終わったが、ドイツ人とフランス人の間で未だ憎しみの火が消えていない1919年。クヴェードリンブルクにあるフランツの墓に、誰かがバラの花を手向けてあるのを見たアンナ(パウラ・ベーア)。

 フランツは、医師のハンス(エルンスト・シュトッツナ)とマグダ(マリー・グルーバー)夫妻の一人息子で、アンナの婚約者だった。戦争が終われば結婚の予定だった。しかし、フランツは戦死した。

 二日続けて墓の前にたたずむ男を見たアンナ。何故か? という疑問が漂う中、その男がハンスのもとを訪れる。ハンスはフランス人と知って有無を言わさず追い返す。その男は、アドリアン・リヴォワール(ピエール・ニネ)と言い「私は殺人者」だと言って出て行った。

 この来訪者にこだわったのはハンスの妻マグダだった。「ひょっとしてフランツの友人かもしれない。フランツがパリに行っていたから」という訳だった。アンナは町のホテルでアドリアンの滞在を確かめて招待の手紙を託した。

 やって来たアドリアンは、想像した通りの話を始めた。フランツとパリで出会い、町の居酒屋やルーヴル博物館に行ったり、アドリアンが音楽学校の出でヴァイオリンをフランツに指導したなどと言い、特にルーヴルではエドゥアール・マネの絵に魅了されたとやや沈んだ表情で語った。

 アンナはアドリアンを町に案内したり郊外を散歩したり、またアドリアンから町のダンスパーティに行こうと誘われたりして親しみを感じ始めた。

 一方アドリアンは、アンナとより近しくなっていくのを不安な気持ちでいた。フランツと友達だったというのが嘘だからだ。真実を話さなくては。1918年9月15日マルヌ県ドルマンでの激しい戦闘の中、塹壕で鉢合わせしたのがフランス兵のアドリアンとドイツ兵のフランツだった。

 銃を構えたアドリアンの前でフランツは絶望の表情を浮かべた。寸分の睨みあいのあと、アドリアンは引き金を引いた。弾丸はフランツの心臓を射ぬいていた。即死だった。アドリアンは、フランツの銃を確かめると弾丸が入っていなかった。このことからアドリアンは、自分は単なる殺人者と思うようになった。そしてフランツの家族に赦しを求める決心をする。

 アドリアンの告白を聞いたアンナは、激しい怒りに包まれた。後日、ご両親に直接伝えたいと言ったアドリアンを抑えてアンナは「もう話した」「ご両親の反応は?」アドリアンの問いには「どこの親も同じでしょ」「そうか。当然だろう」とアドリアン。

 実はアンナは嘘を言っていた。両親はアドリアンの純粋な心にうたれ、会うのを楽しみにしていたし、再びヴァイオリンを弾いてくれるのを望んでもいた。

 時間の経過とともにアンナの心にも変化が見え神父に事情を告白。神父の「赦しを与えたほうがいい」のアドヴァイスが、アンナにアドリアン宛ての手紙を書かせた。しかし、手紙は未達で返って来た。その住所を手掛かりにアンナは、アドリアンを探し始めた。

 なんとかたどり着いたのは、リヴォワール邸のお屋敷だった。そこにはパリ管弦楽団も辞めたアドリアンと幼馴染のファニー(アリス・ドゥ・ランクザン)がいた。雰囲気からしてこの二人は結婚するに違いない。アドリアンへの思いが強かったアンナも、夕食会の席でアンナがピアノ、アドリアンがヴァイオリン、ファニーが歌うのを見て、いたたまれなくなり席を立つ。翌朝、ソーリュー駅でアドリアンとの最後の別れとなった。

 アンナはフランツの両親宛てに次のように記した。「親愛なる両親へ パリにいます。やっとアドリアンに会えました。とても元気で、二人によろしくと言っています。彼はパリ管弦楽団のコンサートマスターです。毎晩オペラ座に演奏を聴きに行っています。コンサートでは私がピアノの伴奏をすることもあります。パリ中を案内してくれて夢のような毎日です。フランツの思い出の場所にも連れて行ってくれました。昨日はルーヴル美術館でマネの絵を見てきました。このような時間をお二人と共有できたらどんなに良いでしょう。いつ家に帰るかまだ分かりません。フランツが愛した街で楽しく暮らしています。お体に気をつけて 愛を込めて アンナ」

 アンナは全くのウソを書いている。アドリアンに会う前に手紙のような想像をしていたのかもしれない。従って、アンナの失意が悲しい。手紙はそんなアンナの苦しい胸の内を告げずに、両親への気遣いが見える。アンナの優しい嘘だろう。

 そしてルーヴル美術館のエドゥアール・マネの作品「自殺」の前にたたずむ。先客の若い男が問いかける「君もこの絵が好き?」アンナ「ええ、生きる希望が湧くの」

 「自殺」を見る人によって感じることは違ってくるだろう。悲劇に同調する人、あるいは無残な死に反発する人も。アンナは強く優しい女性だった。

 この映画はモノクロが基本で、最後のシーンはカラーだった。人間は嘘をつく生き物と言われるが、嘘も人間の心の機微を映していないだろうか。白と黒の映像は、人間の心の影を描出しているようにも見える。印象に残る映画の一つ。2016年制作 劇場公開2017年10月
  

  

  

監督
フランソワ・オゾン1967年11月フランス、パリ生まれ。

キャスト
ピエール・ニネ1989年3月フランス生まれ。2014年「イヴ・サンローラン」も印象に残る。
パウラ・ベーア1995年2月ドイツ、ベルリン生まれ。
エルンスト・シュットッツナ1952年ドイツ生まれ。
マリー・グルーバー1955年6月~2018年2月ドイツ生まれ。
アリス・ドゥ・ラクザン出自未詳

映画「ルージュの手紙」75歳のカトリーヌ・ドヌーヴ 相変わらず妖艶

2018-06-10 15:48:49 | 映画

             
 閉鎖が決まった病院で助産婦として働くクレール(カトリーヌ・フロ)の留守電にメッセージが残されていた。「ベアトリスよ。電話して!」電話番号を告げる言葉で終わる。

 ベアトリス(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、自由奔放に生きた女でクレールの父と結婚したがすぐに行方をくらました。そんな女をクレールが歓迎するはずがない。しかも生みの親でないベアトリスは義母になる。内心腹立たしい。それでもクレールは電話をした。

 助産婦として働くクレールは49歳のベテランで何人も赤ちゃんを取り上げてきた。実直で真面目なクレールは、周りから信頼されている。ベアトリスとは対極にある女性だった。

 ベアトリスの目的は、クレールの父に会うことだった。腫瘍のがんに犯されているベアトリスは、30年も音信不通だったが生涯最後の赦しを求めていた。しかし、クレールから聞かされたのは、「父はもういない。自殺した」というものだった。

 そんな二人が泣き笑い怒り、そしてベアトリスはキスマークがある手紙を残して姿を消す。カトリーヌ・フロもカトリーヌ・ドヌーヴも役柄にぴったりだし、久々にカトリーヌ・ドヌーヴを堪能した。

 ルージュの手紙を残したセーヌ川上流の家庭菜園で、クレールがベアトリスに思いを馳せる場面は、ベアトリスというよりもカトリーヌ・ドヌーヴがいなくなった寂しさをこちらは感じていた。

 ベアトリスは貧しい生まれなのに「ロシアの血を引いたハンガリーの王女」という作り話でクレールの父を騙した。今になっても「私の作り話を信じるとは、おめでたい人ね」なのだ。

 さて、フランスといえばワイン。劇中にも頻繁に出てくる。れっきとした一流のレストランでもないカフェ・テラスのようなお店でもこんな会話が交わされる。
ベアトリス「コート・ボ・ボーヌ?」
店主「ジュブレ・シャンベルタン2013年だ」

 コート・ボ・ボーヌは、ブルゴーニュ地域圏コート・ドール県南部にあるワイン生産地。日本では1万円前後で売られている。ジュブレ・シャンベルタンは、ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏コート・ドール県のコミューン。これも1万円前後。

 ワインとフランスの狭い街角に庶民の生活が垣間見える映像に、いまだ衰えない色香のカトリーヌ・ドヌーヴの余韻は長くあとを引いた。
  

  
監督
マルタン・ブロヴォ1957年5月フランス生まれ。

キャスト
カトリーヌ・フロ1957年5月フランス、パリ生まれ。2015年「偉大なるマルグリット」でセザール賞主演女優賞受賞。
カトリーヌ・ドヌーヴ1942年10月1998年「ヴァンドーム広場で」で、ヴェネチア国際映画祭女優賞受賞。
オリヴィエ・グルメ1963年7月ベルギー生まれ。2002年「息子のまなざし」でカンヌ国際映画祭男優賞受賞。

映画「オン・ザ・ミルキー・ロード」ハヤブサ、熊、大蛇、ロバ、蝶々までお友達それに絶世の美女も

2018-06-07 16:09:43 | 映画

              

 どこかで隣の国同士が戦争をやっている。故あってコスタ(エミール・クストリッツァ)は、ハヤブサを肩に、ロバに乗ってミルクを前線に届ける仕事をしている。ミルクを作るのは元体操選手のミレナ(スロボダ・ミチャロヴィッチ)で美形。ミレナはコスタに思いを寄せるが、コスタはそれほどでもない。

 ミレナには戦争に参加している兄のジャガ(プレドラグ・マイノロヴィッチ)がいる。戦争が終われば帰ってくるはずで、今からお嫁さんを用意しようと奮闘する。ある男から紹介されたのが超美人の女性(モニカ・ベルッチ)だった。彼女を見たコスタは、絶世の美女に見え心を惹かれる。

 故あるコスタだがその故とは、父が目の前で斬首され弟は精神病院へという恐ろしい記憶を持っている。絶世の美女も過去に忌まわしい記憶を持っている。母親はイタリア人、父親はセルビア人でローマから父親を捜しに来て、戦争に巻き込まれる。
 流民となったが英国人の将軍と深い仲になり、この女のために将軍は妻を殺した。まずいことに彼女は不利な証言をして将軍は刑務所に入った。将軍が出てきたら……彼女は脅えている。

 動物たちが面白い動きをする。コスタは楽器奏者でもあって、その演奏に合わせてハヤブサが肩を動かして踊る真似をする。また、鏡の前でニワトリが、飛び跳ねる自分を見ている。大時計の針はくるくると回って止まる気配がない。

 兄が帰って来てミレナは、兄妹同時結婚と言ってはしゃぐ。今一つ乗り気でないのがコスタ。そんなある日、戦争が終わった。酒をがぶ飲み、踊り狂う。イタリア生まれのモニカ・ベルッチもユーゴスラビア生まれのスロボダ・ミチャロヴィッチも情熱的でセクシー。

 そんな喧騒をよそにヘリコプターから垂れ下がったロープを伝って降り立ったのは、黒ずくめの特殊部隊兵士だった。どこの国の兵士か分からないが、かつてのナチスドイツ軍のヘルメットをかぶっている。いずれにしても将軍の報復に違いない。この村を皆殺しにするつもりらしい。火炎放射器の炎がすべてを焼く尽くす。

 井戸に隠れて難を逃れたコスタと美女(モニカ・ベルッチ)は、川を下り絶対絶命の滝が目の前に。二人は手に手をとって滝壷へ。ここはファンタジーの世界。湿地帯や水の中に隠れながら羊の群れに追い込まれる。すぐそばに地雷原がある。

 その地雷原を突き切ろうとして羊の群れを地雷原に追う。羊が地雷に触れて次々と倒れていく。硝煙の中から「止まれ!」ついに特殊部隊に捕まった。この兵士も最後の生き残り。いきなり羊を追って駆け出した美女。先を行く羊が地雷で爆死。別の地雷が見える。その時、大蛇が現れ美女をぐるぐる巻きにして爆死を免れる。

 銃を突きつけられたコスタは隙を見て兵士と格闘。その時現れたのがハヤブサ、コスタの肩に止まり兵士の目玉をくちばしでくりぬいた。痛みで飛び上がり駆け出して地雷に触れ爆死。

 「蛇を放せ、そこを動くな」というコスタの声も虚しく美女も地雷に触れて死んでしまった。身はばらばらになり美女の思い出だけがこの地に残った。

 15年後、神職に携わるコスタは、石切り場から人間の頭大の石を担いでこの地雷原を覆い始め、あと少しで完成する。ここは美女の聖地であり、愛がいっぱい詰まった場所でもある。愚かな戦争をやんわりと否定していて、風刺のきいたこの愛の物語をファンタジックでミステリアスなコメディに、監督のエミール・クストリッツァ自らが絶世の美女モニカ・ベルッチのお相手となって思いっきりお遊びのよう。
    

  

  


  

  

  

  
監督
エミール・クストリッツァ1954年11月ユーゴスラビア、サラエヴォ生まれ。

キャスト
モニカ・ベルッチ1964年9月イタリア、ベルージャ生まれ。
エミール・クストリッツァ 
プレドラグ・マイノロヴィッチ1950年4月ユーゴスラビア、ベオグラード生まれ。
スロボダ・ミチャロヴィッチ1981年8月ユーゴスラビア生まれ。

映画「あさがくるまえに」臓器移植医療の様子が描写される。

2018-06-04 15:58:11 | 映画

             
 結論、多くの人が高い評価をしているが、私は高評価はしたくない。なぜなら臓器提供者(ドナー)と受給者(レシピエント)それぞれに苦悩があるからだ。この映画はその辺をあっさりと片付けている。

 脳死と判定されたのは、マリアンヌ(エマニュエル・セニエ)とヴァンサン(クール・セン)夫妻の息子シモン(ガビン・ベルデット)。早朝から友人二人と大西洋に面したフランス北西部ル・アーヴルの近くでサーフィンを楽しんだあと、帰路アイスバーンで起きた事故でシートベルトをしていなかったシモンが重大な損傷を受ける。

 まず、夫妻が呼ばれて医師から説明を受けそのあとコーディネーターという役割の医師トマ(タヘール・ラヒム)から臓器提供の話になるが、夫妻特に夫のヴァンサンが怒って帰ってしまう。
 観ていて思ったのは、脳死判定をこの病院の医師だけの言葉で納得していいのだろうかということ。明らかに夫妻は脳死判定に疑問を持っている。病因の判定ですらセカンド・オピニオンをいわれる時代。検体の移動が無理なら、CTスキャンの写真判定を他の医療機関に求めるのも一考すべきことだろう。こういうたぐいのセリフはなかった。

 さらに、同意の報告をトマに告げたとき、トマはその理由を尋ねなかった。臓器提供を同意した理由はかなり重要に思う。というのもこれからのドナー説得の参考にもなるからだ。その理由をネットから拾い出してみると
「日頃の言動から考えると、臓器提供は本人らしい」
「どこか一部でも生きていてほしい」
「こんなに若くして亡くなるなんて無念すぎる」
「誰かの身体を借りてでも生かしたい」
「燃えて灰になるだけなら、提供してこの世に残したい」 
「誰かのお役に立つのなら」
「いままでさんざん人に迷惑をかけてきた。最期くらい人のお役に立ってほしい」
「輸血で助けていただいたお返し」
「うちが臓器をほしい側だったら、やっぱり助けてほしいから」等々。どの理由も、家族の意思決定には大切な根拠です。 とある。映画はこのうちのどれだというのだろう。

 引用を続けると、ついでながら誰かを亡くすことは、遺された人々にどのような意味をもたらすのでしょうか?
親の死     あなたの過去を失うこと
配偶者の死   あなたの現在を失うこと
子どもの死   あなたの未来を失うこと
友人の死    あなたの人生の一部を失うこと
(アール・A・グロルマン『愛する人を亡くした時』春秋社)
  死後の臓器提供の究極の意味は何でしょうか? それは「絶望の中の希望」になることだと思います。この世からその人の存在がなくなるという死から、臓器だけがこの世に、別の人のからだの中に残り、その人に新しい生を与える。そのことが、最愛の身内を亡くすという最大の悲しみの中にいる家族の決断で行われる。以上はネットのMediPressからの引用。

 この重大な決断を医師がなぜ聞かないのか、そして「絶望の中の希望」というようなセリフが入っていれば、この映画の印象がずいぶんと違ってくる。

 一方受給者(レシピエント)はどんな人だろう。森に囲まれた洒落た家に住む音楽家のクレール(アンヌ・ドルヴァル)。息子二人を持つ年配の女性。かかりつけ医リシュー・モレ(ドミニク・ブロン)から「心臓が悪くなっている。臓器移植を考えた方がいい」と言われるが「自然の流れに任せたい」と否定的だ。

 しかし、レズビアンのクレールは、今やピアノ・リサイタルを開くまでに成長したかつての恋人アン・ゲランド(アリス・タリオーニ)に会い「もっと生きたい」と思うようになった。

 移植費用はどれくらいかかるのだろう。フランスの制度はよく分からないが、日本では高額医療制度で収入によって負担が違う。一例として標準報酬月額27万円未満の場合、負担は57.600円。ただし、臓器搬送費がくせもの、短時間にドナーから レシピエントに届けなければならない。この映画でも小型のチャーター機を使っていた。

 距離にもよるらしいがヘリコプターをチャーターした場合、30万円から500万円と幅が広い。ドナーがなかなか見つからないという事情もあるが、費用面でも敷居が高い人も多いだろう。

 映画はこれといった押し付けがましさはないが、静謐さの中に問題意識を込めたともいえる。ドナーの両親の苦悩を夫ヴァンサンが仕事に集中することに、マリアンヌの放心状態で表したといえる。

 そして違和感があるのは、医師のトマと検死医がドナーの両親が同意したことを受けてハイタッチに近い仕草をしたのには驚いた。医師の世界では単なる日常の出来ごとかもしれないが、ドナーの両親の立場を考えると軽々にはしてはいけない行為だろう。そのあとトマに真剣な表情が戻る場面にしてある。やんわりと批判しているようにも見える。

 もう一つおかしいのは、題名だ。邦題が「あさがくるまでに」だが、原題は「生活を修復する」の意だし、英語では「生活を癒す」とある。より映画の内容を表しているのは「生活を修復する」だろう。
 別居中だったドナーの両親が息子の死によって、また、クレールも恋人との再生を果たそうとしている。

 感動的なのは、ドナーのシモンから心臓を摘出する場面。血流遮断の前にトマが「待って」と言うが、手術医が「待てない」「待つんだ」とトマ。覆いをかけられたシモンの耳にイヤホーンをかけ「シモン、ご両親だよ。妹さんからキスを、おばあちゃんも、恋人のジュリエットが選んだ音だ」と囁く。波の音が流れる。

 しばらくののちトマは、手術医に頷く。「大動脈遮断 0時45分」今までシモンを支えてきた機器類の電源も落とされる。手術場面はかなりリアルだった。一つの命が去り、もう一つの命が蘇る。

 情緒的には良い映画と言える。論理的にはやや不満が残るといったところか。蛇足ながら素人の推測は、臓器移植もやがて細胞の再生がこの分野にも及び、まるで切り傷を治すように簡単になるかしれない。がんも怖い病気でなくなり、人間がいつ死ぬかが問題になりそうだ。2016年制作 劇場公開2017年9月
  

  

  

  

  

  
監督
カテル・キレヴェレ(女性)1980年1月コートジボワール生まれ。

キャスト
タヘール・ラヒム1981年7月フランス生まれ。
エマニュエル・セニエ1966年6月フランス、パリ生まれ。
アンヌ・ドルヴァル1960年11月カナダ生まれ。
ドミニク・ブラン1962年4月フランス、リヨン生まれ。
ガビン・ベルデット出自未詳 
クール・セン1967年2月フランス生まれ。
アリス・タリオーニ1976年7月フランス生まれ。

映画「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」ホームレスが助けた茶トラに助けられるお話

2018-06-01 15:48:34 | 映画

             
 これは実話だそうだ。勘当を受けホームレスとなり、ロンドンの街角で僅かな金を稼ぐため自作の音楽をギターで奏でるジェームズ(ルーク・トレッダウェイ)。

 見向きもしないで通り過ぎる人々。一日の稼ぎは小銭が少々。食べ物の値段にはちょっと足りない。そんな彼を店員は冷たく追い出す。

 ゴミ箱を漁り僅かな食べ物を口にする。そして手を出してはいけない薬物に逃避する。捕まった彼をソーシャル・ワーカーのヴァル(ジョアンヌ・フロガット)は、彼に住居を与えて薬物から抜け出すための指導を始める。

 そんなある日、湯船に浸かりながらのんびりとしているとどこかで音がする。そして見つけたのは、窓の隙間から入った茶トラの猫。なけなしのミルクを与える。夜、寝ていると猫もベッドに上がり込む。出かける時もついてくる。

 隣人のベティ(ルタ・ゲドミンタス)が「ボブ」と名付ける。以来、一人と一匹は一心同体となって駅前での演奏を続ける。見向きもしないで通り過ぎる人が少なくなり、周りを人だかりが囲むようになった。ボブの可愛い姿に人々が癒されるのだろう、囲む人の笑顔が並ぶ。

 やがて出版社の編集者の目に止まり、ジェームズは本にした。ベスト・セラーとなり、ジェームズは家を建て文字通りホームレスから脱却した。めでたしめでたし。

 心温まる癒しの映画だ。ついでに、我が家にも茶トラがいる。こちらは「茶太郎」という名前だ。この茶太郎、なんのとりえもない猫で臭いスプレーでこちらを困らせる。ボブとは雲泥の差。
  

  

  

  

監督
ロジャー・スポティスウッド1945年1月カナダ、オンタリオ州オタワ生まれ。もともと編集者で1982年「48時間」で脚本を担当。エディ・マーフィを一躍有名にした。

キャスト
ルーク・トレッダウェイ1984年9月イギリス、イングランド、デボン、エクセター生まれ。
ルタ・ゲドミンタス1983年8月イギリス、イングランド、ケント、カンタベリー生まれ。
ジョアンヌ・フロガット1980年8月イギリス、イングランド、ノースヨークシャー、スカボロー生まれ。
茶トラのボブ 推定年齢12歳 ロンドン出身か?