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小説 人生の最終章(17)

2007-05-31 11:12:48 | 小説

21

 香田はキーボードをすばやく叩き、けいにメールを送った。
「元気は回復したかい? 私は疲れていたからよく眠れるはずが眠れなかった。けいの姿態がちらついて、息苦しくなるほどだった。けい、抱きしめたい! 再び、柔らかい二つの乳房の丘と鬱蒼とした森の奥に潜む、小さな突起を攻撃したい。どうだろう、来週の火曜日は?
追って、今、けいとの関係を小説風に書いている。しっとりとしたラブ・ストーリーにしたいと思っている。出来上がったら見せるよ。
                                  順一」

 けいはメールを読み終わり、彼が言う攻撃を思い浮かべると、下腹の奥にちろちろと炎が燃えて、その疼きで切なくなる。もう私たちは、なんの虚飾も捨てて、素直に気持ちを分かち合える間柄になったんだわ。

 こんなメールのやり取りが続き、一宮のマンションやけいのマンションで何度も愛を交わしたり、サイクリング、ジョギングそれにキャンプをしたりして、楽しい時間を過ごした。もっとも、時に村上めぐみも一緒に行くこともあった。そのめぐみの目に香田への強い興味が覗いているのをけいは知っていた。
 香田との愛が充分な満足を与えてくれる度(たび)に、けいは空虚さから来る寂寥感に苦しめられていた。
 このまま二人の関係が続き、離れられなくなったらどういうことになるのか。香田の高齢の妻を追い落とすことになったら。そんなことはできない。
しかし、香田との交わりは容易に断ち切れるものでもないことが、一層苦しみに拍車をかけていた。

 クリスマスや正月は、香田にとっても、けいにとっても冷却期間の役割を果たしたようだ。この時季に出歩くわけにはいかない。それに、けいの場合は、息子の恭一に娘が生れ、おばあちゃんとしての義理も生れた。もっとも、けいとしては、おばあちゃんと呼ばれるのには抵抗があったが。
 息子夫婦は共働きで、子供の養育に頭を痛めていた。そこで息子から提案されたのは、一年後をめどにおばあちゃんのけいが、月島のマンションに移ってくるというものだった。目的は、子供の面倒を見て貰おうとしているのは、明々白々だった。
 けいは、もしそうなったとき、狭くてもいいから、独立した住まいが欲しいと言った。息子夫婦は検討すると言った。けいは香田にもそれとなく事情を説明していた。
 そのときが意外に早く訪れた。年が明けた二月の中ごろ、息子からマンションを下見してくれと言ってきた。出かけて見てみると、海は見えないが隅田川が見える。きれいにリフォームしてあって、息子のマンションや地下鉄駅にも近く値段も手に届く範囲だった。そのマンションに決めて、引越しを三月中ごろとした。千葉のマンションは早速売りに出さねばならない。

そんな合間を縫って香田にメールを送った。
「順一 息子のところへの引越しが決まりました。三月中ごろの予定です。じっくりお話ししたいので、こちらに来ていただきたいと思います。来られる日をお知らせください。
お願いいたします。                        けい」
香田は事務的な文面を読みながら、けいとの関係が終局に向かっているのを感じていた。

 けいのマンションの来客用駐車場に車を止めた。火曜日の午前十一時半だった。偶然かもしれないが、けいと会うのは火曜日が多い気がする。けいが、今日はお昼を用意するからという。香田は途中でカリフォルニア・ワインを買ってきた。
最上階にあるけいの部屋のボタンを押した。中で鳴るチャイムの軽やかな音色が聞こえた。インターホーンから「チョット待って、すぐ行くから」けいはどなたとも聞かなかった。香田であることを確信しているようだった。
ドアが開けられると、いつものけいがそこに立っていた。薄い化粧で口紅をきれいに引き、きれいな歯並びを覗かせて微笑んでいた。着ているのは、ムームーのような裾の長いウエストを絞っていないドレスで、緋色に白いバラの花が散りばめられていた。
ドアを閉めて、けいを抱き寄せキスをする。舌が絡まり始めけいが
「だめよ。今料理中なの」香田はあきらめて、あらためて気がついた。
「部屋がすごく暖かいね」
「暖かくしてあるのよ。外が寒そうだから。上着を脱いで楽にして頂戴」
香田は「はい、ワインだ」と言って手渡す。
「あら、ありがとう。私も買って冷やしてあるわ」
香田は、グレイのスラックスに紺のブレザー、Vゾーンは、ボタンダウンのブルーのシャツにペーズリー模様のアスコットタイという洒落た服装だった。
上着とアスコットタイを、玄関の上がり框(かまち)に続く、来客用のクローゼットに収める。リビングからは、遠く富士山も薄っすらと見える。多分ここから眺めるのは、今日が最後になるのだろうなーと香田は考えていた。
けいが「もうすぐ出来るわよ。テーブルのセッティングをお願い」これはいつも行う二人の役割分担だった。香田はキッチンからせっせと料理を運び込んだ。食欲をそそるいい匂いが漂っている。
テーブルに並べられた料理は、かなり手間のかかるもののようだった。
まず「長ネギのサラダ」長ネギをさっとゆでて玉ねぎ、ニンニクを水に晒したものをヴィネグレットソースで合えたものを長ねぎにかけたもの。
次に「パンケース入り若鶏のクリーム煮」八角形の食パンをくりぬき揚げたものに、若鶏のクリーム煮を盛ったもの。
そして、「帆立貝のソテー松の実バターソース」これは簡単にできる料理。あとは、けいのオリジナルの料理がいくつか。
ワインのグラスを掲げて、まず乾杯。
「けい、ありがとう」けいは、何故か言葉が出なかった。頷いて香田のグラスの縁に合わせて、チリンと小さな音を立てた。まず料理とワインの賞味ということで、食べることが優先される。この無言の時間が気楽に過ごせれば、二人の親密度は本物だ。香田とけいの関係は本物だった。香田は「うん。旨い。これも美味しい」と一人頷いていた。そして
「話と言うのは、けい?」と香田が問いかけた。けいは視線を遠くに這わせながら大きく息を吐いた。
「ええ、前にもお話ししたとおり、息子夫婦の子供のお守りを、どうしてもしなきゃいけなくなって、引越しすることになったの。それだけなら、別にお話があると言わなくてもいいわけなんだけど、私は苦しいの」
「苦しい?」と香田。
「私は考えたわ。順一との関係を続けてもいいのかどうか。だってそうでしょう。このままいつまでも続けるわけにいかないわ。いずれ二者択一に迫られるはずよ。
あからさまに言って、順一とのセックスのあと、どうしても寂しさが残るの。夫婦だったら、終わったあとも同じベッドで眠りにつくよね。それに朝ごはんも一緒でないのも耐えられないの。分かってもらえる?」
「ああ、わかるよ」しんみりと香田。
「順一の奥様に悲しみを与えたくないの。息子の近くに引越しをする機会に、私は身を引くことにしたの。分かって、お願い!」香田は目を閉じた。静寂が二人を包み込んだ。けいが、セックスに溺れた女になるのを、不安に思ったことに恥ずかしさを覚えた。やはりけいの、律儀さが表れていた。大きく息を吐いて香田は
「わかった。けいの言うとおりにするよ。いずれどこかで決断しなきゃならないしね」
「だから、今までのようにメールの交換も出来ない。そんなことをしたらまた、順一のことが恋しくなる」けいはうつむきながら言う。
「それじゃ一切の連絡を絶ってしまうということかい? 例えば、クリスマスや正月の挨拶もない?」
「ええ、そのつもりよ」
「けい、そんなの耐えられないよ」
「順一、分かって! 私、あなた以上につらいのよ」順一は立ち上がって窓辺から海を眺めた。さっきの景色は一向に目に入ってこなかった。しばらくして振り向き、けいの目をじっと見つめ
「そうか、けいの決心は固そうだね。あまり無理を言って、けいを困らせるわけにいかないし、私もけいの言う通りにするよ」
「ごめんなさい」と言ったとたんに咳き込みだした。けいは化粧室に飛んでいった。戻ってきて
「最近咳がちょくちょく出るの。風を引いた気がしないんだけど」
「気をつけなきゃ、けい。孫のこともあるから病気なんかしている暇はないよ」
「そうね、順一の言う通りだわ」
それからは、さっきのじめじめした雰囲気は吹っ飛んでいた。二人とも思い出話は出来るだけ避けていた。けいが唐突に
「ところで、小説は出来た?」と聞いてきた。
「それを聞かれるのが恐くて、びくびくしていたよ。残念ながら道半ばというところかな」
「出来上がったら頂きたいわ」
「いいけど、連絡はどうする? メールは一切しないと、さっき言ったよね」
「あっ、そうか。じゃあ小説の件だけの限定メールと言うのはどうかしら?」
「なるほど、考えるね。OK,了解」
香田は一縷の望みを得たと思った。二人は心が少し晴れた気がして、ワインと料理を堪能した。
「けい、デジカメ持ってるかい?」
「ええ、あるけど?」
「けいのヌードを撮って置こうと思ってさ」香田はにやりとして言う。
「だめ、それはだめよ!」けいはキッとして言った。それにめげず
「しかし、最初のデートのとき撮って置きたいようなこと言わなかった?」
「あれはお愛想よ。本心は厭なの。二十代ならともかく、今の私のはいや」香田は立ち上がって、けいの後ろに回りながら
「じゃあ、眺めるのはいいんだろう?」と言いながら、後から両手で乳房を包み込み愛撫しだした。そのままけいを椅子から立ち上がらせ、抱きしめてキスをする。けいはゆっくりと絶頂に登って行った。これが二人にとって最後のセックスとなった。

映画 クリント・イーストウッド『父親たちの星条旗(‘06)』、『硫黄島からの手紙(’06)』

2007-05-28 13:37:51 | 映画

「父親たちの星条旗」
              
 1945年(昭和20年)2月23日硫黄島の摺鉢山に、米軍兵士6人によって日本軍が放棄した鉄管に結わえられた星条旗が翻った。
 2月16日に始まった戦闘が終結したのは、3月26日だった。この戦闘による日本軍の人的損害は、20,933名の守備兵力のうち20,129名が戦死した。米軍は戦死6,821名、戦傷21,815名で、米軍地上部隊の損害が日本軍を上回った唯一の事例といわれる。

 星条旗を掲揚した6人のうち3人がその後の戦闘で戦死した。掲揚したときの一枚の写真が、その後の3人の人生に多大の影響を与える。全米に配信された写真によって3人はヒーローになる。
 この現象を見逃さなかったのは当時の大統領ルーズベルトで、戦時国債の販促に活用する。軍の命令とあれば拒否することも出来ず、全米をセールス行脚に明け暮れる。
 その3人は、海軍衛生士官のジョン・ドク・ブラッドリー(ライアン・フィリップ)、海兵隊一等兵レイニー・ギャグノン(ジェシー・ブラッドフォード)、同じく海兵隊一等兵でネイティブ・アメリカンのアイラ・ヘイズ(アダム・ビーチ)だった。
              
 3人とも自分たちはただ重い鉄管を支えただけでヒーローでもなんでもないんだという思いを抱き、予期せぬ出来事に戸惑ってもいた。主に海軍衛生士官のドク・ブラッドリーの視点が、この映画の根幹になっている。随所に壮絶な戦闘場面を配して戦争の残酷さを描写し、エンディングでは年老いたドク・ブラッドリーが息子に看取られながら息を引き取る場面とその息子のナレーションが印象的だった。
 次のようなナレーションが、兵士たちの遊びで海に飛び込む場面に重なる。“おそらく父の言うとおりだ。英雄なんてものはいない。皆、父のような普通の人間だ。父が英雄と呼ばれるのを嫌がった気持ちが分かる。英雄とは人間が必要にかられて作るものだ。そうでもしないと、命を犠牲にする行為は理解しがたいからだ。だが、父が、戦友たちが危険を冒し、傷を負ったのは仲間のためだ。
 国のための戦いでも死ぬのは友のため共に戦った男たちのためだ。彼らの栄誉をたたえたいなら、ありのままの姿を心にとどめよう。父がそうしたように”

 今年77歳になるクリント・イーストウッドの人生の終焉が迫るとき、なんのてらいもなく虚飾を捨てた心からのメッセージと受け止めた。

 監督・音楽クリント・イーストウッド1930年5月サンフランシスコ生れ。
 キャスト ライアン・フィリップ1974年9月デラウェア州ニューキャッスル生れ。最近の映画では「クラッシュ」に出ていたようだが、2007年度は3本の映画出演がある。‘99年リース・ウィザスプーンと結婚。
              
 ジェシー・ブラッドフォード1979年5月コネチカット州生まれ。着実にキャリアを積みつつある。2007年度は2本の映画出演がある。
              
 アダム・ビーチ1972年11カナダ生れ。2007年度は、テレビ5本、映画2本に出演。2008年度も決まっているようだ。
              
いずれもこの映画のおかげかもしれない。(ウィキペディアを参考にした部分もある)

「硫黄島からの手紙」
              
 硫黄島二部作の日本軍の戦いを描いてあるが、「父親たちの星条旗」を先に観た方が順序としてはいいように思う。「父親たちの星条旗」でメッセージ性のあるナレーションを流していたが、「硫黄島からの手紙」には一切そんなものはない。淡々と事実を描写している。
              
 西郷(二宮和也)の「こんな小さな島、アメリカにくれてやれ!」と吐き捨てたり、米兵が日本兵捕虜を撃ち殺したり、米兵の捕虜に西竹一中佐(伊原剛志)が傷の手当てを命じたり伊藤中尉(中村獅童)の見事に洗脳された軍人など誇張するでもなく描いている。
              
 観る人それぞれの思いがあるだろうが、根底にあるこの地に散った日米の将兵に対し、ただ事実を伝えることが唯一の鎮魂になるというメッセージは伝わってくる。

 ではなぜこんな小さな島が激戦地になったのか。東京からおおよそ南へ1,250キロの小笠原諸島に属する火山島で、ここに日本軍は基地を構築していた。そしてここが最後の砦としていた。
 米軍は1944年11月以降B-29爆撃機による日本本土爆撃を開始した。しかし、硫黄島は日本本土に向かうB-29を無線で報告する早期警戒拠点として機能しており、米軍基地があるマリアナ諸島からの出撃では距離の関係上、護衛戦闘機が随伴できなかった。
 それに、日本上空で損傷を受けたり故障したりしたB-29が、マリアナ諸島の基地までたどり着けず海上に不時着することも多かった。そして、しばしば日本軍爆撃機が硫黄島を経由してマリアナ諸島の米軍基地を急襲し地上のB-29に損害を与えた。
 米軍は日本軍航空機のサイパンへの攻撃基地としての硫黄島の撃破、レーダー早期警報システムの破壊、航法上B-29は硫黄島を迂回しなければならないというロスの解消、損傷爆撃機の中間着陸場と長距離護衛戦闘機の基地の確保という目的のもと大部隊を投入した。
             
 硫黄島の戦いについて、当時、戦時中のみ天皇直属の最高統帥機関であった大本営の放送は次のようなものであった。「17日夜半ヲ期シ最高指導官ヲ陣頭ニ皇国ノ必勝ヲ安泰トヲ祈念シツツ全員壮烈ナル総攻撃ヲ敢行ストノ打電アリ。通爾後通信絶エ、コノ硫黄島守備隊ノ玉砕ヲ、一億国民ハ模範トスヘシ」(ウィキペディアから引用)いやはや、国民に死を求めているとは、どこまで狂っていたのか。
 この大本営は、太平洋戦争末期になると戦況の不利をいかにも有利なようにでっち上げて放送したといわれていて、国民を欺いた罪は大きい。敗戦と同時に大本営は姿を消す。

 それにしても硫黄島の戦いが終わるや否や1945年3月26日から6月23日まで、多くの民間人の犠牲者を出した沖縄戦に突入した。そのあと8月6日広島に原爆が投下され、8月9日には長崎にも投下されて、民間人が多数犠牲になった。 ようやく8月15日天皇のいわゆる玉音放送で敗戦が決まる。硫黄島以降の犠牲は必要だったのかという疑問がぬぐえない。まあ、特攻隊という人命無視もはなはだしい発想の軍部指導者たちだから意に介さなかったのだろう。それがなぜ英霊といわれる将兵と同じ靖国神社に合祀されているのか、理解に苦しむ。

 ここまで思考を広げると、映画から離れすぎたようだ。映画に戻ると、一つの戦いを双方の視点、この場合日米それぞれの視点で描くという発想は、かつて誰も思いつかなかった稀有なことで称賛に値する。
 それもかつて日米合作映画のように中国的なイメージの音楽やアメリカ人俳優のわざと目を細くしたメイキャップなどの不快なものではなく、(チョットたとえが古いかな!)まじめに取り組んでいるのには好感がもてる。
 イーストウッドが、これからどんな映画を私たちに与えてくれるか楽しみではある。クリント・イーストウッドほか「父親たちの星条旗」とスタッフはほとんど変わらない。音楽の担当に、息子のカイル・イーストウッドをあてている。1968年5月ロスアンジェルス生まれで、ニューヨークのジャズ・コミュニティでよく知られるベース奏者。
              
 キャスト 渡辺謙1959年10月新潟県小出町生れ。
              
      二宮和也1983年6月東京生まれ。
      伊原剛志1963年11月小倉市生まれ。
      加瀬亮1974年11月横浜生れ。
      松崎悠希。
      中村獅童1972年9月東京生まれ。

小説 人生の最終章(16)

2007-05-27 12:46:59 | 小説

20

 香田と別れて自宅に戻ったけいは、気だるさとともに何か空虚な気分に襲われていた。あまりにも急展開な三日間だった。予測したとはいえ、自らの積極的な言動に顔が赤くなるのを感じていた。
 しばらく前から、夢でセックスの場面が現れていたし、村上めぐみの「したくなるの」と言う言葉に刺激されたのだろうか。あるいは、あまりにも長いセックスレスの時間にも影響されたのか。香田の放つフェロモンが、われを忘れさせたのか。いずれともけいには判然としなかった。
 ただ、はっきりしているのは、この空虚な気持ちのことだった。セックスのあとそれぞれの家に帰るという、今まで経験したことのない状況が受け入れられない。手を伸ばせば相手がいてくれるという安心感は望めない。まるで売春夫と寝ているみたいだ。売春夫がいるとして。
 それにも拘らず、今日も香田を誘おうとした。あれほど奉仕してくれて、疲れているのが分かっていながら。私は自己本位の女なのだろうか。新しい相手とのセックスがこれほどまで女を変えるものなのか。夏の太陽に輝きを増した東京湾を眺めながら、けいは考えていた。

 一夜明けると、きのううじうじと考えていたものが、かなり薄れているのが分かった。けいは身支度を整えスポーツバッグを持って、自転車でジムに行った。
 ジムにはいつものように京子がにっこりしながら迎えてくれた。京子が「村上さんもトレーニング中よ」と教えてくれた。機器に囲まれて大汗をかいている村上めぐみを見ていて思わず笑っていた。ちらりとけいに視線を向けためぐみは「なに笑ってるの?」と言っている。
 それに答えずに、けいは自転車漕ぎを始めた。しばらくすると強度を強めにしたためか、汗が滴り落ちてきた。足もだるくなってきた。もしかして、香田との交わりが激しかったからか。思い出してにやりとしていた。けいの肩をたたいて横に立っためぐみが
「なんだか嬉しそうね。何があったの? さっき、私を見て笑ったでしょう」
「あっ、あれはあなたを笑ったんじゃないわ。あなたの太ももよ」
「私の太もも?」
「そう、太ももよ」
「それがどうしたのよ」とめぐみは怪訝な顔で言う。
「だってすごい筋肉がついてるじゃない? セックスのとき、その太ももで相手の胴を締め付けたら、アレが縮み上がっちゃうんじゃないかと思って」とめぐみの耳元で言う。めぐみは大笑いをして
「何を言うかと思えば――ああ、分かった。あなたアレをしたんでしょう。嘘つかないで、顔に書いてあるわ」めぐみの口元がにやりとしていた。けいは何も言わなかった。何も言わないのは認めたことになる。まあ、いいや、お好きなように、とけいは思う。
 ひと通りトレーニングを終えて、京子のいるカウンターの前で、早速めぐみが仕切り始め、結局けいのマンションで夕食を共にすることになった。料理当番はけいが努める。

 手間のかからない美味しい料理は、けいの手持ちのレシピではこれしかない。スーパーで豚ロース肉、生クリーム、生ハム、シャンピニヨン、グリュイエールチーズ、きゅうりをはじめ野菜類を買い込み、ワイン五本ビール六本パックを持ち帰った。もうこれで汗だくになってしまった。
 これが、豚ロース肉のフォイル焼きになり、生ハムのサラダと買い置きのチーズ類のカナッペになり、足りなければなんとかなるさというわけで、テーブルにローソクを灯すセッティングで彼女たちを待った。
 彼女たちは午後六時きっかりに、玄関のチャイムを鳴らした。手に手に何か持ってあらわれた。京子はアイスクリーム、めぐみは、ビーフジャッキーの差し入れだった。彼女たちはテーブルを見て、これどういう意味? と聞くがなんでもないわよと軽くいなす。
 三人揃ったところで、形だけの乾杯をする。けいは言った。
「過ぎ去った日々に感謝し、これからの時間は大切に、そのために健康を祈って乾杯」
ワインを一口飲んだめぐみが
「意味深だわね。けい、どうだったのよ」
「そんなに知りたいのなら、ハッキリ言うわ。セックスを楽しんできたわ。それも充分にね!」と言ってワインをグイッと空ける。めぐみの追及はやまない。
「充分にって、どういう意味?」けいはワインをまたグイッと飲んで
「よく聞いてよ。一回しか言わないから。火曜日の夜一回セックスをした。その一回で二回絶頂に達した。翌日、朝セックスをした。そのときも二回絶頂に達した。その日の夜も同じセックス。どう、これで納得?」
二人は、ぽかんと口を開けて、けいを見つめるばかりだった。ようやくめぐみが口を開いた。
「分かったわよ。でも、そんなことがあるのかしら、信じられない。日を置かず時間を置かずによ」京子は可愛そうに
「私、まだ絶頂感の経験がないの。どんな感じなのかしら」めぐみが年長者として訓戒を垂れた。
「お気の毒に。言葉では言えないわ。とにかく、狂いそうになるくらい、気持ちいいのよ。体験しないと分からない。いい男にめぐり合えるのを祈ってるわ。京子さん」
「でもね。そういういい思いをするんだけど、何か空虚な感じが拭えないのよ。だって、そうでしょ。終わったあとは、私は自分の家へ、彼は奥様の待つ家に帰るわけでしょう。一緒にいてくれると言う充足感はないのね。まだ始まったばかりなんだけど」とけいは言いながらどこか空(くう)を睨んでいた。
 ワインやビールを飲んで、お喋りをして二人が帰ったのは、午後十時を過ぎていた。食器の後片付けをしながら、けいはまたもや寂寥感に身がすくむ思いをしていた。香田にまた抱かれたくなった。

時事 築地市場に問題発生!

2007-05-24 13:05:20 | 雑記
 23日の産経新聞インターネット記事によると、東京中央卸売市場・築地市場で、毎日500人ほど訪れる外国人観光客の見学を制限する動きが出ているという。
 せり場でマグロに手を触れるなどマナーの悪さが目立ち、業務に支障が生じているため部分的に立ち入りを制限する方向という。外国人の数が飛躍的に増えたのは、ここ4,5年のことのようだ。
 背景には世界中に飛び火した「すしブーム」があるとされ、本場の“聖地”を訪れる観光客が後を絶たない。私がこの間読んだテオドル・ベスター著「築地」も少し影響しているのだろうか。

 一度場内市場に入ったことがあるが、市場関係者の往来に気おされておちおちと買い物をする気分ではなかった。それに引き換え、外国人は遠慮というものをあまり気にかけないようで、10年以上前にも、昼間ちらほらと外国人を見かけたが、店先の試食品を片っ端から口に放り込んでいた。最近の日本人も同じようなことをするようになった。
 どうやら世界的に優雅さがなくなりつつあるのだろうか? 若い女の子ばかりでなく、中高年もがさつな気がする。

読書 ジョン・D・マクドナルド「薄灰色に汚れた罪」

2007-05-22 12:53:45 | 読書

               
 1916年~1968年の生涯に、五百とも六百とも言われる短編、六十九もの長編など数多く発表し、ローレンス・ストリート編「ミステリーの書き方」や、ディーン・R・クーンツ「ベストセラー小説の書き方」の中で、この人を例に挙げたり本人がコメントしたりしているほど、物語るという点では誰にもひけをとらないと言われている。

 この作品は、人気作家となるきっかけになったトラビス・マッギー・シリーズの一編で、1968年(昭和43年)の作品。
舞台は、アメリカのペニスといわれるフロリダ半島で、小さなクルーザーがマッギーの住まい。アウトドア好みの男には、ログハウスやクルーザーで生活することはロマンティックな見果てぬ夢で憧れの対象だ。
 ログハウスは動くことが出来ないが、ボートは移動が簡単で利便性に優れている。それに女の子を引っ掛けるには都合がいい。ログハウスで水着は雰囲気に合わないが、ボートはぴったりだ。マッギーもやはりプレイボーイの片鱗を見せる。

 かつてアメフト仲間で親友のマリーナ経営者タッシュ・バノンに会うためボートを走らせる。道中若干の文明批評が織り込まれながら気分のいい出だしになっている。
 “FMラジオは、電波の届きにくいアメリカの広大な地域にサービスを提供するという意味では偉大な存在だ。しかし、あまりにも商業化されてしまって、音楽を冒涜するもの、安っぽい騒音を撒き散らすものに成り下がってしまった。
 それがこの結果。くだらないバカ話や古臭いロック、エレベーターやバスのり場やハワード・ジョンソンズ(アメリカのレストラン・モーターロッジ・チェーン。今でもあるのだろうか?)なんかで流れている甘ったるい音楽を避けようとすれば、ダイヤルを合わせるのに一苦労することになる。
 あきらめかけていたとき、誰かがレコードを置き違えたのか、デヴィッド・ブルーベック(ジャズ・ピアニスト)がコール・ポーター(1893年~1964年、作曲家)の曲を弾いている。チョット変わった、感じのいい音が聞こえてきた。ちょうど、『ラヴ・フォー・セール』がやさしく心地よい音色で始まったところで、それはやがて滑らかに、ジョー・モレロのドラムと小気味のいい掛け合いを披露するポール・デズモンドのサックスへと変っていった”

 その友人タッシュ・バノンがある日自殺したと知らされる。そこには友人が持つ土地に絡む強欲な男の影が浮かぶ。疑いを持ったマッギーは調べ始め、株式にめっぽう詳しい友人マイヤーともども大規模な信用詐欺を展開する。
 目的は残された未亡人と子供たちのこれからの生活資金、それに強欲な男から詐欺的に搾り取ることだった。
 この本のいいところは、ボートの中で犯人の襲撃にあい未亡人のジャニンともども手錠で拘束されてしまう。マッギーはなんとか拘束から逃れ犯人と格闘の最中、ジャニンが消火器で犯人を滅多打ちにして殺してしまう。
 正当防衛を主張して警察に届けるどころか、フロリダ沖に沈めてしまうというところだ。正義感をちらつかせないところがいい。
 
 それに、マッギーと半年同棲した赤毛の大女パス・キリアンの人物造形が魅力的だ。そのパスが不治の病に侵されていると判明するエンディングは、余情を残しこの作家の別の本にも手が伸びることになる。

 著者は、ペンシルヴェニア生まれでペンシルヴェニア大学、シラキューズ大学を卒業後、ハーヴァード大学で経営学修士号を得る。第二次世界大戦中は、CIAの前身であるOSS(戦略情報局)に所属し、アジアを転戦。その頃から執筆活動を開始し、1950年、『真鍮のカップケーキ』で長編でのデビューを飾った。代表作には、映画化された『ケープ・フィアー』のほか『夜の終わり』、『コンドミニアム』などがある。

小説 人生の最終章(15)

2007-05-21 14:03:55 | 小説

19

 一宮町東浪見(とらみ)にあるマンションの四○二号室のドアを閉める間もなく、二人は唇を求め合い激情が一気に爆発した。
「あああ…」半ば泣き声のけいが激しく喘ぐ。香田の舌は、けいの首筋から耳を這い回り、右手はサマードレスのベルトを剥ぎ取り、ボタンをはずしてキャミソールの上から胸を愛撫する。しかし、まだサンダルも履いたままだ。
「けい! けい! まだサンダルを履いたままだし、部屋に上がろう」けいの絡まる舌から逃れるように、香田は言う。
 せっかく高潮した気分を阻まれて不満そうな顔が頷いた。部屋は窓を少し開けてある程度で、暑さが満ちていた。エアコンのスイッチを入れて、けいを抱き寄せた。
「マットを敷くよ。ドレスだけ脱いで後はつけたままで。私が脱がせたいから」けいは、軽くキスをして化粧室に消えた。
香田はマットを敷いて、窓のカーテンも閉める。暮色に包まれ始めた部屋は、カーテンを閉めると暗すぎる。娘が癒しに使っている太目のローソク三本を灯す。振り返るとけいが立っていた。
「ロマンティックで素敵ね」言われた通り黒のキャミソールと黒のパンティでセクシーだった。香田はポロシャツと短パンを脱ぎ捨てた。けいを抱き寄せて、そっと寝かせキスをする。キャミソールとパンティをゆっくりと脱がせていく。息を呑むほどふくよかで弾力のある乳房を掌(てのひら)で包みこむ。
 香田の右手は、ゆっくりと下りていき女体の敏感な部分に触れた。興奮が最高潮に達しようとしているようだ。その部分は溢れんばかりの潤いに満たされていた。
けいに香田がのしかかり、やさしくゆっくりと入った。けいは「あっ」と小さく呟いて、二人が合体したことに感動とともに涙が香田の肩を濡らした。
 腿を香田の胴に絡めた。けいは忘我の境地にさまよっているようだった。いよいよそのときがやってきた。けいは、強くしがみついて果てた。しばらく荒い息をしていた。香田はまだだった。けいの背中を撫でてやりながら、耳や肩にキスの雨を降らせた。ようやく顔を上げたけいは、「ありがとう。よかったわ。幸せな気分」そこで気がついたのか「あら、まだ?」
「うん」といってけいの息の回復を待ち再び交わった。ゆっくりとした律動の果てに絶頂に達した。けいは、思わず呟いた。
「ああ、よかったわ。二回も続けてイクなんてはじめて」

 翌朝八時に起きた二人は、海岸を散歩した。昨夜は、セックスのあと食料や衣類の買い物に出かけた。今着ているのが買ったもので、けいは白のTシャツにブルーの短パン、香田は、白のTシャツに黒の短パン、足にはビーチサンダルという恰好だった。どれも驚くほど安い品物だ。それに、部屋では出来るだけ衣類は身につけないことにしようと合意していて、けいが見繕ったものがある。
「いつまでここに居られるの?」とけい。
「そうね。金曜日の夜から娘が来るから、木曜には引き払うことになるだろうね」
「そう、じゃあ、今夜はいいわけね。それから、名前をどう呼べばいいのかしら。香田さん? 順一さん? それとも順一?」
「妻はお父さんと呼んでいるけど、それはないだろうね。順一でいいよ。あなたのことをけいと呼んだから」けいは律儀なところがある。
「それで決まりね。順一説明してよ。この辺のこと詳しいんでしょう」
「早速使ったな。ところで、ノーブラなんだろ?」
「そうだけど、何なの? 映って見えてる?」
「いや、まあ、乳首の辺が突っ立てるから、今の時間やこの辺はいいけど、昼間はTシャツの場合ブラジャーをしたほうがいいだろうね」
「わかったわ。きのう買ったのよ。私ブラジャーつけるの、あまり好きじゃないのね。なんだか窮屈に感じるわ」
「ところで、その胸の話に関連するんだけど、胸の大きな人ってジョギングなんかに不都合はないのかい?」
「それ、私のことを言ってるの?」
「あれえ、けいは自分でも大きいと思っているんだね」
「んー、Dカップだから大きい部類に入るのかしら。でも、心配は要らないわ。スポーツブラでゆれないようにしているから。あっそうそう、そんなことより、女から見て男の一物よ。走るときって、ぶらぶらして邪魔にならない?」
「まいったなー。なんだか一本やられた感じだな。心配いらないよ。うまく収まっているから」こんな他愛もない会話が延々と続いていく。

 今にも雨が降りそうな気配が漂い、鉛色の海は魅力のない女のようだった。かなり年配の夫婦とすれ違うとき、お互い微笑みながら「おはようございます」と挨拶、一瞬心が通ったように思う。けいが
「いいご夫婦ね」と呟く。
「ああ、そうだね。人生の最終章に入ったかな。私のページも随分すすんでいるかも」と順一が返す。
「よして! 夜が元気なんだから、そんなことは考えないで!」とけいはふくれっ面をして腕を絡ませてきた。
部屋に帰りつくと、待っていたように雨が降り出した。けいは買い物袋からなにやら取り出して、こちらに放ってよこした。開けてみると女性用のTバックだった。
「これを穿くの?」
「そお、穿いて。黒光りした一物を見せるより、これで隠した方がいいでしょ」とのたまう。香田は思う。なんとまあ、セックスの前と後がこれほどの違いがあるとは思いもしなかった。主導権が握られた。香田がかろうじて言ったのが
「けいは、何を着るの?」の一言だった。
「ちょっと待って、着替えてくるから」
けいはわざわざ化粧室に姿を隠した。出てきたとき、香田は息を呑んだ。肌が透けるキャミソールにこれも透けるTバック姿だった。キャミソールに包まれた乳房は、乳首や乳輪が浮き出ていて、Tバックは、黒い陰毛が鬱蒼と茂り、余分な毛が横からはみ出していた。
「目の保養を楽しんだら、愛撫してあげる。今日は私が奉仕する番ね」
やれやれ、今日は一日中セックスのお相手なのだろうか。香田の精力が回復する暇もない。

 朝食はトースト四枚とベーコンエッグという献立。それをビールとともに食する。トーストを食べようとすると、けいが「ちょっと待って」と言ってニンニクをすり込んだ。ガーリックトーストの出来上がり。精力回復にというわけ。
 ビールでほろ酔い気分になり、けいが一段とまぶしくセクシーに見え始めた。
トイレに行って戻ると、けいの背後から乳房を両手で包み込んだ。そしてうなじに舌を這わせた。けいは振り向く格好で顔を向けた。唇を合わせると舌を絡めてきた。これがきょう最初のセックスの始まりだった。
 食前食後は大げさかもしれないが、この日の夜遅くにも交わり、香田はどれも射精はなかった。どういうわけか勃起はするので、けいの満足度は高いはずだ。朝、夜それぞれ二回のオーガズムに打ち震えていた。毎回こんなに高まり絶頂感を味わうなんて信じられないとけいは言う。香田はセックスに取り付かれた女の執念の危険性に不安を感じ始めていた。

 翌朝二人は、帰路についた。車の中では、けいが香田の腿に手を当ててさすっていた。
「いやー驚いたね。まさか女性用のTバックを穿かされるとは、思わなかったなー」けいは、くっくっと笑って
「でも、季節向きでよかったでしょ」
「ご主人とはよくあんな恰好をしたのかい?」
「ええ、時々ね。マンネリの打破に」
「効果は?」
「時にはね。あの恰好もマンネリになるようね。きのうは、その必要はなかったようだけど」
「けいの妖艶な姿態が目に浮かぶよ」けいの右手が、香田の太ももをぎゅっと握った。
けいのマンションの前で車を止めた。
「どお、お昼ご飯家(うち)で食べていらっしゃらない?」けいが儀礼的かもしれないが言う。
「うん、でもまだお腹が減っていないし、それに、本当のことを言ってもいい?」
「いいわよ。なんなの?」
「実は、くたくたなんだ。それで食欲もないしね」
「あら、それ私のせい?」
「いや、すべてとは言わないが」
「半分ぐらいはあると? でしょうね。でも、本当に素敵だったわ。私溺れそう。順一とこうして座っていると、もやもやしてきちゃうの。だけど今日はあきらめるわ。残念だけど」
順一が手を伸ばして、けいの手を握りながら
「悪いけど、そうしてもらえるとありがたい」
「それじゃあこれで,本当にありがとう。私のために食欲もなくしたなんて。皮肉を言っているんじゃないわよ。順一、また会って! お願い!」
「ああ、いいよ。メールで連絡するよ」けいは車から降りた。香田は手を振ってアクセルを踏み込んだ。バックミラーには、車が角を曲がるまで立っているけいが見えていた。

映画 メリル・ストリープ「プラダを着た悪魔(‘06)」

2007-05-17 10:24:36 | 映画

              
 よくある話。厳しい上司に鍛えられる部下という図式。イタリアのファンション・ブランド『プラダ』の衣装をまとったミランダ(メリル・ストリープ)のもとに面接に来たアンドレア(アン・ハサウェイ)が力量を発揮するというお話しをコメディタッチで描かれる。
        
   
 メリル・ストリープが出ているというだけで観たが、これという山場もなく感動や感傷にもとぼしく、ファンション雑誌のカリスマ編集長のカリスマ性を押し付けられる。
 私は一部の金持ちや好事家が好むファッションに関心がないので、数々の衣装を見てもため息一つ出ない。男だから当たり前か。
 この映画にけちをつけるつもりはないが、カリスマ編集長のお好みがスターバックスのテイク・アウトコーヒーという。それも熱々の。一流ファッション雑誌のカリスマ編集長にしてはつましい。なぜ、社内にコーヒーマシンを置いていないのか?
 メリル・ストリープの演技を褒める人も多いが、キャリアと実力を誇る女優なら、この程度の演技は当たり前だ。いずれにしても、ファッションに関心のある人が観れば大喜びするかな。

 監督 デヴィッド・フランケル1959年4月ニューヨーク生れ。
 キャスト メリル・ストリープ1949年6月ニューヨーク生れ。もう60歳に近づいた。それにしてもこの映画での体形はほっそりとしていて、日ごろ涙ぐましい努力があるのだろうと想像する。あるいは、いくら食べても太らない性質なのか? 
 アン・ハサウェイ1982年11月ニューヨークブルックリン生れ。
             
 エミリー・ブラント1983年2月ロンドン生れ。
             
 スタンリー・トゥッチ1960年11月ニューヨーク州生れ。
             
 エイドリアン・グレ二アー1976年7月ニューヨークブルックリン生れ。
 サイモン・ベイカー1969年7月オーストラリア生れ。

小説 人生の最終章(14)

2007-05-15 13:11:52 | 小説

18

 七月四日火曜日、けいを迎えにモノレールの千葉みなと駅に着いたのは、待ちあわせ時間午前九時少し前だった。車の中から周囲を見渡していると、こちらを向いて手を振っている女性が目に入った。
 けいだった。車を降り、手を振り返して、けいが来るのを待った。すらりとした肢体を、白のコットン地のサマードレスに淡いブルーの柔らかい布で出来たベルトを腰の横で結んでいた。
 襟ぐりの深い胸は、黒のキャミソールで谷間を覆いながら、胸の豊かさを何気なく見せつけると言う心憎い着こなしだった。手には麦わら風サマーハットを持ち、白のショルダーバッグを肩から提げ、足元はサンダルで涼しげな装い。薄化粧に口紅をきれいに引いていて、微笑むときれいな歯並びが見えた。
 香田は、こんな素敵な女性とのドライブに興奮していて、妻への後ろめたさはどこかへ置き忘れたようだった。その香田の服装は、カーキの短パンから日焼けした剥き出しの足にスポーツサンダルを履いて、白のポロシャツを羽織っているだけだった。
 近づいて来たけいは、にこやかに「今日はありがとうございます」と言った。
「いえいえ、こちらこそ」と香田は言いながらドアを開けた。けいはお尻から優雅なしぐさで助手席に座り、シートベルトを締めた。
 エンジンをかけエアコンのスイッチを入れて、車を発進させた。エアコンは強い風の吹き出しで瞬く間に車内を快適にする。混んでいる市街地から、国道二九七号線で勝浦に向かう。今日も夏の日差しが強く、三十度は簡単に越えるだろう。車内の静寂を破ってけいが
「香田さん、奥様には、なんとおっしゃって?」
「ただ一宮に行ってくると」
「それだけ?」
「ええ、その一言だけ。ただ、これには説明が要るでしょうね」
「そのようね。で?」けいの表情は見えないが、笑っていないことは確かだ。香田は話し始めた。
「実は一宮には、私の娘が借りたマンションがあるのです。娘はボディボードをやっていて、サーフィンにも興味があるので海の近くに拠点が欲しかったようです。
娘が言うには、家賃を払っているのでウィークデイに空き室にしておくのは勿体ない。お父さんも利用してと言うのでちょくちょく行っているわけです。
 じゃあ、妻がどうして行かないかという疑問が出てきますね。これにも訳があって、子猫を娘が貰ってきたのです。世話のかかるころで、妻はそれにかかりっきりと言うわけで、一宮に行くのも特に理由が要らないのです。
 しかも、一宮には電話もないし、私は携帯電話も持っていません。と言うわけで、一旦家を出れば糸が切れた凧と同じでふらふらとどこへでも行けるのです。これは悪いことですか?」
「少なくともいいこととは思いません。でも、私もこうしてご一緒しているのですから、ある意味で奥様を欺いていると言えるでしょうね」
「まあ、お気持ちは分かります。でも、折角のドライブですから、楽しく過ごすことにしませんか?」
「ごめんなさい。ちょっと固く考えてしまったようです」
車は田園地帯を走っていた。香田は、MDディスクを再生した。ジョニ・ミッチェルの「ボス・サイド・ナウ」で、大好きな曲だった。

 けいはその曲を聴きながら、なぜあんなことを言ったのか。詰問調で断定的な言葉に苛立ちを感じていた。でも、この曲は本当に心に響くものがある。と思っていると口から言葉が自然に飛び出していた。
「いい曲ですね。心に染み渡るようだわ」とけいは言っていた。
「ええ、何度聴いてもうっとりします。実を言いますと、この曲のことは知らなかったのです。映画の中で使われていて印象に残って、図書館でCDを借りてコピーしたのです。
 映画というのは「海辺の家」と「ラブ・アクチュアリー」に効果的に使われていました。よろしかったら、CDに焼いて差し上げますよ」
「CDに出来るのですか。パソコンを使って?」
「ええ、デジタルカメラの映像もCDに焼付けできます。ご迷惑でなければ、あなたのヌード映像もOKです」香田は思い切って言ってみた。
「あらいやだ。私なんかもう人に見せるようなものではないわ」香田の追及は緩まなかった。
「でも、その映像を自分のためにと言う意味なら分かりますか? よく聞きますよ。まだ張りのあるときの自分の裸体を残しておきたいと言う願望があると」
「もうその辺でおやめになって。ええ、ありますとも」と言いながら、香田の左腕を握った。香田は、そっと彼女の手を握り返した。彼女は、その手を自分の膝の上に置いて撫でていた。香田の股間が疼きだした。

 交通事故も起こさずまた起こされずに、勝浦海中公園の駐車場に車を止めた。時計を見ると午前十一時になろうとしていた。海中公園の見学に一時間ほどかかるとして、昼食はこの中のレストランで摂るしかなさそうに思われた。観光地の食べ物は、どこも似たり寄ったりで、美味しいものが少ない。
 そのあと風光明媚といわれる守谷海岸で、素足で海の渚を歩いたり、周辺の探索に歩き回ったりして、一宮に近い太東崎漁港の駐車場には午後四時ごろに着いた。
 車から降りるとむっとする暑さが襲ってきたが、それは一瞬のことで、海からの風が心地よく頬を撫でて通り過ぎる。西からの陽がまだ強く焼かれるような熱気を額に感じながら、突堤に歩いていった。
 サーファーが波間から勢いよく飛び出してボードに立とうとする姿や、釣り人が糸を垂れて熱心に海面を見ているのを、ぼんやりと眺めながらいつの間にか手をつないでいた。
 太東崎漁港の背後の小高い丘に、関東ふれあいの道があって、眺めを楽しむのにいいところだ。二人は急な階段に息を弾ませながら登っていった。ほんのしばらくで平坦なところに出た。左側は太平洋が広がり,右には房総の小さな起伏が見渡せる。けいに手を出すと、汚れたものでも掴むように指先を絡めてきた。
 三百六十度見渡せる突端には、小さな幅の狭いベンチが置いてあり、プラスチックのビールケースで支えてあるのは、地元の人の気配りだろうか。そのほほえましいベンチに座って太平洋を眺めた。香田は景色を意識していなかった。
 午後の遅い時間で人の気配がない。漁港や民家が見えるが、誰もこの展望台を凝視しているとも思えない。香田はそっとけいの手を取ってきつく握った。けいが顔を向けた。二人は見つめあい自然に唇を寄せ合った。舌が絡まり始め、けいのチュニックの上からノーブラの乳房に香田の手が伸びた。突然強い力で体を離された。
「ここでは――厭!」とけいが肩で息をするように途切れ途切れに言う。香田はうなずきながら「じゃあ、下りようか」二人は無言で下りていった。
 二人は、車に座っていた。西日をさえぎる丘で影が増し暗く感じる。海はまだ輝いていた。
「さっきはごめん。思わずああなってしまった」と香田はしょんぼりとして言った。
「いえ、それはいいの。厭といったのは、あそこではと言う意味。香田さん。して欲しいの」といって香田を凝視する。
「えっ、本当に? 後悔しない?」
「大丈夫よ。私も子供じゃないわ。このままお互いのお家に帰ってしまうなんて、耐えられない」とけいは言って大きく息を吐き、目を閉じた。


読書 レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」

2007-05-10 15:57:41 | 読書

              
 アメリカ推理小説作家クラブの1955年度最優秀長編賞受賞、ごく最近村上春樹の翻訳で「ロング・グッドバイ」として再び出版された。
 図書館のホームページを見ると、リクエストの人々が列をなしている。翻訳が村上春樹というのがウリなのだろう。その列に加わるのはもう少しあとでもいい。

 まず1976年発行清水俊二訳のものを読んでみた。私は古い作品を読むことを避けてきた。それは単に性に会わないと思い込んだせいだった。
 ところどころ古い表現があるが、プロットを追うには不都合はない。むしろその古さが、ある種の郷愁をかきたてることもある。
 この作品が上梓されたのは1954年で、邦暦では昭和29年になる。ところが本の中味は、金持ちは豪壮な邸宅に住み、私立探偵のフィリップ・マーローは、ロスアンジェルスの小奇麗な住宅に住んでいる。こんな舞台設定は、いまと変わらない。いろんな点で、例えばインターネットの普及や携帯電話、パソコンなどの変化はあったものの、住についてはそれほど変わっていないし、所得に応じた住み分けがなされている。

 住宅に関して面白い記述がある。“私たちは朝食を食べるために特に作られている小食堂で食べた。そんな小食堂が必ず作られていた時代に建てられた家だった” 私たちはとあるが、これはレストランの前で、ロールスロイスの中で酔いつぶれていたテリー・レノックスを介抱して連れ帰ったためだった。見ず知らずの男に親切にしたがために事件に巻き込まれていく。ところで昼食はどこで食べるのだろう!?

 “君は何を期待してるんだ――ばら色の霧の中に飛んでいる金色の蝶々か”と言った表現が無数にちりばめられ、“金というものは不思議なものだ。ひとところに多額に集まると、金に生命が生れ、時には良心さえも生まれる。
 金の力を制御することが難しくなる。人間は昔から金に動かされやすい動物だった。人口の増加、戦争に要する多額の軍事費、税金の重圧――こういったものが人間をさらに金に動かされやすくしている。
 普通の人間は疲れて、おびえている。疲れて、おびえている人間に理想は用がない。まず家族のために食べ物を買わなければならないのだ。われわれ社会のモラルと個人の道徳が著しく崩れ去ったことを見てきている。
 人間の品質が低下しているのだ。マス・プロの時代に品質は望めないし、もともと、望んでいない。品質を高めると長持ちするからなのだ。だから、型を変える。 今まであった型を無理にすたらせようとする。商業戦術が産んだ詐欺だよ。
今年売ったものは一年たったら流行おくれになるように思わせないと、来年は商品を売ることが出来ない。
 われわれは世界で一番きれいな台所と一番光り輝いている浴室を持っている。しかし、アメリカの一般の主婦はきれいな台所で満足な食事を作ることが出来ないし、光り輝いている浴室はたいていの場合、防臭剤、下剤、睡眠薬それに、化粧品産業と呼ばれている信用だけに頼る事業の商品の陳列所になっている。
 われわれは世界で一番立派な包装箱を作っているんだよ、マーロウ君。しかし、中に入っているものはほとんどすべてがらくただ”と痛烈な文明社会時評も展開する。
             
             レイモンド・チャンドラー
 ‘73年「ロング・グッドバイ」のタイトルで映画化されていて、ロバート・アルトマン監督フィリップ・マーロウにエリオット・グールド、ほかにスターリング・ヘイドン、チンピラ役のアーノルド・シュワルツェネッガーというキャストになっている。なかなか好評のようだ。廉価版のDVDもあるようなので観てみたい。今のところ在庫切れのようだけど。

読書 テオドル・ベスター「築地」

2007-05-06 11:41:42 | 読書

              
 私にとってこの築地という地名は、自分の家から出て角を曲がるように慣れ親しんだところであり、懐かしさがこみ上げてくる。浄土真宗別院の築地本願寺の境内を通り抜けたり、東側の道路を歩いて勤め先のあるビルに通ったりしたものだった。
 それが朝日新聞朝刊で、人類学と日本研究のハーバード大学教授のこの人を紹介する記事が載った。そして「築地」という著作もあるとあった。

 東京都民やその近隣の東京圏の住民なら、築地と聞くとすかさずアメ横と並んで買出し市場と思うはずだ。私も毎年クリスマスが過ぎると買い物客でごった返し、地下鉄築地駅が混雑して閉口したのを思い出す。
 で、この本の研究対象も築地市場で、正式名称は「東京都中央卸売市場築地市場」である。業界の人間は、場内市場と場外市場と言い分けて、門外にある規制外の一般市場と区別している。その場外市場を一般の買い物客はおおむね利用している。

 教授の学術的研究結果は、正直言ってあまり興味を引かない。一度読んでもすんなりと頭に入らないからだ。むしろ教授の気楽な記述の方が興味深い。
 例えば、“少なくともアメリカ人に対しては、築地のニュース報道に『波止場』などの映画でもおなじみの腐敗のイメージがないことを指摘しておくべきだろう。新聞がすっぱ抜いた、ニューヨークのフルトン・フィッシュ・マーケットの組織犯罪や暴力沙汰といったスキャンダルのイメージも。
 築地を訪ねるアメリカ人は、ほぼ本能的に、この市場にも影の部分があるはずだと思ってしまう。日々のあわただしい取引の影では、暗黒街のボスが幅を利かせ、価格を決めたり、せりで不正をしたり、とにかく脅迫や強要で市場を牛耳っているに違いない、と。
 実際、私もこれまでに、築地の地下社会はどこにあり、その触手はどこまで伸びているのか、とずいぶん大勢のアメリカ人に聞かれたものだ。わたしが答えると、彼らは決まってがっかりする。
 組織的腐敗という面で言えば、1920年代以降、この市場にはスキャンダルらしいスキャンダルがないのだ。勿論、築地に住んでいるのは聖人ばかりというわけではない。だが、調査で分かった事実やインタビューからは、市場の売買に外部犯罪者のフィクサーがいるとか、水面下では腐敗した内部ネットワークが常習的に動いている、と言ったことを示唆するものは何も出てこなかった”

 ちなみに映画『波止場』は、1954年エリア・カザンの監督で、マ―ロン・ブランド、エヴァ・マリー・セイント、リー・J・コッブ、ロッド・スタイガー、カール・マルデンという錚々たる俳優たちを起用して、沖仲士たちを仕切るボス(リー・J・コッブ)に単身立ち向かうボクサーくずれのチンピラ(マーロン・ブランド)を描く。
 この映画は、アカデミー賞の作品賞、主演男優賞、助演女優賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、美術監督・装置賞、編集賞を受賞。
 エリア・カザンは、「欲望という名の電車」「エデンの東」「群集の中の一つの顔」などの社会派監督。2003年94歳で死去。

 この人類学者も手落ちなく観光案内もやってのける。“人類学者が、自らのフィールド・ワークの舞台について、観光客向けにガイドを執筆するなどということはまずないことだ。しかし、築地は東京を訪れる外国人にとって以前から人気の観光スポットだった。
 初めて訪れる人にとって、東京はだだっ広くて混沌とした、大して「見るもの」もない都市に映るものだが、そんな中で、ここは確かに見ごたえのある場所である。築地は、特に売り込んだりしなくてもそのままで十分魅力的な、真の名所なのだ。
 人類学者も観光客もその場所が正統なものかどうかにこだわるが、その点、築地はまさにホンモノである”

 ご丁寧に発音の仕方まで書き込んである。“Tsukijiという名称の発音には、多くの外国人がてこずる。squeegee(スクィージー)とほぼ韻を踏んでいるが、アクセントをつけずに平坦に発音する”

 さて、本来の目的食べることは“築地は食のパラダイスであり、どの店に入っても、まずハズレということがない――とどのつまり、客の多くは食のプロなのだから、まずいわけがない! 
 場内の飲食店はさまざまで、すし屋、天ぷら屋、焼き魚・肉の店、蕎麦屋、カレー屋、そして少なくとも一軒イタリアン・カフェがある。
 築地に足しげく通って15年、ひどくまずいものを食べたのは一回きりだ”

 築地市場は、鮮魚・冷凍魚・水産加工品を扱う世界最大の市場だそうだ。その取扱高を1996年で見ると6億2800万キロ以上の水産物、57億ドル相当が取引されている。北米最大の魚市場ニューヨークのフルトン・フィッシュ・マーケットは、重量で築地のわずか13%、約10億ドルに過ぎない。

 その市場で、私は主にエビと小玉たまねぎに利尻昆布をよく買った。エビはスーパーで売っているものとは味が格段に違い美味しい。大きな梅干用の梅くらいの小玉たまねぎは、スーパーではお目にかかれない。このたまねぎとグリーン・ピース、ベーコンを煮込んだものが好きでよく食べた。利尻昆布はだしを出すには最高の昆布で、値段も張るが美味しいものが食べたければ躊躇しない。

 私がよく市場を徘徊した頃は、外国人観光客をあまり見かけなかったが、ここ10年ほどの現象なのだろうか。そしてかなり老朽化した築地市場の行く末は、2012年をめどに豊洲地区に移転され、跡地は2016年開催に立候補した東京オリンピックのメディアセンターになる予定になっている。果たしてどんな結末になるのか。

 著者は、ハーバード大学教授。専門は人類学と日本研究。元アメリカ人類学協会東アジア研究分科会会長、元都市人類学協会会長。著書に『Neighborhood Tokyo』(1989)、『Doing Fieldwork in Japan』(共編、2003)などがある。本書『TSUKIJI』(2004)は、「アメリカ人類学協会 経済人類学部門2006年度最優秀賞」ならびに「アメリカ人類学協会 東アジア部門2005年特別文献賞」受賞。