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映画 「マイレージ、マイライフ(‘09)」本邦劇場公開2010,3月

2010-08-31 14:36:02 | 映画(DVD)
 
          
 解雇告知人とでも言うべき首切り屋として派遣されるライアン・ピンガム(ジョージ・クルーニ)のモットーは、バックパックに収まるほどの人生でいい。つまりアメリカン・ドリームのような家庭を築く意志も目的もない。空港は楽しい我が家とばかり1000万マイルを溜めるのが唯一の目標としている男だった。そして企業から依頼された解雇通告をクールにこなしていく。

 そんなある夜、ホテルのバーでキャリア・ウーマンのアレックス・ゴーラン(ヴェラ・ファーミガ)と出会い、意気投合ベッドを共にする。腰にネクタイを巻いたヴェラのお尻をちょっとだけ見られる。

 このDVDには、監督の解説による特典映像があるが、それによると、初対面の男女がいきなりベッドインと言うのも不自然だし、そこまでに行く流れを二人の俳優に課したという。だからセリフはアドリブだったという。
ジョージが言う。「腕をぐるぐる巻きにしてトイレへ。彼女は手伝うと言うことで一緒にトイレに入る。そしてセックス。あれは大変だぞ。経験ある?」
ヴェラ「あるわ」
ジョージ「本当?」
ヴェラ「ええ」
ジョージ「経験が?」
ヴェラ「あるわ」
ジョージ「大西洋線で?」
ヴェラ「いいえ、国内線だけど」
ジョージ「夜の便?」
ヴェラ「昼間よ」
ジョージ「何? どうやって?」
ヴェラ「体が柔らかいの」
これで下地が出来たようで、二人は部屋に入った。

 ライアンは帰社命令を受けて出社すると、そこには大学を出たばかりのナタリー・キーナー(アナ・ケンドリック)がいて、解雇告知を出張と言う経費のかかる方法から、インターネットを経由した方法に変えるという。異論を唱えるライアンに、妥協案としてナタリーの教育のため同行して現場を見せろと社長命令が告げられる。如実に現われるのは世代間の違い。
            
 例えば、夫に求める条件、携帯のメールでボーイフレンドから別れの宣告をされて泣き崩れたナタリーは言う。「予定では23歳までに結婚して、子供も生んでキャリアも積み、夜は遊んで車はチェロキー。彼はポイントも高かった」そのポイントと言うのは「ホワイトカラー、大学卒、犬と映画好き、背が高くて優しい目、仕事は金融、週末はアウトドア派」なんだか私と共通するのは、アウトドア派しかない気がする。

 それに引き換えアレックスは「34歳にもなると容姿は気にしない。背は自分より高いといいけど、ダメ男じゃなくて一緒にいて楽しい人。若いころと違う。あと子供好きで、子供を欲しがる人。子供と遊ぶ体力がある人。収入も私より多くないと、あなたもいずれ分かるわ。逆だと悲惨よ。髪もあるほうがいい。でも大問題じゃないわ。あとは優しい笑顔。優しい笑顔さえあれば……」なんだかどこの国も同じような望みや悩みが見えて面白い。映画のこの場面、ジョージ・クルーニー、ヴェラ・ファーミガ、アナ・ケンドリック三人のショットで見ごたえ充分だった。可憐さを見せるアン、成熟した女の色香を漂わせるヴェラ。横で頷いているジョージの自然な表情も画面を引き締めていた。

 ライアンは妹の結婚式にアレックスを連れて行ったのはいいが、なにやら里心がついて、会社でのスピーチを途中で逃げだしてアレックスの住まいを訪ねる。そこで見たものは、子供が駆け回り夫と思しき声も聞こえる。のちにアレックスが言う。「日常の息抜きよ」 

 ライアンは再び明かりに包まれた夕餉の部屋から、ひときわ輝く航空機のライトの中に戻ることになる。いい脚本に恵まれた映画だと思う。恋をしている人にとっては、恋人にキスをしたくなるし、恋に破れた人は……さてどんな反応なのだろう? 女優二人、ヴェラ・ファーミガはものすごい美人でもないが、年相応のお色気もありいいお尻をしていた。一方若手のアナ・ケンドリックは、フレッシュでキュート。

そういえば、面白い会話があった。
スチュワーデス「ガンはいかが」Do you want the cancer?
ジョージ「なに?」The what?
スチュワーデス「ガンはいかが?」Do you want the cancer?
ジョージ「ガン?」The cancer?
スチュワーデスは、350mlの缶を見せながら「カンです」The can, sir?

監督ジェイソン・ライトマン 1977年10月カナダ・モントリオール生まれ。‘06「サンキュー・スモーキング」インデペンデント・スピリット賞の脚本賞受賞で注目される。この作品でも脚本を書いている。
キャスト ジョージ・クルーニー 1961年5月ケンタッキー州レキシントン生まれ。‘05「グッドナイト&グッドラック」「シリアナ」で監督賞、脚本賞、助演男優賞3部門にノミネート、助演男優賞を受賞。
            
ヴェラ・ファーミガ 1973年8月ニュージャージ州バサイク生まれ。本作でアカデミー賞助演女優賞にノミネート。
             
アナ・ケンドリック 1985年8月メイン州ポートランド生まれ。本作でアカデミー賞助演女優賞にノミネート。
            

読書  厨房の裏側「キッチン・コンフィデンシャル」から No8プロのアドバイス

2010-08-29 11:18:51 | 
                


 アンソニーシェフは、休みの日にレストランで食事をしたいと思うことは滅多にない。食べたいのは、お袋の味。シンプルなトマトソースのスパゲッティ、残り物をぶちこんで煮込んだツナのキャセロール、ローストビーフのヨークシャプディング添えなど。これは洋の東西を問わない。帝国ホテルの故村上シェフも自著で、家に帰れば味噌汁、焼き魚、たくわんなどを食べたいと書いていた。

 さて、料理をする上で最初に必要なものは、包丁やクッキングナイフだろう。極端に言えば一本のナイフで十分事足りる。アンソニーの長年の付き合いがあるプロの多くは、いまやドイツ製のナイフに代えて、もっと軽量で研ぎやすく、もっと安価なパナジウム入りのステンレス鋼で出来たグローバルナイフを使うようになっている。

 このグローバルナイフ、実は日本製ではないだろうか。新潟県燕市にある吉田金属工業(株)がグローバルの商品名で販売している。一本8,000円からある。そしてかなりクールな形状をしている。
            
             グローバルナイフ
 ちなみに、私は普通の万能ステンレス包丁を使っているが、料理の前にコーヒーカップの底で片面10回ずつ研いでいる。切れ味は悪くない。もう一つ付け加えるならば、日本製のスライサーも評判がいい。

 次に鍋、底の厚いフライパンは必携、そして底の厚いテフロン加工のフライパンも重宝するという。そして、使うたびにペーパータオルで拭い絶対洗わない。

 必携品といえば食材もある。列記しよう。エシャロット(プロの隠し味)、バター(仕上げにバター)、焼きニンニク(ニンニク絞りは使うな! 小房の一つを丸ごと火であぶり、焼き色がついて柔らかくなったものをしぼると香りがよく甘味がでる)、刻みパセリ、スープストック(あぶった骨を何本かと炒めた野菜を大鍋で水から煮込み、ひたすら煮詰める。充分に煮詰まったら、裏ごし器で漉し小さな容器に分けて冷凍しておく)、ドゥミグラス(先のスープストックに赤ワインを足し、エシャロットと生のタイムとベイリーフと粒コショウを加えて弱火でゆっくり煮込みスプーンにねっとりとついてくるくらいまで煮詰める。それから漉す。後は冷凍しておけばいつでも使える)。

 よい素材、新鮮な食材を使って盛り付けに工夫する。アンソニーお勧めの一品、丸ごとの魚(フエダイ、タイ、なんでもいい)のえらとわたと鱗を取り、冷水で洗う。魚の腹の中と外側に粗塩と粒の黒コショウをこすりつける。ニンニクひとかけ、レモンスライス、生ハーブ(ローズマリーかタイム)少々を,わたを抜いたあとの空洞に詰め込む。
 薄く油をひいたフライパンかアルミホイルの上に魚を置いて高熱のオーブンに入れ、火が通って皮がぱりぱりになるまで焼く。フードプロセッサーで作ったバジルソースを皿一面に散らし刻みパセリをふりかけ、魚の上にはバジルの葉を飾る。

 なんだかごてごてした感じだな。わざわざオーブンで魚を焼かなくても、日本なら魚焼きグリルで済ませる。レモン汁を振りかけておしまい。私はシンプルなのが好きだから。とはいっても、味覚文化の違いだからどちらがいいとは言えないが。スープストックやドゥミグラスには、牛の骨か鶏の骨か分からないし、赤ワインの分量も書いていない。これは読者が試行錯誤してやりなさいということなのだろう。
          

読書  厨房の裏側「キッチン・コンフィデンシャル」から No7月曜日の魚料理

2010-08-25 13:06:44 | 
                  
 「月曜日には魚料理を注文しない」とアンソニーは言う。月曜日の魚が古いと知っているからだ。
 つまり、シェフは木曜日に魚を注文し、金曜日の朝に届けてくれという。次の配達日は月曜の朝になるから、大量に注文する。市場は金曜日の夜に閉まる。悪くすれば、木曜日の魚と同じものになる。だから、四日前の魚という理屈だ。

 月曜日のスペシャルメニューは、気をつけたほうがいい。まあ、こんな調子だが、アンソニーの食への好奇心はとどまるところを知らない。食べ物や料理は賭けのようなものだ。牡蠣を食べてあたることもあるだろう。たまたまあたったからといって、血入りのソーセージや刺身やキューバの安食堂の煮込み料理を味わう喜びを捨てる気は私には毛頭ないと言い切る。

 ムール貝を敬遠しろとか、戻ってきたパンの使い回しはほとんど常識だという。そのほかにもいろいろあるけれど、レストランを選ぶヒントもさりげなく記述してある。
 つまり、トイレの不潔な店では食事はしない。これは絶対確実だろう。日本ではあまり気にしなくてもいいかもしれない。私は寿司屋に入って思うが、この板前はトイレに行けば手をよく洗っているのだろうか? 手で握られるので気になることではある。

 福島県喜多方市は、喜多方ラーメンでも有名なところだ。ある年のあるとき、駅前のラーメン店に入った。ちっちゃい店でお客もそこそこ入っていた。テレビや週刊誌で有名になったのかもしれない。食べ終わってトイレを借りた。目にしたトイレは、汲み取り式の薄暗くて陰気な場所だった。とたんに、食べたものが胃からせり上がってきた。今でも、喜多方=汲み取り式トイレ、ラーメン=汲み取り式トイレが連想されて胸が悪くなる。

 どこかのお家を訪問してもトイレの様子が、そこの人を物語る。お寺でも、きれいで身障者用のトイレまであるところは、庭や周辺の手入れが行き届いている例が多い。
 また、キャンプ場にも洋式が用意されるようになっていて、私のように和式の苦手な者にはうれしい限りだ。

 アンソニーの食へのこだわりは、「シーフードを食べるのは相変わらず火曜、水曜、木曜と決めている。なぜなら、そのほうが旨いと分かっているし、またの機会もあるからだ。
 だが、たった一度、内蔵も含めた本格的なフグ料理を味わうチャンスがあったらどうする?その板前とは面識がなく、なじみのない極東の奇妙な都市にいる。そして、明日の飛行機で帰国する予定だったら? 私なら食べる。一生に一度なのだから」
 市場についてはアメリカでの話しで、日本の築地市場は日曜日が休みで、祭日や水曜、木曜が休みの場合があるようだ。
         

読書  厨房の裏側「キッチン・コンフィデンシャル」から No6厨房は戦場

2010-08-21 10:12:31 | 
                  
 世の中にはその職に適した人間というものがある。シェフとかコックという料理人の適材は、遅刻しない、病欠しない、繰り返しの作業を嫌がらない。これが不可欠。

 こう見ると何も料理人ばかりでなく、普通のサラリーマンだって同じことだ。人生なんて繰り返しの連続だ。繰り返しが嫌なら生きてもいけない。

 実は人間は、そう単純に出来ていないらしい。そこが困ったところで、料理人の世界でもアメリカ人は、適格性を欠くらしい。一番適性があるのは、エクアドル人やメキシコ人のようだ。この世界では、シェフが絶対だということを肝に銘じる必要がありそうだ。

 逞しい女性コックも存在する。女を意識するとやっていけないらしいし、与太話の好きなバカどもの扱いにも根性がいる。

 “ある朝、出勤して来た女性コックは、自分のステーション(仕事場)にハードコアのポルノ写真があるのに気付いた。エクアドル人のパスタ・コックが、とびきり下品なやつを選んで貼っておいたのだ。
 不細工な女たちがあられもない姿態をさらし、前科者の刺青をした太鼓腹の男たちが毛むくじゃらのケツを見せて、女たちの体の穴という穴に挿入している。
 彼女は顔色一つ変えなかった。あとでパスタ・コックのそばを通りすぎながら気軽に声をかけた。「ホセ、あれはあんたの家族の写真でしょ。あんたのおふくろさん、あの年にしちゃイケてるじゃないの」”

 有能なシェフあるいはコックとはどういうものなのだろう。同じテーブル十人分を同時に仕上げる。それも熱いもの冷たいもの取り混ぜた注文をだ。
 ラムのあばら肉をぴったりミディアムで焼き上げた時に、ソテー・ステーションで舌平目が腐りかけていてはダメだ。二つをぴったり同時に完成させろ!まさに戦場だ。

 アントニーは言う。「料理は手工芸であり、一流のコックは工芸家であって、アーティストではない」要するにお客様の求めるものを、求める時に提供する。そのとき、初めて戦場の勝利者になれる。
        

読書  厨房の裏側「キッチン・コンフィデンシャル」から No5親友ディミトリと、いざニューヨークへ

2010-08-17 12:38:50 | 
                 
 卒業するまでにもう一つエピソードがある。不用意に熱いソースパンを掴んで「バンド・エイドは?」の問いかけに、巨漢のタイロンが示した究極の屈辱にまみれて一年半後の夏、再びプロヴィンスタウンに現われた。

 知識と自信も以前とは段違いのレベルだった。パスタ係のディミトリとは相性が良かったのか、アンソニーのコック人生で二番目に影響を及ぼした男だった。アメリカ生まれではあるが、父親はロシア人、母親は有能で厳格な産婦人科医でドイツ人だった。

 雇い主のマリオは、毎年恒例のガーデンパーティの料理担当者を二名選ぶことになった。そしてアンソニーとディミトリが選ばれた。
 プロヴィンスタウンで肉や魚のパイ皮包み(パテ・アン・クルート)やゼリーで固めた冷たい詰物料理(クガランティーヌ)や鶏や魚の凝ったゼリーよせ(ショーフロワ)など、まだ誰も手がけていなかった。

 その料理に二人は果敢に挑んだ。結果は報われた。そして「ムーンライトメニュー」というケータイング会社を立ち上げた。
 名刺を作って手渡しながら、「別に仕事が欲しいわけではなく、注文をとろうなどという気はまったくないんです。そもそも、あなた方にはちょっと手が出ないかもしれません。なにしろ、このケープ全域でもっとも高価にして、かつもっとも先端を行くケータリング会社ですからね! われわれのように高度な訓練を受けた料理人には仕事が殺到して困っているんです。というわけで、よろしく」

 まったく大風呂敷を広げたもんだ。普通なら、そんなに仕事があるんなら、何で名刺なんか配ってるんだ? といいたいところ。ところが1976年の夏の終わりごろのプロヴィンスタウンには、贅を凝らしたお別れパーティで他人と差をつけたいと思うビジネスマンが大勢いた。これらの人たちの注文を受けて、ブランド化した。
 ここからアイデアがどんどん膨らみ、より飛躍するために世界の大都市ニューヨークへと夢がつながる。
       

読書  厨房の裏側「キッチン・コンフィデンシャル」から No4中国人が日本料理を? スフレの恐怖!

2010-08-12 16:02:35 | 読書
                 
 アンソニーは、念願の米国料理学院(The Culinary Institute of America)に入学した。コネを使って。知り合いの知り合いを通じて、この学校に多額の寄付をしているニューヨーク市の有名レストランのオーナーだった。

 この学校も当然日本料理も教えている。ところが、このころの講師は中国人シェフだった。中華料理の過程はすばらしかったという。日本料理になると南京大虐殺や第二次大戦中の日本軍の蛮行を厳しく批判した。寿司や刺身の写真が印刷された壁のポスターを指差し「あれは生の魚だ。あんなものを食いたいか? へん! 日本人なんかクソ食らえ!」

 言わせてもらえば、油で揚げるか炒めるか、蒸すだけの料理の中華料理とはまるで次元が違う。どだい日本料理を教えるのが間違っている。皿の形にしても丸皿一辺倒の中華料理と比べても、四角、三角、菱形に盛り付ける日本料理の芸術性とは勝負にならない。

 生の魚のどこがいけない? 新鮮でなければ食べられない食材と少々傷みだしたのを油で揚げる料理とどちらが本来の味を味わえるというのか。クソ中国人シェフめ! いささか感情的になった部分だ。

 それにスフレの恐怖がある。このCIAには、Eルームというのがある。正式にはエスコフィエルームといって、学院の経営になる三ツ星レストランで、一般の客を迎え入れていた。
 卒業前の最終過程がここのオープンキッチンで実習を行う。もっとも敬遠したいのがスフレ係という。
 上手くタイミングを計ったとしても、いざとなるとふくらまなかったり、平でなかったり、途中でしぼんだりすることが多いのもスフレだ。
 このスフレというのは、メレンゲの様々な材料を混ぜてオーブンで焼いて作る。軽くふわふわとした料理で、出来立てはふわふわと軽いが20分~30分でしぼんでしまう。出来立てが生命の料理といえる。

 これに失敗すると地獄の十分間が待っている。担当のべルナール・シェフの罵詈雑言の叱責が飛んでくる。「お前たちはクソだ!」

 二年間の研修で、カリフラワーのモルネー・ソース和え,子牛の鞍下肉オルロフ風、ロブスター・テルミドール、それにハワイ風チキンやパイナップル添えハムステーキなどを身につけた。アンソニーは無事卒業した。
        

読書  厨房の裏側「キッチン・コンフィデンシャル」から No3降りかかるショック

2010-08-08 11:41:15 | 

               
 アンソニーは思った。花嫁ともセックスできるし、ウェイトレスとも出来るとなればシェフになることに何をためらうものか。ところが、そんな不純な動機ではおいそれとシェフになれるものではない。

 思いっきり知る機会がやってきた。夏の終わりごろには、皿洗いからフライ係に昇進してパン粉をまぶしたハマグリやエビを揚げ、蒸しあげられたロブスターの殻を割り、遂に最上級のグリルを二回ほどあずかるようにもなった。

 そして翌年、目の覚めるようなブルーのシアーサッカーで出来たピエール・カルダンの新品のスーツに身を固め、グリル・ステーションに抜擢されるのを想像しながら笑みを浮かべた。 そしてグリル担当のタイロンを紹介された。トニーは彼の助手という役回りだった。

 そのタイロンは、身長二メートル半、体重二百キロ、頭を剃り上げ銀歯がギラリと光る。耳たぶには拳ほどの金の輪っかをつけ筋骨隆々の黒曜石を思わせる黒人だった。トニーといえば去年の自慢話をとうとうと喋りまくり、周囲のひんしゅくも目に入らない。

 そうこうしているうちに、熱いソテーパンを素手で掴むというへまをした。そして言った。「バンドエイドないかな?」この言葉は、熱や火とオーダーメモでかっかと燃えている厨房の連中を一瞬のうちに凍らせた。

 タイロンが言った。「なーにが欲しいって? 白んぼの坊や。やけどの薬? バンドエイドだ?」タイロンはトニーの目の前に両の手のひらをつきだした。醜い水ぶくれが星座のように縦横に走り、グリルのあとが真っ赤なミミズ腫れになっている。
 タイロンはトニーをじっと見据えながら、ゆっくりと炉の中のじゅうじゅうと音を立てる鉄の皿を取り出してトニーの前に置いた。顔色一つ変えずに。

 なんとも情けない自分に腹が立ったトニー。しかし、これで諦めるトニーではなかった。屈辱から立ち直って、米国で最高の料理学校である、米国料理学院(CIA)で学ぶことを決意する。
          

読書 厨房の裏側「キッチン・コンフィデンシャル」から No2花嫁とファックするシェフ

2010-08-04 16:22:28 | 
                
 アンソニー・ボーデインにとっても他の人間にとっても、なにがきっかけで決断するのか誰にも分からない。

 「1973年、失恋したうえ、一年早く高校を卒業した私は、(飛び級で卒業、頭がいいんだ)欲求のはけ口をヴァッサー大学へと移した.この時期十八歳を前にした私はしつけのなっていない無分別な若造で、大学でも落ちこぼれ寸前だった。自分自身と他の人間すべてに腹を立てていた。起きている時間のほとんどは酒を飲むかマリファナを吸うかで、自分と同類のバカな連中とつるんでは笑ったり怒ったりしていた」

 そしてある夏、ケープコッドのプロヴィンスタウンの部屋でごろごろしていた。このプロヴィンスタウンは、1620年メイフラワー号が上陸した場所であり、ユージン・オニールやテネシー・ウィリアムズなどの劇作家や作家が集まったことで知られ、現在ホエールウォッチング観光の拠点になっている。

 しかし、アンソニーはすかんぴんだった。ガールフレンドの紹介で得た皿洗いの職が、アンソニーの未来を決定づけるとは本人も思ってもいなかったに違いない。ところが、世の中なにが起こるかわからない。

 結婚披露宴がやかましく行われていた。その最中、真っ白なウェディングドレスを着た金髪美女は、シェフの耳元に何事か囁いた。「トニー(アンソニーのこと)、しばらくここを頼む」というシェフの言葉。皿洗いのトニーからすれば驚天動地の出来事。

 ところが好奇心の方が勝利を収めた。窓からそっと覗いて見た光景は、花嫁はドラム缶を抱いてうつぶせになり、ウェディングドレスのスカートは尻までめくれ上がり、シェフの激しいピストン運動に、若い花嫁は白目をむいて「いいわ……そこよ……すごくいいわ」と喘いだ。

 それを見たアンソニーは、本気でシェフになろうと思った。どうも解せないのは、花嫁ももうすぐ初夜で、思う存分楽しめるのにどうしてシェフと? 世の中には不思議なことがあるものだ。