Wind Socks

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映画「スティール・シティSteel City’06」劇場未公開

2011-03-29 12:53:18 | 映画


 アメリカの小さな田舎町。鉄鋼業しかめぼしい産業がなくP.J(トム・ゲイリー)は、レストランで下働きのアルバイトをしていた。いずれ警官になる夢を描いて。

 ところが実際は、交通事故の被害者が死亡していて、父親が事故の身代わりになって拘置所で裁判を待っていた。面会の時、父親カール(ジョン・ハード)に「自首したい」と言ったが、「お前は若い。これからの人生がある。私は子供たちに何もしてやれなかった。自分勝手でお前やお母さんを見捨てて家を出た。せめてこれくらいやらせてくれ」その言葉を否定することができなかった。

 同じ職場のエミイ(アメリカ・フェレーラ)との恋や兄ベンの浮気と妻の家出。兄ベン(クレイン・クロフォード)の父親を嫌悪する感情。過去の父親の行動が兄弟にも影を落としていた。
 どこにでもある、家族の風景。家族というテーマで描くにはありきたりすぎて難しい題材に思える。思えるが次元の高いレベルに引き上げるには、相当の力量が要求されるだろう。
 じゃあ、この映画はどうなんだ? と聞かれても、「ふん!」と言うぐらい。ちょっと頼りない。出演の俳優たちは、みんな実力派揃いでいまも活躍中である。
          
          
          
          
          
          
監督
ブライアン・ジュン1979年10月 イリノイ州アルトン生まれ。脚本、製作、編集までこなしている。

キャスト
ジョン・ハード1945年3月ワシントンD.C生まれ。
トム・ゲイリー1981年10月ニュージャージー州トレントン生まれ。
アメリカ・フェレーラ1984年4月ロサンゼルス生まれ。
クレイン・クロフォード1978年4月アラバマ州クレイ生まれ。
ジェームズ・マクダニエル1958年3月ワシントンD.C生まれ。
レイモンド・S・ベリー1939年3月ニューヨーク州ロングアイランド生まれ。

懐かしのポップス「明日にかける橋 Bridge Over Troubled Water」

2011-03-25 12:44:12 | 音楽

              
 1970年サイモン&ガーファンクルの3作目。全米1位のシングルで大ヒット曲。サイモン&ガーファンクルは、1964年にデビューし、1970年活動を停止。1990年ロックの殿堂入りを果たす。

YouTubeでどうぞ

When you're weary, feeling small,
When tears are in your eyes,
I'll dry them all.
I'm on your side, oh, when times get rough,
And friends just can't be found,
Like a bridge over troubled water,
I will lay me down,
Like a bridge over troubled water,
I will lay me down.

When you're down and out,
when you're on the street,
When evening falls so hard,
I will comfort you.
I'll take your part, oh, when darkness comes,
And pain is all around,
Like a bridge over troubled water,
I will lay me down,
Like a bridge over troubled water,
I will lay me down.

Sail on silver girl, sail on by,
Your time has come to shine,
all your dreams are on their way.
See how they shine, oh, if you need a friend,
I'm sailing right behind,
Like a bridge over troubled water,
I will ease your mind.
Like a bridge over troubled water,
I will ease your mind.

懐かしのポップス「酒とバラの日々The Days of Wine and Roses」

2011-03-15 09:30:37 | 音楽

              
 1962年のアメリカ映画、同名の主題歌。この曲は多くの歌手に歌われスタンダード・ナンバーになっているが、なんと言っても1927年12月3日生まれのアンディ・ウィリアムズだろう。1971年の「ある愛の詩」は、日本語版もある。

YouTubeでどうぞ

The days of wine and roses laugh and run away like a child at play
Through a meadow land toward a closing door
A door marked "nevermore" that wasn't there before

The lonely night discloses just a passing breeze filled with memories
Of the golden smile that introduced me to
The days of wine and roses and you

(The lonely night discloses) just a passing breeze filled with memories
Of the golden smile that introduced me to
The days of wine and roses and you-oo-oo

映画「彼が二度愛したS Deception ’08」劇場公開2008年11月

2011-03-13 12:51:32 | 映画

              
 携帯電話にかかる「今晩お暇?」のキーワードで展開される名前を明かさない男女の官能の夜。この秘密クラブには、企業の有能なキャリヤ・ウーマンたちの性のはけ口となっている。
 これを知るきっかけとなったのは、弁護士事務所の会計監査で夜遅くまで仕事をしていたときのことだった。会計士のジョナサン(ユアン・マクレガー)は、書類に飽きてあくびをかみ殺していた。窓から見えるどのビルにも明かりが灯っていた。

 そこへ現れたのが弁護士のワイアット(ヒュー・ジャックマン)だった。テニスをしたりお昼にはセントラル・パークで持ち帰りランチを楽しんで親交を深めた。ランチが終ったあと携帯電話を取り違えたことから、「今晩お暇?」が頻繁にかかってくるようになった。

 本来真面目人間だったジョナサンも、その官能に溺れるようになった。そんなある日、呼びかけに応えてホテルの部屋に行って見ると、以前地下鉄駅で方向を聞かれた女性だった。ジョナサンは、そのときから気になっていて再会した今、とてもセックスに入っていけなかった。

 その後会った日、ジョナサンは愛を告白する。頭文字がS(ミッシェル・ウィリアムズ)の彼女は、「深入りはしないで!」と言うが、ジョナサンは耳を貸さない。部屋に彼女を残して氷を取って帰ってみると彼女が消えていた。

 そのうちにワイアットから思いもよらない脅迫の電話がかかる。「君は今監査中の会社の裏金にアクセスできるはずだ。それをそっくりスペインの銀行口座、俺が用意したよ。そこへ送金しろ!でないと、女を殺す!」

 女に惚れた弱みをつかれたジョナサンは、1000万ドルを送金する。さあ、一体どうなるんだろう。期待は膨らむがありきたりの結末だった。それにどうも解せないところもある。会計士が裏金にアクセスできるのも不思議だ。常識で考えれば、ごく少数の人間しか扱わないだろう。外部の人間に知られるようなら裏金にならない。

 脚本を書いた人は、会社の会計について全くの素人なのだろう。それに、スペインの銀行で金を引き出すとき、副署名人がいるというのもおかしな話。しかも口座を開設したのがワイアットで、その条件を飲んだのも解せない。
 映画ではそれがキーポイントになっていたけれどリアルに感じられない。これらに目をつぶればなんとか観られる映画ではある。
            
            
            
監督
マーセル・ラングネッガー

キャスト
ヒュー・ジャックマン1968年10月オーストラリア、シドニー生まれ。
ユアン・マクレガー1971年3月イギリス、スコットランド生まれ。
ミッシェル・ウィリアムズ1980年9月モンタナ州カリスペル生まれ。

懐かしのポップス「イージー・ライダーのバラッドBallad of Easy Rider」

2011-03-11 12:37:52 | 音楽

               
 映画「イージー・ライダー」のエンディング・クレジットで流れる曲。1969年製作ピーター・フォンダと監督デニス・ホッパーによるアメリカン・ニューシネマ。同年のアカデミー助演男優賞にジャック・ニコルソン、脚本賞にピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、テリー・サザーンがノミネートされている。

 メキシコからロサンゼルスへのコカインの密輸で大金をせしめたワイアット(ピーター・フォンダ)とビリー(デニス・ホッパー)は、その金を全面改装されたハーレーダビッドソンのタンク内に隠してニューオーリンズに向かう。予期しないラストに息をのむ。
               
 このバイク、1965年型ハーレーダビッドソン、1200ccリアはサスペンションがない。ワイアットが乗っているチョッパーは前輪ブレーキがないという代物。劇中のマリファナは本物という。(ウィキペディアより)

ピーター・フォンダ(1940年2月23日~)
デニス・ホッパー(1936年5月17日~2010年6月29日)
ジャック・ニコルソン(1937年4月22日~)

BALLAD OF EASY RIDERをザ・バーズ(The Byrds)でどうぞ

The river flows
It flows to the sea
Wherever that river goes
That's where I want to be
Flow river flow
Let your waters wash down
Take me from this road
To some other town

All he wanted
Was to be free
And that's the way
It turned out to be
Flow river flow
Let your waters wash down
Take me from this road
To some other town

Flow river flow
Past the shaded tree
Go river, go
Go to the sea
Flow to the sea

The river flows
It flows to the sea
Wherever that river goes
That's where I want to be
Flow river flow
Let your waters wash down
Take me from this road
To some other town

映画「午後の曳航The Sail Who Fell From Grace with Sea’76」劇場公開1976年8月

2011-03-09 11:33:38 | 映画

              
 いわずと知れた三島由紀夫の原作。思春期の少年たちの反逆と断罪。それに母の姿を通して見るセックス。

 この13歳の少年は、屈折した見方をするリーダーのもとにグループを作っていた。そのグループは、名前で呼ばず番号に替えていた。秘密のグループというわけだった。
 13歳の少年の母は未亡人で、アンティーク・ショップを経営していた。少年は夜毎夜半に家を出て秘密のグループの会合に出ていた。

 その会合にはリーダーの少年が持ってきた性交体位の図鑑を見せられて仲間と嬉々とし騒いだ。リーダーが言う。「お前たち、馬鹿か? ただ喜んでいるだけか? 知的好奇心はないのか? こっちが恥かしくなる。性的好奇心は満足させたろ。お前たちは、まだ早い」

 そして帰宅したが出歩いていることに母(サラ・マイルズ)から咎められ、翌朝外出禁止を言い渡される。かんしゃくを起こした少年ジョナサンは、自分の部屋にあるそこらじゅうのものを投げ捨てていると、母の寝室を隔てる壁に穴があいているのを発見する。
 その穴からは母のベッドが眺められた。夜な夜なその覗き穴から母を見ていると、ある晩母の異様な行為を見てしまう。

 むき出しの乳房、股間に伸びる手、喘ぐ母。まさに一人身の寂しさを癒す自慰行為だった。それを見たジョナサンの額は汗にまみれていた。
 しかも、寄航した大型船ベル号を見学して知り合った二等航海士ジム(クリス・クリストファーソン)と母のセックスまで見てしまう。それに結婚までするという。

 もともとジョナサンたちには「生殖は虚構であり、したがって社会も虚構。父親や教師であると言うだけで大罪を犯している」ことになりそれを確信していた。
 リーダーは、猫を眠らせてその心臓を取り出して「素晴らしい」「ファンタスティック」などという少年たちだった。したがってジムの存在を否定しなければならない。この猫のように。
           
           
           
           
           
 未亡人をイギリス出身のサラ・マイルズ。二等航海士ジムをカントリー・ミュージックのシンガソングライター、クリス・クリストファーソンが演じているのが面白い。ついでながら、この人が歌う「Help Me Make It Through The Night」も聴いて欲しい。いい曲だよ。

監督
ルイス・ジョン・カリーノ1932年1月ニューヨーク生まれ。

キャスト
サラ・マイルズ1941年12月イギリス、エセックス生まれ。
クリス・クリストファーソン1936年6月テキサス州ブラウンズヴィル生まれ。

懐かしのポップス「霧のサンフランシスコ I left my heart in San Francisco」

2011-03-07 09:45:46 | 音楽

              
 もともと1954年に作られたそうだが、当時はヒットしなかった。1960年にトニー・ベネットが歌って300万枚以上を超える大ヒットとなり、その年のグラミー賞を受賞した。1969年10月6日サンフランシスコ市歌に制定されたという。

 トニー・ベネットは、1926年8月3日ニューヨーク州クイーンズ生まれ。現在アメリカで最高のヴォーカリスト・エンターテイナーといわれる。
 そこでこのトニー・ベネットにまつわる面白い記憶が私にはある。昨年の大リーグ・プレイオフ、ワールド・シリーズ第1戦は、サンフランシスコで行われた。試合は、サンフランシスコ・ジャイアンツがテキサス・レンジャーズを11-7で降して勝った。

「霧のサンフランシスコ」は、1回が終った時。7回のセブンス・イニング・ストレッチでは「God Bless America」がトニー・ベネットによって歌われた。当然この試合はNHKBSで放送されていた。解説者もいたがこの曲を聴いて「めちゃ上手いですね!」と感嘆していた。
          
            ワールドシリーズで歌うトニー・ベネット
 この大シンガーに、めちゃ上手いはないだろうと思った。この解説者はおそらくトニー・ベネットは何者か知らなかったようだ。別に知らないからといって非難するつもりはないが、アメリカの大リーグを放送する立場なら、少しはアメリカ文化も勉強する必要があると思われる。それこそ野球バカになってしまう。そんな面白い記憶が蘇ってきた。

I left my heart in San Franciscoをトニー・ベネットで

The loveliness of Paris seems somehow sadly gay
The glory that was Rome is of another day
I've been terribly alone and forgotten in Manhattan
I'm going home to my city by the Bay

I left my heart in San Francisco
High on a hill, it calls to me
To be where little cable cars climb halfway to the stars
The morning fog may chill the air, I don't care

My love waits there in San Francisco
Above the blue and windy sea
When I come home to you, San Francisco
Your golden sun will shine for me

映画「恋愛上手になるためにThe Good Night’07」劇場公開2008年11月

2011-03-05 12:49:41 | 映画

                  
 かつての栄光はいまいずこ? その男ゲリー(マーティン・フリーマン)はCMの作曲家として食っているが、思うように作品が出来ない。同棲のドーラ(グウィネス・バルトロー)の画廊勤めが餓死を免れていた。

 ドーラに「いい加減CM作曲を諦めて音楽教師をするとか考えたらどう」と言われても煮え切らない態度。夜就寝の時、ドーラが言い過ぎたと言って「I love you(愛してるわ)」ゲリーも「Me too(僕も)」と応える。

 ある夜、夢に目も覚めるような美女が現れ熱いキスを交わす。その美女アンナ(ペネロペ・クルス)に恋したゲリーは、夢と現実を交互に行き来する。
 
 男も女も結婚していようが恋人がいようが、理想の女性に出会えばどうなるのだろう。妻や恋人に悪いと思いながらも惹かれていくのも現実だろう。夢の中の女性にそっくりなメロディア(ペネロペ・クルス)が、理想と程遠い下卑た女であったのがドーラのために曲を作るきっかけとなって二人は元の鞘に納まった。

 心の奥深いところで女は星の王子様をいつまでも探しているのかもしれないし、男もお姫様を求めているのかもしれない。ふとそんなことを思わされた。
            
            
            
            
                   
監督
ジェイク・バルトロー1975年9月ロサンゼルス生まれ。
                     
キャスト
ペネロペ・クルス1974年4月スペイン、マドリード生まれ。
グウィネス・バルトロー1972年9月ロサンゼルス生まれ。’98「恋に落ちたシェイクスピア」でアカデミー主演女優賞を受賞。この映画の監督は、弟。
マーティン・フリーマン1971年9月イングランド生まれ。
ダニー・デヴィート1944年11月ニュージャージー州生まれ。

懐かしのポップス「ミスター・ロンリー Mr Lonely」

2011-03-03 12:55:15 | 音楽

              
               ボビー・ヴィントン 
 1964年全米ヒットチャートで1位になった曲。1935年4月10日生まれのボビー・ヴィントンが歌った。日本では、フランク・プウルセル・グランド・オーケストラ・ヴァージョンが、東京FM制作のFMラジオ番組「Jet Stream」のテーマ曲に使用された。私にとって特に思いでがあるわけでもないが、そのころを思い出すことは出来る。

MR LONELYをYouTubeのボビー・ヴィントンでどうぞ

Lonely I'm Mr. Lonely
I have nobody for my own
I am so lonely I'm Mr. Lonely
Wish I had someone to call on the phone
Now I'm a soldier a lonely soldier
Away from home
through no wish of my own
That's why I'm lonely I'm Mr. Lonely
I wish that I could go back home
Letters never a letter
I get no letters in the mail
I've been forgotten yes forgotten
Oh how I wonder how is it I failed
Now I'm a soldier a lonely soldier
Away from home
through no wish of my own
That's why I'm lonely I'm Mr. Lonely

映画「9か月Nine Months’95」劇場公開1995年12月

2011-03-01 10:44:14 | 映画

                    
 なんとも古い作品を借りてしまった。ヒュー・グランドもジュリアン・ムーアも若々しい。
ジュリアン・ムーアを見ていると、長い髪のとか肌の白さが恋人を思い起こさせる。普通妊娠して出産まで10ヶ月なのが、9ヶ月で生まれるというお話。

 いまから見るとテレビも太っちょでボディが黒なので部屋の調度との色合いが合わない。プレイヤーもVTRのテープだし随分古臭く感じてしまう。ほんの16年前というのに。私の家では、妻がいまだにVTRを使っている。
           
           
           
                  
監督
クリス・コロンバス1958年9月ペンシルベニア州スパングラー生まれ。’90「ホーム・アローン」’01「ハリー・ポッターの賢者の石」など。

キャスト
ヒュー・グラント1960年9月ロンドン生まれ。
ジュリアン・ムーア1960年12月ノース・キャロライナ州フェイエットヴィル生まれ。