1989年、出版に苦労した「評決のとき」のあと、1991年に「法律事務所」が150万部の大ヒットとなりジョン・グリシャムをスターダムに押し上げた。本作は2015年に上梓された。
ハーバード・ロースクールを卒業して、大手の法律事務所に勤務し大企業相手の集団訴訟を狙う野心家の弁護士ではなく、逆にやばい連中でも弁護を引き受ける無頼派の弁護士セバスチャン・ラッドが主人公。やばい連中、つまりギャングや麻薬の売人、殺人者などなど。これらは多くの弁護士が敬遠する。うまくいって当たり前、下手をすると命が危ない。
こういう仕事のせいか、弁護士の妻ジュディス・ウィットリーとは別れ、一人息子のスターチャーと過ごす時間の取り決めで喧嘩ばかりしている。
死刑囚が死刑執行直前に脱走した事件、元海兵隊の善良な市民が誤った情報で深夜武装警察官の急襲を受け妻が殺され、元海兵が警官を射殺する事件、異種混合格闘技(ケージファイト)の選手タディオ・ザペートがレフェリーを殴り殺した事件、中央署の副署長の娘ジュリアナ・ケンプ失踪に係る容疑者アーチ・スワンガーに悩まさられる事件など警察の無能を揶揄し危ない連中との危険なやり取りに目が離せない展開は楽しめる。ストーリーとは別に死刑執行手順とか、事件の審議が始まる最初の開廷日の弁護士の気持ちなどの記述もあって興趣が尽きない。
死刑の職務遂行規則によれば、死刑囚は9時45分に手錠をかけられ、付添つきで処刑室へ向かうことになっている。自分の足で歩くのはこれが最後だ。処刑室到着後は、足から額まで合計六か所に太い革のストラップをかけられて、ストレッチャーに体を固定される。ストラップをかける作業が進んでいるあいだに、担当の医者が死刑囚の両腕を調べて薬液注射に適切な静脈を探し、医療関係者のひとりが死刑囚の生命徴候をチェックする。つづいて点滴のための針が刺され、テープで固定される。
壁に大きな時計がかかっているので、死刑囚は自分に残された最後の数分を数えることができる。そして午後10時きっかりに刑務所の法務官が死刑執行令状を読み上げ、所長が最後に何か言いたいことがあるかと死刑囚にたずねる。死刑囚は話したいことを何でも話せる。最後の言葉は録音されてネットに公開される。その言葉が終わり、所長が近くの小部屋に隠れている男にうなずいて合図を送ると、薬剤の注入がはじまる。死刑囚の意識は薄れ始め、呼吸が苦しげなものに変わる。約12分後、医師が死刑囚の死亡を宣告する。
これが死刑執行の手順であるが、医療関係者は希望したんだろうか、あるいは命令なんだろうか。進んでこういう仕事を引き受ける人がいるのだろうか。ふと疑問が沸いた。
最初の開廷日については、次のような記述がある。「廷内にはいよいよドラマの開幕を迎える昂奮の気配が満ちているが、わたしはいつもどおり、胃が重苦しくよじれた気分しか感じない。初日はいつも決まって一番つらい一日だ。今この瞬間に限っては吐きそうな気分だ。かつてある老練な法廷弁護士が、こんな言葉を聞かせてくれた。法廷に足を踏み入れて陪審の顔を見ても恐怖をこれっぽっちも感じない日が来たら、それは引退の潮時だ、と。
弁護士稼業もしんどい仕事だなあと思う。セバスチャン・ラッドには、専属運転手兼弁護士補助職員で用心棒のパートナーがいる。大型の黒いカーゴヴァンが事務所。防弾スモークガラス、テレビとオーディオ・システム、インターネット、冷蔵庫、ミニバー、2挺の拳銃と着替えが常備してある。こういう例は、マイクル・コナリーのリンカーン弁護士がある。アメリカの大型車リンカーンが事務所という。異色の弁護士たちなのだ。令和元年7月発行。