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思わずニヤリとする比喩に魅了された本 ミュリエル・バルベリ著「優雅なハリネズミ」

2015-08-31 17:19:05 | 読書

               
 ハリネズミは硬化した体毛に覆われ可愛いのに近寄りがたい印象を与えている。自分をハリネズミに喩えているルネ・ミッシェル。

 自らを次のように語る。「私の名前はルネといいます。五十四歳です。かれこれ二十七年間、グルネル通り七番地の管理人をしています。ここは中庭と花壇を備えた高級住宅で、豪奢なアパルトマンが八戸、空き室はなくどれも桁外れの広さです。
 私は未亡人で、背が低くて醜くぼってりしていて足にはタコがあり、朝の起き抜けの息がマンモスの如く猛烈に臭い時があります。学歴がなく常に貧しくて地味で凡庸な人間で、家族は猫だけです」

 というルネではあるが、実は知性にあふれた女性。読書を好み哲学書ばかりでなくミステリーも愛読する。それに映画鑑賞。特に小津映画の信奉者。絵画にも詳しい。クラシック音楽も愛好している。金持ちの入居者に合わせてバカを装っているだけ。

 六階の下院議員のジョセ家に12歳の少女パロマ・ジョセがいる。このパロマ、いわゆる引きこもりで、せっせと日記をつけて人生についていろんな角度から書いている。少し厭世的で自殺願望がある。しかし、頭脳は明晰でしかもキレイな少女。

 この二人が五階の料理研究家の部屋を買った日本人のカクロウ・オズに影響され、今までの生き方をがらりと変えるというお話。

 ルネとカクロウの関係がいい感じになってきたが、結末はハッピーエンドではなかった。どうしてだろうと思うが残念だった。

 人物造形もいいし、ルネ、パロマ、カクロウの出会いも自然でいい。それに独特の比喩に魅了された。ところどころ難解な個所もあるが、楽しんで読み終えた。

 「ソーセージに似た小さな胴体に四つの足を固定して、ほかの部分は動かさず飼い主のあとをトットッと小走りでついて回る。それでこそプードル」こんなのが一杯あるから楽しい。

 著者は、1969年生まれで、大学で哲学を教えていたが、小説家に転じた。大の日本びいきのようで、現在夫婦で京都に住んでいるとか。

12年かけて撮ったという「6才のボクが、大人になるまで。’14」劇場公開2014年11月

2015-08-28 17:21:34 | 映画

             
 12年もかけて撮ったとは知らないで観ていた。6才のメイソン(エラー・コルトレーン)、メイソンの姉のサマンサ(ローレライ・リクレイター)が5年経っても小さいころの面影が残っていて「よく似た俳優もいるんだ」と思っていた。さらに18歳の高校生になっても面影が消えない。

 ママのオリヴィア(パトリシア・アークエット)も体型が太ってきているし、元夫のメイソン・シニア(イーサン・ホーク)も心なしか老けた気がした。あとで分かったのが12年の歳月をかけて同じ俳優を撮ったということ。面影が残るのは当たり前。それにしても息の長い撮影期間だ。

 題名通りメイソンが大学入学までの成長と家族を描いてある。こういう映画からアメリカの白人家庭の様子が分かろうというもの。ママのオリヴィアは、男運の悪い女性だ。元夫のメイソン・シニアはアラスカへ行くと言って家を出るし、付き合っていた男とは喧嘩別れするし、2番目の夫はメイソンやサマンサの年代の子連れで自分の意に沿わないと怒り出す。3番目の夫も思いやりにかけているというわけで離婚。

 子供の成長は早いものでまたまたく間にガールフレンドやアルコールやマリファナに手を染める。アメリカの若者はこういうのが普通なのか親も大目に見る感じだ。だからメイソン・シニアが、熱心に娘と息子に性教育をする。

 やがてメイソンが大学に旅立つ時が来る。オリヴィアが言う
「私の人生で最悪の日」
メイソン「どうして?」
「覚悟してたんだけど、あなた浮かれすぎよ」
「浮かれていないよ。どうしろっての?」
「さあね。あっけない人生だわ。事件と言えば結婚して出産して離婚した。失語症を心配して自転車の乗り方を教えて、そしてまた離婚した。修士号をとり念願の職に就きサマンサとあなたを大学へ出す。次は何があるの? 私の葬式だけよ」
「先走りすぎだ。あと40年は生きる」
「もっと長いかと思っていた」

 子供が巣立って自分の自由時間を満喫する予定も、母の手一つで育てた子供との別離は特別の寂寥感に包まれる。親の心子は知らずというが、子は親になって初めて親の心を知ることになる。

 で、こういう映画は親の心の一端を垣間見ることができる。子が観て少しは分かってくれればいいとは思うが。いずれにしてもメイソンは、トヨタの中古ピックアップトラックで砂漠の国道を大学へと向かう。車内は軽快な音楽が流れていた。

 165分という長尺ものながら、丁寧に撮ったシーンは飽きることがない。母親役のパトリシア・アークエットは、本作でアカデミー助演女優賞を受賞した。熱演だった。

 監督のリチャード・リンクレーターは、’11「バーニー/みんなが愛した殺人者」’13「ビフォア・ミッドナイト」など秀作がある。なお、姉のサマンサを演じたのは、監督の娘ローレライ・リクレイターだ。
 
 
        

監督
リチャード・リンクレーター1960年7月テキサス州ヒューストン生まれ。

キャスト
パトリシア・アークエット1968年4月イリノイ州シカゴ生まれ。
エラー・コルトレーン1994年8月テキサス州オースティン生まれ。
ローレライ・リクレイター1994年5月メキシコ生まれ。
イーサン・ホーク1970年11月テキサス州オースティン生まれ。

ニューヨークの音楽シーンが見えるのかな「ブルックリンの恋人たち ’14」劇場公開2015年3月

2015-08-26 17:43:21 | 映画

             
 アン・ハサウェイも製作に参加していることを見れば、かなり力が入ったのではないだろうか。結論から言えば、アン・ハサウェイが目立った程度に終わった気がする。

 お話というのは、フラニー(アン・ハサウェイ)の弟ヘンリー(ベン・ローゼンフィールド)が交通事故で昏睡状態になり、必死の看病の中、ヘンリーの持ち物の中からシンガーソング・ライターで有名なジェイムズ・フォレスター(ジョニー・フリン)の公演チケットを見つける。ヘンリーの憧れの歌手だった。フラニーはその公演に行ってフォレスターとも会い、弟のことを話したのがきっかけになり恋に落ちるというもの。

 アン・ハサウェイは、’05「ブロークバック・マウンテン」できりりとしたいい女優だと思った。’06「プラダを着た悪魔」でメリル・ストリープと互角に渡り合い注目された。

 本作では、ボーイッシュな髪型で一人目立っていた。相手役のジェイムズ・フォレスター役のジョニー・フリンは、ミュージシャンでもある。ボブ・ディランに触発されたという。自身のバンド「ジョニー・フリンとサセックス・ウィット」で活躍。

 弟のヘンリーを演じたベン・ローゼンフィールドは、昏睡状態を演じなければならないとはやや可哀そうな気がする。導入部で地下鉄の通路でギターをかき鳴らしながら歌う場面だけとは気の毒。
 このベン・ローゼンフィールドは「グッバイ・アンド・ハロー」の父親ティムを演じていてフラッシュバックの場面に出ていた、駆け出しの俳優はこういう使われ方をするのかも。

監督のケイト・バーカーニ=フロイランドは、女性で短編を主に撮っていたようで長編は今回が初めてという。
        
        
 
ケイト・バーカーニ=フロイランド出自不詳
アン・ハサウェイ1982年11月ニューヨーク市ブルックリン生まれ。
ジョニー・フリン1983年3月南アフリカ、ヨハネスブルク生まれ。
ベン・ローゼンフィールド出自不詳 
メアリー・スティーバージェン1953年2月アーカンソー州ニューポート生まれ。

映画の中の素敵な俳優 ダイアン・キートン

2015-08-24 20:25:00 | 映画

 
 DVDを借りるとき、ダイアン・キートンがキャスティングされていれば、文句なく借りるという俳優の一人だ。1946年1月5日ロサンゼルスに生まれて今年69歳。

 スクリーンから見るダイアン・キートンは、顔に小じわ、拳の表面にはれっきとした老いが感じられる。それでも彼女の魅力が減じることはない。彼女の魅力は、都会的なセンスと洒落た感じだと思っている。スタッフも気を使っているのか、ファッションのコーディネートでかなり若々しくなる。

 1970年にこの業界に入ったというから、もう45年も映画に関係している。結局、健康だから続けられるのだろう。ウディ・アレン、ウォーレン・ベイティ、アル・パチーノなどと浮名を流したが結婚歴はない。

 受賞歴は、1977年「アニー・ホール」で主演女優賞、2002年「恋愛適齢期」でゴールデングローブ主演女優賞を受賞している。

「グッバイ・アンド・ハロー~父からの贈りもの ’12」劇場公開2014年10月

2015-08-22 21:13:56 | 映画

             
 父親の名前は、ティム・バックリィ(1947.2.14~1975.6.29)。1960年代、フォークソング歌手デビューし、先進的な音楽に挑戦していたが、ヘロインの過剰摂取で28歳の若さでこの世を去った。

 その父親ティムのトリビュート・コンサートが1992年4月ブルックリンで行われた。その時、息子のジェフが客演として出演。それにまつわる心の動きを描写したのがこの映画。

 ジェフが父親と会ったのは生涯で1度。それも小さい時だった。トリビュート・コンサートといわれても、いまさらの感が否めない。しぶしぶ参加したコンサートだったが、2曲歌ったのが注目され、1994年アルバム「グレース」を発表したが当初はあまり注目されなかった。

 しかし、ジミー・ペイジやエルトン・ジョンなどの高評価を受け浸透していった。映画ではトリビュート・コンサートまででアリー(イモージェン・ブーツ)という恋人までできて、疎遠だった父親の姿が身近に感じられるというお話だった。

 ミュージシャンの伝記ではあるがフォークソングぽい楽曲でも私の肌に合わなかった。そして、このジェフも30歳の時、ミシシッピ川で溺死した。親と子がともに若死とは、皮肉な運命を思わせる。
ジェフ・バックリーの「グレース」を聴いていただきましょう。
       
          
         
         
           

監督
ダニエル・アルグラント1959年9月ニューヨーク市生まれ。

キャスト
ベン・バッジリー1986年11月メリーランド州ボルチモア生まれ。
イモージェン・ブーツ1989年6月イギリス、ロンドン生まれ。

映画の中の素敵な俳優 エイミー・アダムス

2015-08-20 16:48:51 | 映画

 
 エイミー・アダムスが生まれたのは、イタリアのヴィチェンツァだが軍人だった父親の赴任地という。その後コロラド州キャッスルロックで育つ。

 あの有名なフーターズでウェイトレスをしていたこともあるらしい。1999年に『わたしが美しくなった100の秘密』のオーディションに合格して映画デビューを果たす。

 幸運はついて回り「2002年にスティーブン・スピルバーグが見せた彼女の映像がレオナルド・ディカプリオの目に留まったことがきっかけで長編大作『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン 』に出演。ディカプリオの恋人役という大きな役であったが、さほど注目されず、まだこの時点では、よほどの映画通でなければ知らない無名女優の一人であった。
 転機となったのは2005年の『Junebug』で、同作品でインディペンデント・スピリット賞や全米映画批評家協会賞を受賞。アカデミー助演女優賞にもノミネートされた。受賞は逃したが評論家たちは彼女の演技を高く評価し、突如現れた新星とブレイクし、オファーが殺到した」とウィキペディアにある。

歳をとっても恋をしよう「最高の人生のつくり方 ’14」劇場未公開

2015-08-18 18:35:44 | 映画

             
 「最高の人生……」3部作の最終部だろう。はじめは、’07年「最高の人生の見つけ方」ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの共演だった。次いで’12年「最高の人生のはじめ方」モーガン・フリーマン、ヴァージニア・マドセンのキャスト。

 で、今回は71歳のマイケル・ダグラスと69歳のダイアン・キートンで、’12年の「最高の人生のはじめ方」とともに劇場未公開という取り扱いになった。高齢俳優では広い観客の動員はムリだろうから仕方がないかもしれない。

 お話というのは単純で、オーレン・リトル(マイケル・ダグラス)の薬づけだった息子が、刑務所に入るから娘を預かってくれと言ってきたのが事の始まり。

 オーレンは、腕利きの不動産業者で妻を亡くして住んでいた豪邸を手放して引退するつもりで、湖畔の四世帯が住むアパートに一人暮らしだった。オーレンの隣には、夫を亡くしたジャズ歌手のリア(ダイアン・キートン)が住んでいる。

 オーレンは変わり者で、人の神経を逆なでするような言葉を平気で言う。ところが訳あり息子の孫のサラ(スターリング・ジェリンズ)が来てから徐々に様子が変わっていく。いがみ合っていたオーレンとリアにも新しい人生が始まる。

 さすがにもう70歳近くなったダイアン・キートンも老いを感じさせるが、格好いいスタイルといい声は健在。ダイアンの歌が聴けるのがうれしい。

 ジョニ・ミッチェル作曲でジュディ・コリンズが歌う「Both Side Now青春の光と影」が導入部を彩り、ラストシーンでは、ダイアンの歌う「The Shadow Of Your Smile」が心に沁みる。

 それにサラを演じたスターリング・ジェリンズがすごく可愛い。これからどう成長していくか楽しみではある。監督のロブ・ライナーもバンドの一員として顔を出している。オールディーズ好きにはたまらない映画と言える。
では、ダイアン・キートンが歌う「The Shadow Of Your Smile」をどうぞ!

         

         
         
         
         
         
         
         
  

監督
ロブ・ライナー1947年3月ニューヨーク市ブロンクス生まれ。

キャスト
マイケル・ダグラス1944年9月ニュージャージー州ニューブランズウィック生まれ。
ダイアン・キートン1946年1月カリフォルニア州ロサンゼルスうまれ。
スターリング・ジェリンズ出自不詳、2013年からすでに3本の映画に出演している。

世の中にはこういう男もいるんだ。「ビッグ・アイズ’14」劇場公開2015年1月

2015-08-16 17:14:41 | 映画

              
 これは実話だそうだ。1958年北カリフォルニア。アメリカでもまだ男性優位の社会だった。マーガレット・キーン(エイミー・アダムス)は、横暴な夫から娘を連れて逃げ出す。とりあえず落ち着いたのは、サンフランシスコだった。

 当時は、まだまだ女性が働くのは容易でない時代だった。そこで画才を生かして路上似顔絵描きで生計を立てることにした。隣で自分の絵を売るウォルター・キーン(クリストフ・ヴァルツ)が近づいてきた。キーンと名乗るが偶然だった。

 この男、口八丁手八丁で言葉巧みにマーガレットを口説き落とし結婚する。やがてこの男の本領が発揮され、マーガレットの描く目の大きな子供の絵が売れるようになる。しかし、描いたのはウォルターということで売り込んでいた。ウォルターは絵が描けなかった。パリ留学も嘘だった。

 釈然としないマーガレットだったが、この男と別れても生計に不安があって、ずるずると言いなりなってひたすらビッグ・アイの絵を描き続けた。かなりの儲けが出てプール付きの豪邸も手に入れた。

 しかし、この男は遊びまわっていて、家にこもって作品を作り続けるのはマーガレットだった。ウォルターに口答えをすると、残忍で横暴をさらけ出す。またもや成人した娘を連れて逃げ出すハメになった。

 今度はハワイだった。ハワイの放送局のインタビュー番組で遂に実態を暴露した。当然ながら裁判に持ち込まれた。二人の言い分の白黒をつけるために判事は、法廷でビッグ・アイの絵を描くことを命じた。マーガレットの勝訴に終わった。めでたしめでたし。

 で、ウォルターは、自分が作者だと主張し続け、2000年に無一文で他界した。

マーガレットは、再婚してハワイからサンフランシスコに戻り新しい画廊をオープンした。彼女は今でも毎日絵を描いている。

本当に強いのは、女だとつくづく思う。

 「私はキーンの絵を素晴らしいと思う。万人に愛されるのは魅力があるからだ。アンディ・ウォーホール」

 エイミー・アダムスが素晴らしかった。白人種のキレイというのは、段違いのキレイさだと思う。エイミー・アダムスを見とれてしまった。2014年のゴールデングローブ女優賞受賞もうなずける。
        
        
        
        
        
        
        
        

監督
ティム・バートン1958年8月カリフォルニア州バーバンク生まれ。

キャスト
エイミー・アダムス1974年8月イタリア、ヴィチェンツア生まれ。
クリストフ・ヴァルツ1956年10月オーストリア、ウィーン生まれ。

映画の中の素敵な俳優 アネット・ベニング

2015-08-14 17:13:59 | 映画

 
 1958年5月29日カリフォルニア州トピカ生まれの今年57歳のアネット・ベニング。ベテランの実力派女優だ。この人もキレイに年を取ったといえる。1946年生まれのダイアン・キートン、1959年生まれのエマ・トンプソンも同様だ。

 2013年製作の「フェイス・オブ・ラブ」のアネット・ベニングを見ていると、目じりに小じわがあっても成熟した女性の魅力は衰えていない。それにファッションも同年代の人には参考になるはずだ。映画からのヒントは大いに役に立つ。

 アネット・ベニングの出演作も今年4月に「あの日の声を探して」があり、9月にはアル・パチーノと共演した「Dear ダニー君へのうた」がある。これはジョン・レノンにまつわるお話のようでジョン・レノンの曲も聴けるそうだ。

極上のラブ・ストーリー「博士と彼女のセオリー ’14」劇場公開2015年3月

2015-08-08 20:49:58 | 映画

             
 筋萎縮性側索硬化症、別名ルー・ゲーリック病。大リーグのヤンキースで人気のあったルー・ゲーリックが罹り、世に知られるようになった。ふつう余命5年といわれ呼吸困難で死亡するという。

 この病気に襲われたのは、まだ若いスティーヴン・ホーキングだった。恋人のジェーンを避けようとしたが、ジェーンの愛情はスティーヴンを包み込んだ。スティーヴンの父から結婚はどうかと思うと説得されたが、強固な意志を貫いた。

 天才的頭脳の持ち主スティーヴンと才媛のジェーンとの結婚生活も、スティーヴンが徐々に体の自由を奪われていき、ジェーンにとっても子育てや家事や仕事で精神的にも疲れ始める。ジェーンの心のひだに波立つものから逃れるのはかなり難しい。

 一家でスティーヴンの実家へ行ったとき、スティーヴンが喉に食べ物を詰まらせた。ジェーンは慣れたもので背中を叩いて吐き出させた。そして「専門の医者に診せないと……」ところがスティーヴンは「医者に行くのはいやだ」ジェーンは失望したようにため息。

 帰りの車の中でジェーンは切り出す「スティーヴン、手助けが必要よ。ロバート(息子)は、子供時代も楽しめない。うまくやろうとしても、私の力ではムリよ」
「うまくいってる。僕たちはまともな家族だ」
「まともな家族じゃない。まともじゃないわ」ジェーンの怒りが爆発する。
 スティーヴンは、バックシートに座る息子に振り向いて「ロバート お母さんは僕に対してすごく怒ってる」
ジェーンはハンドルを握りながら「ひどい人」

 この場面は、普通のお父さんの反応と変わらない。ちょっと妻への思いやりに欠けていて天才といえども感情は普通の人と同じ。

 いらいらしているジェーンを見かねて、ジェーンの母は教会の聖歌隊に参加を勧める。聖歌隊の指揮者はジョナサン・ジョーンズ(チャーリー・コックス)。通ううちにジェーンの心のひだに忍び寄る淡い恋情。

 ジョナサンを自宅に招待しスティーヴンとも楽しい食事や息子ロバートのピアノ教師としてホーキング家に深く入り込んでくる。スティーヴンも二人の思いを感じたのかもしれない。

 やがて喋れなくなったスティーヴンにジェーンは、スペリングボードの説明を始める。「私が文字グループの色を言うから、その中に文字があれば瞬きで合図して。グループが決まれば次にどの文字か瞬きして色を知らせるのよ」

 反応を示さないスティーヴン。ジェーンも硬い表情で疲れた感じがある。ここには心も体も疲れた一組の夫婦があるだけ。

 それでも諦めないジェーンは、スペリングボードの専門家エレイン(マキシン・ピーク)を招いた。教え方はジェーンとまるっきり違った。それが気に入ったスティーヴン。

 ジェーンは有能なキャリア・ウーマンの趣があって事務的。エレインは、有能さを秘めた懐の深さを感じさせる。

 スペリングボードから意思伝達装置(文字を入力すると読み上げる音声が出る装置)の説明のとき、困った表情で音声がアメリカ風なのを指摘するジェーン。エレインは気にも留めず「素晴らしいわ」

 その後、意を決したスティーヴンは「一緒にアメリカへ行ってくれと、エレインに頼んだ。僕の面倒を見てくれる」と意思伝達装置から流れる。ついに破局が訪れた。

 車の中の諍いから、このシーンまで微妙な心の動きを演じた二人の俳優。スティーヴン・ホーキンズを演じたエディ・レッドソンがアカデミー主演男優賞に輝いたのも、またジェーンを演じたフェリシティ・ジョーンズもアカデミー主演女優賞にノミネートされたのもうなずける。

 にもかかわらず、あまり評価しない御仁もいるようだ。ウィキペディアから一例をあげてみると「ニューヨーク・タイムズのデニス・オーヴァーバイは「『博士と彼女のセオリー』は賞を与えるに値しない。なぜなら、ホーキング博士の業績を大雑把に説明しているからだ。雑な描写のために、なぜ博士が有名になったのかという疑問に対する答えがはっきりしないままになっている。博士がどのようにして従来の時空理論を覆したかということを描き出す代わりに、博士が神の存在に言及したかしないかという、些細なことが語られている。観客の宗教的な関心に媚びている。」と批判している。

 まあ、いろいろな見方があるんだろうけど、ラブ・ロマンスとして見れば大した問題でもない気がする。スティーヴン・ホーキンズは、2011年にエレインとも離婚して、73歳の今も車いすの物理学者として研究を続けているという。
         
         
         
         
         
         
         

監督
ジェームズ・マーシュ1963年4月イギリス、イングランド生まれ。

キャスト
エディ・レッドソン1982年1月イギリス、ロンドン生まれ。
フェリシティ・ジョーンズ1983年10月イギリス、イングランド、バーミンガム生まれ。チャーリー・コックス1982年12月イギリス、ロンドン生まれ。
マキシン・ピーク1974年7月イギリス、イングランド生まれ。