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日常「気になるペットがふりまくイヤな匂い」

2023-03-30 09:40:52 | 雑記
 我が家には猫が二匹います。オスの“茶太郎“とメスの“ココ“です。二匹とも雑種です。この二匹を手に入れたのが、千葉市動物保護指導センターなのです。ここへ行ってホイホイと戴けるわけではございません。下記の条件があります。
譲渡の条件
(1)愛玩目的で、終生飼養すること。
(2)千葉市内在住であること。(市外の場合、原則としてボランティア譲渡になります。)
(3)独居でないこと(成人の同居家族がいること)。(ただし、飼えなくなったとき、代わりに飼うことができ、飼養者としての条件を満たした方の同意書を提出いただける場合は、この限りではありません。)
(4)年齢が20歳から60歳であること。(ただし、審査の結果、譲渡希望動物が61歳以上でも適正に飼えると判断できる場合、また、飼えなくなったとき、代わりに飼うことができ、飼養者としての条件を満たした方の同意書を提出いただける場合はこの限りではありません。)
(5)動物を適正に飼養するための十分な費用を負担できること。
(6)動物の飼養について、同居する家族全員の同意があること。
(7)飼える住居であること。(規約・契約書の写し又は証明書を提出いただきます。)
(8)飼養する頭数が、犬は3頭以下、猫は5頭以下、計5頭以下になること。
(9)現に飼養している犬の登録及び狂犬病予防注射を実施していること。
(10)飼い主のいない猫に給餌していないこと。
(11)現に飼養している動物の不妊手術を実施していること。
(12)入院を要する病気治療中でないこと。
(13)犬の毎日の散歩など、日常のお世話ができること。
(14)原則として、妊婦、要介護者が家族にいないこと。
(15)避妊去勢手術を実施し、報告すること。
(16)猫は室内で飼い、外に出さないこと。
(17)番犬目的で、吠える犬を希望していないこと。

 これで思うのは独居老人にはムリだということですね。そこで勝手に将来を想像してみると、IT技術の進歩によって毛ざわり、肉質、鳴き声、動きなど本物と寸分違わないロボット猫ができる筈ですから、その時はこの問題が解決しているでしょう。餌も水もいらない排泄もないきれいな猫なんです。

 現実には我が家にいるオスの茶太郎は、スプレーという強烈な臭いを振り撒くので多くの商品を試してみましたが、今使っている「オレンジX」が非常によろしいです。2021年10月に買ってからずっと使っています。何が気に入ったかと言いますと、ムッとする動物臭やオス猫のスプレー臭も一回の霧吹きで治まります。
 
 この製品はオレンジの皮から抽出したオレンジオイルが主成分とあります。製品の説明によりますと、頑固な油汚れから部屋のカーペット、トイレ、浴室、窓ガラスの掃除、洗濯など多岐にわたります。私は臭い消し以外に使ったことがありません。初めて使う場合でも「詰め替え用3,680円」を買って、百均の適度の大きさの霧吹きに液と水を入れればよろしいかと思います。製造販売は、横浜市神奈川区西神奈川2-1-3株式会社オレンジクオリティとなっております。


読書「とむらい家族旅行He started it」サマンサ・ダウニング著ハヤカワ・ミステリ文庫2022年刊

2023-03-26 16:03:12 | 読書
 なんとも奇妙な家族旅行なのだろう。人間の本質「欲」がおじいちゃんの遺言の旅であらわになる。旅をするのは、主な語り手フロリダに住んでいるベス、ベスの夫フェリックス、ベスの兄エディ、エディの妻クリスタそして独身の妹ポーシャ、一行五人のドライブ。

 ルートはおじいちゃんが綿密に遺言として残してある。アメリカ南部のジョージア州を起点にアラバマ、ミシシッピー、ルイジアナ、アーカンソー、ミズーリー、カンザス、テキサス、オクラホマ、コロラド、ワイオミング、モンタナ、アイダホ、ワシントン、オレゴン、ネヴァダへ二週間をかける。

 それぞれの州での見どころにも立ち寄らなくてはならない。例えばヘレン・ケラーの生家やボニーとクライド奇襲博物館、ガンファイター蝋人形博物館、10台のキャデラックが地面に縦に突き刺さっているキャデラック・ランチ、デビルズ・ロープ有刺鉄線博物館など。

 旅が終われば800万ドルの遺産が転がり込む。さて、人間の強欲はどんな結末になるのだろう。この本は私にとって、ちょっと退屈だった。さらに記述される音楽、ガービッジの「アイ・シンク・アイム・パラノイド」やデフ・レパードの「シュガー・オン・ミー」などは、興味ないし心の琴線に触れない。生きてきた時代の違いがハッキリする。


読書「黒き荒野の果てBLACKTOP WASTELAND」S・A・コスピー著ハーパーコリンズ・ジャパン2022年刊

2023-03-16 11:28:59 | 読書
 ヴァージニア州シェパーズ・コーナーは月夜だった。多くの人はインターステイト(州間高速道路)から分かれて、シェパーズ・コーナーを抜ける四車線の道路を使う。黒人のボーレガードが立っているのは、四車線の道路ではなく開発から取り残され見捨てられたアスファルトの荒野(ブラックトップ・ウェストランド)だ。

 月の光に包まれ静まり返るブラックトップ・ウェストランドに走り屋たちが集まってくる。ポーレガードは自動車修理工場を営んでいて、ここのところ売り上げがガタ落ちの状態、工場の賃貸料支払いのため、ここのレースで稼ごうとしていた。ポーレガードの運転技術は他を圧倒していて、修理工場を開く前は強盗団のドライバーを務めてきた。

 今では足を洗い妻と二人の息子、娘一人の家庭を持ったいる。ボーレガードは手持ち金1000ドルをレースに賭けた。1対1のレースで自らが勝たないと1000ドルは霧消する。  で、勝った。しかし、偽警官が現れこの場にいた全員から有り金をかっさらった。レース相手の男とグルになって罠をしかけたとボーレガードが見抜いた。その男が戻ってくるのを待って、車載レンチでぶん殴って、あり金を吐き出させた。750ドルだった。

 そんな時、貧乏白人のロニーから口がかかる。宝石店強盗のドライバーの仕事だった。女の嗅覚は鋭い。ボーレガードの妻キアは気配を感じて、それとなく話に乗らないようくぎを刺す。しかし、ボーレガードにしてみれば、生活費や娘の大学の学資に必要な金は稼がなければならない。落ち目の修理工場を思えば、ひとっ走りで何十万ドルは無視できない金額だ。

 ボーレガードは下見をした。本から引用してみる。「カッター群はレッドヒル郡から110キロ離れた州の反対側だ。計画と偶然の兼ね合いで、不本意ながらニューポート・ニューズ市の郊外になっていた。ほとんどの住民は、市内にある三大雇用企業、つまり海軍工廠、キヤノンの製造工場、パトリック・ヘンリー・モールのどれかで働いている。これらの産業がカッター群に及ぼした影響は、見ればわかった。

 町に入ってからトレラーハウスは、3軒しかなかった。交通量は少ないが、BMWとメルセデスばかりで、ときどきレクサスが迷い込む」豊かな街には違いない。保安官事務所の位置、交差点、抜け道、主な商店など、すべてを頭に叩き込んだボーレガード。

 記憶力が抜群だったボーレガードの少年時代。少年院のある職員は、大学にも行けるかもしれないと応援してくれた人もいた。しかし、ボーレガードのような少年には、そんな選択肢はなかった。父親もいない。母親は退屈な女で、一つ間違えば神経衰弱になる。祖父母は生涯みじめな貧しい暮らしをして亡くなった。大学なんて夢のまた夢なのだ。

 この豊かな街のショッピングモールにある宝石店を襲い、ダイアモンド原石など強奪して走り去った。問題はここからなのだ。急に懐が豊かになった仲間のロニーの日常は一変した。女を引き込みマリファナ、酒で一日中酔っぱらっている。苦々しく思うボーレガード。そんな日々も宝石店がギャングのボスが表向きの店としていたのを知る。これはヤバい。

 ボーレガードとギャングの戦いへと凄惨なバイオレンスに発展していく。この本も時折、人情や思いやりを込めたくだりもあるが、おおむねB級映画もどきの展開。
 数多い音楽の記述についても、パトカーに追われて時速215キロで聴くのはスティーヴィー・レイ・ヴォーンの「ワム」。疾走する車の中で聴くにはピッタリではなかろうか。

 著者のS・A・コスビーは、ヴァージニア州生まれ。クリストファー・ニューポート大学で英文学を学び、警備員、建設作業員、葬儀場のアシスタントなどを経て作家になった。2019年の短編がアンソニー賞最優秀短編賞を受賞。本書でマカヴィティ賞、アンソニー賞、バリー賞などを受賞している。
それではスティーヴィー・レイ・ヴォーンの「ワム」を聴いていただきましょう。


懐かしの映画「陽の当たる場所A Place in the Sun」1951年パラマウント映画製作 1952年日本公開

2023-03-09 17:09:08 | 映画
 貧しい生い立ちでろくに教育も受けていない男の悲惨な人生。男の名前はジョージ・イーストマン(モンゴメリー・クリフト)。彼の縁戚に伯父のチャールズ・イーストマン(ハーバート・ヘイス)がいた。チャールズは水着製造工場を経営していて羽振りがいい。ジョージがホテルのボーイをしていた時、この伯父に偶然出会い「わが社で働け」の一言がジョージにとって、上昇への階段になるはずだった。

 女工のアリス・トリップ(シェリー・ウィンタース)と親しくなり、懐妊する事態にまで発展する。そんな時、伯父のチャールズから一族に紹介すると言われて会ったヴィッカース家のアンジェラ・ヴィッカース(エリザベス・テイラー)。今まで会ったことない美しい女性にショックを受ける。 が、あまりにも身分が違うと心のどこかが囁いていた。しかし、アンジェラとより親しくなり、アリスがじゃまになる。ジョージに一度はアリスを亡き者にという感情がわいたが、思いとどまる。しかし、思わぬ事故でアリスが死亡する。

 警察は殺人事件として取り上げる。裁判が開かれフランク・マーロ検事(レイモンド・バー)の追及が厳しい。死刑判決を受けたジョージにアンジェラが訪れる。「一生忘れない」という言葉に、ジョージは「どうか、忘れてほしい」と答える。ジョージの母親ハンナ(アン・リヴィア)と牧師から、「実際に殺人を犯したか否かにかかわらず、アリスの死を望んだジョージの心に罪がある」という重い言葉をジョージは受け入れていた。

 エリザベス・テイラーにはジョージばかりでなく、私もショックを受けた方なのだ。「若草物語」の彼女を見たとき「世にもこんな美女がいるのか」とショックだった。一緒に行ったガールフレンドも巷の女性も目に入らなくなったという現象だった。自惚れが強すぎた若き時代の忘れえぬ想い出と言えばいいか。モンゴメリー・クリフトの暗い雰囲気が白黒映画と相まって、ミステリアスに仕上がっている。

 この映画を監督したのは、ジョージ・スティーヴンス。1904年12月8日~1975年3月8日70歳で死去。以下この人の特徴をウィキペディアから。「戦前は娯楽映画を中心に撮ったが、第二次世界大戦中はアメリカ陸軍の映画斑に所属して戦意高揚映画の製作にあたった。西部戦線では連合軍の進撃に随行し、なかでもダッハウ強制収容所では解放直後から現場の記録撮影に従事し、ニュルンベルク裁判ではそのフィルムで制作された映画が証拠として上映された。
 
 凄惨な戦争を実体験したことから、戦後は人間の内面を描いた作風に変わる。1948年の『ママの想い出』を皮切りに、1951年にジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『アメリカの悲劇』のリメイク『陽のあたる場所』でアメリカの上流社会を夢見る若者の悲劇を描き、見事アカデミー監督賞を受賞。

 続いて1953年、西部劇の名作『シェーン』で少年の視点を通して西部に生きる開拓者とガンマンの交流を描き出した。して1955年、壮大な家族ドラマでジェームズ・ディーンの遺作となった『ジャイアンツ』でその名声を決定的なものにした。本作では2度目のアカデミー監督賞を受賞、アメリカの家庭劇を中心に描いたことから、ドメスティック・リアリズムの巨匠と称された。

 モンゴメリー・クリフトは若くしてこの世を去った。1920年10月17日~1966年7月23日45歳で死去。ネブラスカ州オマハ出身。ウィキペディアより「子役として13歳でブロードウェイで初舞台を踏み、以後10年間は舞台で経験を積み、多くの作品で主演を務めて高い評価を得た。ハリウッドからの誘いを断り続けていた彼だが、1948年、ジョン・ウェイン主演の『赤い河』で映画デビュー。同年の『山河遥かなり』でナチスによって母親と離ればなれにされた事によって、恐怖のあまり人間不信に陥り失語症となった少年を保護した心優しい米兵を演じアカデミー賞にノミネート。

 その後『陽のあたる場所』、『地上より永遠に』でもノミネートされ、二枚目俳優として活躍する。1950年頃からアレルギーと大腸炎に悩まされるようになり、その結果、アルコールとドラッグの問題を抱えるようになる。更に1956年に交通事故に遭い顔面を負傷、整形手術をする[3]も顔の筋肉の一部が動かなくなってしまい、以後更に健康上の問題を抱えるようになる。1959年にはテネシー・ウィリアムズの戯曲の映画化『去年の夏 突然に』、1961年にはマリリン・モンロー、クラーク・ゲーブル主演の『荒馬と女』に出演。1961年の『ニュールンベルグ裁判』ではアカデミー助演男優賞にノミネートされ、その後の活躍も期待されたが、1966年に心臓発作で死去した。

 エリザベス・テイラー、1932年2月27日 ~2011年3月23日79歳で死去した。イギリス出身の女優。少女時代からメトロ・ゴールドウィン・メイヤー (MGM) で子役として映画出演しており、成人後には「ハリウッド黄金時代」(en:Hollywood's Golden Age) を代表する大女優の一人となった。世界的にもっとも有名な女優の一人であり、優れた演技力、美貌、豪奢な私生活、そして珍しいスミレ色の瞳で知られていた。

 レイモンド・バー1917年5月21日 - 1993年9月12日76歳で死去は、ブリティッシュ・コロンビア州ニューウェストミンスター出身の俳優。。第二次世界大戦中は海軍に入隊したが、沖縄戦で負傷し帰国。海軍を退役後、演劇に興味を抱き1946年に初めて映画に出演する。続く10年間に90作品に出演した。『陽のあたる場所』、『裏窓』といった作品に出演した。悪役を多く演じたが、1957年にE・S・ガードナーの『ペリー・メイスン』シリーズのテレビドラマ化でペリー・メイスン役を演じ、テレビスターの仲間入りをした。同作品は人気を博して9年間続き、1959年と1961年にエミー賞主演男優賞を受賞した。1967年にはもう一つの長寿ドラマシリーズ『鬼警部アイアンサイド』で、車椅子の刑事役を演じた。


懐かしの映画「風と共に去りぬGone with the wind」1939年アメリカで公開

2023-03-05 09:44:38 | 映画
 1861年から1865年まで続いた南北戦争の真っただ中、ジョージア州のタラで大きなプランテーションの娘スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)がたどる苦難と希望を描く。

 今どきの映画と違って、オープニングはタイトルやスタッフ、出演者の字幕が流れる。それが終わるころ「貴族社会と綿花栽培に象徴される古き良き南部で、紳士と淑女、主人と奴隷の世界が終ろうとしていた。もはや物語にしか見いだせない遠い夢の世界、その世界は風と共に去りぬ」のテロップ。
 風は南北戦争を意味し、南部の敗戦とともに旧来の制度は無くなったのだ。南北戦争は奴隷解放の戦争でもあった。この時の大統領はエイブラハム・リンカーン、共和党だった。

 主役のスカーレット・オハラは、独善的で自己主張が強く感情をすぐに爆発させる。芯は強いものを持っていて目を見張る美人。男からちやほやされて育った令嬢。戦争は人々の心を荒廃させ苦難のどん底に落とし込む災厄なのだ。それを身をもって体験するスカーレット・オハラ。

 彼女には一途に想う人がいた。それは幼馴染のアシュレー・ウィルクス(レスリー・ハワード)。アシュレーへの想いは。アシュレーの妻メラニー(オリヴィア・デ・ハヴィランド)の死後まで続く。しかし、別の男レット・バトラー(クラーク・ゲーブル)の存在も気になるものの一つだ。

 レット・バトラーもサウスカロライナ州チャールストンの貴族階級の出自ではあるが、奔放な性格とともに機を見る目を持つ精力的な男なのだ。私はこの映画を最初に見たとき、クラーク・ゲーブルのあのちょび髭のにやけた表情が好きになれなかった。そして後年、東京の地下鉄丸ノ内線車内で色の浅黒いクラーク・ゲーブルそっくりな男を見た。この男にはちょび髭はなかったが、ハンサムな男だなと思った。クラーク・ゲーブルはハンサムなんだ。そんな経緯があって、今回この映画を観ても違和感を覚えなかった。

 むしろ、スカーレットがアシュレーの本当の気持ち、「心から愛しているのは、妻メラニーなんだ」の言葉をようやく受け入れ、レットを愛していることにも目覚める。しかし、時は遅かった。レットは部屋で自分の衣類をカバンに詰めていた。「別れる」という。レットの決断をうながしたのが、スカーレットがいまだにアシュレーの写真を持っていたためだ。スカーレットの「愛している。お願い、留まって!」の言葉も空しく響くだけだった。玄関ドアで「残された私はどこへ行けばいいの?」とスカーレット。レット・バトラーは「俺には関係ない」と冷たく言い放つ。そして霧の中へと去っていく。この場面を観ながら(それでいいんだ。スカーレットの悲嘆にくれる演技や悲しみの演技に付き合う必要もないよ。自分の人生を歩んだ方がいいと快哉した)と思ったものだ。

 しかし、スカーレットはしたたかなのだ。これからの人生を考える。はたと気がついたのは、タラ! 私のふるさと。彼を取り戻す方法はタラに戻ってから考えよう。明日には明日の新しい風が吹くわ。そしてTHE END。

 ヴィヴィアン・リーが随一の美人というけれど、この映画の出演女優はみんな美人だ。この頃は、女優は美人でなくてはならなかったのだろう。今の女優を見ているとハッとするような美人女優は少ない気がする。演技中心の雰囲気か。

 この映画で最も印象に残ったのが、南軍の劣勢の中、アトランタで出産を終えたメラニーと子供、それにスカーレットと下女、レット・バトラーが馬車を操る。アトランタを脱出する燃える大きな家屋が倒壊する前を馬車に乗って通過する場面だ。一幅の絵のような気がした。それにテーマ曲「タラのテーマ」

 この映画には多くのエピソードが見られる。いくつかウィキペディアから拾ってみよう。
(1)日本での公開 1952年9月4日公開され大ヒットした。戦火に焼けただれたタラの農場で力強く立ち上がって行くヒロイン、スカーレットの姿に、戦争に打ちのめされながらも復興に生きた当時の日本人は目の覚めるような感銘を受けたとある。

(2)アメリカで有名なセリフは、ラストシーンでレットが去り際に吐く捨てゼリフである。スカーレットに「あなたが行ってしまったら、私はどこで何をすればいいの?」と聞かれたレットは、「Frankly, my dear, I don't give a damn.(率直に言おう。知ったこっちゃない)」と振り向きざまに言う。英語の「damn」は本来、強い罵倒語であることから製作当時は映画において禁止用語とされ、使うべきではない言葉と考えられていた。セルズニックはアメリカ映画協会に5000ドルの制裁金を払って使用を認められた。2005年、逆にアメリカ映画協会はこれを「アメリカ映画の名セリフベスト100」の第1位に選んでいる。

(3)インフレを調整した歴代の興行収入では、2020年現在でも『風と共に去りぬ』が1位である。

(4)第12回アカデミー賞
作品賞:風と共に去りぬ
監督賞:ヴィクター・フレミング
主演女優賞:ヴィヴィアン・リー
助演女優賞:ハティ・マクダニエル
脚色賞:シドニー・ハワード
撮影賞(カラー):アーネスト・ホーラー、レイ・レナハン
室内装置賞(美術賞):ライル・ウィーラー
編集賞:ハル・C・カーン、ジェームズ・E・ニューカム
特別賞:ウィリアム・キャメロン・メンジース(劇的な色彩の使用に対して)
技術成果賞:R・D・マスグレイヴ(風と共に去りぬの制作における調整された機器の使用の先駆者のために)
ノミネート
主演男優賞:クラーク・ゲイブル
助演女優賞:オリヴィア・デ・ハヴィランド
作曲賞:マックス・スタイナー
特殊効果賞(視覚効果賞):ジャック・コスグローヴ、フレッド・アルビン、アーサー・ジョンズ
音響賞:トーマス・T・モールトン


それではテーマ曲「タラのテーマ」を聴きましょう。

懐かしの映画「哀愁Waterloo Bridge」1940年公開のラブロマンス

2023-03-02 11:22:54 | 映画
 アメリカでは1940年に公開されているが、日本では1949年。太平洋戦争が終わったのが1945年、当然それまではアメリカ映画を観ることはできなかった。国民が政治に関心を寄せなくする愚民政策3S(スリー・エス)を戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が行ったことで(行ったと言われている)大量のアメリカ映画が入ってきた。3Sつまり(screen,sport,sex)のもとアメリカ映画やアメリカ音楽が怒涛のように押し寄せてきた。私なんかまだティーンエイジャーだったから、西部劇ばかり観ていた。

 この映画、劇場で観たのか、テレビの再放送で観たのか記憶が定かでない。ウォータールー橋のロバート・テイラーとこの当時、随一の美貌の女優ヴィヴィアン・リーをかすかに思い出す程度だ。ヴィヴィアン・リーは「私は女優ではない。女優とは美貌を売り物にしている者で、私は舞台俳優だ」と言ったとか。それでも気になる映画の一つだ。

 第一次世界大戦下のイギリス陸軍の将校ロバート・テイラーとバレリーナのヴィヴィアン・リーの悲恋物語。ウォータールー橋を渡っているときに空襲警報が鳴り響く。サーチライト群が夜空に数条の光を投げる。バレリーナの一団が声をかけてきた。「どちらに行けばいいの?」ロイ・クローニン大尉(ロバート・テイラー)は、地下へ行こう。一団が動き出したとき、バレリーナのマイラ・レスター(ヴィヴィアン・リー)が手提げ袋を落として中身が飛び出る。拾い集めるロイとマイラ。

 地下では必然的に群衆の中で二人だけになる。べらべらとよく喋るロイ大尉、しかも人でうずまる地下でタバコを吸う。今では考えられない喫煙者。それはともかく、マイラの舞台を観たり、ナイトクラブで蛍の光が流れる中、一本一本ローソクの炎が消されていく。最後の一本が消されたとき、ロイとマイラの熱き口づけ。といっても当時のキスシーンは、子供だましの感あり。バレー団の掟では、恋愛はご法度。マイラの親友キティが強烈な反論をしたため、ともにクビになる。

 戦時下の職探しは難しい。ましてやバレリーナとなれば実利的ではない。貯えも底をつきつつあって、キティに尋ねた。つまり家賃や生活費をどのようにしているのか。キティは口ごもりながら、身を売っていると打ち明ける。

 マイラのショックは大きかった。 が、それ以上に大きかったのは、恋人ロイの母親とレストランで待ち合わせているとき、何気ないく見た新聞の戦死者欄に、ロイ・クローニンという名前があったことだ。生活が苦しい中、生涯の柱であったロイの死亡は、マイラをどん底に突き落とした。ロイをしのんで思い出のウォータールー橋にたたずむ。

 声をかけてきた男に応える。キティと同様、娼婦に身を落とした。商売は鉄道駅だ。肌もあらわな商売用の服装で、終戦のために続々と兵隊たちが帰還してくるのを眺める。その集団の中に、ロイ・クローニン大尉もいた。

 先に気がついたのはロイ大尉だった。嬉しい二人の再会。ロイは性急で「結婚しよう」。結婚式はロイの実家。馬車から見る家屋は、何部屋もある豪壮な邸宅。ロイの父親、母親、何人もの使用人に挨拶。しかし、マイラはこの家庭の重圧を感じ始める。もともと律儀で嘘のいえない性格は、結婚をあきらめる方向へ流れていく。マイラはロイの母親マーガレットに打ち明ける。マーガレットは動じなかった。「明日の朝、もう一度話し合おう。気にしなくてもいい」と温かい言葉も。

 しかし、マイラは手紙を書いた。「この感謝の気持ちは、うまく表現できません。しかし、私たちには未来は存在しません。これ以上書けません――――さよなら、マイラ」をロイ宛に残しロンドンに帰ってしまう。

 どうして未来がないのか、なぜ帰るのか、ロイには見当もつかない。探し出して聞かねばならない。ロイはロンドンのアパートへ行く。勿論マイラはいない。親友のキティもマイラが戻ったのを知らない。キティの協力で心当たりを当ってみる。場末の酒場や、いかがわしいダンスホール、そしてウォータールー駅など、ロイはマイラの身に何が起きていたかをようやく理解し、マイラがもう二度と自分の前に現れないことを悟る。

 傷心のマイラが選んだのは、思い出のウォータールー橋にたたずみ回想を重ねるが心は晴れない。おびただしい軍用車の通過、ヘッドライトが何をささやくのか、マイラは突然身をひるがえして車列に飛び込む。

 1939年9月3日、第二次世界大戦序盤の英独開戦の日。イギリスがドイツへ宣戦布告し、ロイ・クローニン大佐はフランスへ赴くことになる。その途中、ウォータールー橋にたたずみマイラからもらったお守りビリケン人形をそっとなでる。心から愛した女性マイラの忘れえぬ面影をしのぶ。

 白黒映画の追想形式でマーヴィン・ルロイが監督。ロバート・テイラーとヴィヴィアン・リーの美男美女の共演で、またテイラーもリーも自身の出演作の中で一番好きな作品は『哀愁』と答えたという。特に日本では戦後公開され、大ヒットを記録、日本映画界にも大きな影響を与え、『また逢う日まで』や『君の名は』といったメロドラマの傑作を誕生させるきっかけとなった。(ウィキペディア)

ヴィヴィアン・リー(1913年11月5日 – 1967年7月8日)は、イギリスの女優。1939年の映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役と1951年の映画『欲望という名の電車』のブランチ・デュボワ役でアカデミー主演女優賞を受賞した。

ロバート・テイラー( 1911年8月5日 – 1969年6月8日)はアメリカの俳優。ネブラスカ州フィリー出身。

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