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野球「大谷翔平の22本の本塁打をYouTubeで」

2018-10-27 18:24:02 | スポーツ
MLB公式サイトから

「大谷翔平のルーキー・シーズンの22本のホームランをもう一度見てみよう。
私は(筆者)日本の国とその人々に心からのありがとうを伝えたいと思います。大谷翔平をアメリカとエンジェルス球団に送る出してくれたことを。 彼は2018 MLBシーズンを、野球のファンのために思い出に残る刺激的なものにしました。それに彼は、今年のルーキー・オブ・ザ・イヤー(最優秀新人賞)にふさわしい。人々はミゲル・アンドゥハーが有力と言うが」

 ミゲル・アンドゥハーは、パナマ出身のヤンキースの三塁手で、本塁打27本、打点92、打率0.297 OPS 855を残しアメリカン・リーグ新人打者のトップを走っている。

 大谷翔平は、本塁打22本、打点61、打率.285 OPS 955という結果だった。これに投手成績がある。6試合、4勝2敗、防御率3,31 三振奪取数63 投げるスピード96.7マイル(時速155キロ)。MLBの平均スピード93,2マイル(150キロ)。

 日本人としては、二刀流を高く評価してほしいが、さて、記者はどんな結論を出すか。ちなみにOPSとは、出塁率と長打率の合計。そしてOPSの格付けとして、.900以上は素晴らしい。.834~8999は非常に良い。.7667~.833は良い。.700~.766は並で、大谷はトップクラス。

この22本の映像にファンのコメントが多くある。
「来年2019年には、彼は40本の本塁打を打つだろう」
「面白いことに、シーズン前には彼がトリプルA(マイナー・リーグ)から始めたほうがいいと言った人たちがいる。その人たちが今、称賛していることだ」
「彼は、ハンサムで才能もありそれに人柄もい良い。彼は他の野球選手よりも率直で誠実に話す。彼は私にとって最高だと言える。 それは本当だ」

それでは大谷翔平の22本をどうぞ!




映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」女性の勇気を称える

2018-10-24 13:17:59 | 映画

           
 ペンタゴン・ペーパーズとは、ベトナム戦争を分析・記録したアメリカ国防総省の最高機密文書を指す。ニクソン政権下の1971年、この文書が密かに外部に持ち出されニューヨーク・タイムズの特ダネ記事となった。

 持ち出したのは軍隊経験もありベトナムの戦場も経験している軍事アナリストのダニエル・エルズバーグ(マシュー・リス)で、国防長官のロバート・マクナマラ(ブルース・グリーンウッド)の元でベトナム戦争の実態を示す報告書を作っていた。マクナマラも内心、政府が戦争の実情を隠ぺいしているのを知っていながら、報道陣には政府の見解を説明している。義憤を感じたであろうエルズバーグが、勤務先のシンクタンク・ランド研究所から膨大な報告書を富士ゼロックス製の大型のコピー機を使ってコピーした。それをニューヨーク・タイムズに流した。

 その紙面を見たワシントン・ポストの編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、事の重大さを理解してニューヨーク・タイムズが掲載していない部分を手に入れようとした。社主のキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)に、昔から親しくしているマクナマラ国防長官から残りを手に入れたいと言ったが、友人を裏切りたくないと言って拒否される。

 方策を考えているとき、偶然にも見知らぬ若い女性から、求める文書が届けられる。しかし、この文書もニューヨーク・タイムズに先を越されてしまう。

 さて、どうするか。ニューズウィークから引き抜かれワシントン・ポストにやって来たベン・ブラッドリーの血が騒ぐ。編集局次長のベン・バクディキアン(ボブ・オデンカーク)がランド研究所に勤務していたこともあって、ペンタゴン・ペーパーズをリークしたエルズバーグと同僚だった。ベンは研究所を退職したエルズバーグを探し始める。それも公衆電話を使って。

 ようやく探し当て、指定のモーテルに行くと膨大な資料が山となっていた。エルズバーグが言う「秘密工作、債務保証、不正選挙。それらを実行したアイゼンハワーやケネディ、ジョンソンと言う大統領たち。ジュネーブ協定違反、議会や国民へのウソ。勝てないと知りながら若者を戦場へ。ニクソンは路線を継承している。理由は戦争に負けた大統領になるのを恐れて。

 ある時ある人が言った。「負けると知りながらなぜ続けるのか。10%南ベトナム支援、20%共産主義の抑止、70%アメリカ敗北と言う不名誉を避けるため。戦場へ送った若者の70%は不名誉を避けるためだけ?衝撃だった」

 それらの資料をベン・ブラッドリーの自宅へ運び込んだ。記者たちがバラバラのものをつなぎ合わせる作業に没頭した。完成すれば記事にするつもりのベン。しかし、それにはキャサリンの許可がいる。

 キャサリンには社の株式公開と言う重要案件を抱えていて、記事公開による影響も考慮しないといけない。2度リーク記事を掲載したニューヨーク・タイムズは、政府から記事の差し止めを要請されていることもあり、差し止め命令が出れば法律違反になるとベンにも言い彼女にも重荷となる。

 ベンは突っ走っていた。輪転機のスイッチを押せばいいという段階にまで来ていた。多くの役員や顧問弁護士はあらゆる法律違反を犯すことになるとして記事の掲載に反対した。キャサリン・グラハムが初めて毅然とし大仕事を決断する時が来た。ざわつく部屋の中で「父の会社でも、夫の会社でもない。私の会社です。記事を掲載しなさい」

 ベンに向かって妻のトニー(サラ・ポールソン)が言う。「ケイ(キャサリンの愛称)は、想像しなかった立場にいるのよ。“ふさわしくない”と皆に思われている。何度となく”能力がない”と言われ、意見は軽んじられる。まともに相手にされず、存在しないも同じ。そんな日々が続けば”違う”と言えなくなる。この決断を下すのは彼女の財産や人生そのものの新聞社を賭けること。とても勇敢だと思う」

 輪転機がうなりをあげ出来上がった新聞をトラックが列をなして読者に届けた。驚いたことに他社も追随した。ワシントン・ポストにとって唯一のよりどころが、アメリカ合衆国憲法修正第1条の報道の自由を妨げる法律を制定禁止条項だ。

 連邦最高裁に持ち込まれキャサリンらはニューヨーク・タイムズとも協力して対処した。結果は6対3で報道側の勝利となった。

 判事の一人ブラック判事の意見「建国の父たちは報道の自由に保護を与えた。民主主義における基本的役割を果たすためだ。報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない」

 ニクソン大統領は、ワシントン・ポストを出入り禁止にしたが、同紙のウオーターゲート事件の報道で失脚した。

 なんと言ってもこの映画で特筆すべきは、キャサリン・グラハムの勇気ある決断だ。そのキャサリンを演じたメリル・ストリープの電話口で伝えるゴーサインの口調はさすがと言わざるを得ない。

 このときのキャサリンの下手をすればすべてを失うという恐怖と戦いながら決断する気持ちをおもんばかってあの表情になったのだろう。かすかに声を震わせる演技は見事。

 キャサリン・グラハム、ベン・ブラッドリー、ベン・バクディキアン、ダニエル・エルズバーグなど実在した人たちの熱い思いが伝わってくる。

 キャサリン・グラハムの行動は、アメリカ女性に力を与えたようで女性の地位向上に貢献したと言える。連邦準備制度理事会の第5代議長を務めたユージン・メイヤーの娘として生まれ、夫の自殺によって転がりこんだ思わぬ重責に戸惑ったが、多くの男たちにも出来ない決断を成し遂げたキャサリン・グラハム。これは女性の映画だ。原題「THE POST」2017年制作
  
  
  
監督
スティーヴン・スピルバーグ1946年12月オハイオ州シンシナティ生まれ。1993年「シンドラーのリスト」1998年「プライベート・ライアン」でアカデミー賞監督賞を受賞。

キャスト
メリル・ストリープ1949年6月ニュージャージー州生まれ。2011年「マーガレット・サッチャー鉄の女の涙」アカデミー賞主演女優賞受賞。他に毎年のように主演女優賞にノミネートされる。
トム・ハンクス1956年7月カリフォルニア州コンコード生まれ。1993年「フィラデルフィア」1994年「フォレスト・ガンプ/一期一会」でアカデミー賞主演男優賞受賞。
サラ・ポールソン1974年12月フロリダ州タンパ生まれ。
ボブ・オデンカーク1962年10月イリノイ州生まれ。

映画「シドニー・ホールの失踪」文章の天才と言われた男の生きざま

2018-10-21 14:41:20 | 映画

          
 作文の課題は「人生の意味」。夜、タイプライターを前にして書き出しを思索するシドニー・ホール(ローガン・ラーマン)。ようやく決まった書き出しは、「ヴェローリアには独特の魅力がある」。と言いながら彼女の傲慢さや冷淡さを批判する。

 そして「だが、僕は外見の美しさではなく、内なる少女に欲情した。自慰の時、夢想したのはその少女の姿だ。彼女の太ももや平らなおなかではない。“行かないで”と僕にすがる姿を妄想した。“本当の私を分かるのはあなただけだ”と。果てるとテーブルの上にたまった精液を見て思った。“独りじゃむなしい”」これを教室で読んだ。担任の先生は「不適切」だと指摘する。

 教師の会議でシドニーを擁護したという英語の教師は、「君の作品は天才的だ」と言って君のファンだとも言う。その教師に褒められた小説「郊外の悲劇」はミリオンセラーとなり、新聞等の印刷報道、文学、作曲に与えられるアメリカで最も権威があるピューリッツア賞にノミネートされた。この朗報は出版社からもたらされた。競合する相手は「パリへのプロローグ」を書いたフランシス・ビショップだ。

 順風満帆に見えるシドニーにも幻覚を見るという悩みがある。医師は「脳の右側に瘢痕(はんこん)組織の形跡がある。部分発作だろう」という。天才的なシドニーの家庭環境もやや風変わりで、シドニー自身も変わったところがある。

 シドニーの家の向かいにぜんそく持ちの可愛いメロディ(エル・ファニング)がいる。ちょっと心を動かされる。この子もちょっと風変わり。シドニーが道路を渡ってメロディに近づくと、「道路を渡らないで」と言ってニコンのカメラでシドニーの写真を撮る。

 突然成人して放浪するシドニーが現れる。図書館を回って自作の本をブリキの屑かごに投げ入れライターオイルを振りかけて火をつける。時々時間軸を狂わされる場面は、物語の流れにブレーキをかける印象になる。

 後半はミステリー気味な展開で、シドニーを探している男(カイル・チャンドラー)の正体も明らかになり、シドニーとメロディの安らかな死の寂寥感が残る。
 
 
 この映画を監督したショーン・クリステンセンは、ミュージシャン、映画制作者、アーティスト。 彼はPratt Instituteの卒業生で、イラストレーションとグラフィックデザインの学士号を取得している。 クリステンセンは2000年結成のインディーロックバンドStellastarrのメンバーでもある。クリステンセンは、ヴォーカルとギターを担当。人気の曲は「MY Coco」。

 映画制作関連では2013年に、2012年の短編映画「門限」のためにアカデミー賞最優秀実写短編映画賞を受賞。

 本作の面白いところは、挿入歌が意外だった。1939年のグレン・ミラー・オーケストラの代表曲「In the Mood」が流れ、エンディング・ロールではボブ・ディランの1971年リリース「Tomorrow is a L
ong Time」の趣向となっている。本作は劇場未公開。

 それではクリステンセンの「My Coco」とボブ・ディラン「Tomorrow is a Long Time」をよろしければ聴いてください。

「My Coco」の歌詞を少し。
私の頭脳を冷やして頭を落ち着かせる
私を刺激する、私のco-co-co
私の空のベッドにこっそり入る
そして、私のco-co-co

夏には、春に
公共の場所では、私のco-co-co
遠く離れた島で
私のco-co-coとレモネード

「Tomorrow is a Long Time」の歌詞も少し。
もし、今日がハイウェイでなければ
もし、今夜が曲がった街道でなければ
もし、明日があんなに遠くなければ
孤独なんて怖くないのに

愛しい人が待っていてくれたなら
彼女の優しい鼓動が聞こえたなら
彼女は隣に横たわっていたなら
僕もベッドでもう一度安らげるのに

監督
ショーン・クリステンセン ニューヨーク生まれ。年齢未詳

キャスト
ローガン・ラーマン1992年1月カリフォルニア州ビヴァリーヒルズ生まれ。
エル・ファニング1998年4月ジョージア州生まれ。
カイル・チャンドラー1965年9月ニューヨーク州バッファロー生まれ。

映画「コンフェッション~振付師の過ち」劇場未公開 アマゾンプライムで観る。

2018-10-17 17:06:18 | 映画

           
 かつてバレー・ダンサーとして成功し引退後はジュリアード音楽院で指導に当たるトビー(パトリック・スチュワート)は、行きつけのダイナーでシアトルからの夫婦と会う。夫はマイク(マシュー・リラード)と言い、妻はリサ(カーラ・グギーノ)と言う。用件はアメリカ・バレエ史の取材ということだった。

 トビー持ち前の社交性が発揮され自宅アパートへ夫婦を招いた。アルコールとマリワナが意外な方向へ向かわせる。リサの質問が1960年代ごろのバレエ関係者の私生活に及び始めた。疑問を持ったトビーは「バレエ史に個人的なことが必要か?」 

 1960年代というのはトビーの全盛期で、トビーは多くの女性と浮名を流していた。ようやくマイクとリサは、真実を打ち明ける。マイクの母から聞いたのが、マイクはトビーの息子ということだった。

 トビーは強く否定する。その理由は、セックスの度にコンドームで避妊していたというもの。納得しないマイクは、トビーを押し倒して口に綿棒を入れて唾液を採取した。このDNAサンプル採取の行為が妻のリサを怒らせる。研究所へ持ち込むために帰りを促すがリサは拒否。マイクは単身タクシーに乗る。

 残されたリサとトビーの間にも冷たい風が吹いているようだ。「焼き菓子でも食べるか?」トビーの一言が暖かい風に変わた。そして飛び出した言葉「最後のセックスはいつだったかな?」とトビーは遠慮はしない。年の功でこの夫婦の性生活を喝破できる。

 「7ヶ月前が最後」とリサ。驚きもしないトビー。さらに「クンニリングスは好き?」困ったようにリサは「ええ、好きです」トビーはセックスについての解説を始める。

 「セックスは自然からの贈り物だ。受け入れる側と与える側の両者にとって生きる喜びにつながる。行き詰った結婚生活に必要なのはクンニリングスだ。君の旦那がクンニ出来ないような状況なら誰かほかを探すべきだ」リサは戸惑い言葉が見つからない。それを見たトビーは「私を選べとは言っていないよ」

 そして「自分の人生に満足も後悔もしている。どちらの人生も私のものだ。マンネリに流されて人生を無駄にするな。君は若くて美しいそれに賢い。諦めるな」父親捜しに来たのに、図らずも人生訓を聞かされるとは、リサは満足の面持ち。

 こういう会話の末、ようやく口を開いたトビーは、マイクが自分の子であることを認める。トビーらしく「その時は、コンドームを忘れたから」とのこと。

 研究所から舞い戻ったマイクがリサに「帰ろう」と言うが、リサは「まず、トビーに謝って」と言う。ようやくマイクは「失礼なことを言って悪かった」
 帰り支度のマイクを見ながら「最後になるかも」父親であることを告げないとの意を含めてトビーにリサが囁く。

 階段を下りて玄関ホールに着いた時、トビーから声がかかる。「言い忘れたことがある」マイクに息子であることを告白する。映画の最大の山場、感情移入すると涙が出てくる場面。

 しかし、映画は皮肉な結果を用意していた。「明日空港へ行く前に一緒に食事をしよう」とトビー。翌日、マイクとリサ夫婦が地下鉄駅を出たところで、マイクの携帯が鳴った。トビーの部屋に悄然としたマイクとリサが入って来た。マイクが「一致しなかった」と一言。

 タクシーを待つ三人。ハグと握手で別れのあいさつ。タクシーのマイクとリサ。言葉を交わさず今までのことをあれこれと考えているのだろう。しばらくして二人の微笑む目が合う。

 ショックから立ち直ったトビーは、山仲間に電話をする。なんでもなかったように日常が帰って来た。トビーは破綻しかけた結婚生活を蘇生した。

 マイクとリサの間に子供が生まれるだろう。多分、この二人はトビーに見せに来るのは確実。赤の他人になったといえ、「袖触れ合うも多生の縁」と言うではないか。

 この映画2004年にブロードウェイで初上演され高評価を受けた戯曲がベース。2014年制作で劇場未公開だし、DVDもない。どうして未公開なのか理解に苦しむ。出演の三人芸達者で、心に残るいい映画だ。原題は「MATCH」
 
 
監督
スティーヴン・ベルバー1967年3月ワシントンDC生まれ。

キャスト
パトリック・スチュワート1940年7月イギリス、ヨークシャー生まれ。
カーラ・グギーノ1971年8月フロリダ州生まれ。
マシュー・リラード1970年1月ミシガン州生まれ。

諸事雑感「ポーランドからの観光客」

2018-10-13 18:35:49 | 観光

 ポーランドが親日国家だと言われるが? ある日の夜、「三井ガーデンホテル汐留イタリア街」で食事をした。レストラン・ラ・マレーアのイタリアン・ビュッフェ形式で飲み放題、食べ放題だ。朝食、ランチ、ディナーに対応している。

 若い頃のようにがつがつと飲み食べるには歳をとりすぎた。料理もフランス料理がずらりと並んでいるわけでもない。サイコロ・ステーキ、ローストビーフ、鳥の唐揚げ、寿司、ハム、チーズといったバイキングだ。

 静かな室内に急に大勢の人が現れた。欧米の人たちで、実に静かな人たちだ。年齢は若い人から高齢者までいろいろ。失礼ながら観察しているとアルコールに手を出さないし、若い女性がご飯をお皿に取っていた。どこの国だろうとフロントに聞いてみると「ポーランドからのお客様です」という返事。

 ウィークデイのディナーは、午後5時からで着いたのが少し早かったのでフロントの前で座って時間をつぶした。時間的に宿泊客のチェック・インが多く、欧米の人が多かった。私の見ている間で中国人や韓国人は見なかった。大騒ぎするこの人たちを避けたいなら、このホテルがいいかも。

 そしてあるネット放送で「ポーランドは親日国だ」と言って歴史的事実を熱っぽく語っていた。そこで外務省のホームページを覗いた。「ポーランドという国」として親日の理由をあげてある。

ポーランド人が日本びいきな理由
①日露戦争 ポーランド人捕虜を手厚く待遇 日露戦争勃発後の1904年7月、当時ロシアの支配下にあったポーランドは、ロシア軍の一部として従軍、日本と戦い捕虜となった。ユセフ・ビウスツキ将軍は、ポーランド軍人約4600人への待遇改善を求めた。これに対し日本政府は、松山市内で終戦までポーランド軍人捕虜を手厚く待遇した。大国帝政ロシアを破った日本人に対し賞賛の好感情は今日まで続いている。
②ポーランド人シベリア孤児への支援 1920年代の初めのロシア革命の混乱の中で親を失ったシベリアのポーランド孤児765名を、日本政府と日本赤十字が保護したあと祖国ポーランドに帰した。
③「命のビザ」発給 第二次大戦中の1940年、リトアニアの首都カウナス(当時)にあった日本領事館の領事代理を務めていた杉原千畝氏が、多くのユダヤ系ポーランド人、リトアニア人に日本通過査証を発給して、ナチスの迫害に遭った多くのユダヤ人が日本経由でアメリカ等第三国に脱出することが出来た。

 ネット放送で熱っぽく語っていたのが②の孤児救済だ。YouTubeで元ポーランド大使兵頭長雄氏の動画が感動的。

外務省のホームページはこちら。日本とポーランドの4項目だけの比較とポーランド美女を掲載しておきます。






諸事雑感「救急車」生まれて初めて救急車に乗った。

2018-10-10 17:05:06 | 雑記

 私の家から少し離れたところに消防署がある。ときおり救急車が出動するピーポー、ピーポーというサイレンの音が聞こえる。その音を聞くたびに搬送される人のことを思う。重篤な人、傷を負った人、残念ながら事故で息をしていない人だが、よもや私が救急車の乗客になるとは思ってもみなかった。

 6月19日の早朝、午前6時半ごろ砂利道をゆっくりと走りながら帰路についた。今年から夏は早朝のジョギングを楽しむことにした。早朝の爽やかな空気は、生気をくれる気がする。約7キロほどの遊歩道が伸びているが、1キロほどが砂利道になっている。転倒事故がそこで起こった。

 立ち上がってみると、左手が動かないし痛い。通りがかった一人の男の人に声をかけられた。「大丈夫です」と言って歩く。左肩がものすごく痛い。また通りがかった男の人に声をかけられた。その時は、医者の診療時間にもまだ時間があるし、途方に暮れていたというのが実際だ。ようやくその人に救急車の手配をお願いした。私自身、不覚なことに携帯電話を持ってこなかった。

 10数分ののち、お馴染みのピーポー、ピーポーが聞こえてきた。住宅地の入り口で救急車が見えた。手を振ってこちらの存在を伝えた。するとピーポーが消えた。早朝の住宅地、救急車は気を遣っているのだろう。(これなんかそんなに気を遣わなくてもいいのにと思うが、賛否両論があるんだろ)救急車に乗せられて、連絡して頂いた方にお礼を言って別れた。

 救急隊員は二名で、車内で血圧測定や傷口の消毒、私に関する情報、住所や電話番号それに転倒したいきさつなどを聞き書き。もう一人の人は、搬送先の交渉を携帯電話で行っている。最初の病院では、私の行きつけの病院があればそちらに連絡してほしいという要請。私は国立機構病院に眼科と泌尿器科に行っている旨を伝えた。救急隊員は、国立に電話をしたが「担当の医師がいない」と言う返事。それを受けて救急隊員は、最初の病院に連絡して受け入れを確認して、ようやく私の搬送先が決まった。この間30分ぐらいかかった。

 この状況を見ていると、病院は救急患者の受け入れを歓迎していないと思える。しぶしぶ受け入れを承諾した病院に着いて脱臼の修復まで少し時間がかかった。痛い肩を抱えていたから長く感じた。結局、脱臼と大結節骨折という診断。それで今もリハビリ進行中。動かすと痛い個所もあっていつ治るのやら、ひょっとすると1年はかかるかもしれない。

 そこでこの救急体制について考えてみた。24時間救急患者を無条件で受け入れ可能病院の設置が必要だと感じた。そこでネットで検索してみると、独立行政法人国立病院機構東京医療センターのホームページが出てきた。そこには救急医療について詳しい解説があり、救急入院治療を受け安定した後は、自宅近くの病院への処理も出来るとある。

 各県でこの東京医療センターのような病院がある。私の通う千葉医療センターは、専門医がいないとして断られたところだ。運営は病院によってちぐはぐで国立といえども門前払いがある。これはいかがなものか。国民の安全と安心を担うための国立だから。立地も悪い。旧来の国立病院だから、もともと救急医療に特化していない。

 救急医療に特化した国立病院が必要だ。立地的には高速道路から直接乗り入れるか、インターチェンジ付近がいいだろう。救急隊員の病院探しなんて先進国が恥ずかしい。TVドラマ「ER緊急救命室」のようにならないか。
 

   

野球「大谷翔平」平成最後のキュートな選手

2018-10-07 10:37:19 | スポーツ

   
 日本球界からアメリカ・メジャーリーグ入りで騒がせた選手としては二人目と私は思う。騒がせたと言うのは、ルーキーシーズンで関心と話題を大きく集めた選手ということ。

 一人目はなんと言っても野茂英雄だ。1995年、年俸980万円でロサンジェルス・ドジャースと契約。初勝利は6月2日対ニューヨーク・メッツだった。初先発はサンフランシスコ・ジャイアンツで、カリフォルニアのブルースカイが眩しかったのを覚えている。その野茂が「ノモマニア」現象まで起こした。

 そして23年後の今年、二人目の大谷翔平だ。二刀流と言う目新しさもあったかもしれないが、シーズン開幕前はあまり振るわなかったが、開幕と同時に投打で実力を発揮して注目度抜群となった。

 メジャーリーグの新労使協定の最低保障54万5000ドル(約6200万円)という破格の安さでロサンジェルス・エンジェルスと契約した。25歳まで待てば多額の契約金は間違いないと言われる。それでもメジャーリーグを選んだのには大谷自身の遠大な計画があるのかもしれない。

 エンジェルスを選ぶにあたって日本人選手のいないところを一つの条件と考えていたという記事を読んだ記憶がある。これは何を意味するのだろうか。推測でしかないが、恐らく野球技術ばかりでなく英語とかスペイン語の習得も視野に入っていたのではないだろうか。日本人選手がいたら、日常会話でほとんど日本語は避けられないし、いつもそいつと一緒となればチームメイトと広く付き合う術がなくなる。それと日本的先輩・後輩の堅苦しさも苦手だったかもしれない。

 で、語学力は確実に階段を登っているようだ。アメリカのメディアも「英語は理解している」と明言する。ソーシア監督も「スペイン語の方がうまいよ」と言ったことがある。変な比喩だが、23歳とか24歳は体全体がスポンジみたいなものだ。頭も体もすべて何もかも吸収する。

 その顕著な例を見た。大谷は二塁打を放った。二塁ベース上で相手の二塁手から言葉をかけられたとき、言葉を返し肩をすくめ両手を広げる仕草をした。これを見て私は、大谷は現地の空気に溶け込み文化も吸収したと確信した。

 アメリカの弁護士で日本をよく知るケント・ギルバートが言う。「背も高いしキュートだから女の子が騒いでいるよ」

 NHKのメジャーリーグ、エンジェルスの放送では、ファンからのメッセージが読み上げられる。50代の女性に大谷ファンが多い気がする。母性本能を刺激するのかもしれない。確かに長身でルックスが良くキュートで投打と走の実力も抜群となれば球場でのTシャツの売り上げもうなぎ上り。エンジェルス生え抜きのスーパースター、マイク・トラウトを凌駕する勢い。

 大谷のルックスでいえば、口元が締まっていて横顔も悪くない。安倍総理や小池都知事の横顔は、典型的な日本人の顔で口元に締りの無さが見える。すべてに恵まれた大谷翔平といえる。

 トミー・ジョン手術も順調のようで、来年、いつバッターとして登場するか楽しみ。加えて現地メディアのインタビューに英語で応える場面があるのかどうか。これも楽しみ。

映画「真実の瞬間(とき)」いわゆる赤狩りに翻弄されたハリウッド

2018-10-04 14:07:05 | 映画

          
 アメリカの議会下院委員会に非米活動委員会があった。歴史は古く第一次世界大戦末期が始まり。第二次世界大戦の終結で米ソの冷戦が始まった。敵国になった共産主義国家ソ連に関連する監視:告発が主な仕事だった。

 共和党上院議員のジョセフ・マッカーシーは、国務省内にスパイの存在を指摘し、共産主義者の摘発に注力した。それを1950年3月29日付ワシントン・ポスト紙風刺漫画で「マッカーシズム」と書かれた。 赤狩りの代名詞となったマッカーシズムは、アメリカ陸軍関係者や連邦職員だけでなく作家、芸術家、俳優など民間人の多くもスパイ容疑がかけられた。

 当初、国民の大多数はマッカーシズムを歓迎したが、手法が強引で強権的なところが嫌われ次第にその勢いが落ちて行くがそれには20年間を要した。

 1950年代、映画監督のデヴィッド・メリル(ロバート・デ・ニーロ)は、20世紀ピクチャーズを起こしたプロデューサーのダリル・F・ザナック(実在した人物)(演じたのはベン・ピアッツァ)に呼び戻されフランスから帰国した。迎えにきた脚本家のバーニー・バクスター(ジョージ・ウェント)と自宅に帰ってみるとビックリ・パーティもどきの歓迎に人々が集まっていた。

 その中に脚本家のラリー・ノーラン(クリス・クーパー)と妻で女優のドロシー(パトリシア・ウェティグ)夫妻の様子がおかしい。ラリーが先に帰宅しドロシーを送っていって見たものは、ラリーが蔵書を焼却しているところだった。ドロシーは2階からタイプライターを放りだし「誰を売ったの? 私も売ったんでしょ」と叫ぶ。ようやく自分の周囲に起こっていることが分かり始めたデヴィッドだった。赤狩り旋風が吹き荒れていた。

 デヴィッドも過去に共産党の集会に出たことがある。しかし、共産党員ではない。それらを把握する非米活動委員会は、めぼしい人物に写真を見せて写っている人物の名前を言えと強要してくる。裏切り行為なんて出来ないデヴィッドは、ザナックが勧める弁護士と物別れ。

 FBIの監視がついて映画製作も出来ない。別の仕事につくとそこへFBIがやって来てデヴィッドのことを聞いてくる。雇用主としてはFBIに睨まれている人間を雇うことはできない。当局はデヴィッドを干上がらせようとしていた。

 家庭も順調とはいえない。映画製作に没入するタイプのデヴィッドだから、家を顧みないこともたびたび。妻ルースとは別居状態。唯一息子との時間にルースと顔を合わせる。

 非米活動委員会の手法は、共産主義者の追放と言う大義名分を笠にきて偽の「共産主義者リスト」といわれるように偽証や事実の歪曲、容疑者に対する自白、協力者の告発、密告の強要などを行っていた。(ウィキペディア)

 アメリカ合衆国憲法修正第1条で表現の自由、報道の自由、平和的に集会する権利、請願権を妨げる法律の制定を禁じている条項を盾に非米活動委員会への協力を拒否している。それでも懲役刑を免れなかった人々も多数いた。この強権的な手法は、国民から見放されて自浄作用で1975年に非米活動委員会は終焉を迎える。

 アメリカ国民もそうだが、日本国民も共産主義を受け入れる土壌はない。共産主義排除は分からないでもないが、手法がまずかった。映画はこれらを描くが今一つインパクトに欠ける。印象に残った映画とはいえない。1991年制作 劇場未公開は納得。原題「GUILTY BY SUSPICION(疑いの罪)」

   
    
監督
アーウィン・ウィンクラー1931年5月ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。

キャスト
ロバート・デ・ニーロ1943年8月ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。
アネット・ベニング1959年5月カンザス州トペカ生まれ。
クリス・クーパー1951年7月ミズーリー州カンザスシティ生まれ。
パトリシア・ウェティグ1951年12月オハイオ州シンシナティ生まれ。
ベン・ピアッツァ1934年7月アーカンソー州生まれ。
ジョージ・ウェント1943年10月イリノイ州シカゴ生まれ。

映画「ラブ&ドラッグ」たった一人と出会っただけで人生が変わる。それが恋というもの

2018-10-01 08:44:58 | 映画

          
 「僕はクズだ。わざとクズになって生きてきた。なぜって、僕は今まで誰一人何一つ愛したことがなかった。みんなそれを受け入れていた。でも、君だけは違っていた。君はそうじゃなかった。初めてだった。ありのままの僕を認めてくれた人は、君だけだ。自分を好きになれた。だから…僕には君が必要なんだ。君には僕が」とジェイミー・ランドール(ジェイク・ギレンホール)が言葉を切った。

 マギー・マードック(アン・ハサウェイ)はすかさず「必要ない」と応える。「いや必要だよ」とジェイミーが重ねる。

 手の震えを自覚するパーキンソン病ステージ1の段階にあるマギーは、いずれ悲惨な最期があることを理解し自分の境遇をいかにやり過ごせばいいのか。クスリでコントロールしながら多くの男と接してきた。セックスに耽溺するのはその瞬間の恍惚に何とも言えない幸せを感じるからだ。持ち前の美貌は、長い時間を与えずに次の恍惚がやってくる。

 そんな中で出会ったのがファイザー社の病院回りのセールスマン、ジェイミーだった。このジェイミー、ハンサムで女たらし。病院の事務員にセックスで取り入り薬の売り込みと医師に接近する。

 画期的なED薬「バイアグラ」が発売され、発売権を手に入れたジェイミーはファイザー社でトップ・セールスマンになる。シカゴへ栄転がもたらされる。その時思ったのがマギーのこと。割り切った二人の関係だが、ジェイミーの心はマギーにあって「僕たち二人Two of us」を確信する。マギーは最後まで迷惑がかかると拒み続けた。

 シカゴへの栄転を諦めたジェイミーの熱意は、マギーの部屋で「何千人と知り合ってもただそれだけ。なのに1人と出会っただけで人生が変わるんだよ。永遠にね」と言わせた。

 ジェイク・ギレンホールとアン・ハサウェイは、2005年のアカデミー監督賞受賞の「ブロークバック・マウンテン」以来になるがベッド・シーンはかなり大胆だ。素っ裸で演じていて本当にセックスしているんじゃないかと思ったくらいだ。アン・ハサウェイのオーガズムの表現は、ビックリするほどリアルだった。

 映画の中では、「バイアグラ」は市販されている。調べてみるとアメリカでは市販され日本では事故死の関係で医師の処方箋が必要になる。ネットで診断して郵送してくれるサービスもあるから気恥ずかしさもなく安心。心臓に疾患のある方は要注意。

 それにしてもいい世の中だよね。高年になってもセックスを諦めないでいいとはね。こういう映画を見ているともう一度若返りたくなる。そういう意味でこの映画、回春剤的効果もありそう。原題「LOVE&OTHER DRUGS」2010年制作
  
  
  
監督
エドワード・ズウィック1952年10月イリノイ州シカゴ生まれ。

キャスト
ジェイク・ギレンホール1980年12月カリフォルニア州ロサンジェルス生まれ。
アン・ハサウェイ1982年11月ニューヨーク、ブルックリン生まれ。2012年「レ・ミゼラブル」でアカデミー助演女優賞受賞。