残雪を見た金精峠のトンネルを抜け、春色濃い沼田から国道17号線を渋川市へ走る。渋川に近づくと交通量が多くなってくる。伊香保町水澤寺には、日没にはまだ早い時刻に着いた。
広い駐車場に観光バスが一台、乗用車二台停まっていた。外にでるとやはり寒い。
本堂は、山かげになっているので暮色が漂っていた。本堂に近づくと、観光バスで来た巡礼グループの読経が聞こえてきた。このお寺のホームページには、開祖や由来について記されてある。それによると「1300年あまり前、推古天皇、持統天皇の勅願による高麗の高僧、恵灌僧正の開基であり、五徳山水澤寺の名称は推古天皇の宸筆(しんぴつ、天皇の筆跡)の額名によるものである。とあるが、額名の意味について、インターネット辞書で検索したがどこにも見られなかった。
本尊は、国司(奈良・平安時代、地方官の称)高野辺家成公の三女、伊香保姫の持仏(守り本尊として信仰する仏像)の十一面千手観世音菩薩である。その頃は、お堂の数三十以上、仏像の数1,200体にもなったが、再三の災火のより現在の建物は大永年間(1521-1528)に仮堂を造立し元禄年間から宝暦天命年間にかけて三十三年間に及ぶ大改築によるものである。
歴代天皇の勅願寺として伝わり、上野の国司の菩提寺であった。また、朱色に塗られたお堂と三つ葉葵は、徳川家の祈願寺として名高いものだった。
ここも観光寺の色合いが強く商魂が見え隠れする。駐車場は無料だったが。それに、この水澤の地は「水澤うどん」の店が多いらしい。これも観光目的に作られたようだ。味は知らない。