山 門
安養院から岩殿寺までは距離にして約2.7km、所要時間約7分というが、やはり迷ってしまった。県道205号からの入口が分かりにくい。ようやくのことで住宅街に進入すると、これがまた対向車とのすれ違いに苦労するほど狭い道だった。
引越しなんかは大変だろうなあと思うが、戦前なのか戦後なのか住宅地の開発の貧弱さにはあきれる。とにかく狭い道を対向車に遭遇もせず、お寺の狭い駐車場にたどり着いた。
ここ岩殿寺は、養老5年(721年)大和長谷寺の開基徳道上人が創建し、行基が十一面観音像を造立して安置したという。鎌倉時代には、源頼朝によって寺領が寄進されたという。その後衰退するが、天正19年(1591年)徳川家康によって再興されたが、明治時代の廃仏毀釈のよって再び衰退した。
そして泉鏡花が逗子に滞在していたときしばしば訪れたといわれている。山門でここも安養院と同じく、一人100円の志を求められる。山門を入ると百段あまりの石段が上に伸びていた。石段を登るのに疲れたが、周囲は新緑の木々に包まれていてほっとする空間だった。
本 殿
振り向けば住宅がぎっしり
本殿前から十人くらいの巡礼者の読経が聞こえてきた。本殿で振り返ると住宅がぎゅうぎゅう詰めにされているように見えた。午後四時に帰路についたが、一般道の渋滞を思うと「一般道愛好者」の看板を下ろして、一気に高速道路を走ることにした。
横浜ベイブリッジや鶴見つばさ橋付近は、走行車線を走る車が多いが羽田空港トンネルあたりからは、追い越し車線も詰まってきた。事故渋滞もなく一時間半後には、住まいの近くの蘇我インターを降りていた。