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映画 エマ・トンプソン、ケイト・ウィンスレット、ヒュー・グラント「いつか晴れた日に(1995)」

2005-12-11 11:15:43 | 映画
 1811年に出版されたジェーン・オースティンの「Sense and Sensibility」の原作をエマ・トンプソンの脚本で、台湾出身のアン・リーが監督した。エマ・トンプソンはアカデミー脚本賞を受賞している。

 原作はほんの少し前に読んでいて、映画も観たいと思っていたとき、ツタヤのレンタル半額キャンペーのメールに早速飛びつく。テーマはお金と姉妹愛。オープニングはいきなり臨終の場面になり、長男のジョン・ダッシュウッドに“法の通りすべておまえが引き継ぐ、わしもそれで満足だ。だが、いまの妻とあの娘たちには年500ポンドしか残せん。結婚の費用もない。助けてやってくれ”これが遺言だった。

 ところがジョンの奥方がケチのうえに意地悪な女で,ジョンの提言にことごとく反対し、「馬車もないし、お客も来ないし生活は500ポンドで十分」と言い、加算額はわずか年20ポンドにしてしまう。しかもつぶやく言葉は「うちが貰いたいくらい」とのたまう。年20ポンドは月1.6ポンドに過ぎない。これでは貰った方も戸惑うだろう。当時の貨幣価値は定かでないが、少なすぎるということは言える。厭な女だ。

 それにしても「法の通り」という財産を長男が受けるというのは、当時当たり前のことだった。したがって二・三男や娘は、持参金つきの花嫁を探すか、玉の輿に乗るしかなく、どのような結婚をするかというのは死活問題だった。有閑人種の働かないで食っていける財産が必須用件になる。この階級の人にとって共働きで生活設計をするというのは考えられないことだ。この辺のところは、原作を読んでいたおかげですんなりと理解できたが、いきなり映画を観た人は戸惑うことだろう。

 だから娘をもつ親にとって、結婚というのが今の就職活動に匹敵する重大事項になる。映画を観ていて、母親も娘も異性への関心度は異様なくらいで動物的ですらある。とは言っても、現代でも相手の収入の多寡や財産が重要視されるわけだから、特別この時代の特徴でもない。ただ、現代はいろんな選択肢に恵まれていることだけは確かなことだろう。

 幸いダッシュウッド家の美人の娘たち、エリノア(エマ・トンプソン)、マリアンヌ(ケイト・ウィンスレット)には関心をよせる男たちがいた。ダッシュウッド家には末娘に、恋をするにはまだ早いマーガレットがいる。原作ではあまり出てこなかったが、映画ではかなり出番があって笑いを誘い、うまく役回りを与えている。エドワード(ヒュー・グラント)、ウィロビー(グレッグ・ワイズ)、ブランドン大佐(アラン・リックマン)がお相手になる男たちだ。エリノアはエドワードに好意を寄せ、マリアンヌはウィロビーに首っ丈になるが失恋し恋煩いに取り付かれる。ブランドン大佐はマリアンヌに気がある。結局、エリノアとエドワード、マリアンヌとブランドン大佐のカップルがともに結ばれるというお話。

 この映画で特に印象に残ったのは、やはり姉妹を演じたエマ・トンプソンとケイト・ウィンスレットだ。エマ・トンプソンはアカデミー女優だし、ケイト・ウィンスレットはこの映画まで無名の存在だったが、この映画でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、2004年には主演女優賞にノミネートされるまでに成長している。

 分別のある姉エリノアを落着きと威厳を漂わせた立ち居振る舞いで圧倒するエマ・トンプソン。熟慮しないで言葉や行動に表れる多感なマリアンヌを出演時19歳のケイト・ウィンスレットは演じきった。この二人の存在感は圧倒的だった。特にエマ・トンプソンの顔の表情は、いま思い出してもにやりとする。それにエドワードが結婚していないと知った場面で嬉し涙を流すシーンは、号泣とも言っていい強烈な演技を見せる。このときは分別なんてものは無く、感情の赴くまま一人の女としての激情がほとばしる。どうしても、感情移入してしまう場面だ。200年前のこの時代お辞儀(日本人がよくやる)をするという作法があったとは驚きだ。その後、武器を持っていない証拠としての握手が作法の主流になったという。

 この映画でアカデミー脚本賞を受賞したエマ・トンプソンのスピーチはユーモアにあふれアン・リー監督の動物好きを笑ってみたりするすばらしい内容なので引用してみよう。

 “ジェーン・オースティンの作品に携わったことに誇りと喜びを感じます。彼女なら受賞に対してどういう反応を示すでしょう。
 「午前4時、会場のゴールデン・スフィアから今し方 戻った。熱気と騒音、人の多さには驚いたが楽しかったと言えなくはない。犬と子供がいなくてよかった。ドレスは二流、破天荒な言動もあったが人々はのびのびと賛辞を交わしていた。
 今日の栄誉があるのはリンゼイ・ドーラン(製作担当)のおかげ、どんなに礼賛しても足りない魅惑の友。アン・リー監督外国人だが意外にも私以上に私のことをよく理解していた。ジェームス・シェイマス(製作補)は多弁で博識、容姿も心も美しいケイト・ウィスレット。作曲家のパット・ドイル(音楽担当)はスコットランド人らしい野性味を披露、エネルギッシュなM・ケントンを大儲けさせたのは私である。コロンビア(映画制作会社)のL・ハンソンもG・ウィギンも可愛い。シドニー・ポラックには取り巻きが多く3メートル以内に近づけなかった。
 午後11時授賞式が終わると人々はさっさと席を立った。帰りが遅いのはダンスに興じていたからではない。巨大な車の待つ列が長かったせいだ。野放し状態の現代交通。エミリー・トンプキンソンにはあえて近づかなかった。私の作品を勝手に盗んだ悪女である」”

 ちなみに脚本賞にノミネートされたのは、「陽の当たる教室」パトリック・シェーン・ダンカン、「ゲット・ショーティ」スコット・フラスク、「デッド・マン・ウォーキング」ティム・ロビンス、「アメリカン・プレジデント」アーロン・ソーキン、「ブレイブ・ハート」ランダル・ウォレスである。

 監督アン・リー1954年10月台湾生まれ。キャストエマ・トンプソン1959年4月イギリス、ロンドン生れ。’92年「ハワーズ・エンド」でアカデミー主演女優賞を受賞。アラン・リックマン1946年2月イギリス、ロンドン生まれ。ケイト・ウィスレット1975年10月イギリス、バークシャー・レディング生まれ。’95年この映画で助演女優賞にノミネート、2004年主演女優賞にノミネート。ヒュー・グラント1960年9月イギリス、ロンドン生まれ。この作品は’95年アカデミー脚本賞を始めベルリン国際映画祭金熊賞やNY批評家協会賞など多くの賞を獲得している。

 オープニングのクレジットがエマ・トンプソン、アラン・リックマンとなり次にケイト・ウィスレットになっていて、無名だったという彼女が三番目とはスタッフが実力を認めたことなのだろうか。この映画は、原作を読んだあと、観るほうがいいと私は思う。何度でも観たい映画で、その鑑賞に堪えるだろう。
                 
    画像はこの映画のスティール写真が無いため、ほかのところから寄せ集めた。