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映画 ケヴィン・スペイシー「ビヨンドtheシー~夢見るように歌えば~(04)」

2005-12-07 13:11:02 | 映画
 思わず心が浮き立ち、体がスウィングする。1950年代から60年代にかけてスウィング・ジャズを歌い、映画やテレビなどで活躍し、37年の生涯を駆け抜けたボビー・ダーリン。
               
 青春時代に感動を与えてくれたというケヴィン・スペイシーは、10年来の構想を製作、脚本、監督、主演として実を結ぶ。ボビー・ダーリンはこの頃、この分野で大きな存在だったフランク・シナトラの陰に隠れていたとはいえ、1959年の「マック・ザ・ナイフ」は、ビルボードの1位を記録しグラミー新人賞と最優秀楽曲賞を受賞している。

 私はというと、当然シナトラを聴いていたので、ボビー・ダーリンは名前を知っている程度だった。ビルボードTOP40入りのヒットが22曲、うち10曲がTOP10いりというのにである。その頃の私は、ジャズは好きだったが熱心に聴いてはいなかったことになる。

 さて、この映画のケヴィン・スペイシーは、高音も低音もハリと伸びのあるソフトな声音で、本職の歌手に匹敵する出来栄えで、ダンスのステップは、羽毛が舞うように軽やかという具合に、ボビー・ダーリンになりきっているようだ。
            
 前半はミュージカル調ながら後半に入るとぐっとドラマ性が増してくる。ボビー・ダーリンが第35代大統領ジョン・F・ケネディの弟、ロバート・ボビー・ケネディの応援に熱心になりだしたとき、メディアに身辺を暴かれるのを恐れて、姉といわれていたのが実は母親だったという秘密を告白される。しかも、男関係が無節操だった母親は、父親は分からないという。このショックから単身家を出て、海の彼方が見える場所にキャンピング・カーで生活をする。まさにBeyond the seaというわけ。このとき出来たのが反戦の歌、カントリー調の「Simple song of freedom」。

 ラスヴェガスのフラミンゴで再起を果たしたショーで、母を紹介して心身ともに成長したところを見せる。この場面はほろりとさせられる。二度目に観たときは、涙で画面が曇って困ったほどだ。

 ケヴィン・スペイシーの独壇場ではある。自分で金を出しているのだから当然だろう。この映画を通じてボビー・ダーリンが好きになる人もいるかもしれない。そう、ボビー・ダーリンは、いまもスウィングしている。
本物のボビー・ダーリン夫妻