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読書「飈風(ひょうふう)」谷崎潤一郎全集第1巻(短編集から)

2020-07-04 20:29:04 | 読書
 「飈風」は、明治44年(1911年)10月1日発行の「三田文学」秋季特別号の巻頭に掲載された。そのために同誌は、二度目の、谷崎は自らの作品ではじめて発売禁止処分を受けた。 と解題の中にある。

 日本画家の俊才として世間から注目されている24歳の直彦。これがかなりの美貌で水々しい色白の顔立ちは、男が見ても惚れぼれとするくらいだった。
 ところがこの男、まじめ一方で絵画にしか興味がなく集中していた。当然女性関係には縁遠い。どの時代にもいる悪ガキ連中が、酒の勢いにのせて直彦を吉原遊郭に登楼させた。

 うぶな男の怖いところは、女の味を知ったらのめり込むことだ。まさに直彦はそうなった。相手の女は21歳。こういう稼業の女は、年齢が21歳でも考え方や動作はもう年増の域に達している。その手練手管に乗せられた直彦は、毎日登楼してその女を愛し始める。セックス過剰なのか、次第に直彦の体が弱っていく。

 女は「ほんとにあなたは弱っているのね。田舎へ行って体が丈夫になったからって、帰ってくる迄は、きっとお慎みなさいよ。六月の間辛抱していたかいないか、嘘をついたってその時には私にちゃんと判りますから」と脅かすような口調で言う。

 このままではいけないと気付いた直彦は、試練の旅冬季の東北に出立する。福島、仙台、盛岡、青森、秋田。こんな感想もある。
 「東津軽の海で獲れる魚類はみなまづかった。アワビなどは口へ入れると、グニャグニャとこんにゃくのような歯ごたえがした」ホントかいなと思う。

 それでも女を知った男は、津軽の女の特徴ある美しさに気をひかれるが、ここは我慢と抑制に抑制を重ねて弘前、裏日本の鰺ヶ沢、深浦、大戸瀬と歩む。その折々に吉原の女に候文を送る。
 「もはや三月も半ばと相成り、東京はそろそろお花見の時候かと存じ候へども、当地は雪いまだ四・五尺の深さに……」

 春になって鳥海山、月山、羽黒山を眺め、安孫子から松戸、江戸川を渡り浅草本所が見え廓の光が見えた。六か月間の閑居は、直彦をたけり狂った生き物に変えていた。

 女の技巧は、直彦を翻弄した。こんこんと深い眠りに落ちたまま、直彦は目覚めることはなかった。医師は「恐ろしい興奮の結果、脳卒中を起こしたもの」と診断した。

 飈風には、吹き荒れる風、飛び去る人生の暗雲という意味がある。初期の短編作品で、谷崎自身25歳、実体験も含まれているような気がする。

 100数年前の明治44年(1911年)は、どんな年であったのか。内外取り混ぜると、日米通商航海条約調印、日本初の洋式劇場「帝国劇場」開場。第3次日英同盟協約締結、日本初のオリンピック代表選考会開催、ロアール・アムンセン南極点到達などがある。
 東京に絞ってみると、文人たちに愛されたフランス風カフェ・プランタン開業、日本橋が石造りに、車が走っていない丸の内、東京駅建築中など。