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Netflixドキュメンタリー「シナトラ:オール・オア・ナッシング・アット・オール」2015年

2020-07-23 10:46:57 | 映画


 アメリカの音楽史上特筆すべきシンガーの一人がフランク・シナトラだ。「ザ・ヴォイス」ともいわれるが、正式には、フランシス・アルバート・シナトラである。成功から挫折、再起の物語をドキュメンタリーにまとめたのが本作。

 タイトルのオール・オア・ナッシング・アット・オール(All or nothing at all)は、1939年のミリオン・セラー曲。

 シナトラは1935年、地元のイタリア人ボーカルトリオに参加、音楽人生を始めた。当時、甘い歌声のビング・クロスビーがラジオの普及やマイクロホンの増幅機能に支えられてトップシンガーの位置にいた。

 この増幅機能は、声を張り上げず滑らかに発声する歌唱法「クルーナー・スタイル」と言われ、クロスビーはそれを確立した歌手とも言われる。シナトラもクロスビーに憧れ目標とした。当然のことながら、クルーナー・スタイルの歌唱法を踏襲した。

 ドキュメンタリーは、1971年6月ロサンゼルスのミュージック・センターで行われた引退公演を中心に、人生の階段を駆け登った一人の男の実像が明示される。

  吟遊詩人とも言われるフランク・シナトラ。プレイボーイの側面もあるフランク・シナトラ。幼馴染のナンシーとの結婚生活に飽き足らず、名声とともに女性関係が派手さを増す。三度の離婚と四度の結婚、それに加えてハリウッド女優との火遊び。

 妖艶さを増したエヴァ・ガードナーとの結婚。エヴァ・ガードナー曰く「似たもの夫婦だからうまく行かないわ」

 シナトラ50歳のとき、30歳の年齢差のミア・ファーロと結婚。30歳の違いは、年代差を生みオールド・ファッションのスタンダード曲やジャズを好むシナトラに対して、ロックンロールやヒッピー文化に関心を寄せるミア・ファーロでは溝が深まるばかり。二年で離婚。

 火遊びの相手には、ボギーことハンフリー・ボガードの妻ローレン・バコールとボガードの死後親密になる。キム・ノヴァック、シャーリー・マクレーン、ナタリー・ウッドなどなど。

 シナトラには、苦境を跳ね返す気概もあったと見え、1953年の映画「地上より永遠に(ここより とわに)」で、ハワイ・オワフ島の米軍基地で起こる恋愛やいじめ・嫌がらせを描き、シナトラは一兵士の役でアカデミー賞助演男優賞を受賞するという快挙をなしとげる。

 シナトラの政治的立ち位置ははっきりしない。民主党のジョン・F・ケネディを応援してみたり、共和党のドナルド・レーガンを応援したりした。しかも、シナトラがマフィアと関係があるとFBIから告げられたケネディは、シナトラと距離を置くことになる。

 一つ囁かれているのは、シナトラが映画「地上より永遠に」に出演するためのオーディションを受けていて、この映画の監督フレッド・ジンネマンは不採用の意向だったが、シナトラのキャスト入りが決まる。 これに動いたのがマフィアという噂だ。と言ってもシナトラは、この映画で助演男優賞を受賞しているから、さして問題にはならなかったという逸話がある。

 シナトラの再起の場所になったのは、砂漠の街「ラスベガス」なのだ。くすんでいたラスベガスが大々的なショウを展開するフランク・シナトラによって全米の衆目を集めるようになる。

 稀代のエンターテイナー、フランク・シナトラは、 プレイボーイらしく「まだ、死にたくない(生きていれば、ハリウッド女優と浮名を流せると思っていたのかも)」と言いながら1998年5月14日心臓発作で82歳の生涯を閉じた。しかし、幸せだと思う。ヤンキースの試合が終われば、スタジアムはシナトラの「ニューヨーク ニューヨーク」で満たされるのだから。
それではタイトルの「All or nothing at all」を聴きましょう。