猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

COMの中の あすな ひろし ⑤ 「巣立ち」

2008年03月06日 16時21分07秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
            COM 1970年4月号掲載

 今、気が付いた、4月号だから 「巣立ち」 がテーマなのね。(いまさら) あすな氏 のその後の作風がCOM誌上で初めて見られた記念すべき作品。


 あらすじ

 俺とあんちゃんの生活はけんかの連続だ。味噌汁の味が薄いといっては取っ組み合い、バイトしてあんちゃんの欲しがっていたカフスボタンを買ってあげては、そんな金があったら貯金せぇとしかられ、大家さんや同じアパートの人たちも呆れ顔だ。
 
     
                  


 ある日、俺は就職が決まって戸籍謄本を貰ってきたら---兄貴は35歳、俺は15、20も違う兄弟なんておかしいと思うとった ! ほんとの兄貴じゃない、よう調べたらあんちゃんは俺の死んだ親父の弟じゃないか 
 くってかかる俺に、
「血迷うな、黙って俺の話も聞け !」
 というあんちゃんだが、俺は悔しいんや、本当のあんちゃんだとだまされていたことが・・・本当のあんちゃんだと思って甘えていたそんな甘ったれの俺が悔しい !

 俺たちは本気で殴り合った。
「俺たち はぁはぁ 本気でけんかしたの初めてじゃないか」
「ああ・・ぜぃぜぃ」

 茂よ-おれとおまえの生活はけんかの連続だった、けどそれは俺たちにとってほんの遊びだったんだ。けれど初めて本気で向かってくるお前に-俺はおとなになったお前を感じた。あんな ちび がよぅ。
 茂が赤ん坊の時からの思い出が蘇る。背負って仕事した日々、けんかしてブタ箱に入れられても茂の世話を人に任せなかったっけ。

 俺の兄は女房に死なれ仕事も失敗して、まだ赤ん坊の茂を俺に託す電話をした後自殺してしまったのだ。
 死んでいる兄に思わず殴りかかり、あんたが生き返ろうともこの子は決して渡さんと叫んだあの日。

「おこっとるんか ? まだ」 (茂)
「・・・・ん ?」
茂は泣いているようだ。俺は後ろを振り向けない。


 後の 「哀しい人々」シリーズ の原型となる趣 (おもむき) の作品です。それまで あすな氏 のリリカル少女マンガばかり見ていた私には意外な作品でした。大体オトコしか出てこないし。
 でも、当時のCOMにはこういった叙情的人情的作品は結構多くて、それは私は知らないけれど ある時期の文学青年の書く小説 のようなものなんでしょうか。自分のアイデンティティーを表すのに、小説や音楽や絵画とともにマンガもその表現の一つに成り得るとやっと考えられるようになった時代でした。
 
 あすな氏はずっと前からこういったものを描きたかったんだろうか、と今見ると感慨深いです。
 いや、少女マンガだって好きで描きたかったはずです。堂々たる体躯に似合わず繊細な神経と驚異的な絵画表現力を持っていた あすなひろし氏 だもの。でも、この頃から少年誌や青年誌、女性週刊誌への掲載も増えて、純粋な少女マンガ誌に掲載される作品が少なくなってきています。

 COMの時代 (あすな作品は1968年~1971年に掲載) はあすな氏にとっても転換の時期だったのでしょうか。

 なお、この号には 「漫画家70人アンケート」 (本当は60人) として当時30歳のあすな氏の回答も載っています。が、特徴的な筆文字で書かれている答えは簡単であっさり、(あんまり真面目に答えていないとも言う) 余人にはよく分かりません・・・。
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COMの中の みなもと 太郎 「白い狩人 -ハンター-」

2008年02月21日 09時59分41秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 
 1969年9月号掲載 たぶん同人としての 作画グループ の名も入っている。みなもと 太郎氏 22歳頃の作品。

 あらすじ

 猟師の俺はある日山の中で1羽のうさぎを見つけ、つい撃ち損なってしまった。始めに仕事が出来なかったものには、ずっと仕事が出来ないらしく、その後度々見かけるそのウサギには俺は銃を向けられず、向こうも安心しきったように俺の回りを歩いている。いつしか俺はヤツを山の友達として見ていた。

 それなのに違う猟師がヤツを撃って獲物としてしまった。かわいそうだが俺にはどうしようもない。
 そのとき、かの猟師のそばを鹿の群れが駆け抜けた。猟師はまだ息のあるヤツをホッポリだし、そちらに向かって走り出す。なんと言うことだ ! 

 俺を見上げて楽にしてくれと言うような目のウサギ。だめだ、他人の獲物には手を付けられないのだ。どうしてトドメもささずに放り投げた ! 放り投げるのならなぜ撃った ! 俺は怒りで震えている・・・。

 そうだ、仕事は思ったときにやっておかないとな。俺はゆっくりその猟師の背中に標準を定めた。


 ちょっと怖い最後です。COMの他の号には確か氏の 「ホモホモ7」 的な絵柄のギャグマンガがあったと思うのですが、その絵柄とも全然違ったシリアスタッチの絵です。ところがウサギちゃんのみ、もろ少女マンガの絵柄で、お目目キラキラで可愛いこと。
 うさちゃんは COMの中の 泉谷しげる投稿作品 の最後の方に載せた みなもと氏 の猫のイラストと似ています。後のギャグマンガでも女の子は皆、とっても可愛い みなもと氏の絵柄 の原点です。
 40年ほど前のデピューしてすぐの頃のこの作品はたぶんコミックスになっていないでしょう。

 最近は、代表作『風雲児たち』で2004年第8回「手塚治虫文化賞・特別賞」を受賞されたり、和田誠の映画の名セリフについての作品『お楽しみはこれからだ 映画の名セリフ』をもじった『お楽しみはこれもなのじゃ 漫画の名セリフ』などで有名ですね。

ウィキ → みなもと 太郎

みなもと氏のあすなひろし氏への追悼文 → みなもと先生の追悼文
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COMの中の女性作家 ⑥ 樹村 みのり 「おとうと」

2008年02月19日 11時33分47秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
           1969年9月号掲載 「おとうと -弟-」 

 COM初出には珍しく、コミックス 「ポケットの中の季節 2」 に収録もされているようだ。1950年生まれの作者、19歳の大学生時の作品。年代的には24年組さんの一人。

 ウィキ → 樹村 みのり

 この頃から、COMにアウシュビッツを舞台にしたものや、りぼん (りぼんコミック?) にベトナムものを発表したりと少女漫画家には珍しい社会派的な作品を発表していた人だ。現在も団塊の世代の青春群像を描いた、最新刊 「見送りの後で」 をこの1月に発売したばかりとご活躍。(私は未見) 

 私などは、「おとうと」 と聞くと 幸田 文 の小説 「おとうと」 を思い出してしまうが、姉が弟を思い出しながら、という点ではきっと作者も 幸田 文 の 「おとうと」 を意識しているのだろう。 幸田氏の作品の方は 先日亡くなられた 市川 崑 監督、岸 恵子主演で映画にもなった。弟役は 川口 浩。
確か、TVか何かで昔 郷 ひろみ もやってなかったっけ?

 幸田氏と同じく、樹村氏の 「おとうと」 もまったく創作でないように思える。
 あらすじは、子供の時から大学生となった今までの、弟と自分の思い出や性格の違いなどを淡々と思い出し、エッセイ風にまとめているもの。特に大事件があるわけでもない。が、
 私にも弟が二人いるので、いちいち頷くところも多く、COMの他の樹村作品より印象が深かった作品だ。私個人としてはこの方の戦争ものよりも当時は好きだった。今見ると戦争ものも又、違って見えるけれども。

 幸田 文氏の 「おとうと」 は作者がずいぶん後になってから、結核 (だったか?) で死んでしまった弟の思い出を語る話だったが、樹村氏のは主人公の 姉 が大学生になり、東京に行く電車の中で おとうと のくれた手紙を読むところで終わる。そこには異性の家族としての照れくささとか、家族愛 (らしきもの) が詰まっていて、姉 を笑わせ、そして読者を泣かせてくれるのだ。

 兄弟のいる人もそうでない人も、機会があったら読んで見て欲しい佳作。
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COMの中の あすなひろし ④-2 「西部の唄」

2008年02月13日 17時29分09秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 前回 と同じく、詩訳/構成/絵 とも、あすなひろし氏。しかし2編しか乗っていないのは寂しい。以下はあすな氏の素敵な訳詩を私が縮めて意訳して、ズタボロにした内容紹介。

空駆ける騎手 RIDERS IN THE SKY

 空に悪魔の牛の群れを見る年老いたカウボーイ。それを追うのは空駆ける騎手の群れ。彼らは稲妻のように老いた男の頭上を駆ける。
 もしも地獄におちたくなくば、お前も今から悪魔の牛を追うがいい!

吹雪の唄 THE BLIZZARD

吹雪の中で愛しい女の所に早く帰り着きたいと願う男。あと7マイルなのに
すぐむこうに君の微笑と暖かいなべが待っているのに、あと5マイルと無いのに
雪の中にうずくまる愛馬、ああマリー・アンのところまであと3マイルとちょっとなのに
立つんだよダンお前を置いてはいけないよ、ほんのすこし休もうか、あと100ヤードもないのだから
嵐も去って人々は、息絶えたカウボーイを見つける
愛馬を助けようとたずなを握り締めたつめたい手は凍っていたよ
ああマリー・アンお前のところまで100ヤードのところでだよ

寂しい唄ばかり前後編6編の西部の唄シリーズです。

 ところで、COMの中のあすなひろし ④ 「西部の唄」 の時にも付いていたのですが、題の前にジュニアの絵本と付いているんです。内容は十分大人に耐えるものですし、以前にジュニア雑誌にでも発表されたものなんでしょうか ? 
 あすなひろし追悼公式サイト 1960年代の作品リスト を見ても良くわかりませんでした。どなたか知っていたら教えてください。
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COMの中の長谷 邦夫  「長谷邦夫パロディー劇場」 

2008年02月12日 09時42分38秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 上の写真はパロディー劇場の ⑤ 梅図 まずお の 「おそろち」 


 長谷(ながたに) 邦夫氏は、1937年生まれ、「漫画少年」に投稿後石森(当時)章太郎氏の肉筆回覧誌 「墨汁一滴」 の執筆陣に加わるいわゆる「トキワ荘」のメンバーのうちの一人。スタジオゼロを経て、赤塚 不二夫氏のフジオ・プロダクション創立メンバーとなり、赤塚氏と二人三脚の時期が長かったが、現在は大学の講師など単独で仕事をしている。ウィキで調べて始めて知りましたが、1972年、井上陽水『氷の世界』収録曲「桜三月散歩道」の作詞で日本作詞大賞受賞。これ、びっくり!


詳しくは → ウィキ 長谷 邦夫


 長谷邦夫パロディー劇場はCOMの誌上で 1969年4月号から始まっていて、終わりは1969年12月号までの9回連載企画でした。

第1回 1969年4月号 「ゲゲゲの星」 原作 火事原(かじはら) 一鬼 まんが 水木のぼるとフジオプロ と徹底しています。(笑)
 題名と作者名を見るとおり 当時人気絶頂の 「巨人の星」(1966年~1971年まで週間少年マガジン連載) と 「ゲゲゲの鬼太郎」 を混ぜて、ついて、こね回した快作(?)7ページ。絵柄は各元作とそっくりに仕上げてあり、そしてもちろんギャグマンガ。

第2回 1969年5月号 「バカ式」 つげ義悪(よしわる) 
 かの名作 つげ義春氏 の 「ネジ式」をパロってらっしゃいます。 (笑笑) 絵柄は背景と一部登場人物がつげ氏風ですが、出てくる人間の多くは赤塚不二夫氏の天才バカポンに出てくる人々。ニャロメやレレレのおじさんも登場します。主人公はバカボンのパパなのだ~~。

第3回 1969年6月号 「フーテン老人日記」 変漫画文学全集 
 フーテンというからには、やはりCOM誌上で人気のあった 永島 慎二氏風 の絵柄かと思いきや、表紙は東海林 さだお氏風と 永井 豪氏風 での始まり。東海林氏風の絵と内容で5ページも続いてこのまま行くかと思う頃、突然永島氏のフーテン登場。おまけにやっぱりというべきか、永井 豪氏のひげ面おじさんと裸の女の子が乱入して、東海林氏のふんどしおじさんと永島氏のギターをかき鳴らすフーテンの周りをきゃっきゃっと回りだして楽しそう(笑笑笑)

第4回 1969年7月号 「ルパン二世」 今月の題材石森章太郎のファンタジーワールド「ジュン」と銘打たれてます。
 表紙の枠外には、つねに〆切に追われてピンチなサルマネ作家 → 長谷邦夫ことモンキー・ピンチがおくる異常作!! (笑)
 モンキーパンチ氏風の絵柄で送る、ファンタジーワールド「ジュン」の世界。ジュンの代わりを務めるルパン二世が違和感なくて、主役交代でも 「ジュン」 はやって行けるのでは ? と思わせる問題作。(笑笑笑笑笑)

第5回 1969年8月号「おそろち」 ↑ の写真の号です。梅図氏の 「おろち」のパロですが、梅図氏そっくりの絵柄で押してます。お目目ぱっちりの梅図風女の子達が可愛くて怖い。真夏の夜に贈る、歌手のジュンとネネそっくりの美人姉妹のそれはそれはオソロチい物語。
 一部美しい青年役としてバカボンのパパ (!)やニャロメさん、額縁の絵としておばけのQ太郎さん出演。お話も一応ギャグが絡みますが、ちゃんと起承転結でお話になっていて最後はOh もーれつ!!で終わります。(笑笑笑笑笑 もうやめよう)

第6回 1969年9月号 「かかば斬るド」 砂川はげしさ 
 砂川 しげひさ氏風のギャグマンガタッチと小島 剛夕氏風の劇画タッチが融合する残酷とナンセンスの極地。一人前の漫画絵師になるため小島風激画流漫画道場に残業含み手取り8万両で売り込みをかける砂川風入門者。2刀流で劇画とナンセンスを描き分けるが…。

第7回 1969年10月号 「ゴリラ13シリーズ 寒い国からにげてきたスパイ」 制作スタッフ -構成-ながたにくにを -脚本- ナガタニクニオ -構図 長谷邦夫- -見本 園山俊二/さいとうたかを- -作画 クニオナガターニとフジオプーロ- (笑)
 出ました、ゴ○ゴ13シリーズのパロディー。
 深夜、ヘリコプターから一人落下傘降下する怪しい人影。待っていた怪しげな一団から一斉射撃で狙われる…。と劇画タッチで重厚に始まる物語とは。主人公園山俊二さんのゴリラなんです~。(前面体中心部に葉っぱ付)主人公ゴリラ13のみ園山調、他はさいとうたかを調。国境紛争の火の手を消すために、さる人物を消す仕事を請け負うゴリラ13の活躍。あれれ、仕事が済んだらゴリラのぬいぐるみを脱ぎ捨てて、あっあなたの本当の姿は 

第8回 1969年11月号 「ライク ア エロチック コミック ストリップ」 KUNIO NAGATANI と HIS PARTNERS
 当時COM誌上で絶大な人気を誇った宮谷(みやや) 一彦氏の「ライク ア ローリングストーン」 のそっくりまんが。宮谷氏の「ライク ア~」 は自伝的・日記的な意欲作なのだが、今読んでみても思想・女性関係・新人漫画家としての苦悩などが入り混じり、写真を使った新たな表現方法やダリの絵のような心象風景の表現なども試みていて、難解な作品だ。 (この作品の前、9月号で終了)

 それをまぁ、長谷氏は宮谷氏調の劇画的なペンタッチとまたまた出ました永井 豪の金時腹巻のぼくちゃんを組み合わせて軽々とパロっていらっしゃる。最期の方、原稿をもらって帰る編集者のセリフ、 「ブリーフよりふんどしの方が反体制的でーす。原稿いただきま~す」 に笑った。編集者とは、何が何でも原稿もらえれば良いのよね。

最終回 「椎名町奇譚」 長谷邦夫とフジオプロ
 題名からして 滝田 ゆう氏 の『寺島町奇譚』から取っているパロディーなんですが、この作品の前に滝田 ゆう氏本人が作品を載せているのにまず笑いましたね。この方も1990年にお亡くなりになってますが、もうほんとにCOMに描いていた方々が多く亡くなられてて寂しいことです。

 トキワ荘に下駄をカーラコーロと鳴らして入っていく長谷 邦夫氏本人。石森も赤塚もいる室内では「トキワ荘物語」さながらみんなの日常が繰り広げられている。これは筆致は滝田 ゆう氏を借りた 長谷 邦夫 の「トキワ荘物語」なのだ。 

 次の号から同氏の「盗作・世界名作文学全集」が始まっていますが、ちょっとごった煮過ぎて、私にはこのまんがパロディーシリーズの方が面白いです。


 ↓ コメント欄に長谷邦夫先生より、コメントを頂きました。ぜひこちらもお読みになってくださいませ~~m(_ _)m
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COMの中の あすな ひろし ④ 「西部の唄」

2008年02月05日 16時21分21秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 
              COM 1968年8月号掲載 9月号にも有り。詩訳/構成/絵 あすなひろし

 この号には4編の西部開拓時代を歌った歌が載っています。映画の主題歌が多いようですね。詩を訳し、絵を描き、構成も考えて全て自分で作っています。又、ウェスタンの中には勇ましい唄、明るい唄もあると思われるのに、選んでいるのは哀愁漂う男の唄ばかり。その時代、その場所、その人たちの唄がお好きだったのでしょうね。

 最初のページにあすな氏のモノローグがカウボーイの後姿とともに載っています。

  -略-彼らはうたう
終わり亡き愛へのあこがれ
ひとり旅行き
ひとり死にゆく哀しさ


 画像とくわしい解説がこちらに載っています。 ↓  
 
 あすなひろし追悼公式サイト内 西部の唄のページ

 ここの管理人さんは、4編ともどの映画の主題歌であるとか、詳しく書いてらっしゃいますので、ぜひ行ってみてください。


 最初に載っているのからして 「寂しい草原に埋めてくれるな」 という題から寂しい歌。
 死の床にいる若者が、息もたえだえに、狼の吼える寂しい草原には埋めないでくれと頼んでいる。看取ってくれる人などいなくていいからと。けれど私達は風の吹き渡る草原に6フィートと3フィートの穴を堀り、その底に息絶えた若者を埋めました・・・。

 このページのイラストは、先ほどの西部の唄のページの2番目と、あすなさんの公式追悼サイト ↓ 

        あすなひろし 追悼公式サイト トップベージ

 のトップ画面の右上で見られます。

 「野鴨の叫び」
この女のそばで眠りたいのに、野鴨が北の空に羽ばたく声がするからオレも行かなけりゃいけない。冷たい氷の溶けぬうちにお前の急ぐ北の国へ

 「ラレドの通り」
 ラレドの通りで白いリンネルをまとった哀れなカウボーイと会いました。彼は言う、私が悪事を働いたのももう過ぎたこと、私は今胸を撃たれて死ぬのです。
 彼の願った水を汲んで戻ると、彼は息絶えていました。

 最初の写真が ↑ このページのイラストです。

 「500マイルも離れて」
 この汽車が去ってしまったらあなたは私の去ったことを知るでしょう。そして哀しい汽笛の叫びを聞くのです。
 100、200、500マイルも離れて今はあなたの愛もなく、去っていく私。もう帰ることの出来ない故郷。


 私の知っているのはピーター・ポール&マリーが歌ったこの 「500マイル」 だけですね。


     おまけ映像  ↓ 松本 零士 氏のファンの方見てね。

               おまけ画像
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COMの中の 泉谷しげる投稿作品

2008年01月21日 09時30分06秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
    COM 1969年2月号 ぐら・こんまんが予備校 児童まんがコース投稿作品 作者名は、ひらがなで いずみやしげる となっている。
 
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の泉谷しげるの項目に → 泉谷 しげる

 漫画雑誌『ガロ』に投稿し、漫画家を目指そうとしていた とあるし、どこかで見た泉谷氏のイラストにも絵柄が似ているので、COMのこの投稿作品も当時20歳、いまや俳優でシンガーソングライターの 泉谷しげるさん (本名 泉谷 茂)なんだと思う。 

        公式サイト → "IZ"

 9ページの作品で全部は載っていないが、選者の つのだじろう氏 の解説を読むと私には児童まんがというよりギャグまんがや風刺まんがに近いものに思える。
 マンホールから突然出てきたゴリラそっくりの獰猛そうな男が、世の不条理を腕力で一瞬にして解決し、又元のマンホールへ帰っていく、というようなお話らしい。全学連と機動隊を一まとめにして月世界へ殴り飛ばす、なんてエピソードは痛快である。

 この号は選考がむずかしかったらしく、佳作作品が全ページ載っているあとで7作品小さく紹介されているが、そのうちの三番目で総合点600のうち350点取っている。半分ちょっとと思うなかれ、このまんが予備校で300点以上行く人はまれなのだ。
 とくに選者の つのだ氏 は、

 企画の着眼点は今月の作品中随一 ! ぼくが数年来あたためていた企画とまったく同じでびっくりした。こうなるとプロももたもたしてはいられない。じつにりっぱ、りっぱ ! 

 と手放しで褒めている。着想が当時から人と違っていたのでしょうか、その後の歌作品の歌詞にも通じているような気がします。

 その後、まんが家にはならないで歌の方に行かれたようですが、最初に所属していたエレック時代のアルバムの再販版のアートを自身のデザインにしていたり、映画 (狂い咲きサンダーバード) の美術を担当したり、画家としても活躍しているようですね。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia) 泉谷 しげるの項を参考にしました。)


 おまけ画像  ↓   この号のぐら・こん支部だよりに載っていた「みなもと太郎君の 真夜中のこねこ 1カット」 


                     


                     可愛い~~みなもと先生いくつの時なんでしょうか。


 PS. ちゃととさんから、長年の疑問が解けました、と嬉しいコメントを頂きました。こういうことってありますよね~。お役に立てて私もとっても嬉しかったです。
 今後もCOMのことで何かあったら、漫画好きな方ならご遠慮なく問い合わせください。なにしろ初期COM全巻を持っていることが、私が唯一漫画好きの皆様にお役に立てることなんで。出来たら何年ごろとか、夏だったとか秋だったとか分かると探しやすいんでお願いします。
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COMの中のあすな ひろし その③ 「その日,ノース=ビルは,雪」

2008年01月17日 09時28分43秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
             COM 1969年2月号 掲載 

ストーリー 思い切りネタバレです。

 その日、ノース=ビルは雪。その降りしきる雪の中でわたしはあの少年にあった――。 雪の中、スティーブをやっと見つけたという少女。だがスティーブと呼ばれた少年は灰色の空に似た瞳をうつろにそらせて 「君は誰」 というばかり。

 少年の母親らしき人物が家から出てきてスティーブを家に入れようとする。少女は彼女のことも知っているようだ。しかし、母親の方は少女に見覚えが無い。その美しかった栗色の髪は白く、温かかった微笑みも寂しい瞳の奥に隠れてしまっている。スティーブはあの日と少しも変わっていないのに…。

 家に招きい入れてもらった少女は家の中を見て驚く。イスもテーブルも壁紙の模様までなにもかもあの頃と同じなのだ。少女は問い掛ける。
 「私はワシントンに住んでいたあなた達を知っています。ワシントンにあったこれとそっくりの部屋を知っています。なぜワシントンからノース=ビルに来たのです ? 」

 「逃げてきたんですわ、あの子が人を殺したとみんなに指差されるのが…辛くて…。」
スティーブは以前車の事故で同乗していた当時付き合っていた彼女を死なせていた。ハンドルを切り損ねたスティーブは開いたドアから無傷で放り出されたが、彼女はとりこのされたのだ。
 燃え上がる車の中の少女を助けようとしたが、彼まで死んでしまうと、周りが止めた時、彼は泣き声とも叫びともつかない声を発し、何もかも忘れてしまったという。

 母は言う、「彼女と一緒に炎にまかれて死んでしまったほうが…。二人はそれは愛し合っていて…。それでもあの子に何か思い出させようとあの頃と同じに再現させ…。」
 なんと母親はそのとき乗っていた車まで買っていた。
 「あの時の車だわ!」

 「今なんとおっしゃいましたの ? なぜそれをご存知ですの ?」
 少女は語りだす。自分はあの時あの車に乗っていたのだと。焼け爛れて病院に運び込まれたが、死んではいなかったのだと。6ヶ月眠り、それから5ヶ月経って起き上がり、しかし醜い顔になってしまった少女はそれから3年もの間、スティーブに元のような美しい顔で逢いたいと願って復元手術を受け続けたのだ。
 だが、美しく整った今の顔は、スティーブの知っている顔ではなくなってしまっていた。「スティーブの私はやっぱりあの時死んでしまったのよ ! 」

 車の運転席に乗るスティーブにしがみつき、あの時と同じようにやめて ! と叫ぶ少女。
「あぶない はなせ ! 」
 叫び声を発し、一瞬記憶の戻ったスティーブは、
 「殺した、僕があの子を殺した ! ああ、あの子が燃える…」
 と叫びながら少女を突き飛ばし、車を発進させてしまう。建物に激突し、炎に包まれたスティーブ。母は立ち尽くしつぶやく。
 「死んだ・・・・あのこ・・・・あのときのあなたを愛して・・・・。」


燃える
少年が 燃える
降りしきる雪の中で
赤く――赤く

その日
ノース=ビルは



 私があすな ひろし氏を知ったのは、氏が 週間マーガレット などで少女マンガを描いていらした1964年頃。私のお気に入りは 「さざんかの咲くころ」 という短編で、雑誌から切り取ってとっておいたものだ。小学生くらいの少女ともっと幼い少女の出会いと別れ、山茶花の咲く頃、幼い彼女を思い出す少女、という作品だった。

 その前は少女クラブでやはり少女マンガを描いていたようだが、年齢的に私は見ていない。1964年当時の絵柄は 水野 英子先生 の影響が強いものだったが、( ミルタの森 とか オンディーヌ など合作もしている) 当時から筆致が流麗で私は一目で好きになった。
 その後もしばらく1960年代は 週マ や 別冊マーガレット、りぼん、なかよし、少女フレンド、小説ジュニア等で少女マンガを描かれていた。た~まに青年誌や少年誌に描いていたようだが、私は見ていなかったので、後年青年マンガや少年週刊誌であすな氏の連載作品を見たときは絵柄も簡略化されたものに見えたし、ちょっとびっくりしたものだ。
 この作品が描かれた頃 (1960年代後半~70年代前半) のあすな氏の絵柄が一番好きです。

 代表作とされている少年チャンピオン連載作品の 「青い空を、白い雲がかけてった」 などはちらちら雑誌が有った時に読む程度だったが、私はやっぱり初期の少女マンガの方が好きで、毎週読もうとかコミックスを買おうとか思わなかった。
 青年誌のビックコミック・オリジナルに時々掲載された 「哀しい人々」 シリーズは全部は見てないが好きなシリーズだった。

tooru_itouさんに頂いたコピーの記事 → あすなひろし 哀しい人々シリーズ 「幻のローズマリィ」

 青年誌に掲載された作品を大人のあすな作品、初期の少女誌に掲載されたものをリリカル少女マンガ作品とするなら、中間の時期にCOMに掲載された 9作品 はあすな氏が本当に描きたかった実験的な作品が多いのだと思う。そのうち紹介するつもりだが、案があすな氏で絵が 川本コオ氏 というものもあるし、歌詞にイラストを付けたものもある。このイラストなど、現物を見たらさぞかしうっとりするほど綺麗だろうな~と思われる出来だ。
 他のCOM作品もぼちぼちご紹介するので、気長に待っててね。


 作品初出年を参考にさせていただきました。 → あすなひろし 追悼公式サイト
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COMの中のあすな ひろし ② 「30,000km./sec.」 

2008年01月03日 16時28分21秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 
  皆様、あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。

さて、今年最初はしばらくご無沙汰していたCOM本誌より。

 COM 1968年1月 新年特別号掲載 のあすな ひろし氏です。ゲストまんがシリーズのNo.6ということで表紙がカラーの特別扱いになってます。

 ずいぶん COMの中のあすな ひろし ① 「美女ありき」(去年7月2日の記事) から次の紹介が遅れてしまいましてすいません。あすな氏のCOM掲載9作品のうち、最初に掲載されたものです。

あらすじ

 1933年ドイツ、上司のレーマン博士とともに陽子と反陽子の反応による素晴らしいエネルギーの研究をしていたヨハンは、その為に軍部に捕らえられ、無理やりロケットの研究をさせられそうになる。 
 自分の研究を兵器に利用されることを恐れた博士はヨハンとともに宇宙へロケットで逃げ出そうと企てるが、ヨハンが恋人のイルゼへ手紙を出したことにより発覚し、レーマン博士とヨハンは身重のイルゼを残して急いで宇宙へ飛び出さざるを得なかった。

 放射能を浴びた博士は出発後すぐに亡くなり、ヨハンはひとり宇宙をさまようことになる。それは34年の長きにわたったのだった。
 1968年、今地球時間の新しい年が明ける。疲れ果てたヨハンは博士から決して出してはいけないと言われていた秒速30万キロの光の速度を出して、懐かしいイルゼの待つ地球へ帰ることを決意する。
 四次元の世界に入り時間が戻って昔のイルゼに会えるのか、それとも物質が高速になったときに光の粒子となり、走りすぎる光と消えてしまうのか、どちらかに賭けたのだ。

 同じ頃イルゼは息子や孫達と住む家の庭に座っていた。一瞬青い大きな光がイルゼを包む。家族が驚く中、あのときから盲目のイルゼは何かを感じたように静かに家に戻るのだった。


 SFではあるのだけれど、34年にわたるラブストーリーの方に重きがある佳作と思います。二人は宇宙と地球に34年間も離れているのに、お互いを忘れずに想っている。そして彼は自分が消えてしまうとも、イルゼの居る懐かしい地球に最期に戻りたいと思うのです。
 イルゼはしっかりとその想いを感じて満足し、多分その後いくらもしないで亡くなるのだろう。 (これは私の想像) 

 1933年当時、宇宙空間を何年も航行できるロケット(しかも水・食料はどうすんのさということは置いといて)が出来ていたとはびっくりだけど、すでにドイツでは終戦当時実際に小型のロケットが開発されていたということですから、ありえなくも無い話です。
 博士の言う光のスピードが三次元から四次元へのポイントとなるという説や、三次元の物体はすべて高速に耐えられないのではないかという話が、子供の私にもちょっと科学をかじった気がして興味深かった気がするな。今はどういう説になっているんだろうか ???

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手塚 治虫 「罪と罰」 COM 1968年 1月号 付録

2007年12月25日 11時28分31秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
   C0Mの1968年1月 新年特別号 (発行は1967年12月) 別冊付録
 1953年の作品 (私が生まれた年だわ~) だが、初出がどこに掲載されたかは分かりませんでした。
 今、買うとしたら 講談社の手塚治虫全集 か 角川文庫の1995年発行の 罪と罰 か。しかし、手塚氏は再発行や文庫化に当たって毎回書き直しをしたことで有名なので、私の持っているものとは絵柄や内容に違いがあるかも知れません。

 デスノートを「21世紀版『罪と罰』」と言った方がいたが。(斎藤宣彦氏)
 じゃあドフトエフスキー原作の 「罪と罰」 を読んでみようと思わないで、手塚 治虫氏が名作に挑んだこれを引っ張り出した。
 引っ張り出したもの (写真) はCOMの付録についていたもの。黄ばんでいて凄いが、ちゃんと読めます。

 サワリだけでも・・・

 帝政ロシアのペテルブルグに住む貧乏学生のラスコルニコフは、ごうつくばりで有名だった金貸しのおばあさんを殺してしまう。しかしたまたま現場に居た他の者が犯人と間違えられてつかまってしまう。
 ラスコルニコフは始め落ち着かなかったが、開き直って金を隠し知らん振りを決め込む。

 ラスコルニコフは論文で、人は天才と普通の人に分けられる、天才は何をしてもいいのだ、天才は古い世界から新しい世界を創り出せる、という考えを発表していた。判事のポルフィーリイはそんなラスコルニコフに疑いを持ち、何度か話をしにやってくる。

 妹のドーニャやその婚約者で鼻持ちなら無い金持ちのルージン、役人の娘で心ならずも売春婦をしているソーニャ、人民開放戦線のスビドリガイロフなどが登場して、革命前夜のロシアを舞台に人間の良心を問う名作…なんです。

 因果応報的な内容が 「デスノート」 を21世紀の 「罪と罰」 と言わしめているのでしょう。手塚先生は当時お得意のモブシーン (群集シーン) や軽いギャグなどちりばめていますが、あまりいじくらずに原作に忠実に漫画化しているように見えます。当時は他の文学名作も漫画化しているようですね。

 手塚先生の絵柄は戦後初の長編マンガとなった昭和22年発表の 「新宝島」 程ではないが、昭和23年発表の 「ロストワールド」 昭和24年の 「メトロポリス」 昭和26年の 「来るべき世界」 の手塚初期SF三部作などと同じ丸っこいものです。  ↓


                   



                            

 最初の写真の付録がついていたのは1968年1月号ですが、その当時COMに連載していた 「火の鳥」 ではもう手塚先生の絵は完成されていて、晩年の絵柄とほとんど同じです。15年の間に自分の絵を完成されているのですね。  ↓ 短いのか、長いのか、私にはわからない。


                   


 色々なマンガを見境無く読んでいると、嫌でも手塚先生、萩尾氏、山岸氏などの大家と呼ばれる方々の凄さが当たり前だけど、分かってきます。私などはただ、ただ、楽しく読むばかり・・・。
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