↑ 講談社文庫 上下巻共 2002年10月15日 第一刷発行
5月に入院していたとき、友人が持ってきてくれた本。
退院が思いの他早く出来たので読み損なっていたが、7月に1週間くらいで一気に読めた。
分厚い文庫2冊だが、それだけ面白かったということ。
作者の名前は私、初めて聞いたのだが、この作品で吉川英治文学賞を受賞し、「写楽殺人事件」で江戸川乱歩賞を受賞するなどしている人気作家さんである。
特に男性に人気がある方とお見受けした。
血沸き、肉踊るんである。
アテルイ(この本中では阿弖流爲という字を当てている 諸説ある)という主人公の名前を見たときは、蝦夷地のアイヌの大酋長の名前だったかいな、なんて思った。どこかで聞いた気がしたのだ。
実際はもっと前、陸奥(みちのく)と呼ばれていた東北にまだ蝦夷たちが住んでいた頃、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)に抵抗した蝦夷の若きリーダーの名前だった。
アテルイは作者の創作ではなく、日本の歴史史料で2回現れる実在の人物である。
巣伏の戦いについての紀古佐美の詳細な報告が『続日本紀』にある。もう1つはアテルイの降伏に関する記述で、『日本紀略』にある。
↑「ウィキペディア」による
平安時代の天平21年に陸奥で金が産出されるのを知った朝廷は、折から東大寺の大仏建立中だったことも有り、これこそ仏の加護であると狂喜乱舞したのである。
蝦夷たちにとってみればいい迷惑以外何者でもない。
だが、それでも両者の境界線の向こうで蝦夷には不必要な黄金を簒奪しているだけなら、蝦夷たちはじっと我慢していたかも知れない。
蝦夷の力を侮った朝廷が蝦夷をもって蝦夷を制する、という屈辱的な政策に転じなければ蝦夷達の激しい抵抗はなかったかも知れない。
これを始まりとして、20年以上に渡る朝廷と蝦夷たちとの抗争が勃発するのである。
先に 坂上田村麻呂 の相手と言ったが、田村麻呂の登場は下巻までない。
下巻の途中までは、次々と朝廷から送られてくる蝦夷を獣としか見ていない、位ばかり高い 征東将軍たち の間抜けな戦いぶりが展開される。
話はアテルイの側から語られる。
決して蝦夷の方が断然有利というのではない。
どころかもともと広大な陸奥の地にせいぜい千人単位の人数の集落が散らばってのんびり日を過ごしていた蝦夷達には、専属の兵隊や武器さえもないも同然だったのである。
それらをまとめて兵として訓練し、武器を作らせ、リーダーとして立ったのは、若干18歳の一集落の長の息子、アテルイだった。
若いアテルイとて、いきなりそうなれたのではない。
アテルイの前には長年の苦節を耐え、自分の事より蝦夷達のことを考えて決起のきっかけを作ってくれた他部族の長がいた。
協力を申し出てくれた 物部(もののべ) の民が居る。
終生の仲間となった参謀役の友人も出来た。
手足となって働いてくれる年上の部下や、自分を仰ぎ見て結束を誓う兵隊達も居る。
何事も一人では出来ないのである。
が、集団にはカリスマ性を持ったリーダーが絶対必要な時もある。
勇壮な戦の部分や、ときどきわけがわからなくなるような策略の部分を読むのも楽しいが、アテルイの成長物語としても楽しめる。
我々は、その後何十年、何百年もかけて蝦夷たちが北海道へ追いやられ、ついに少数民族として日本に組み込まれる歴史を知っている。
神の目を持っている我々がこの物語を読むとき、時に息苦しくなることもある。
しかし、この躍動感あふれる物語を読むとき、当時の蝦夷の人々の思いが少しばかりわかるような気がするのだ。
ウィキペディア -アテルイ- →
アテルイ
最後のシーンは夢に見そうで怖かったトミー。